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第二章『揺り籠に集う者たち』

第四十九話『なんで私は』

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――風、なのだろうか。影の領域にも踏み込んでくる風が、俺たちの髪を苛烈に揺らす。あれほどまでの耳鳴りは唐突に消え、その代わりに目の前の惨状が生まれていた。

「……こいつぁ、マズいな……」

 魔物の前で片膝をつくような姿勢でうずくまっている前衛の男は大槌こそ手放してはいないが、その体のあちこちから出血しているのが分かる。魔物の攻撃の直線状に居なくてもその威力なら、それの直撃を喰らった冒険者はどうなってしまうのか。

 その答えは、後衛にいる魔術師たちの姿を見れば明らかだった。渾身の魔術を打ち砕かれた上に、魔術をもろに喰らって誰もが地面に倒れ伏している。気を失っているだけならまだ御の字、手当てが遅れれば死んでしまう可能性すら考えられるくらいのダメージなのは遠目からでも分かる事だ。……リリスの言葉が、ここで初めて腑に落ちる。

「……あの三本目の腕に魔力が集ってたから、リリスは反応できたってことか?」

「ええ、それがあの魔物による攻撃のためのものだって気づけたのは直前のことだけどね。……ほんと、この場所は魔力が溢れすぎててよくないわ」

 ようやくリリスの見えていたものに追いついた俺の質問に、リリスは軽く鼻を鳴らしながら答える。耳鳴りのストレスも見事に回避して見せた彼女は、唯一この攻撃を無傷で凌いだといってもよかった。

「それにしても、もう少し直接的に警告してくれればよかったんだけどね……耳鳴り自体は慣れっこだけど、あそこまで酷いのは流石に経験したことがないよ」

 ゆっくりと上体を起こしながら、耳鳴りで大分ダメージを受けていたらしいツバキがささやかな抗議の意を表明する。それに対してリリスは手をかざすと、ツバキの体を淡い光が包み込んだ。

「……はい、これで大丈夫なはずよ。アイツの集中させてた魔力が魔術に変質したのは一瞬の事だったから、警告が遅れちゃったみたいね」

 失態だわ、とつぶやきながら、リリスはツバキの手を取る。そのまま引っ張り上げるようにしてツバキの体を起こすと、くるりと半回転して魔物の方を向き直った。

「……マルク、今アイツが何の魔術を使ったか分かる?」

「お前がそんな風に投げかけてくるのは珍しいな……ええと、多分風……で、合ってるか?」

 俺たちの髪を揺らしていたのもあるし、それ以外に目に見えない攻撃方法が多く存在するとも考えにくい。半ば消去法のような考え方ではあったが、リリス的には合格点を出していい回答の様だった。

「ええ、アイツが使ったのは風魔術。強い魔力を用いて風の渦を作り、周囲の空気すらも巻き込みながら打ち放つ――魔物にしては、やたらと高度な術式だわ」

「確かに、制御の仕方を間違えれば自分を傷つけかねない術式だね。……なるほど、これは厄介な現場に立ち会ってしまったかもしれないな」

 リリスの言葉の意図をくみ取り、ツバキの目つきが少し剣呑なものに変わる。……目の前の魔物に対する警戒レベルは、この一瞬で数段跳ね上がっていた。

「……ちく、しょう」

 俺たちの眼前では、唯一直撃軌道に立っていなかった前衛の男がふらつきながらも大槌を構えなおしている。足元はおぼつかなく、構えもどこか弱々しい。さっきの状態でも拮抗がギリギリだったことを思うと、到底魔物と打ち合うことなんて不可能だろう。

「……それなのに、なんで」

 それでも退かない男の姿に、俺は思わずそう投げかけざるを得ない。無理に戦わないで四人の救援に行ったっていいはずなのに、男が選ぶのはいばらの道だ。……そこには、どうやったって越えられないような力の差がある。

 魔物もまだ動ける人間がいるとは思っていなかったのか、その行動をどこか驚いたような風に見つめている。……しかし、すぐに無慈悲な拳が男に向かって振り上げられた。

「……終わりね。もうあの人は限界をとっくに超えてる。自分の最大値を出して敵わなかった相手に、あんなふらふらで挑んでも無駄な傷を負うだけだわ」

 その光景を見て、リリスはどこか冷たくそう評する。冒険者にしても商人にしても、自分の死に責任が持てるのは自分だけなのは変わりがないのだろう。あの男たちだって、きっと自分の意志でここに来たのだから。……それはきっと、リリスだって経験してきたはずのことだ。

 そんな俺の考えを肯定するかのように、大槌がゆっくりと持ち上げられる。……その姿は、いっそ痛々しく俺の眼に映った。

「本当に非効率的で、合理性なんて全くない。そんなにズタボロなら、立ち上がっても倒れても違いなんてないも同然なのに」

 俺と同じものを見つめるリリスの言葉はなおも厳しく、見ていられないといった感じで息をついている。倒れ伏す仲間を背にしてなおも立ち上がり、拳に向かって迎撃態勢を取る男の背中は悲しいくらいに小さく見えて。……そこに、やたらと大きく見える魔物の拳が直撃する。

「が、ごっ……」

 防御にすべてを集中させてもなお拳の衝撃を受け止め切れず、男は大きく後ろへとよろめく。その向こうで、魔物が追撃の構えに入ったのがはっきりと見えた。

 その一撃を受け止めるすべはなく、直撃すれば今度こそ失神は避けられないだろう。パーティの全員が動けなくなったらどうなるかなんて、火を見るよりも明らかな事だ。

「……そんな風になったのは、ひとえにあなたの作戦ミスによるもの。それを素直に認めてしまった方が、楽に終われてしまったかもしれないのに」

 確実に敗北が近づいている男の姿を見つめるリリスの足は、何かをこらえるかのように震えている。冷徹な言葉とは裏腹に、リリスの中を激情が伝っているのが分かった。

 彼女は今、何を男に重ねているのだろうか。無力になってもなお仲間たちを背負って戦おうとする姿に、何を見ているのだろうか。……一つだけ、俺には心当たりがある。

「……なんで、あなたは……」

 自分がほぼ無力な存在になってもなお、大切な人を救おうとした少女を俺は知っている。その意地を、自分のアイデンティティとも言えるようなものを失っても貫き通した少女を俺は知っている。その少女は今、俺の隣で衝動に耐えるかのように足元をわなわなと震わせていて。

 しかし、そんな少女の存在などつゆほども知らずに戦況は進んでいく。よろめいた男をしっかりと見つめて、魔物は追撃の拳を放った。

「クソ、が……っ」

 全く無駄のないその軌道を見つめて、男が震える声でそう吐き捨てる。それが直撃すれば戦いは終わり、魔物にとっては半ば勝利宣言のような一発だ。それを防ぐ術なんて、男にもその仲間たちにもないはずで――

「……なんで、私は‼」

 ――だがその拳は、死角から放たれた氷の刃が魔物の左腕を痛烈に直撃したことで中断される。俺の隣からは、いつの間にかリリスの姿が消えていた。その事実を確認して、俺は思わずツバキの方を見やる。……俺の口元は、いつの間にか緩んでしまっていた。

「……どこまで行っても、辛辣になりきれないんだな」

「うん。なんだかんだ、リリスは優しい子なんだよ」

 ちょっと人に対して厳しいところがあるだけでね、なんて苦笑しながら、ツバキは影の領域を解除する。ゆっくりと進み出て来た俺たちを振り返って、リリスはどこか吹っ切れたように笑って見せた。

「……今からアイツを狩るわ。あまりにも諦めが悪すぎて、見てられなくなっちゃった」

「ああ、存分にやってこい。……今度は、お前が諦めの悪い奴を助ける番だ」

 リリスの宣言に、俺は力強い頷きで精一杯背中を押す。俺が知る限り誰よりも諦めが悪く、そして優しい少女の背中は、こんな状況でもやっぱり頼もしかった。
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