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第68話 ミックスの勝敗

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 国際ジュニア団体戦 予選Dブロック 日本 VS イタリア
 第3試合 混合ダブルス セットカウント 1-1
 ゲームカウント 4-1 日本リード

 軽快な打球音とともに、鈴奈のサーブがサービスボックスへと着弾する。スピード、角度、深さ、球威、どれをとっても、自身の打ち得る最高のパフォーマンスを発揮できていると鈴奈は手応えを感じた。

(そうだ、私だってまだ諦めたくない)

 コートチェンジの際、崩れ始めたかに見えたイタリアペアは、ただ黙ってひたすら手を繋いだまま見つめ合っていた。時間超タイムバイ・過罰則オレーションを取られてもなおそれは続き、2度目の警告が発せられる直前にようやくコートへ入ってきた。

 戻ってきた彼らの瞳に宿る強い意志の光を目にしたとき、鈴奈は彼らがポイント失う代わりにもっと大きなものを手にしたと察する。諦めない意志を固め、不退転の覚悟を決めた者の眼光。これまでも、試合の大事な場面で対戦相手がそういった精神状態になるのを見たことがある。心底負けず嫌いで、諦めの悪い、しかしだからこそ、底力を発揮してくる。自身の性格とは正反対のそうした性質について、いつもならしゃらくさく感じる鈴奈だが、今この時ばかりは違った。

(そうこなくちゃね。勝手に崩れて終わられたんじゃ、面白くない)

 自分のプレーが良くなっていることを楽しんでいる鈴奈は、対戦相手の精神的な復活を素直に歓迎することができた。知らずに作り上げていた自分自身の限界を打ち破るための踏み台として、全力をもって最後の勝負に挑みたい気持ちに溢れている。

(それにしても、ビックリだよ。まさかひじリンがこんなに頼もしいなんて)

 試合の最中さなか、まるで人が変わったかのように、聖の言動やプレーが普段の彼とは異なっている。演技とは思えないし、あれが本性だというのもちょっと違う気がする。理由は分からないが、気持ちが乗ってきてたまたま自分と波長が合うようになったのか。いずれにせよ、ペアの安定感の増したプレーと振る舞いが、鈴奈の崩れかけた心を持ち直してくれた。お陰で集中力を取り戻し、今やゾーンに入っているのかと思えるほど調子が良い。

(これだけのプレーが出来るなら。この先も、今と同じぐらいやれるなら)

 素早い身のこなしでコートの内側へと入り、鈴奈は先手を取って平行陣を形成。相手がテンポを速めようとしても、聖が割って入ることでそれを防ぐ。攻め手を欠いた相手は、反撃のきっかけを求めて鈴奈の苦手とする身体側ボディを狙う。大きな胸がプレーの邪魔にならないよう固定していたバストバンドは、さっき少しだけゆるめておいた。そのほんの少しが、彼女の反応を僅かに向上させ、的確にボールを打ち返す。

(あたしも、まだ――)

 鈴奈の予想外の反応に、イタリアペアの攻撃リズムがかすかに崩れる。その一瞬を見逃さなかった聖が攻撃を仕掛け、辛うじて相手が凌いだところを完璧なタイミングで鈴奈が合わせてポイントを決めた。

(――プロを目指せる)

 ペアである聖とハイタッチし、また一歩勝利へと近付く日本ペア。

 だが、それでも。

 イタリアペアの目に宿る光は、輝きを失っていない。

          ★

(まだだ、まだもう少しだけ、噛み合わねぇ)

 ピストーラはラリーを展開しながら、自分たちペアが絶望的な状況を脱したことを実感しながらも、しかし未だ劣勢であることを強く認識する。ゲームカウントは1-4、しかし日本ペアは女性である鈴奈のサーブ。反撃するならこの場面をおいて他にない。どうにかしてこのゲームを奪い、次をキープしてようやく3-4。先行を許してしまっている以上、勝つためにはあと2回、ブレイクしなければならない。ここは絶対落とせない。

(とはいえよお、ちんたらしたせいで1ポイント、今決められて更にもう1ポイント、連続でポイントを取られてあとがねえ。ウナーゾもプレーにキレが戻ったとはいえ、相手は昇り調子。下手にリスクは負えねえが、かといって後手に回ったんじゃあ勝ち目はなおのこと見えてこねえ。クソ、どおすりゃあいい?)

 必死に思考を巡らせるが、ピストーラには打開策が浮かばない。相手の日本ペアもここを守ればほぼ勝ちが確定しているとあって、無理はせず堅実なゲームメイクをしてくる。雰囲気的にも甘いミスが期待できるとは思えないし、半端な攻撃はカウンターの恐れがある。劣勢でリターンサイドでもあるイタリアペアは、自分たちから攻めなければならないのに、極力リスクを負えないというジレンマを抱えてしまっていた。

「オイ」

 すると、普段は滅多に自分から声をかけないウナーゾが近付いてきた。彼女は口元を手で隠しながら、小声で手短に作戦を口にする。思わず表情に出そうになるのを、ピストーラは必死に堪えた。

「あたしとあんたなら、できる。だろ?」

 決然と言ってのけるウナーゾ。どの道、ここをブレイクできなければ勝機はもうないに等しい。今のうちにやれることを試す以外に道はない。ピストーラは観念すると、深く息を吸い込み大きく吐き出してから腹を括るようにいった。

「わかったよ! しゃあねえ。いっちょ試すか」

 二人は拳を突き合わせ、意思統一を完了させる。

(こういうとき、女の方が肝が据わってる気がするよなあ)

 コートの上にいる二人の女性を見比べると、まるで闘志が漲り立ち昇っているのが見える様な気がした。

           ★

(なるほど! そうきたか!)

 ペアである鈴奈がサーブを打ったあと、聖はイタリアペアが取った陣形に胸中で膝を打った。リターンのあと、イタリアペアは二人ともベースラインに並ぶ後方型平行陣ツー・バックを形成したのだ。超攻撃型のアイ・フォーメーションに対し、その対抗策として桐澤姉妹が採用した、守備特化ディフェンシブ・型の陣形フォーメーション

(守備に特化して、前衛であるオレを蚊帳かやの外に。高いロブを効果的に使い、背の低いスズと二対一で戦うわけだ。確かにこれなら、リスクを負わずじわじわと相手を追い詰められるし、相手の方から攻めさせることもできる)

 イタリアペアは高く弧を描く一打ロビングを主体的に使い、まず前衛である聖を駆け引きの中から追い出す。そして打つボールには強いスピンをかけ、バウンド後になるべく高く跳ねるよう工夫を凝らす。背の低い鈴奈は、万が一にも高く跳ねさせてしまえばボールを捉えづらくなり、強いボールが打てなくなる。必然、ボールがバウンドして最頂点に達する前に打つ跳ね際ライジングで処理せざるを得ない。鈴奈の技量があればライジングでの返球は可能だが、打ち続けるとなれば難易度は高い。

(上手いのはこの二人、たまに前へ出る素振りをみせる)

 相手が両方後ろに下がっていれば、奇襲攻撃ポーチを食らうリスクはない。むしろ返球に徹し、相手のロビングの精度が下がったタイミングで先に前へ詰めれば勝機が見える。しかしイタリアペアの二人は、打ったあとボールがまだ宙へ浮いているときに前へ出るふりをあえて鈴奈にみせるのだ。

(相手のロブの精度が高くて、プレッシャーをかけようにもかえって危ない。先行してるわけだし、こっちから積極的にいっても良いとは思う……けど)

 聖は高く上がるボールを見送りながら、視界の端でペアである鈴奈の表情を窺う。その顔には好戦的で、なによりも嬉しそうな笑みが浮かんでいた。二対一、受けてやろうじゃん、といった顔だ。

<スズパイは真っ向勝負をお望みらしいな。どーする?>

 答えずとも分かっている、といった口調でアドが茶々を入れてくる。聖が採れる選択肢はいくつかあるが、ここはペアの意向を優先したい。自身の能力によって彼女や相手ペアの何かしらの可能性が撹拌かくはんされるというのなら、自分はそれに従おう。それこそが、自身の勝敗よりも重要なことのはずだと、聖は素直に思えた。

           ★

「ん~、ごめん! さすがに歩が悪いや」

 鈴奈は頬を膨らませながら、悔しそうに言った。

「あいつの楕円軌道を描く一打エッグ・ボール、マジで取り辛い。ひじリンよくタイミング合わせられんね。女の方も良いスピンロブ使いやがるし。攻略してやりたかったけど、今はちょいキツいかな」

「いや、よくやっていたと思うよ。だけどあのレベルの選手相手に二対一は、誰だって難しいさ。君が戦いたそうにしていたから、敢えて余計なことは控えたんだが、惜しかった。さて、このあとはどうしようか?」

 鈴奈のサービスゲームは、結局イタリアがブレークに成功する。聖としても今現在の鈴奈の調子なら、充分に凌げる可能性は感じていただけに惜しく思った。相手ペアはプレーもペアとしての呼吸も徐々に合い始め、続くサービスゲームを堅実にキープする。ゲームカウントは日本リードの4-3。試合の流れは、均衡に戻りつつあるといえた。

「ワガママは終わり。しっかりトドメさそう」
「もういいのかい?」
「うん。悔しいけど、可能性は感じたし。今は勝つのが大事」

 スポーツにおいて、諦めないことが何よりも大切だと説くものは多い。だが、同じように割り切ることも重要だ。鈴奈は自分を「冷めやすい方だ」などと口にするが、試合中に冷静な判断を下すには諦め上手・・・・であることも大切な要素だ。

『試合に勝って、勝負に負ける』もしくは『試合に負けて、勝負に勝つ』

 時おり耳にするフレーズだが、これは試合の勝敗とは別に、自分のなかの『譲れない何か』が存在するという考え方に基づいた言葉だ。それが何なのかは人それぞれ違う形のものだろうし、それを大切に想うことが自身の誇りに繋がるのは確かなことだろう。だがスポーツ選手の価値は、客観的に見た試合の結果が全てだ。試合の結果を重んじず、精神的な『何か』に囚われて敗北が続けば選手としての価値を損なう。

 鈴奈の性格上、単純に二対一の状況での勝ち目が薄いと判断した結果、優先目標を切り替えたに過ぎない。だが、彼女のそうしたいい意味での冷めやすさは、トレーニングなどで得られるような類のものではない。紛れもなく、彼女の持つ才能の一種だと聖は感じた。

「よし、じゃあ積極的に仕掛けよう」

 勝利まであと2ゲーム。そして次は聖のサービスゲームだ。試合の大尾たいびが近付くにつれ、会場を包んでいる空気も心なしか、緊張感を増してきているように感じられた。

           ★

「クッソがァ!」

 聖の打ったショットに逆を突かれ、ポイントを奪われたウナーゾは短く咆える。先ほどの沈黙のやり取りがあってから、彼女は徐々に自分の感情を露わにするようになってきた。そしてそうすることで、彼女のプレースメントは確実に向上しつつあった。

 そんな彼女の様子を見ても、ピストーラは動じない。本来彼女はこうやって自分の感情を糧に集中力を増すタイプだ。いわゆる冷静沈着な振る舞いポーカー・フェイスの方がテニスでは好まれる傾向にあるが、元来テニスはプレーによって選手にかかるストレスが大きいスポーツだ。ポイントを失うということは、神経を集中させて組み上げたトランプタワーを途中で崩されるようなもの。集中すればするほど、反動によるダメージは大きい。

「しゃあねぇさ、相手のサービスゲームなんだしよ。次、キープだ」

 ゲームカウントは5-3となり、イタリアはいよいよ後がない。次の自分たちのサービスゲームをキープし、もう一度相手の女性サーブをブレイクしなければ敗北してしまう。だが、日本から見れば次は女性であるウナーゾのサービスゲーム。先行している優位性を加味して考えれば、ここは積極的にブレイクを狙ってくるとみてほぼ間違いない。いくらウナーゾのサーブが優れているとはいえ、これまで以上に難易度が高いのは確かだ。

「タイブレークにまで持っていきゃあチャンスはある。踏ん張れよ」
「誰にいってんだ。てめぇこそトチるなよ」

 眉間に皺を寄せながら憎まれ口を叩くウナーゾに、内心で頼もしさを感じるピストーラ。自分を押し殺して耐え凌ごうとするよりも、なりふり構わず本来の自分をさらけ出す彼女は魅力的に思える。だが、違う。ピストーラが見たい彼女の顔は、もっと別の顔だ。

 ウナーゾが鋭いサーブを繰り出し、それに合わせてピストーラがリターン側にプレッシャーをかける。対する日本側も、目に見えるほど高い集中力を発揮し、プレーの冴えが増していく。コート上の四名はそれぞれが予測し、裏をかき、誘い、正面から挑み、一打ごとに、1ポイントごとに素晴らしいプレースメントを発揮してみせた。

「Advantage receiver,Japan Match point」

 主審がポイントをコールする。イタリアペアが優勢に進めてはいたが、日本ペアは積極的に仕掛け追いすがり、遂に先行されてしまう。絶対にキープしなければならないイタリア側にとって、本来優勢であるはずのサービスゲームがプレッシャーへと変わる。

(ゲーム開始のポイントもマッチポイントも同じ1ポイントだっていうやついるけどよお、感じるプレッシャーはえらい違いだぜ。もっとも、今それを一番感じてるのはウナーゾだけどな)

 ウナーゾの気配が緊張感に満ちているのを、ピストーラは背中に感じる。サーブの構えを取る彼女を見つめる日本の二人も、呼応するように集中力を深めていく。固唾を飲んで見守る観客は物音を立てず、会場は時間が止まったかのように静寂へと沈む。

 それを破るような打球音が合図となり、時が動き出す。ウナーゾはピストーラになんの相談もなく、直感的な判断でサーブ&ダッシュを選択。自分の打ったサーブを追いかけるような俊敏さで一気に前へと詰め寄る。リターンの聖がウナーゾの動きを見たせいか、タイミングを崩されたように動作が遅れた。それを察したピストーラが追い打ちをかけるように、フェイントを混ぜてプレッシャーを与える。

(こいつ、まだ打たないのかッ!)

 聖の動作が遅れたように見えたのは、タイミングを崩されたからではないと瞬時に気付くピストーラ。サーブと同時に前へ出たウナーゾを見るや、前衛であるピストーラがどう判断するかを見極めるべくわざと・・・遅らせたのだ。

(フェイントは見抜かれた、足下狙いかッ!?)

 だが、ピストーラの読みを裏切り、聖はイタリアペア二人が平行陣を敷き終える直前のタイミングで高いロブを放つ。狙いは正確で、高さも申し分ない。ボールが放たれた先には、誰もいない。イタリアペアは完全に後の先を奪われる形となった。

「~ッ!!」

 だが。
 聖がロブを選択したと分かった瞬間、ピストーラは180度ターンして猛然と駆け出していた。いまだ宙にあるボールの位置は確認せず、陸上の短距離選手のように腕を振って一気に自身の最高速度を振り絞る。

「オオォォッ!!」

 ボールが最初のバウンドをするのと、ピストーラがボールを追い抜くのはほぼ同時。しかしボールにはスピンがかけられ、バウンドしたあとに地面を蹴って跳ねる。追いついてはいるが、振り返って打つ時間は無い。

 一度バウンドして跳ねたボールが最頂点を過ぎ、二度目のバウンドへと落下を始めたタイミングで初めてピストーラはボールの位置を確認。コートを削らんばかりにシューズを擦って減速しながらラケットを振り上げる。拳銃で動く的に狙いを定めるように、標準を合わせる。長い足を器用に動かしスペースを作り、股の下で一気にラケットを振り抜いた。

           ★

 完全に相手の意表を突いた聖のロブを、イタリアのピストーラが猛然と追いかける。間に合うかどうかは微妙な速度だが、日本ペア二人は油断せず返球に備えて前へと詰めた。仮に追いついたとしても、まともには打ち返せない。よしんぼ上手くキャッチできたところで、甘いチャンスボールになるのが関の山だ。しかし――。

 素晴らしい脚力とボディバランスで、ピストーラはボールを捉える。

 曲芸のような一打クラッチ・ショット

 通称では『股抜きショット』などといわれるトリッキーな打ち方だ。追いついたは良いが充分な体勢で返球できない場合や、想定以上にボールへと近すぎた場合など、イレギュラーな場面においてまるでサーカスの曲芸のような打ち方で対応することがある。だがその殆どは再現性と確率が低く「打って入れば儲けもの」といったショットだ。それでポイントが決まれば大盛り上がりだが、大半がポイントにならない。スーパープレー集として人気を集めるせいで印象に残り易いが、そもそもそういう打ち方をしなければならない時点で失点したも同然に近い。相手が油断してくれていれば決まることもあるが、返してくると想定している場合のポイント獲得率は絶望的。いうなれば最後の足掻き。

 ピストーラの打ったショットは高く打ち上った。ボールを捉えたのがコート後方だったため、思いっきりラケットを振ったのだろう。高い上に速度が出てしまっていた。そのボールの打ち出しの角度を見て、日本の二人は「これはアウトする」と思った。

 ボールが最頂点に達・・・・・するまでは・・・・・

「スズ!」

 甘いボールに備えて前へ詰めていた聖は誰よりも早くそのボールの異変に気付き叫んだ。高さに気を取られ、ボールの軌道が徐々にコートへ向かっていると気付くのが遅れた。ピストーラはただ打ったのではない。偶然か必然か、強い回転をかけている。

 聖の立ち位置からでは、もう追いかけても間に合わない。運の悪いことに、コートの上の方ではボールに対し向かい風が吹いていたのか、回転と合わせて流されるように軌道が変わる。まるで、見えない妖精がボールの軌道を変えているように。

 聖に呼ばれて慌てて反応した鈴奈だが、ボールは落下しながらもなお軌道が変わっていく。思っていた以上に強烈な回転がかかっているようだ。さきほどとは立場が逆転したように、今度は鈴奈がボールを追う。着弾したボールはコートへ収まり、同時に回転がバウンド後の跳ね方を意地悪くする。鈴奈から逃げるように真横へ跳ねたボールは、コートサイドにあった日本チームのベンチへと吸い込まれた。

           ★

 ボールの行方を見つめていたウナーゾは、ポイントが決まると同時に、ペアが決めた渾身のファインプレーを称えようと振り返った。だが、後ろに立っているはずのペアが見当たらず、困惑する。よく見ると、コートの一番後方でピストーラがうずくまっていた。

「オマエ、やるじゃねえか! 見直し……グリード?」

 うずくまるピストーラの様子に異変を感じるウナーゾ。よくみれば小さく震え、痛みに耐える様なうめき声をあげている。ウナーゾの脳裏に、最初の試合で目をやられたロシューの姿がフラッシュバックする。

「オイ! グリード!」

 慌ててピストーラの肩を掴み、顔を確認する。やられた?どこを?ウナーゾの顔から一気に血の気が引き、まだ追撃があるのかと思いピストーラを庇うようにして周りを確認する。

「ちょ……待……」
「おい、やられたのか!? どこを!? しっかりしろ!」

 悲鳴に近い声で呼びかけるウナーゾ。その彼女の手を、ピストーラが掴んで力強く握ってみせる。どうやら、傷は浅いらしい。しかし油断はできないとウナーゾが警戒を強めていると、苦しそうにしながらピストーラがいう。

「こ、股間を……打っちまった。も、モロだっ……あ~」

 ピストーラの言葉が頭にしみ込むまで、若干の間があった。その間、徐々に痛みが和らいできたせいか、ピストーラのリアクションが段々と余裕のあるものに変わっていく。

「あ~~~きっつぅ~。いやあいつら絶対油断しねぇと思ったからよお、どうにかして裏かいてやりたくて咄嗟に回転おもくそかけたんだよ。したら手首にスナップかけすぎて、ラケットのスロートが直撃して……あぶねぇ、試合の途中で女ダブになるとこだったぜ……って、オイ、ウナーゾ?」

 今度はウナーゾが俯き、小さく震えている。ピストーラは「やべ、キレる」と思い、ご機嫌伺いをするように上目遣いでもう一度呼びかけた。

「あの、ウナーゾさん……? すいません、一応ポイント有効だったみたいだし、まだ追い上げなきゃなんねえから、ここはひとつ穏便に」

「ぷはっ! あはははは!!」

 堪えきれなかった様子のウナーゾが、大きな声をあげて笑う。観客たちも、どうやらピストーラが自ら股間を痛打したらしいというのが伝わっていったのか、徐々に笑いが大きくなっていく。気付けば会場のスクリーンにリプレイが流され、顛末が完全に知れ渡る。これにはさすがのピストーラも恥ずかしくなり、どう誤魔化したものかと挙動不審になる。助けを求めようにも、ペアのウナーゾさえずっとケラケラ笑っているのだ。

「お、オイ、そんなおかしいかよ。仕方ねえだろ……」

 言い訳するようにごにょごにょいうと、ウナーゾが目に涙を浮かべながらどうにか笑いをおさめながらようやく口を開いた。

「そうだね、仕方ない。うん、よくやったよ、ナイスキャッチ、ふふ」

 そう言ってピストーラの肩を軽く小突くウナーゾ。長いまつげと大きな瞳が涙のしずくで潤んで、和らいだ表情は年相応の少女らしさと彼女の整った顔立ちと相まってひどく魅力的にみえる。ぶり返したおかしさでまた相貌を崩すと、無邪気にごめんごめんと顔を逸らす。そんな彼女の様子をみて、ピストーラはひどく満たされた気分になった。

(あぁ、クソ。まずいな)

 満たされた気分と同時に、失敗したな、とピストーラは思った。

(勝ち切ってから、あの顔をさせたかったんだがな)

 二人はコートへと戻り、試合が再開する。マッチポイントを1つ凌いで見せたイタリアペアだったが、日本ペアの堅実かつ積極的なプレーは崩れることなく、ほどなくして勝敗は決した。

 国際ジュニア団体戦 予選Dブロック
 〇日本 VS イタリア 第3試合 男女混合ダブルス
 若槻聖&偕鈴奈 VS Gridグリード ceckセック Pistolaピストーラ & Patriciaパトリシア Speziaスペツィエ Unarzoウナーゾ
 セットカウント2-1 (3-6、7-5、6-3)

                                続く
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