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肉食か草食か(1)

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 夜這い事件から数週間経った。

 雪哉は絶賛迷子中だった。この歳にして、マジの方の迷子だった。

 あの野郎、こんな複雑なところに俺を行かせやがって。

 今日は休日で、奏斗も会社が休みだった。だからといって何を話すでもするでもないのだが(拒否られたばかりだし)、眠たくなってくる三時ごろ、相変わらずソファを陣取る雪哉にあいつが言った。

「たまには外に出ろ」

 たしかに、外で発散しようと思ったりもしたが、そんな気にもなれず引きこもっていたのは事実だ。拒否されたのが地味にショックだったとか……いやいやそんなわけない。世の中にそんなやつが一人くらいいたっておかしくないだろ。

 とにかく、外に出ると言っても行くところなんかないと言うと、おつかいを頼まれたのだ。

 当然いやだと突っぱねたが、そうしたら夜ご飯抜きとか飼い主にあるまじきことを言い出したのだ。

 というわけで、タクシーに乗って、少し離れたこの町までやってきたのだが……。

 どこだよ、ここ!

 あいつ、おつかいとか馬鹿にしてんのか? そんくらいできるわ。と思っていたのに、そんなこと言えた状態じゃない。

 いや、目的の方は果たしたのだ。古びた和菓子専門店でいくつかの菓子を買ってこいとのこと。今、雪哉の手にはしっかりと紙袋が握られている。どこかのお偉いさんにでも渡すのか?

 都会地域から少し外れたここは人通りもなく、タクシーもつかまらない。携帯の充電はさっき切れたから地図も見れない。ならバス停を探そうにも、進めば進むほど細い道になっていく。

 もう暗くなってきた。軽く雪が降ってきて、寒さが増す。雪哉の顔にもさすがに焦りが浮かんだ。

 ……なんで、俺がこんなことに。

 全部奏斗のせいだ、奏斗が俺を拒否って、おつかいなんかさせるからだ。


 子供の頃、誰しもが経験したことがあるだろう迷子。雪哉もある。けど、誰も助けには来なかった。ただひたすら歩いて、見たことのある場所についた。きっと大した時間は経っていなかっただろうけど、あの時はえらく長く感じた。

 なんだっけ、たしか、あのときは母親の仕事場に向かおうとして……。

 まあ、でも今はもう大人だし、途中で公衆電話もあったが、迷子だから助けてなんて言うわけがない。あのときのように、ただひたすら歩いて見つけるしかないのだ。

 ……ああ、そういえば俺は元々身一つで転々としているような人間だし、ここらで別の飼い主を探すというのはどうだろうか。

 ちょうど、なんで奏斗が世話しつづけてくれるのかわからなくなったし、こんなに興味持ってもらえないなら、いつか捨てられるだろう。

 そうだよ、捨てられる前にこっちが捨てた方がいいに決まっている。

 こんな面倒臭い思いをしたまま過ごすなんて、全然快適じゃない。自由じゃない。

 ……そうに、決まってる。

 本当にそう考えが傾きかけたとき、唐突として後ろからぱっと何かに照らされた。

 うわ、ここ車通るのかよ。そう思って道の端によけると、自分を追い抜いていくかと思われたその車が雪哉の横で止まった。

 え? と思ってみると、窓が開いた。

「雪哉! あーもう、なんでこんなところにいるんだよ」

「え、奏斗?」

 その車に乗っていたのは奏斗だった。

「いいから、とりあえず乗れ」

「え、あ……」

 促されるままに、助手席に乗り込む。

 運転席に座る奏斗の顔を見ると、悔しいけどほっとした。

「まさか迷子になるとは思わなかったんだけど」

「……うるせ、迷子じゃねーし」

 暖房がついていて、自分の体が思いのほか冷えていたことに気づく。

 ……ハッ、まるでヒーローみたいだな。

 でも奏斗が来なかったらと思うと……自分は、本当に他の飼い主を探しに彷徨っていたのだろうか。

「でも悪い。もうちょっとわかりやすいところにすべきだったな」

「だから、別に俺は……」

 ぎゅっと和菓子屋の紙袋を抱える。

「……こわかった?」

「は?」

 ぽかんとして顔を上げる。

 すると、席を超えて、頭ごと抱きしめられた。


「は、なにして……!」

「いや、かわいそうだなって思って」

 初めて奏斗がこういう風に自分に触れたことに驚く。雪哉はハテナ浮かべながら、奏斗のこの行動の意味を早急に探った。

 でも、あったかくて、少なからずあった迷子からの不安がじわじわ解けていくような気がして、とりあえずそこに収まってしまう。

「……元といえば、お前のせいなんだからな」

「はいはい」

「お前が俺をこんなところに……」

「ああ、ごめんな」

 頭を撫でられて、思わず黙ってしまう。くそ、いつもはこんなことしないくせに。

「……もう離せよ」

「じゃあ、もう家帰るけど大丈夫だな?」

「もうも何も、最初から大丈夫だわ」

 奏斗は体を伸ばして雪哉にシートベルトをつけさせると、後部座席に置いてあった毛布をぱさりと渡してきた。チッ、甲斐甲斐しいこった。

 運転する奏斗の横顔をチラッと見る。こいつそういや、車通勤って言ってたな。全然見る機会がなかったから、こいつの車だって気づかなかった。

「つーか、なんでここがわかった」

「たぶんお前、あの店の周りぐるぐるしてたんだよ。ちょっと探したらすぐ見つけたわ」

 ぐるぐる? そんなはずはない。っ雪哉はまっすぐ道を歩いていた。

 しかし、車で進めばすぐに雪哉が頼まれて行った和菓子屋辺りに出た。

「方向音痴はこれから道わからなくなりそうだったらすぐ連絡しろ」

 方向音痴じゃねえと言いたかったが、全く説得力がなかったので睨むだけにした。
 しかもおいおい、これからって、また行かせる気か? もう一生行かねえぞ。鬼か。

 外に出したいなら、お前が車で連れて行けばいいだろ。
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