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第36話 Q.わたし、大人な女になれますか?――A.いいえ、まだまだなれません。寝言は寝て言ってください。
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「大人なオンナは、気配りができなくてはいけないのよ!」
リビングのソファで夏の高校野球の県大会決勝をテレビで観ていると、なぜか正座して父親のノートパソコンをいじくっていた姉貴が、突然そんなことをほざいた。
やっとまともなことを考えるようになったか。
「まあ確かに。で? 気配りって、例えば?」
俺の問いに、姉貴は目を細めてパソコンの液晶を凝視した。
「そうね。例えば……ええとなになに? ①メールやLINEのやり取りの最後の一文に、相手の体調や身辺のことなどをさりげなく案じる言葉を添える。②相手が疲れていたり落ち込んでいたりしているのを察知し、優しい対応をする……ことかしら!」
「……ってネットに書いてあるんだろ?」
「そそっ、そんなことぉ、ないよぉ~? さ、さては大季、中二にしてすでに精神は大人なのねっ?」
いや。精神以前の問題だったろ、今の。①とか②とか、あなた声に出してましたよ? そのくせドヤ顔してましたよ?
俺はテーブルのスマホを手に取り、今までの姉貴とのLINEのやり取りを振り返ってみた。俺を気遣う言葉、皆無である。
そういうのを自覚しているから、先のようなことを言ったのだろうけど。
「じゃあ姉貴。気配り力を高めるために、これから俺とLINEで練習してみようぜ」
「練習?」
「そうだな、俺が例文として気配りし甲斐のあるメッセージを送るから、いつも通り大人な対応を見せてくれればいい」
皮肉交じりに言うが、子どもな姉貴はそれに気付かない。
「それはいいアイディアね。乗ったわ」
俺はぱっと浮かんだ、難易度低めな文を打ち込んでいく。そして送信。
『先輩。今日は仕事でお疲れなのにごはんに誘って頂き、ありがとうございました。食事中、愚痴ばかり話してしまいましたね、ごめんなさい』
ちょっと易しすぎただろうか。
「これは簡単ねぇ。わたしを甘く見てもらっちゃ困るわ」
さすが。俺は姉貴を見くびっていたみたいだ。
やがて、LINEのメッセージを受信したことを告げる通知音が鳴った。
どれどれと、内容を確認する。
『迷える子猫ちゃんのためなら、私はいつでも相手になるよ。キミの腕枕だってするさ、キミだけの、夜のサンドバッグにだってなるさ。だから次は、レストランではなくて、ベッドで愚痴でも……ね?」
「論外」
「えぇーっ?」
「なんで王子様キャラなんだよ。あとなぜに下ネタ風味」
「その方が大人っぽいじゃないのよぉ」
大人っぽさを履き違えている。ある意味では、俺はやはり、姉貴を甘く見ていた。
「違う返事を考えろ」
「ぶぅーぶぅー」
豚の鳴き真似だかブーイングだかわかりかねる声を発しながらも、指先は滑らかな動きで画面をタッチしていく。
で、送られてきたのがこんなの。
『気にするなってばよ』
「はい少年漫画風味も却下」
「だんだん大人になっていくのに! 一巻から七十二巻までのあの成長を、大季は知らないくせに! 何様よもう!」
「……忍者なのかもな」
「し……知ってるくせにぃ……っ!」
「はい次」
目の端に涙を浮かべながら叫び出したが無視し、次の返答を催促する。
『全然大丈夫。ドラえも○は録画しておいたから。でも野球中継でお休みだったの。てへっ♪』
「後輩にもテレビ欄にも気を配れてねえじゃん」
道のりは険しそうである。
「とりあえず、文面から察しろ。この後輩は、仕事になんらかの不満を抱いてるんだ。それかミスでもして、上司から説教喰らったのかもしれない。で、そこをどうフォローするかが腕の見せどころだ」
「ほうほう、なるほど。そう言う大季は、どう返事するのよ」
まあ、一理ある。
俺は両手を駆使して模範解答を入力した。
『大丈夫だよ。課長にいろいろ怒られてたみたいだけど、私も新人のときは同じことで怒られてたし。それに、怒られるってことは、期待されてるってことでしょ? だから、同じミスさえしなければいいんだよ。失敗なんて、今のうちにどんどんやった方がいいんだよ~』
「んー、まあ、こんなもんかね」
「お……大人っ! 『てへっ♪』なんて送ってた自分が恥ずかしくなってきたわ……」
姉貴は、スマホの液晶を見つめて苦笑している。
やっと自分の未熟さに気付いたか。
「あとは、相手が困っているってことに瞬時に気付いて適切な対応ができるスキルも、大人には必要不可欠だ」
「そうね」
「というわけで、今後さりげなく、テストをしていこうと思う」
「な、なにかしら……。緊張するわ……」
その日の夕食。
俺が冷奴《ひややっこ》にかける醤油を、わざとらしく「えーっと……」と言いつつ探していると、困っている俺に即座に気付いた姉貴が席を立った。素早い動きでカウンターの方へ向かい、醤油差しを手に戻ってくる。
「お、サンキュー」
夕食後、俺が自分の食器を流しに下げたところで、指の関節をさすりながら「痛いなぁ」と姉貴に聞こえるくらいの声量で呟いていると、姉貴が椅子を引いて立ち上がった。
「大季、指が痛いのね。擦りむいたのかしら。洗いものはわたしがするから、部屋で休んでいなさい?」
「ああ、悪い悪い」
……これ、使えそう。
自室での食休みを終えてから、俺は姉貴の部屋の前で立ち止まる。
「風呂洗ってくる。……あ、いってぇ……」
そして指の擦りむいたとこ痛いアピール(嘘)も忘れない。
姉貴の足音が聞こえ、ドアが開く。
「大季。今日は水仕事は傷に沁《し》みちゃうからやめた方が賢明よ。お姉ちゃんがお風呂洗ってくるから」
「すまんすまん」
素晴らしい気配りじゃないか、姉貴。
風呂が沸いてから、他の面々に許可を取り、一番風呂を頂きに階下へ向かおうと廊下を歩いていたところ、姉貴が部屋から出てきた。
「大季。今日はあまり指を酷使してはいけないわ。だから、わたしが頭と身体、洗ってあげる。今日は一緒にお風呂に入りましょう?」
「いや、いいよ風呂くらい」
「わたしは大季が心配なの。久しぶりに、一緒に入ろ?」
「い……いや、全力で遠慮します」
「いいの、家族に遠慮はなしよ! ほらほら、行くわよ」
やけに強引な姉貴に背中を押され、浴室に着いてしまう。
「お姉ちゃんが服も脱がせてあげるからね」
「ちょ、ちょっ、い、いいから! 大丈夫だって一人で! ごめんなさい、ほんとに大丈夫です!」
気配りにかこつけて姉貴を使ったツケが回ってきたらしい。
危うく、中二にもなって姉貴と風呂に入るハメになるところだった。
〈今日の姉貴の一言〉
「大季ー、大丈夫?」
だからって脱衣場で待機すな。
リビングのソファで夏の高校野球の県大会決勝をテレビで観ていると、なぜか正座して父親のノートパソコンをいじくっていた姉貴が、突然そんなことをほざいた。
やっとまともなことを考えるようになったか。
「まあ確かに。で? 気配りって、例えば?」
俺の問いに、姉貴は目を細めてパソコンの液晶を凝視した。
「そうね。例えば……ええとなになに? ①メールやLINEのやり取りの最後の一文に、相手の体調や身辺のことなどをさりげなく案じる言葉を添える。②相手が疲れていたり落ち込んでいたりしているのを察知し、優しい対応をする……ことかしら!」
「……ってネットに書いてあるんだろ?」
「そそっ、そんなことぉ、ないよぉ~? さ、さては大季、中二にしてすでに精神は大人なのねっ?」
いや。精神以前の問題だったろ、今の。①とか②とか、あなた声に出してましたよ? そのくせドヤ顔してましたよ?
俺はテーブルのスマホを手に取り、今までの姉貴とのLINEのやり取りを振り返ってみた。俺を気遣う言葉、皆無である。
そういうのを自覚しているから、先のようなことを言ったのだろうけど。
「じゃあ姉貴。気配り力を高めるために、これから俺とLINEで練習してみようぜ」
「練習?」
「そうだな、俺が例文として気配りし甲斐のあるメッセージを送るから、いつも通り大人な対応を見せてくれればいい」
皮肉交じりに言うが、子どもな姉貴はそれに気付かない。
「それはいいアイディアね。乗ったわ」
俺はぱっと浮かんだ、難易度低めな文を打ち込んでいく。そして送信。
『先輩。今日は仕事でお疲れなのにごはんに誘って頂き、ありがとうございました。食事中、愚痴ばかり話してしまいましたね、ごめんなさい』
ちょっと易しすぎただろうか。
「これは簡単ねぇ。わたしを甘く見てもらっちゃ困るわ」
さすが。俺は姉貴を見くびっていたみたいだ。
やがて、LINEのメッセージを受信したことを告げる通知音が鳴った。
どれどれと、内容を確認する。
『迷える子猫ちゃんのためなら、私はいつでも相手になるよ。キミの腕枕だってするさ、キミだけの、夜のサンドバッグにだってなるさ。だから次は、レストランではなくて、ベッドで愚痴でも……ね?」
「論外」
「えぇーっ?」
「なんで王子様キャラなんだよ。あとなぜに下ネタ風味」
「その方が大人っぽいじゃないのよぉ」
大人っぽさを履き違えている。ある意味では、俺はやはり、姉貴を甘く見ていた。
「違う返事を考えろ」
「ぶぅーぶぅー」
豚の鳴き真似だかブーイングだかわかりかねる声を発しながらも、指先は滑らかな動きで画面をタッチしていく。
で、送られてきたのがこんなの。
『気にするなってばよ』
「はい少年漫画風味も却下」
「だんだん大人になっていくのに! 一巻から七十二巻までのあの成長を、大季は知らないくせに! 何様よもう!」
「……忍者なのかもな」
「し……知ってるくせにぃ……っ!」
「はい次」
目の端に涙を浮かべながら叫び出したが無視し、次の返答を催促する。
『全然大丈夫。ドラえも○は録画しておいたから。でも野球中継でお休みだったの。てへっ♪』
「後輩にもテレビ欄にも気を配れてねえじゃん」
道のりは険しそうである。
「とりあえず、文面から察しろ。この後輩は、仕事になんらかの不満を抱いてるんだ。それかミスでもして、上司から説教喰らったのかもしれない。で、そこをどうフォローするかが腕の見せどころだ」
「ほうほう、なるほど。そう言う大季は、どう返事するのよ」
まあ、一理ある。
俺は両手を駆使して模範解答を入力した。
『大丈夫だよ。課長にいろいろ怒られてたみたいだけど、私も新人のときは同じことで怒られてたし。それに、怒られるってことは、期待されてるってことでしょ? だから、同じミスさえしなければいいんだよ。失敗なんて、今のうちにどんどんやった方がいいんだよ~』
「んー、まあ、こんなもんかね」
「お……大人っ! 『てへっ♪』なんて送ってた自分が恥ずかしくなってきたわ……」
姉貴は、スマホの液晶を見つめて苦笑している。
やっと自分の未熟さに気付いたか。
「あとは、相手が困っているってことに瞬時に気付いて適切な対応ができるスキルも、大人には必要不可欠だ」
「そうね」
「というわけで、今後さりげなく、テストをしていこうと思う」
「な、なにかしら……。緊張するわ……」
その日の夕食。
俺が冷奴《ひややっこ》にかける醤油を、わざとらしく「えーっと……」と言いつつ探していると、困っている俺に即座に気付いた姉貴が席を立った。素早い動きでカウンターの方へ向かい、醤油差しを手に戻ってくる。
「お、サンキュー」
夕食後、俺が自分の食器を流しに下げたところで、指の関節をさすりながら「痛いなぁ」と姉貴に聞こえるくらいの声量で呟いていると、姉貴が椅子を引いて立ち上がった。
「大季、指が痛いのね。擦りむいたのかしら。洗いものはわたしがするから、部屋で休んでいなさい?」
「ああ、悪い悪い」
……これ、使えそう。
自室での食休みを終えてから、俺は姉貴の部屋の前で立ち止まる。
「風呂洗ってくる。……あ、いってぇ……」
そして指の擦りむいたとこ痛いアピール(嘘)も忘れない。
姉貴の足音が聞こえ、ドアが開く。
「大季。今日は水仕事は傷に沁《し》みちゃうからやめた方が賢明よ。お姉ちゃんがお風呂洗ってくるから」
「すまんすまん」
素晴らしい気配りじゃないか、姉貴。
風呂が沸いてから、他の面々に許可を取り、一番風呂を頂きに階下へ向かおうと廊下を歩いていたところ、姉貴が部屋から出てきた。
「大季。今日はあまり指を酷使してはいけないわ。だから、わたしが頭と身体、洗ってあげる。今日は一緒にお風呂に入りましょう?」
「いや、いいよ風呂くらい」
「わたしは大季が心配なの。久しぶりに、一緒に入ろ?」
「い……いや、全力で遠慮します」
「いいの、家族に遠慮はなしよ! ほらほら、行くわよ」
やけに強引な姉貴に背中を押され、浴室に着いてしまう。
「お姉ちゃんが服も脱がせてあげるからね」
「ちょ、ちょっ、い、いいから! 大丈夫だって一人で! ごめんなさい、ほんとに大丈夫です!」
気配りにかこつけて姉貴を使ったツケが回ってきたらしい。
危うく、中二にもなって姉貴と風呂に入るハメになるところだった。
〈今日の姉貴の一言〉
「大季ー、大丈夫?」
だからって脱衣場で待機すな。
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