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第三章『叡智を求める者』

第九十八話『想定外の結末』

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「……これだけやれば、気は済んだかしら?」

 がれきの山と化したマギアドールの向こうから、リリスがゆっくりとこちらに歩み寄って来る。氷の武装を解除したその体には、かすり傷一つ残されてはいなかった。

「ああ、完璧だよ。……ありがとうな、急な無茶ぶりに応えてくれて」

「私もあの男には物申したいことがいくつかあるもの。貴方の頼みが無くても、多分私はあの人形を全力で叩き潰してたと思うわ」

 むしろ後押ししてくれて嬉しかったくらいよ、とリリスは胸を張って俺の賞賛に応える。そのやり取りを横から見ていたツバキが、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

「マルクがいきなり怒り出した時はどうなる事かと思ったけどね……。でもうん、完璧な勝利が出来たみたいで何よりだよ」

「そうだな、ちょっと感情が高ぶりすぎたって自覚はある。……ビビらせちまったか?」

「いいや、そんなことはちっとも。君がちゃんと怒れる人で嬉しいっていうあの言葉に偽りなんかありはしないさ」

 急に不安になった俺の問いかけに、ツバキはいつも通りの柔らかい笑みを浮かべる。それを見れば、俺は安心して胸をなでおろすことが出来た。

 どれだけ穏やかでいようと思っても、魔術神経の事となるとちょっとな……この先それがどんな風に働いてくるか分からないし、直した方がいいとは思ってるんだけどさ。

「リリスが一撃で仕留めてくれて助かったよ。……あの偽物をずっと見てたら、それこそ怒りが収まらなくなるところだった」

「すごい剣幕だったものね。……まあ、自分の専門としている領域に軽々しく踏み込まれる不快感は私も経験があるけど」

 粉々に砕け散ったマギアドールを見つめながら、リリスはそんな風に語る。ウェルハルトの姿勢は研究者としては満点なのだろうが、それで俺たちの繊細な部分をどんどんと踏み抜いてしまったことが真の敗因なのかもしれなかった。

 ……と、そんな事を考えていると。

「本当に、完膚なきまでに砕けているな……」

 マギアドールのさらに向こう側から、いかにも沈んだ調子のウェルハルトの呟きが聞こえてくる。それに気づいてふと振り返れば、ウェルハルトは砕け散った欠片を掬い取って深く目を瞑っていた。

「耐衝撃実験も十分、魔物への実戦投入も何度となくクリアしたジュニアが、五分と保たずにこのザマか……。研究は、振出しに戻した方がよいだろうな」

「振出しどころか、白紙に戻したって良いくらいよ。その調子じゃ私たちを越えるなんて夢のまた夢、笑い話にだってなりやしないわ」

 誰に届けるでもない呟きを拾い上げて、リリスは意気消沈中のウェルハルトに更に踏み込んでいく。その厳しい言葉は流石に聞き捨てならなかったのか、その黄色い視線は手の中のがれきから俺たちへ――もっと言えばリリスの方に向けられた。

「破壊した当人の証言とは貴重だな。……いや、この場合はエルフと呼ぶのが正当か?」

「んなことどうだっていいわよ。超えるって豪語した冒険者に手も足も出ずに敗北したって事実だけが、あなたの手の中に残った物でしょう?」

 未だに種族を気にするウェルハルトに対して、辟易したかのようすでリリスはぶんぶんと手を横に振る。確かに検証するうえで種族は重要なのだろうが、それがリリスの機嫌を損ねている事には気づいていないらしかった。

 ま、エルフだからって色々と違う扱いをされることをよく思う人は少ないよな……。リリスはそれがかなり顕著な気もするが、俺もその理由を無理やり聞き出す気はない。もし仮にエルフという出自が偽物であったとしても、リリスが頼れる仲間であることは揺るがない事実だからな。

「……そうだな。貴様の指摘通り、敗北だけが当方に与えられた結果だ。丹精を込めて作り上げたプロトタイプは破壊され、再構築するのにも時間を要するだろう。……いっそのこと、根本的な設計から練り直すのがいいかもしれぬな」

「ああ、そうしたほうがいいんじゃないか? そのついでと言っちゃあなんだけど、疑似魔術神経なんつー胡散臭い呼び方はやめといた方が身のためだぞ」

 色々と考えだしたウェルハルトに、俺は忘れないように釘をさしておく。名称なんて適当なのかもしれなくても、そのネーミングだけはやめておくのがウェルハルトのためだと思えた。

 俺は――いや、俺だけじゃないな。『あの場所』で共に学んだ仲間たちは、魔術神経という言葉にすごく敏感だ。その名前を軽々しく使おうものなら、もっと大きな勢力の機嫌を損ねることにもなりかねない。……まあ、その事を直接伝えられないのはもどかしいんだけどさ。

 ウェルハルトからすれば、俺の認識は『無力なまとめ役、あるいはネゴシエーター』くらいのものだろう。それくらいで認識してくれていた方が俺にとっても都合がいいし、わざわざ手札を明かしてやるつもりもない。後ろ盾が欲しいとはいえ、完全にこいつらの勢力に仲間入りしたいわけではないしな。

「……そう言えば、決着のきっかけは貴様の号令だったな……。了解した、別の名前を考えておこう」

「そうしてくれると助かるよ。俺もこれ以上お前との関係を悪くしたくはないからさ」

 最後にもう一度釘を刺しつつ、俺は一歩だけ後ずさる。俺からウェルハルトに言いたいことはこれくらいだしな。

「……ちなみにだけど、ボクも普段は戦闘員としてリリスに助力しているからね。それを使うことなくリリス一人の力に圧倒されているんじゃ、冒険者を超えるなんて到底不可能だと思うよ」

 それを合図としたかのように、ツバキが前に進み出てにこやかにその事実を提示する。……そう言えば、俺たちの戦い方をアイツはまだ知らないんだっけか。

 陣形的にはあまり特殊な戦い方じゃないにせよ、ツバキの支援があるとないとじゃリリスの強さが大きく変わって来るのも事実だ。そしてそれは、ウェルハルトにとって衝撃的な情報だったらしい。

「……あれでまだ本気ではない、だと?」

「当然でしょ。あんなお人形に出してあげるほど、私の本気だって安くはないわ」

 愕然とした様子のウェルハルトに対して、リリスは何でもない事のようにうなずいて見せる。ここに来たときは驚かせる側だった研究者は、今となっては俺たちに驚かされっぱなしの様だった。

「想定していた冒険者の力量を、貴様らははるかに上回っているようだな……。それほどの力量がある冒険者ばかりではないのだろうが、少なくとも貴様らは当方の予測から外れた値を叩きだしていると言っていいだろう。……そうでなければプナークは倒せぬと、そういうことなのかもしれぬがな」

「でしょうね。プナークを前にしたら、こんなのは数秒と経たずに消し飛ばされると思うわ」

「あの原初魔術、リリスですら防ぎきれなかったくらいだからね……喰らったら最後、跡形も残らないんじゃないかい?」

 あの激戦を思い返しながら、二人はそんな風に答える。それを聞いた瞬間、目に見えてウェルハルトの顔色が悪くなったような気がした。

「……恐ろしい話だな。貴様らとの戦闘実験なしに実戦投入していたらと思うと寒気が走る」

「これだけ大きく作っておいたのが幸運だったわね。だってどんなダンジョンにも入れやしないんだもの」

 額をぬぐうウェルハルトに対して、リリスはド直球の皮肉を叩きつける。どう考えても嫌味たっぷりの言葉ではあったが、それが的を得ているのがまた皮肉さを引き上げていた。

 これが最初から小型化されてたら、確かにいろんなところで実戦投入されてたかもしれないしな……それが被害を招く可能性を考えると、ここで粉々にできたのは結果的によかったのかもしれない。ま、結果論ではあるんだけどな。

「……さて、実験としては十分なデータが取れたんじゃないか? 反省会はまた別の時にやってもらうとして、今度は俺たちの要求にも応えてほしいんだが――どうだ?」

 各々が言いたいことを言い尽したのを察して、俺はウェルハルトにそう切り出す。あくまでこれはウェルハルト側の要求であり、俺たちの目標を達成するための前段階でしかない。俺たちが倒すべき相手は、マギアドールなんかよりはるかに強大でえげつないのだから。

「……そうだな。いろいろな衝撃で忘れていたが、貴様らは当方に要求を突き付けていたのであった」

 俺の言葉に、ウェルハルトはふっとこちらに視線を投げる。案の定というかなんというか、やっぱり事の経緯は忘れかけていたらしい。あれだけ衝撃的な結果に終わったんだし、それも仕方ない事ではあるんだけどな。

「……想定からは大きく外れた結末にはなってしまったが、冒険者を相手取った貴重な戦闘データは収集できた。結果として大きな損害を受けたことも、実験の代償としてはよくある事として受け入れよう。……当方の要求に対して、貴様らは期待以上の働きを示してくれたと判断する」

「……お、それじゃ……?」

 ウェルハルトが言葉を切ったところに、俺は急かすように相槌を一つ。そうでもしなきゃアイツが結論を溜めかねないのは、今までの会話の中でなんとなく察せられるところだしな。

 その言葉が功を奏したのか、ウェルハルトは俺に向かって小さく一つ頷きを返す。そして、喉の調子を整えるかのように一つ二つと咳払いをすると――

「……続きは部屋に戻ってからだ。貴様らの要求を通すためにも、いくつか書き記さなければならないものがあるのでな」

――そう言ってウェルハルトが踵を返すのを見届けて、俺は小さくガッツポーズを作った。
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