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第三章『叡智を求める者』

第百十一話『減速、そして遭遇』

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『皆さん、そろそろ目的地へと到着します。短い時間ではありましたが、アポストレイの旅をお楽しみいただけていたら何よりです』

「……あら、もうそんな時間なのね。ここは光が差さないし、体内時計がおかしくなっちゃいそうだわ」

「そうだね……。早起きがたたって一回寝ちゃったのもあるし、こりゃリズムを取り直すのが大変そうだ」

 唐突に聞こえて来たローナンのアナウンスを聞いて、リラックスしていた二人の表情がにわかに引き締まる。目が覚めてからは交戦がなかったのもあって、その到着は思った以上に早く感じられた。

「体内時計が狂うのはダンジョンの中でもおんなじだからな……。いい機会だと思って慣れるしかねえだろ」

 そんな二人の様子を見つめつつ、俺も背もたれから体を軽く起こす。思い思いの仕草で到着に備える俺たちの姿を見て、バーレイが表情をほころばせた。

「ふふ、準備は万端と言った様子だな。どうだ、アポストレイは快適だったか?」

「ええ、下手な馬車よりずっとね。この舟があなたの追い求めて来たものの結晶ってのも、なんとなく納得できるわ」

「風魔術を応用して動力に変えるだけじゃなくて、迎撃のための機構も備えてるんだもんね……リリスから聞かせてもらっただけの知識しかないから断片的な理解ではあるけど、その恩恵がちゃんとボクたちにもたらされているってことは理解できるとも」

 リリスは目を細めながらバーレイを見つめ、ツバキはそんなリリスの横顔を見つめながら軽く頷く。もちろん、俺も大体二人と同じような感想だった。

「それでいてまだ改良途中ってんだからお前の好奇心には驚かされるけどな。……魔力の充填法とかを何とかよくしてきたいんだっけ?」

「ああ、大体はそんなところだな。……いずれは、運転にも魔力の充填にも特別な才能を持たなくてもいい、もっと大衆的な舟になるようにしていきたいんだ。それが成るのが先か私の寿命が先か、それくらいのスケールの問題ではあるが」

「へえ、いい夢じゃない。……叶えなさいよ、他でもないあなたの手で」

 俺の問いへの答えとして示された未来図に、リリスは感嘆の息をこぼす。口調自体はまるで買い物でも頼むかのような気楽な呼びかけではあったが、バーレイを見つめるその眼はひどく暖かいものに感じた。

 リリスも魔術の理論には詳しいし、やっぱりどこか通じるものがあるんだろうな……。その適正が研究に向いたのか実戦に向いたのか、違いがあるとしたらそこだけなのかもしれなくて。

 だけど、その違いが俺たちを決定的に分かつ大きな差に他ならない。その違いが無ければ、俺たちは今こうしてここにいられないのだから。

「……ああ。手柄を誰かに譲ってやる気なんて、さらさらないさ」

 リリスからのぶっきらぼうなエールにバーレイは驚いた様子を見せていたが、すぐさま獰猛な表情を浮かべてこぶしを握ってみせる。その眼は爛々と光り輝いていて、研究者としてのプライドがそこにあることを証明しているかのようだった。

「私は私の手で、私が夢見た物を作り上げる。それは私だけのものだし、金を積まれても渡せるものじゃない。……その決心だけは、私がたとえ死のうと変わらないものだ」

「うん、ボクもそれでいいと思うよ。たとえ理想に届かなくたって、そこに向かって全力で走る人を誰が責められるもんか。……少なくとも、ボクはその背中に敬意を示したいと思う」

 畑違いの身ではあるけどね――と、少し照れくさそうに笑いながらツバキはバーレイの在り方を賞賛する。傲慢ともとれるようなバーレイの決心は、しかし俺たちにとっても大切なものであるような気がした。

 俺たちが定めたゴールは、俺たちこそがくぐるべきものだ。バトンを渡したくはないし、俺たちが始めたこの道のりの途中で立ち止まるような真似はしない。クラウス・アブソートと言う存在を否定するのは、俺たちでなくてはならないのだ。

 ウェルハルトが言ってた『特異な冒険者』って言葉の意味が、今になって俺の中でようやくすとんと腑に落ちる。定めたゴールに対して手段を選ばないそのやり方は、ともすれば研究者のそれの方に近いのかもしれなかった。

 俺たちがたとえ協力関係を結べたんだとしても、それが冒険者と研究者という立場の違う者たちの歩み寄るきっかけにはきっとならない。普通に生きる冒険者には研究者の力なんて必要なくて、研究院も冒険者の手を借りなくて済むような技術開発を目標とするような奴がトップじゃ歩み寄りは難しいだろう。俺たちの特例は、多分特例のままで終わるのだ。

「――まさか冒険者から敬意を表される日が来るとはな。冒険者とはただ粗野なモノたちの集まりだと思っていたが、認識を改めなければいけないらしい」

「あら、あの男と同じことを言うのね。……そんなに意外だった?」

 しみじみとしたバーレイの呟きを耳聡く聞きつけ、リリスがどこか悪戯っぽく笑う。バーレイは申し訳なさそうに首を縦に振ると、両手を後ろへと投げ出しながら座席へと体重を預けた。

「申し訳ないが、その通りだ。院長ほどではないが私も冒険者に研究を阻害されたことがあったし、それに対しての罪悪感も抱いていなかったようだしな。こうして私たちの行いに敬意を表される日が来るとは思いもしなかった。……もっと言えば、お前たちに対して敬意を表したいと思ったことも予想外だな」

 体を大きく伸ばしながら、バーレイは独白にも似た調子でそう語る。……それを聞いた俺の口元は、自然とほころんでいた。

 俺がバーレイに対して警戒心を抱いていることは事実だし、少し言葉を交わしたからと言ってそのすべてを解いてもいいわけじゃない。……だけど、それだけが事実ではない。……紅茶を片手にバーレイと言葉を交わしたあの時間が楽しかったことだって、絶対に間違いないと言えることだ。

「……それなら良かったよ。ウェルハルトに対して俺たちのことを悪く言われたりしてたら敵わないからさ」

「安心しろ、そんな無粋なことはしないさ。この一件を経てお前たちの立場が悪くなるようなことは私が阻止すると、今私の胸に去来した感情にかけて約束しよう」

 心臓に手を当てながら、バーレイはそう言って軽く頭を下げる。どこか恭しくも思えるその仕草に、俺たちもそれぞれの会釈を返した。

 それを最後に、俺たちの間にしばしの沈黙が流れる。お互いに敬意を表し合うその静けさに終止符を打ったのは、初対面の時とよく似た真剣な表情に戻ったバーレイだった。

「――さて、旅の終わりを惜しんでばかりでもいられないな。お前たちがこれからどうするべきかを伝えることもまた、私に課された大切な役割だ」

 ワントーン声を落としながら切り出されたその話題に、リリスの耳がピクリと動く。それからワンテンポ遅れるようにして、ツバキも前のめりの姿勢に切り替わっていた。

「お、やーっとそこに関する話が聞けるんだね……。今の今までミステリーツアーでしかなかったこの道のりに、ようやく意味が生まれるってわけだ」

「私たちに回したい仕事なわけだし、穏便に済むわけがないってことだけは分かってたけどね。……どう頑張っても、戦うことは避けられないんでしょう?」

 それ以外は考えられないと言わんばかりに、リリスは肩を竦めてため息を吐く。その指摘はやはり図星だったのか、軽く嘆息しながらバーレイは首肯した。

「ああ、お前たちに頼みたいのはとある調査員の援護だ。半年ほど前からダンジョンとその存在を崇拝する村の調査をしているのだが、成果があまり芳しくないようでな。希少な存在である戦闘に長けた調査員を増員するかと院長が悩んでいる時に、ちょうど都合よくお前たちが表れたというわけだ」

「それで俺たちにお鉢が回って来た、ってわけか。……なんつーか、聞けば聞くほど胡散臭い案件だな」

 ダンジョンだけならまだいいものの、それを崇拝している村と言うのがやたらと気になる。……どうしても、子供のころの思い出が頭をよぎってしまった。

「危険が伴う依頼だというのは院長も承知の上だ。……だが、研究院もこの調査を諦めるわけにはいかなくてな。……なりふり構ってもいられないというのが、院長の本音であるらしい」

 どこか言いにくそうにしながらも、バーレイは俺たちにそう明言する。……まだ分からないことだらけではあるが、どうやらただのダンジョン探索だけで終わってくれないらしいということだけははっきりとバーレイの顔に書かれていた。

「……詳細な情報は調査員本人から聞いてくれ。援護を寄越すという話は事前に伝えてあるし、アポストレイの出迎えをしろとも伝えてあるからな。……ほら、ちょうど到着するころだ」

 バーレイが話し終わるのを見計らっていたかのように、アポストレイはゆっくりと減速を始めていく。それにつれてにわかに振動が強くなって、俺たちの体が上下に揺れた。

『……ふう。アポストレイ、定刻通り到着です。今出口を開きますね』

 どことなく安堵したようなローナンの声が響いた直後、ぷしゅーと言う音を立てて外へと続く出口が開く。朝早くに出発したこともあって、外の景色はすっかり夜の静けさを纏っていた。

「ステップが少し急だからな、降りる際は気を付けてくれ。最後の最後で事故なんて有ってはいけないからな」

「そうね。私たちにとっても、仕事直前だもの」

 気は抜かないわ――と、リリスは軽い足取りでステップを降りていく。その少し後ろにツバキが続き、一番後ろが俺と言った順番だ。

 バーレイが警告した通り少し急な階段を、一歩一歩足元を見ながら下っていく。周りの景色を視認するのにも苦労しそうな中、どうにか転ばずに下まで降りきることに成功して――

「――やあやあ、こんな辺境まではるばるようこそ!」

「おわああああッ⁉」

 地面に両足を付けるなり眼前から飛んで来た甲高い声に、俺は思わず飛び上がる。もう少しその角度が後ろめだったら転倒していたことを考えると肝が冷えた。

 とりあえず転倒の危機は回避したことに安堵しつつ、俺はようやく正面を見やる。そこには、さっき俺を転倒の危機まで追いやった奴の姿があるはずだ。いくら足元しか見ていなかったとはいえ、転ばされかけたことには一言言ってやらなければならないだろう。

「……っとと、驚かせちゃったか。そりゃそうだよねえ、こんな深い闇じゃ足元が不安でウチのことも見えないだろうし」

 そう思って顔を上げた俺のすぐそばに、見たこともないくらいに透き通った緑色の瞳がある。予想以上の距離感の近さに、今度こそ俺は大きく体勢を崩して――

「――って、結局しりもち突いちゃうんだ⁉」

 柔らかい地面に尻から落下した俺の事を、その少女は驚いたような表情で見つめていた。
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