30 / 38
第30話 図書室にはいろんな奴がいる。
しおりを挟む
身体が規則正しい生活リズムを忘れ、完全に夏休みモードに切り替わったある日。
俺は、夏休みの学校に来ていた。
夏休みの課題として、読書感想文を書かねばならない。だが、俺には今読む本が手元にない。夏休み前に本を借りておくのを忘れたツケなので、甘んじて受け入れることとし、セミの鳴き声の雨を浴びつつ、人気の少ない学校にやってきたのだ。
図書室前の廊下の壁には図書だよりなるものが掲示されていて、夏休み中の開館日や図書室の使い方が説明されている。そして『こまったちゃんに注意!』という勧告が、怒ったクマのイラストとともに載っていた。
『こまったちゃんに注意!
①借りた数分後に返却
②借りた本を枕に使った挙句、よだれをつける
③借りた本に勝手に直筆のサインをする
④借りた本をブから始まる大型チェーン店に売りに行く
⑤図書室にわざわざグランドピアノを持ち込み、演奏する
⑦図書室で大熱唱、そしてダンス→言語道断!出禁!』
こう書くということは、誰かしらそれらをやった連中がいるってことだ。どうやら、いろんなやつが図書室には来るらしい。まあ、中学生なんてのは、一番馬鹿をしたい時期だもんなあ。ところで⑥がないんだが。
司書の先生も大変だと同情しつつ、『OPEN』というプレートが掛けられたドアを押し開け、中に入る。入学直後のオリエンテーション以来の入室である。
意外にも図書室にはちらほらと人がいて、本を読んだり勉強したりしていた。冷房も適度に効いているし、読書も勉強もはかどりそうだ。
入ってすぐのところに、新刊や課題図書の置かれた平台付きの棚がある。どういう本を読めばいいのか、どういう本が読書感想文に向いているのかわからず、その棚の目についた本を手にとってはパラパラめくっていると、どこからか痛いほどの視線が注がれるのを感じた。はじめは入室してきた俺に対しての、なんというか、『ドアが開いた、誰か来たな、誰あれ、知らない、読書に戻ろう』となるだけの視線かと思ったのだが、そうではなかった。じっと見ている。『ドアが開いた、誰か来たな、あれは保原だ』という視線なんである。
俺はそちらの方へ顔を向けたが、俺の右側にはカウンターがあり、図書委員と思われる女子生徒が貸し出しカードだかの整理をしながらなにかを呟いているだけだった。夏休みまで委員会の仕事とは恐れ入る。
……気のせいか。
また吟味を再開。
が、少しすると再び視線を感じた。しかも、さっきのと同じ、カウンターからのものに違いなかった。
今度は相手の意表を突こうと、軽いフェイントを入れて右を向く。
「……っ」
一瞬、図書委員の生徒と目が合った気がしたが、すぐに逸らされる。
ポニーテールのテール部分で横顔が隠れていて、誰だか判然としない。
このままでは気になるので、俺は適当な本一冊を手にして借りることに決め、カウンターの前に回った。
「すみません」
と小声で話し掛ける。
「は、はい」
女子にしては低めのこもった声が、ぼそっと応じる。
人と話すのは不得手なのだろう、顔を上げはしたが俺の目ではなく、胸元を見ている。
姉貴ほどではないが、年相応には見られない、幼さの残る顔立ちをしている。まだ小学生でも充分通用する。小学四、五年生と言われてもまったく疑われないだろう。
「この本、借りたいんだけど」
「あ、はい」
差し出した本を、彼女は――松川さんは、少し震えた手で受け取る。次に、カウンターの引き出しからカードの詰まったケースを取り出すと、その中から一枚のカードを抜き出した。俺の名前が書かれた貸出カードだった。俺が自分と同じクラスであること、そして俺の名前は覚えてくれてたらしい。
そのカードに本のタイトルと貸出日を、本の後ろの方に挟まっていたカードに俺のクラスやフルネームと貸出日を書いているのを見守っていると、ほんの少しだけ顔を上げた。
「初めて、ですか?」
「ま、まあ。読書感想文の本を休み前に借りてなくて」
「そう……ですか」
と相槌を打ち、また俯く。
ちょっとだけ笑んだように見えたが、たぶん思い違いだ。
「図書委員だったんだ」
「はい……」
「夏休みなのにね」
「本は好きなので、そんなに、嫌ではない……ですけど」
「へぇ」
二枚のカードにハンコを押しながら、またちょっと、顔を上げる。
「えと、本当は、あらかじめ、借りる人が自分で貸出カードに必要事項を書かないといけない……です」
「あ、そうだっけ。次からは気を付けるわ」
「でも……」
俺にカードと本を差し出しながら、松川さんは続けた。
「……今日は、書いてみたかったから……」
「え?」
「あ、いえ……なんでもない、です」
表情の変化に乏しいから、なにを考えているかよくわからない。
首を傾げつつ松川さんを観察する俺の視線に気付いたのか、
「さ、さっさと受け取ってくださいっ」
とつっけんどんに言って俺にカードと本を押し付けるように渡し、回転椅子ごとくるっと後ろを向いてしまった。制服の裾をぎゅっと握りしめている。
「え……」
怒らせたのか俺。自分でカードに書かなかったから? それくらいで?
超絶困惑する俺に背を向けたまま、松川さんはカウンターに手を伸ばして器用に裏紙を掴み、そこになにやら鉛筆で書き始めた。そして、その紙をリレーのバトンよろしくバックパスしてくる。そこには達筆な字で、
『返却期限は2週間です』
と書かれていた。
口で言えよ。なんで急に筆談?
俺が呆れていると、今度は出入り口のドアを指差した。
早く出てけってか!?
意味がわからん。今まででさえなに考えてるかわからないやつだったのに、今日でさらに理解不能度が上昇した。
〈今日の姉貴の一言〉
「あれ、この本大季の? あ、今日借りてきたんだ。……ん? このカードの大季の名前、知らない女の字だわ!」
おまえは俺の嫁かなんかなのか?
俺は、夏休みの学校に来ていた。
夏休みの課題として、読書感想文を書かねばならない。だが、俺には今読む本が手元にない。夏休み前に本を借りておくのを忘れたツケなので、甘んじて受け入れることとし、セミの鳴き声の雨を浴びつつ、人気の少ない学校にやってきたのだ。
図書室前の廊下の壁には図書だよりなるものが掲示されていて、夏休み中の開館日や図書室の使い方が説明されている。そして『こまったちゃんに注意!』という勧告が、怒ったクマのイラストとともに載っていた。
『こまったちゃんに注意!
①借りた数分後に返却
②借りた本を枕に使った挙句、よだれをつける
③借りた本に勝手に直筆のサインをする
④借りた本をブから始まる大型チェーン店に売りに行く
⑤図書室にわざわざグランドピアノを持ち込み、演奏する
⑦図書室で大熱唱、そしてダンス→言語道断!出禁!』
こう書くということは、誰かしらそれらをやった連中がいるってことだ。どうやら、いろんなやつが図書室には来るらしい。まあ、中学生なんてのは、一番馬鹿をしたい時期だもんなあ。ところで⑥がないんだが。
司書の先生も大変だと同情しつつ、『OPEN』というプレートが掛けられたドアを押し開け、中に入る。入学直後のオリエンテーション以来の入室である。
意外にも図書室にはちらほらと人がいて、本を読んだり勉強したりしていた。冷房も適度に効いているし、読書も勉強もはかどりそうだ。
入ってすぐのところに、新刊や課題図書の置かれた平台付きの棚がある。どういう本を読めばいいのか、どういう本が読書感想文に向いているのかわからず、その棚の目についた本を手にとってはパラパラめくっていると、どこからか痛いほどの視線が注がれるのを感じた。はじめは入室してきた俺に対しての、なんというか、『ドアが開いた、誰か来たな、誰あれ、知らない、読書に戻ろう』となるだけの視線かと思ったのだが、そうではなかった。じっと見ている。『ドアが開いた、誰か来たな、あれは保原だ』という視線なんである。
俺はそちらの方へ顔を向けたが、俺の右側にはカウンターがあり、図書委員と思われる女子生徒が貸し出しカードだかの整理をしながらなにかを呟いているだけだった。夏休みまで委員会の仕事とは恐れ入る。
……気のせいか。
また吟味を再開。
が、少しすると再び視線を感じた。しかも、さっきのと同じ、カウンターからのものに違いなかった。
今度は相手の意表を突こうと、軽いフェイントを入れて右を向く。
「……っ」
一瞬、図書委員の生徒と目が合った気がしたが、すぐに逸らされる。
ポニーテールのテール部分で横顔が隠れていて、誰だか判然としない。
このままでは気になるので、俺は適当な本一冊を手にして借りることに決め、カウンターの前に回った。
「すみません」
と小声で話し掛ける。
「は、はい」
女子にしては低めのこもった声が、ぼそっと応じる。
人と話すのは不得手なのだろう、顔を上げはしたが俺の目ではなく、胸元を見ている。
姉貴ほどではないが、年相応には見られない、幼さの残る顔立ちをしている。まだ小学生でも充分通用する。小学四、五年生と言われてもまったく疑われないだろう。
「この本、借りたいんだけど」
「あ、はい」
差し出した本を、彼女は――松川さんは、少し震えた手で受け取る。次に、カウンターの引き出しからカードの詰まったケースを取り出すと、その中から一枚のカードを抜き出した。俺の名前が書かれた貸出カードだった。俺が自分と同じクラスであること、そして俺の名前は覚えてくれてたらしい。
そのカードに本のタイトルと貸出日を、本の後ろの方に挟まっていたカードに俺のクラスやフルネームと貸出日を書いているのを見守っていると、ほんの少しだけ顔を上げた。
「初めて、ですか?」
「ま、まあ。読書感想文の本を休み前に借りてなくて」
「そう……ですか」
と相槌を打ち、また俯く。
ちょっとだけ笑んだように見えたが、たぶん思い違いだ。
「図書委員だったんだ」
「はい……」
「夏休みなのにね」
「本は好きなので、そんなに、嫌ではない……ですけど」
「へぇ」
二枚のカードにハンコを押しながら、またちょっと、顔を上げる。
「えと、本当は、あらかじめ、借りる人が自分で貸出カードに必要事項を書かないといけない……です」
「あ、そうだっけ。次からは気を付けるわ」
「でも……」
俺にカードと本を差し出しながら、松川さんは続けた。
「……今日は、書いてみたかったから……」
「え?」
「あ、いえ……なんでもない、です」
表情の変化に乏しいから、なにを考えているかよくわからない。
首を傾げつつ松川さんを観察する俺の視線に気付いたのか、
「さ、さっさと受け取ってくださいっ」
とつっけんどんに言って俺にカードと本を押し付けるように渡し、回転椅子ごとくるっと後ろを向いてしまった。制服の裾をぎゅっと握りしめている。
「え……」
怒らせたのか俺。自分でカードに書かなかったから? それくらいで?
超絶困惑する俺に背を向けたまま、松川さんはカウンターに手を伸ばして器用に裏紙を掴み、そこになにやら鉛筆で書き始めた。そして、その紙をリレーのバトンよろしくバックパスしてくる。そこには達筆な字で、
『返却期限は2週間です』
と書かれていた。
口で言えよ。なんで急に筆談?
俺が呆れていると、今度は出入り口のドアを指差した。
早く出てけってか!?
意味がわからん。今まででさえなに考えてるかわからないやつだったのに、今日でさらに理解不能度が上昇した。
〈今日の姉貴の一言〉
「あれ、この本大季の? あ、今日借りてきたんだ。……ん? このカードの大季の名前、知らない女の字だわ!」
おまえは俺の嫁かなんかなのか?
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる