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第三章『叡智を求める者』

第百七十四話『一つの不運』

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「ツバキ、バックアップは任せるわよ!」

「ああ、君なら二人だろうと目じゃないさ!」

 コンビ戦の様相を呈しだした戦場で、リリスはすぐさまツバキへと指示を飛ばす。本職の剣士もかくやというほどの鋭い踏み込みとともに飛んできたその言葉に、ツバキもまた全幅の信頼をもって応えた。

 しかし、それと同時に双子も息の合った動作で左右へと散開し、挟撃の体制をとる。背後にツバキを控えさせて一人でまっすぐ向かってくるリリスの姿を、白と黒の刺客が冷たい目で見つめていた。

「……たった一人で受けて立たれるなど、我らも侮られたものだな」

「ああ、愚策極まりないことだ。……我らの実力を見誤ったこと、後悔しながら散るといい」

 ローブをまとっているにもかかわらず二人の動きは俊敏で、左右に大きく開いたその姿を同時に視界の中へと捉えるのは不可能だろう。息の合ったハイスピード連携が彼らの武器であるとするのならば、あの狭い拠点の中でその本領が発揮できなかったことも理解できる話だった。

 ノアがあっけなく二人を御すことができたのも、不意をついたことによってその連携が乱れたことが大きな要因を占めていたのかもしれない。それならば、あの敗北を経てなお彼らが自信を失わずにいられるのにも何となく納得がいくのだが――

「……さて、侮ってるのはどっちかしらね?」

――リリスたちの実力を知る機会がなかったことだけが、双子にとって唯一の不運だった。

 息の合った二人の挟撃は虚空に突如展開された氷の盾に受け止められ、予想を裏切られた双子の足が完全に止まる。それを見るや否やリリスは足踏みで魔術を展開し、地面から氷の柱を展開する。ついさっき双子の片割れを完璧に御して見せたのと同じように、生み出された氷の柱は双子の顎をそろって打ち抜いた。まるで攻め込むときのようなシンクロ率で、双子は同時に宙へと打ち上げられる。

 だが、さっきとは違って今度は二人が相手だ。いくらリリスの身体能力が優れているとはいえ、宙に浮いた二人の両方に有効な追撃をするのは少しばかり困難だろう。氷魔術を使えばそれも容易なのかもしれないが、何も聞き出せないままで殺すのも俺たちからしたら避けたいところだ。

 だが、そんなことは俺よりもリリスの方がよっぽどよく理解している。それを証明するかのように氷の武装たちが消失し、リリスはまたしても近接格闘の構えをとった。

 きゃしゃな体をしなやかに操りながら、リリスは決定打となる一撃に向けてゆっくりと動いていく。その短い時間の中で、リリスは一瞬だけツバキに視線を送って――

「……ツバキ、白い方をお願い!」

「ああ、了解だ! ……思ったよりも、なんてことのない相手だったね!」

 リリスの声が部屋の中に響いた瞬間、まるで快哉を叫ぶかのような声色でツバキはその指示に応える。そのやり取りの中で白い方と呼ばれた男――ヴィータが一瞬不愉快そうに顔をしかめたが、それが視認できたのは一瞬のことだった。

「……影よ‼」

 ツバキの手から伸ばされた影がヴィータの体を一瞬にして飲み込み、彼の存在は外界から隔絶される。かつて『プナークの揺り籠』で十人以上の襲撃者を同時に戦闘不能へと追い込んだ一手が、今はたった一人のためだけに使われていた。

「貴様、弟にいったい何を――!」

「企業秘密よ。――あなたにとって、一生知る必要もない事だわ」

 弟の姿が見えなくなったことに狼狽して、黒ローブの男が怒気を込めた声を上げる。しかし、それも冷たい声とともに再び飛んできた後ろ回し蹴りによってシャットアウトされた。しなやかな足が鳩尾に突き刺さり、反りかえっていた男の体が強引に逆方向へと折りたたまれる。

「あ、ふ……」

 声になり損ねた空気が口からこぼれ、すさまじい速度で男の体は吹き飛ばされていく。弾丸のようなその速度が硬い石壁に受け止められたと同時、骨が砕けるような音が俺の鼓膜を打った。仮に意識を保つことができていたのだとしても、その状態で戦闘を続行することは不可能だろう。

「殺されなかっただけマルクに感謝しておきなさい。……もしあなたたちが襲撃に成功してたら、こんな仕打ちじゃ済まなかったでしょうからね」

 男の姿をさげすむように見つめて、リリスは吐き捨てるような言葉を贈る。その言葉がとどめとなったかのように男の体が地面に崩れ落ちると、リリスはツバキの方へと視線を向けた。

「……ツバキ、そっちの様子は?」

「大丈夫だよ、別に死んじゃいないさ。……ただ、五感が遮られたことに心が耐え切れずに自ら意識を断ち切ってるだけだからね」

 リリスの問いに笑って答えると同時、ツバキの手から伸びていた影が消失する。その後には、何か恐ろしいものを見たかのように泡を吹いて倒れているヴィータの姿があるのみだ。

 あんなに冷徹なふるまいをしていた人間でさえもこんな無様な姿になるあたり、影の中でよほど恐ろしい思いをしてきたんだろうな……。あるいは影に取り込まれた時点で呪印による支配が途切れたのかもしれないが、どっちにしたってかわいそうなことになっているのには変わりがなかった。

「……ま、自業自得ってやつか」

 かたや身体的なダメージで、かたや精神的なダメージで気を失っている二人を交互に見つめながら、俺は大きくため息をつく。信仰者としての風格には堂々たるものがあったが、戦力としてはリリスたちに遠く及ばなかった結果がこのざまだ。……よくよく考えてみれば、手負いの俺にすらハッタリで出し抜かれるような奴らがリリスたちにかなう道理なんてあるはずもないか。


「圧勝、だね……いろんな呪印を刻まれてるだろうし、それ相応の手練れではあったはずなのに」

 二人の戦いぶりを隣で見ていたノアが、感嘆とも畏敬ともつかない声色でそう呟く。しかし、二人の限界はまだ先にあることを知っている俺はゆるゆると首を振ってノアの感想を否定した。

「『それ相応』ってだけじゃあの二人には届かねえよ。規格外を連れてくるぐらいの気概がなきゃ、あの二人は殺せないと思うぜ?」

 例えば学習する魔物とか、例えば心臓を貫いても生存する魔物とか。今までリリスたちを多少なり苦しめてきた敵のことを思えば、呪印で少し身体能力を向上させた人間など比べるべくもないだろう。

 人間だけに範囲を絞るなら、今までリリスたちとまともにやりあえたのはそれこそクラウスぐらいだろうな……。とても癪に障る話ではあるが、武力だけ見ればクラウスは『最強』の座に限りなく近い位置にいると言っても過言じゃないだろう。いろいろと人間的に終わっている部分こそあるが、アイツもまた『規格外』に分類するべき一人であることは間違いなかった。

 あくまで想像の話ではあるが、クラウスならばこの二人ぐらい魔剣を抜くこともなく叩きのめせてしまうのだろう。そんな奴に一度とはいえ勝ってるわけだし、結局のところリリスとツバキが俺にとっての最強だって結論には変わりがないんだけどさ。

 だが、今ばかりはその強さに寄りかかってばかりでもいられない。というか、むしろ本番はここからだ。そのことを理解してくれているからこそ、リリスたちもこいつらを殺さずにバトンを繋いでくれたんだろうしな。

「……マルク、私たちの仕事は終わったわ。殺したくなるのを頑張って我慢したんだから、それに見合うだけの成果を出してきなさいよね?」

 そんなことを考えていると、リリスとツバキが俺たちのもとにタイミングよく駆け寄ってくる。二人は示し合わせたかのように揃って挑戦的な笑みを浮かべていて、俺も思わず笑みをこぼした。

「ああ、こっからは俺たちの出番だ。こいつらからしたら不本意でしかないだろうが、寝てる間にいろいろと調べさせてもらうことにするよ」

 直接聞きださなければいけないことも山のようにあるが、二人が気を失っている今だからこそ得られる情報もたくさんある。昨晩といい今といいさんざん悩ませてくれたんだから、これくらいは許してもらわないとな。

 近くで伸びている黒ローブの男の体へと歩み寄りながら、俺はそんなことを考える。――ローブの隙間からわずかに覗く腕の中では、呪印らしきものが淡い光を放っていた。
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