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第二章『揺り籠に集う者たち』

第五十話『タネ明かし』

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「お前たち、は……?」

 突然助太刀があったことに驚きを隠せない様子で、男は俺たちをぐるりと見まわしてそう投げかける。その問いに代表して答えたのは、今も魔物と正面から向き合っているリリスだった。

「たまたまここを通りかかった冒険者よ。本当なら獲物の横取りはバッドマナーらしいけど、ここまでボロボロになってるパーティに対してそんな事言ってらんないでしょう?」

 つんと澄ました声色で、あくまで冷静を装ってリリスは男に説明する。この少女が誰よりも強い衝動を抱えてここに飛び出してきたというのは、俺たちだけが知りうる話の様だった。……まあ、そっちの方がいい気もするしな。

「そんなわけで、あの化け物は私が倒すわ。……あなたは、今のうちにでも仲間の無事を確認して来てちょうだい」

「……ああ、ありがたくそうさせてもらうよ。どうやら、俺の幸運も捨てたもんじゃなかったらしい」

 リリスの言葉を素直に聞き入れ、男は今できる最高速度で倒れ伏す仲間たちに向かって駆け出していく。その後ろ姿を一瞥して、リリスは軽くため息をついた。

「……幸運なんかじゃないっての」

「あの人の諦めが悪かったからこそ、お前は迷いなく飛び出せたんだもんな。……決して、運がよかっただけの人間ではねえよ」

「諦めてない人のことをほっとけないの、昔から変わってないものね。それでいろんな厄介ごとに首を突っ込む羽目になったけど、今じゃいい思い出だよ」

 こぼれだしたリリスの本音に、俺とツバキは微笑みながら同意する。リリスの心根が優しいのは、ツバキ曰く生粋のものらしかった。護衛をやりながらそういう人たちの手助けもしてたんだとすれば、その日常はさぞ濃密なものだったんだろうな……

「……諦めが悪い人たちが報われなかったら、護衛って立場からの解放を諦めきれてなかった私が馬鹿みたいじゃない。だから、私がああいう人たちを助けるのは自分のためよ」

 その賞賛は少し気恥ずかしいのか、顔をほのかに赤らめてリリスはそっぽを向いてしまう。普段はあまり動かないその長い耳が、何かを隠すかのようにピコピコと揺れていた。

「……それじゃ、この戦いも切り抜けなきゃな。諦めずにしがみつき続けたら報われるって、そう証明し続けるためにもさ」

 少しそれてしまった話を本筋に戻すべく、俺はリリスを焚きつける。そろそろ魔物が刃による一撃のダメージから復帰してくるだろうと、そんな予感もしていた。

 それを裏付けるかのように、リリスの背後に立つ魔物の視線はあの男たちではなく俺たちの方に向けられている。その拳はリリスが喰らったら致命傷になりかねないくらいの破壊力を誇っているし、決して油断はできない戦いだ。

 だが、リリス自身に気負っている様子は微塵も見られない。ゆっくりと魔物の方を向き直り、あろうことか右腕をまっすぐ前に伸ばすと――

「当然の事よ。私がここに現れた以上、誰の犠牲者も出すつもりはないわ」

 来いよと言わんばかりに軽く手を曲げ伸ばしして、魔物を思いっきり挑発してみせるリリス。それが最後の引き金となり、魔物がまっすぐリリスに向かって突進してきた。巨体に見合わず俊敏なその動きは、生半可な前衛職なら翻弄されてしまうだろう。

「魔術のおまけとしては優秀な攻撃手段よね、それ。……まあ、本当に脳まで筋肉でできてるみたいな魔物たちに比べたらあくびが出そうだけど」

 しかし、圧倒的な速度を誇るリリスには届かない。軽やかに一歩、二歩と踏むだけでリリスの体は魔物の背後を取り、氷で作り上げた大剣を高々と大上段に掲げている。

 俺たちからしても風魔術を使った技術であると理解するのがやっとなその移動法を、魔物が理解できるはずもない。背後を取られたということに気づくのが遅れ、やっとのことで振り返ったときにはもう氷の刃は振り下ろされていた。

「……まずは一本、頂くわ」

 とっさに片腕を差し出して防御姿勢を取るも、それだけで受けきれるほどリリスは非力ではない。自分の身体能力を底上げする術式も相まって猛スピードで振り切られたそれは、防御をものともせず魔物の腕を痛烈に切り裂いた。

「グギャアアアアーーーーッ‼」

 赤黒い血しぶきが舞い、魔物が苦悶に呻く。……だが、その一撃だけでリリスが終わってくれると思ったら大間違いだ。今度は、魔物が追撃を受ける番。狩る側だったはずの魔物は、リリスによって狩られる側へと追い落とされたのだから。

「めんどくさい事をしてくる前に仕留めるわ。……あなた、何かまだ隠してそうだもの」

 無数の氷の槍がリリスの背後に装填され、腕の一振りとともに魔物に向かって打ち出される。三メートルも離れていない距離から繰り出される超近距離射撃は、一切の誤射なく魔物の体へと突き刺さった。

 しかし、そこまでの攻撃を受けながらも魔物の命が途切れる気配はない。……それどころか、つい先ほどに惨劇を生んだ三本目の手がゆっくりと持ち上げられ、リリスの方を捉えた。

「リリス、あの手が!」

「分かってるから大丈夫よ。……この程度、ツバキの手を煩わせるほどじゃないわ」

 四人の術師が同時に放った攻撃をあっさりと破壊するほどの魔術が、今度はリリス一人を破壊するためだけに差し向けられる。……しかし、それと相対するリリスの表情に一切の焦りはない。むしろ、この時を待ちわびていたかのように笑みを浮かべたようにも思えて――

「……氷よ、風よ」

 口をわずかに動かして、リリスは今握っている剣より幾分刀身が細長い氷の剣を作り出す。それと同時に風魔術も起動したのか、リリスの長い金髪がさらさらと風に揺れた。

「グ……ロオオオオッ!」

「……っ、またこれかよ……‼」

「本当に、不愉快極まりない感覚だね……っ」

 それとほぼ同じタイミングで、俺たちをまた強烈な耳鳴りが襲う。脳内でへたくそな楽器の演奏が強制的に開催されているかのようなそれは、一度その苦痛を知ってもなお耐えられないほどだ。

 リリスはそれを耳をふさぐことで対処していたが、今のこの状況で両手を防御に回す余裕などない。その耳鳴りが戦況に影響を及ぼさないかと、俺はうつむきたくなるのを必死にこらえてリリスの方を見やった。

「……残念だったわね。それ、もう仕組みはバレてるのよ」

「……え?」

 しかし、その表情に一切の苦痛は見られない。戦闘の構えを保ったままのリリスは、普段と変わらない不遜な表情で標的を見つめている。いつの間にか魔物と大きく距離は離れていたが、それ以外はいたっていつも通りといった感じだ。

「あなたの魔術は風属性。その三本目の手の先に風の大渦を作り出して、周囲の空気をもその渦に引きずり込むことでその規模をさらに大きくしている……ってところかしらね。それがどうやって耳鳴りに繋がるかはともかく、確かに興味深い曲芸ではあるわ」

 俺たちを苦しめた魔術のタネ明かしを進めながら、リリスはゆっくりと腰を落とす。先ほど作り上げた細長い氷の剣の峰が、ピタリとその腰に当てられていた。

「仮に私たちの周囲から……あるいは私たちの体内からもある程度の空気を巻き取っているなら、その対処は簡単だわ。その風の渦に引き込まれないくらい強い風の渦を、こっちも作ってしまえばいいのよ」

「……はははっ、それは傑作だね。あそこまで論理だてて分析された魔術の対策も、最後には力技と来たか」

 リリスが平然としていられる理由が告げられた瞬間、隣でうずくまっていたツバキがからからと笑い声をあげる。……確かに、あまりにも強引な、リリスにしかできない魔術対策なのは間違いなさそうだ。それを何でもない事のように話すあたり、やっぱりリリスの中の魔術に対する基準値はどこか間違っているような気がしてならない。

 だが、その一手によって不利な戦況が生まれなかったのもまた事実。一番倒すべき相手には何のダメージも与えられなかった魔物に、リリスは獰猛な笑みを浮かべると――

「……折角だし、本当の風魔術ってのを見せてあげるわ。まあ、その分お代は高くつくけど」

 そう宣言すると同時、一際強い風が俺たちを抜けるようにして吹き抜ける。それはまるで、リリス自身が風を呼び寄せるうねりそのものになったかのようだった。

「グ、ゴ……⁉」

 その異変は魔物からしても無視できないものだったのか、頭を超えるようにして伸ばされた三本目の手がにわかにこわばる。生半可な魔術をすべて破壊するような一撃を、リリスの準備が終わる前にその手を介して解き放とうとした、が――

「……はい、一手遅いわ。文字通り、ね」

 異形の象徴とも言えるその腕が、突如滑らかな断面図をさらしてごとりと地面に落ちる。数瞬の後、魔物の全身から赤黒い血が一斉に吹き出した。……まるで、見えない刃が一瞬にして魔物の全身を踊り狂ったかのようだ。

「言ったでしょう、お代は高いって。……事後請求になるけど、そうね――」

 いくら生命力の強い魔物であろうと、これほどまでに切り刻まれてはもはや立っていられる道理などない。先んじてこぼれた血が生んだ水たまりの中に、その巨体は力なく崩れ落ちていって――

「――あなたの命と少しばかりの謝礼金、ってところでどうかしら?」

 完全に絶命した魔物に向かって、リリスは誇らしげにそう投げかけてみせた。
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