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第37話 ラーメンは並んだ方が美味しいのか。
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土曜日の朝。
どっかの誰かさんみたいに夏休みだからといってだらけず、学校があるときと同じ時間に朝食を取っていると、どうせ起きてこないからと暗黙の了解で放置されていた姉貴が、階段をバタバタと騒がしく下りてきた。
リビングに駆け込んでくるや、叫ぶ。
「行列に並んでこそ、大人なのよっ!」
変な夢でも見たらしい。
「ああ、そうだな」
「ちょっと大季! 雑すぎじゃない!?」
俺を非難するのはいいが、両親に至ってはもうなんのリアクションも取ってないからね。平然とご飯食べてるからね。
「朝からうるせえんだよ、食事中だ。あと、窓開いてるから、ご近所に声が筒抜け」
「そんなこと言ってる場合じゃないのよ!」
「言ってる場合だろ」
と返しつつ、そこで初めて姉貴を見ると、花柄の刺繍《ししゅう》が入った薄ピンクのワンピース姿で、例のペンギンリュックを背負っていた。
「……って、どっか行くのか?」
「よくぞ訊いてくれたわね!」
……無視しとけばよかった。
「行列といえば、大季、なにが思い浮かぶかしら?」
「遊園地?」
「はっ、それもあったわ……」
盲点だったらしい。
「で、でも、今日は遊園地ではないの」
「じゃあ、ラーメン?」
「そう、それよ! ラーメンよ! 今日のお昼は、行列に並んでラーメンを食べに行きましょう!」
「その前に朝ごはん食べなさいねー?」
一人盛り上がっている姉貴に、母親が水を差した。
「朝ご飯どころじゃないのよお母さん! お腹が空っぽの状態で、ぺっこぺこのぺっこぺこにして、そして行列に並びに並んで食べるラーメン……それが格別においしいのよ!」
「はいはい。それはわかったから、少し食べていきなさい」
「だ……だから……っ」
「愛莉、着席」
「は、はい……」
軽くあしらわれ、しょんぼりと席に着く姉貴。口の中の麦茶を噴き出しそうになったが、どうにか堪える。
母親がご飯とみそ汁、牛乳を運んでくるのを、口を尖らせながら見守る姉貴。
だが少しすると、ため息をつきながら箸をつけ始める。
「で、どこに行くつもりなんだい?」
父親がテレビのスポーツニュースに目をやりながら、食事を始めた姉貴に尋ねる。
玉子焼きを頬張りながら、姉貴が言った。
「いあああお!」
……母音しか聞き取れなかった。
「愛莉? 前にも言ったけど、口に食べ物が入っているのに喋るなんて、お行儀が悪いよ? お父さんはね、愛莉には上品な子に育ってほしいんだ。だから……わかるね?」
「り、理不尽よぉっ!」
姉貴に同意。食べてる最中に訊いておいてそれって。ひどい。
「うぅ……お母さんもお父さんも、そうやってわたしをいじめるのね……っ」
とそこで、真横から視線を感じた。たぶん、姉貴がうるうるした目で俺を見ているに違いない。目を合わせたら試合終了なので、絶対合わせない。
なんとなく嫌な予感がした。俺は先手を打って逃げに走る。
「気を付けて行って来いよ、姉貴」
「ちょっと待ちなさい大季」
ほら来た。
説得虚しく、俺は姉貴に連れられ電車に揺られ、およそ三十分後、全国的にもラーメンで有名な駅に降り立っていた。電車で来るのは初めてで、駅舎が赤レンガ造りだったことさえ知らなかった。
駅には意外にも外国人の姿がちらほら認められ、近年のボーダーレスなラーメン人気を思い知る。
「さあ、行くわよー!」
拳を頭上に掲げ、姉貴が叫ぶ。周りの方々の視線が恥ずかしいので姉貴から離れ、ラックに挿されたパンフレットに目を通していると、外人さん御一行が珍しがってこのロリ姉貴をカメラで激写していた。正面から、背後からと忙しそうに動き回ってカシャカシャやっている。「スクールガール」「エレメンタリー?」「ワーオ」「ペングウィン」「ワーオ」「ソーキュート」「ワーオ」などという感じの単語が聞こえてくる。ああ、恥ずかしい。
「大季、なにしてるの! 早く行列に並びに行きましょう!」
腕を取られ、羞恥に耐えつつ駅舎を出る。
駅前からまっすぐ伸びる道を進むと、左手に最初のラーメン屋が見えてきた。が、姉貴は迷いなくスルー。車道の向こう側にも別のラーメン屋が見えるが、それも素通り。
「おい。あそこの店とかでよくね?」
「ちっちっち。甘いわね。甘々の甘々のあっまあまよ」
うるせ。
「行列の長さとラーメンのおいしさは比例するの。わたしが今日行こうとしているのは長蛇の列で有名なお店。それすなわち、すっごくおいしいということ! ネッ……クチコ……いえ、わたしの理論に狂いはないわ!」
「やっぱネットかい」
「ネット? なんのことかしら?」
「…………」
清々しいまでに堂々としている。これでこそ我が姉貴だ。
で。姉貴のペースに合わせて歩くこと二十分強。市役所の手前の、やたら車が出入りする細い道に曲がり込むと、行列の背中が見えてきた。
「え、なにこれ」
思わず知らず、声が漏れてしまう。想定を超えた長さだった。休日の、しかも昼間だから余計かもだけど。たぶんこれ、下手すりゃ一時間は平気で待つんじゃないだろうか。
「わ、わわわわわ……」
姉貴が行列のあまりの長さにわなないていた。腰が引けている。
「姉貴、大丈夫?」
「み、見ての通り大丈夫、よ……」
「うん。見ての通り大丈夫ではなさそうだよね」
長蛇の列とはいっても、もっと程良い行列だと思っていたのだろう、姉貴は瞬きすら忘れたように前方の光景を見つめていた。
「他のお店にする?」
「そ……そうした方が、賢明だわ、ええ」
というわけで、俺たちはそこから速やかに撤退し、結局駅から最近のラーメン屋の暖簾《のれん》をくぐったのだった。
〈今日の姉貴の一言〉
「う、うまいっ! 並ばなくてもラーメンはおいしいものだわ!」
それはよかった。
どっかの誰かさんみたいに夏休みだからといってだらけず、学校があるときと同じ時間に朝食を取っていると、どうせ起きてこないからと暗黙の了解で放置されていた姉貴が、階段をバタバタと騒がしく下りてきた。
リビングに駆け込んでくるや、叫ぶ。
「行列に並んでこそ、大人なのよっ!」
変な夢でも見たらしい。
「ああ、そうだな」
「ちょっと大季! 雑すぎじゃない!?」
俺を非難するのはいいが、両親に至ってはもうなんのリアクションも取ってないからね。平然とご飯食べてるからね。
「朝からうるせえんだよ、食事中だ。あと、窓開いてるから、ご近所に声が筒抜け」
「そんなこと言ってる場合じゃないのよ!」
「言ってる場合だろ」
と返しつつ、そこで初めて姉貴を見ると、花柄の刺繍《ししゅう》が入った薄ピンクのワンピース姿で、例のペンギンリュックを背負っていた。
「……って、どっか行くのか?」
「よくぞ訊いてくれたわね!」
……無視しとけばよかった。
「行列といえば、大季、なにが思い浮かぶかしら?」
「遊園地?」
「はっ、それもあったわ……」
盲点だったらしい。
「で、でも、今日は遊園地ではないの」
「じゃあ、ラーメン?」
「そう、それよ! ラーメンよ! 今日のお昼は、行列に並んでラーメンを食べに行きましょう!」
「その前に朝ごはん食べなさいねー?」
一人盛り上がっている姉貴に、母親が水を差した。
「朝ご飯どころじゃないのよお母さん! お腹が空っぽの状態で、ぺっこぺこのぺっこぺこにして、そして行列に並びに並んで食べるラーメン……それが格別においしいのよ!」
「はいはい。それはわかったから、少し食べていきなさい」
「だ……だから……っ」
「愛莉、着席」
「は、はい……」
軽くあしらわれ、しょんぼりと席に着く姉貴。口の中の麦茶を噴き出しそうになったが、どうにか堪える。
母親がご飯とみそ汁、牛乳を運んでくるのを、口を尖らせながら見守る姉貴。
だが少しすると、ため息をつきながら箸をつけ始める。
「で、どこに行くつもりなんだい?」
父親がテレビのスポーツニュースに目をやりながら、食事を始めた姉貴に尋ねる。
玉子焼きを頬張りながら、姉貴が言った。
「いあああお!」
……母音しか聞き取れなかった。
「愛莉? 前にも言ったけど、口に食べ物が入っているのに喋るなんて、お行儀が悪いよ? お父さんはね、愛莉には上品な子に育ってほしいんだ。だから……わかるね?」
「り、理不尽よぉっ!」
姉貴に同意。食べてる最中に訊いておいてそれって。ひどい。
「うぅ……お母さんもお父さんも、そうやってわたしをいじめるのね……っ」
とそこで、真横から視線を感じた。たぶん、姉貴がうるうるした目で俺を見ているに違いない。目を合わせたら試合終了なので、絶対合わせない。
なんとなく嫌な予感がした。俺は先手を打って逃げに走る。
「気を付けて行って来いよ、姉貴」
「ちょっと待ちなさい大季」
ほら来た。
説得虚しく、俺は姉貴に連れられ電車に揺られ、およそ三十分後、全国的にもラーメンで有名な駅に降り立っていた。電車で来るのは初めてで、駅舎が赤レンガ造りだったことさえ知らなかった。
駅には意外にも外国人の姿がちらほら認められ、近年のボーダーレスなラーメン人気を思い知る。
「さあ、行くわよー!」
拳を頭上に掲げ、姉貴が叫ぶ。周りの方々の視線が恥ずかしいので姉貴から離れ、ラックに挿されたパンフレットに目を通していると、外人さん御一行が珍しがってこのロリ姉貴をカメラで激写していた。正面から、背後からと忙しそうに動き回ってカシャカシャやっている。「スクールガール」「エレメンタリー?」「ワーオ」「ペングウィン」「ワーオ」「ソーキュート」「ワーオ」などという感じの単語が聞こえてくる。ああ、恥ずかしい。
「大季、なにしてるの! 早く行列に並びに行きましょう!」
腕を取られ、羞恥に耐えつつ駅舎を出る。
駅前からまっすぐ伸びる道を進むと、左手に最初のラーメン屋が見えてきた。が、姉貴は迷いなくスルー。車道の向こう側にも別のラーメン屋が見えるが、それも素通り。
「おい。あそこの店とかでよくね?」
「ちっちっち。甘いわね。甘々の甘々のあっまあまよ」
うるせ。
「行列の長さとラーメンのおいしさは比例するの。わたしが今日行こうとしているのは長蛇の列で有名なお店。それすなわち、すっごくおいしいということ! ネッ……クチコ……いえ、わたしの理論に狂いはないわ!」
「やっぱネットかい」
「ネット? なんのことかしら?」
「…………」
清々しいまでに堂々としている。これでこそ我が姉貴だ。
で。姉貴のペースに合わせて歩くこと二十分強。市役所の手前の、やたら車が出入りする細い道に曲がり込むと、行列の背中が見えてきた。
「え、なにこれ」
思わず知らず、声が漏れてしまう。想定を超えた長さだった。休日の、しかも昼間だから余計かもだけど。たぶんこれ、下手すりゃ一時間は平気で待つんじゃないだろうか。
「わ、わわわわわ……」
姉貴が行列のあまりの長さにわなないていた。腰が引けている。
「姉貴、大丈夫?」
「み、見ての通り大丈夫、よ……」
「うん。見ての通り大丈夫ではなさそうだよね」
長蛇の列とはいっても、もっと程良い行列だと思っていたのだろう、姉貴は瞬きすら忘れたように前方の光景を見つめていた。
「他のお店にする?」
「そ……そうした方が、賢明だわ、ええ」
というわけで、俺たちはそこから速やかに撤退し、結局駅から最近のラーメン屋の暖簾《のれん》をくぐったのだった。
〈今日の姉貴の一言〉
「う、うまいっ! 並ばなくてもラーメンはおいしいものだわ!」
それはよかった。
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