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第三章『叡智を求める者』

第百十二話『爛漫なる研究者』

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「ほんとにごめんねえ。……ケガとか、大丈夫?」

「ああ、地面が柔らかかったからな。俺が前見てなかったのも悪いし、もう謝らなくても大丈夫だ」

 俺の方に向かって両手を合わせる赤髪の少女に、俺はゆっくりと笑みを作って見せる。実際俺の体に何らけがはないし、しりもちをついたのはどう考えても俺が悪い。出迎えがいるって話自体はバーレイが事前に伝えてくれてたんだしさ。

 そんな初対面から少しして、俺たちは今さっき降りたアポストレイへと舞い戻っていた。といっても帰還するためでなく、作戦会議の場としての利用が目的だ。バーレイにそのつもりはなかったらしいが、予想外の冷え込みを見せている平原の中よりも快適な舟の中を話し合いの場に選ぶのは自然なことだ。俺たち三人とバーレイ、ノアの二人組に分かれて背もたれ越しに視線を交換するその光景は、話し合いと言うには少し軽すぎる雰囲気な気もするけどな。

 ちなみにだが、その提案には目の前の少女もノリノリで賛同してきていた。やたらとノリが軽く聞こえるその口調は研究者のイメージとは少しかけ離れているが、決して嫌な感じはしない。それが彼女流のコミュニケーション術だとするならば、それには拍手を贈りたいくらいだった。

「まあ、距離感が近いのには驚かされたけどな……」

「久々に友好的な人が来てくれたと思うと、ウチの中で今まで溜まってたものが爆発しちゃってさー……。もともと距離感取るの下手な方ではあるんだけど、それが悪い方向に作用したなあ」

 初対面の光景を思い出す俺の表情から何かを察したのか、少女はバツが悪そうに頭を掻く。そのやり取りを隣で見ていたリリスが、どこか戸惑っているような感じでため息をついた。

「……その言葉、不穏さを感じずにはいられないわね。まるであなたの周りには友好的な人がいなかったみたいに聞こえるのだけど」

「うん、そうだよ。ここに居る人たちは大体ウチに……というか、よそ者に優しくないの。まあ、ウチが国の組織から遣わされた人ってのはしっかり分かってるから最低限の礼儀を弁えてはくれてるんだけど――」

「こら、話を前に進めすぎるな。まだ仕事の詳細どころか、双方の名前も伝えあっていないだろう?」

 一息に深い話まで踏み込んでいこうとした少女の頭を軽くこづき、バーレイが話の流れを遮断する。その叩かれた部分を大げさに抑えながらも、存外素直に少女は頷いた。

「確かにそだね、まだ君たちの名前も知れてないや。……でも、こういう時は自分が先に名乗るのが礼儀って奴なんだっけ?」

「別にそこまで厳格に行くつもりもないけどな。……でも、先に名乗りたいっていうなら任せるぞ?」

「ありがとう、それじゃ遠慮なく! ……ええと、ちょっと待ってね……?」

 首を傾げた少女に対して俺がゴーサインを出すと、少女は弾かれたように椅子から身を起こす。そして、たどたどしくも自分の腰に右手を当てると――

「改めまして、ウチの名前はノア・リグラン! 流れ者の魔術研究者ってところでどうぞよろしくだよっ!」

 早口で俺たちにそう名乗り、少女――ノアは俺たちに向けてウィンクを一つ。最後にはびしっと決まった決めポーズにしてもそうだが、相当この自己紹介に気合を入れて臨んでいるようだった。

「……ノア、それはいつ考えたものだ?」

 しかし、バーレイはそれを見てどこか呆れたようにそんな質問を投げかける。その表情の裏にはなんだかんだ色んな表情が去来しているのだろうが、それを知ってか知らずかノアは笑顔のままで大きく一度頷いた。

「増員が来るよーって教えてもらった時からずっとだよ! せっかく仲良くなれそうな人が来るんだし、最初の一歩は完璧に出来なきゃね!」

「うん、とても様になっていたと思うよ。ボクはツバキ、これからよろしくね」

「マルク・クライベットだ。どんな仕事が待ってるか分かんねえけど、出来る限り協力していこうな」

「リリス・アーガストよ。……いきなりで悪いのだけど、一つ確認してもいい?」

 自己紹介のトリを飾ったリリスが、それのついでと言わんばかりにそう前置く。あくまで話し合いの姿勢を崩さないリリスに向けて、座席に戻ったノアは少しだけ身を乗り出した。

「ん、どしたの? せっかくの初対面だし、質問してくれたら出来る限りは答えるよ!」

「そう言ってくれると助かるわ。それじゃさっそく……あなたは、研究院所属の研究者ではないのね?」

 にこにこと笑みを浮かべるノアをまっすぐ見据えながら、リリスは遠慮することなく質問を投げかける。その質問を聞いて隣に座るバーレイの眉がピクリと動いたが、それはノアの頷きによってすぐさまかき消された。

「うん、ウチはあくまでフリーランス! 今はたまたま利害が一致してるから、雇われの研究員としてこの仕事に取り掛かってるって感じかな? ま、それもあくまでついでと言うか、ウチの目的が達成されれば自動的にはっきりすることなんだけどさ」

 一切迷うことなく、ノアは自分のことをフリーランスだと断言してみせる。利害の一致から協力関係にあるという点においては、その境遇は俺たちとよく似ているような気がした。

 流れ者ってわざわざ言ってる当たり、何かあるんじゃないかとは思ってたんだけどな……。ここまであっさり認めてくるところまで含めて予想外だが、これは嬉しい誤算だとも言えそうだ。

 研究院の人物ともなれば少しばかりウェルハルトの影響がある事が考えられるが、今までの話を聞いている以上それは警戒しないでもよくなりそうだからな。一日足らず過ごしただけのバーレイを警戒するだけでもそこそこ慎重にならなきゃいけなかったんだし、この村に居る間それをずっと継続しなければならないとなれば俺もぼろを出さずにいられる自信がなかった。

 だからと言って信頼しきっていいわけでもないが、少なくともしょっぱなから警戒レベルを高める必要はないだろう。その警戒の分を別の場所に回せるんだと考えたら、ここでその事実を聞きだしてくれたのはとても大きいことかもしれない。

 初対面の相手に対していきなりカミングアウトするのは予想外の極みだったのか、バーレイも驚いたように口を開けている。それとは対照的な冷静な表情のまま、リリスは軽く会釈をした。

「正直に話してくれてありがとうね。ちょっとひっかかってたから、それが解決出来て何よりだわ」

「自分の立場をしっかり表明するのって大事だからね! ……だから、君たちともっと仲良くなるためにウチにも君たちのことを聞かせてくれないかな?」

 リリスの礼に満面の笑みで応えながら、ノアはその緑色の目で俺たち三人をぐるりと見まわす。その緑色の瞳の奥では、何かがゆらゆらと揺れているかのように思えた。 

 最初に見た時も思ったが、不思議な目だ。何か底知れない可能性を秘めているようにも思えるような、だけど天真爛漫にも思えるような瞳。……ただ分かるのは、心根が純粋な人間でなければここまで澄んだ瞳にはならないだろうということだけだ。

「確かに、その主張は正当なものだね。……どうする、二人とも?」

 その視線を受けて、ツバキが俺たち二人に水を向けてくる。座席の左側から送られてきたその視線を受け流すかのように、リリスもすっと視線をツバキから俺の方方へと切り替えた。

「私はマルクに任せるわ。こういう時の会話が一番うまいのは貴方だもの」

「任せるまでの決断が早いな……まあ、任されたならしっかり応えるけどさ」

 このチームの強みは適材適所の判断が早いところだ。二人が俺に任せるというのなら、この状況は俺が一番うまく立ち回れるということに他ならない。そう自分に言い聞かせて、俺は軽く息を一つはいた。

 ノアの隣にバーレイがいることも考えると、あの夜話したエピソードと齟齬が出ないようにしないといけない。オープンに来てくれる奴に対してしょっぱなから隠し事をするのは気が進まないが、これ以上の妥協案が見つからないのもまた事実だ。……少し申し訳ないけど、致し方ないって奴か。

「……話すと長いから簡単な説明になっちゃうんだけど、それでもいいか?」

「もちろん! 話そうとしてくれるってだけでうれしいし、一緒に居ればまた聞く機会もあるかもしれないからね!」

 いろんな事情が絡み合った結果出て来た俺の提案に、ノアは嬉しそうな笑みを浮かべる。その姿は天真爛漫と呼ぶにふさわしいもので、俺の口の端は思わずほころんでしまう。どこから話したものかと、俺はあの時バーレイに伝えた話をもう一度思い出して――

「それじゃあ、俺たちがどうやって出会ったかってところからだな。こいつらと出会う前、俺は違う奴らとパーティを組んでたんだけどさ――」

 ゆっくりと語りだす俺の事を見つめながら、赤髪の少女はしきりに相槌を返す。……その透き通った緑の瞳には、終始俺たち三人の姿が映し出されていた。
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