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第11話 一度はやってみたいこと。
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「人はね、明日死んじゃうかもしれないんだよ……」
リビングにて。
それまで静かに本を読んでいた姉貴が、突然、しみじみとそう言った。
ソファに寝転がってスマホをいじっていた俺も、思わず液晶から目を離して姉貴を見る。
姉貴は、字の海に目を落としたまま、音もなく泣いていた。透明な雫が、柔らかそうな頬を伝っている。
どうしたんだ、姉貴。
俺が心から心配すると、姉貴はようやく、単行本から顔を上げた。
姉貴が読んでいたのは、最近ちょっと話題になってる本だった。タイトルのインパクトがなかなかすごい。姉貴はその本を読み始めてすぐに、俺がなにも言っていないにもかかわらず、「今度貸すからね」と幾度もなく言ってきていた。おすすめしたいのはわかるが、人から押し付けられて本読むの、嫌なんだよなぁ。
……それにしても。
小柄な姉貴が単行本を持ってると、なんだか、小学生が中学の制服着てるみたいな、ちょっと背伸びしちゃってる感がハンパないな。言ったら自分の身の危険を感じるから言わないけど。
「まあ、近頃は物騒な世の中だからな」
当たり障りのないことを言ったつもりが、姉貴は、むっと俺を睨んできた。潤んだ瞳で睨まれ、ほんのちょっとだけ、変な気持ちになった。
「そういうことじゃないんだってばっ」
姉貴が手元にあったうちわを駆使して、ばしばしと俺の脚を叩いてくる。地味に痛い。
「……いつ死んでもおかしくないって思いながら生きたら、すること全部が輝いて見えると思わない? 行く場所すべてが楽園に思えてこない?」
「あー。言われてみればそんな気がしないでもないでもないでもないでもないでも以下略」
否定すると面倒なことになることは弟としてすでに学んでいたので、適当に流しておく。適当すぎか?
本当のことを言うと俺は、姉貴の言うようには思わない。たとえ近いうちに死ぬことがわかっていたとしても、トイレに行って用を足すことなんかに輝きを感じたりしないし、トイレを楽園なんかに思ったりもしない。
「ということで! これからお姉ちゃんと一緒に、コンビニに行きましょう!」
「なんでそうなる」
ということでって言うの好きねあんた。
「想像の翼を広げて考えるのよ!」
わけわからん発言をするのは、姉貴にはその翼が生えているせいなのだろうか。
「コンビニで死ぬまでにしたいことでもあるの?」
「さすがわたしの弟ね!」
なんでかな、まったく嬉しくないっ!
「まさか、コンビニに行ってサラダのドレッシングだけ買いに行こうとか言うつもりじゃねえだろうな」
一番やめてほしい可能性を口にすると、姉貴は急に目をキラッキラさせた。眩しくて直視できないくらいに。
え、嘘だろおい。
「そのつもりよ!」
「……は?」
「よくわかったわね! 喜んでいいわ、大季、あなたは間違いなく成長しているのよ! さすがわたしの誇れる弟!」
「わーいわーい。まさかの大正解だー。俺は成長してるんだー。大人の階段を上ってるんだー」
全然喜ばしくなかったので、棒読みしてやった。
それでも姉貴は満足げだった。
「で……行くの?」
「もちろん」
◇ ◇ ◇
予防接種とかの注射をするために医者に行くのを拒絶する子どものごとく抵抗するも虚しく、俺は近所のコンビニへと駆り出された。
最近のコンビニの店舗数たるや、目を見張るものがある。コンビニを目にせずにどこかに行くことの方が難しいくらい、コンビニは日に日に増殖している気がする。
「いらっしゃいませー」
姉貴と並んでコンビニに入ると、しっかりと心のこもった挨拶をしてくれた。
これでこそコンビニだよなー、と和んでいる俺とは裏腹に、姉貴は迷わず奥に進んでいく。その細い左腕には、緑色の買い物かごが引っかけられている。ドレッシングだけを買いに来たのになんでだよ。
そして。
「あった、ドレッシングよ!」
なんか騒いでいらっしゃるので、入ってすぐの雑誌コーナーで立読みをして無関係を装おうとしたのに、わざわざ引き返してきて俺の腕を引っ張りやがる姉貴。
実に嬉しそうである。
すると姉貴は、一切の躊躇なく、ドレッシングを一つだけかごに入れ、レジに持って行った。
待つことおよそ十秒。
いたって普通に会計も済み、姉貴がやってきた。会計済みの証であるテープを貼ってもらっただけらしい。
そのまま無言で、姉貴は店を出ていく。俺もそれに続いた。
店の外に出て、自動ドアが閉じたところで、姉貴は言った。
「…………なんの達成感もないわね」
「でしょうね!」
〈今日の姉貴の一言〉
「ドレッシングだけ買ったはいいけど、ドレッシングをかけるサラダがないわ」
でしょうね!
リビングにて。
それまで静かに本を読んでいた姉貴が、突然、しみじみとそう言った。
ソファに寝転がってスマホをいじっていた俺も、思わず液晶から目を離して姉貴を見る。
姉貴は、字の海に目を落としたまま、音もなく泣いていた。透明な雫が、柔らかそうな頬を伝っている。
どうしたんだ、姉貴。
俺が心から心配すると、姉貴はようやく、単行本から顔を上げた。
姉貴が読んでいたのは、最近ちょっと話題になってる本だった。タイトルのインパクトがなかなかすごい。姉貴はその本を読み始めてすぐに、俺がなにも言っていないにもかかわらず、「今度貸すからね」と幾度もなく言ってきていた。おすすめしたいのはわかるが、人から押し付けられて本読むの、嫌なんだよなぁ。
……それにしても。
小柄な姉貴が単行本を持ってると、なんだか、小学生が中学の制服着てるみたいな、ちょっと背伸びしちゃってる感がハンパないな。言ったら自分の身の危険を感じるから言わないけど。
「まあ、近頃は物騒な世の中だからな」
当たり障りのないことを言ったつもりが、姉貴は、むっと俺を睨んできた。潤んだ瞳で睨まれ、ほんのちょっとだけ、変な気持ちになった。
「そういうことじゃないんだってばっ」
姉貴が手元にあったうちわを駆使して、ばしばしと俺の脚を叩いてくる。地味に痛い。
「……いつ死んでもおかしくないって思いながら生きたら、すること全部が輝いて見えると思わない? 行く場所すべてが楽園に思えてこない?」
「あー。言われてみればそんな気がしないでもないでもないでもないでもないでも以下略」
否定すると面倒なことになることは弟としてすでに学んでいたので、適当に流しておく。適当すぎか?
本当のことを言うと俺は、姉貴の言うようには思わない。たとえ近いうちに死ぬことがわかっていたとしても、トイレに行って用を足すことなんかに輝きを感じたりしないし、トイレを楽園なんかに思ったりもしない。
「ということで! これからお姉ちゃんと一緒に、コンビニに行きましょう!」
「なんでそうなる」
ということでって言うの好きねあんた。
「想像の翼を広げて考えるのよ!」
わけわからん発言をするのは、姉貴にはその翼が生えているせいなのだろうか。
「コンビニで死ぬまでにしたいことでもあるの?」
「さすがわたしの弟ね!」
なんでかな、まったく嬉しくないっ!
「まさか、コンビニに行ってサラダのドレッシングだけ買いに行こうとか言うつもりじゃねえだろうな」
一番やめてほしい可能性を口にすると、姉貴は急に目をキラッキラさせた。眩しくて直視できないくらいに。
え、嘘だろおい。
「そのつもりよ!」
「……は?」
「よくわかったわね! 喜んでいいわ、大季、あなたは間違いなく成長しているのよ! さすがわたしの誇れる弟!」
「わーいわーい。まさかの大正解だー。俺は成長してるんだー。大人の階段を上ってるんだー」
全然喜ばしくなかったので、棒読みしてやった。
それでも姉貴は満足げだった。
「で……行くの?」
「もちろん」
◇ ◇ ◇
予防接種とかの注射をするために医者に行くのを拒絶する子どものごとく抵抗するも虚しく、俺は近所のコンビニへと駆り出された。
最近のコンビニの店舗数たるや、目を見張るものがある。コンビニを目にせずにどこかに行くことの方が難しいくらい、コンビニは日に日に増殖している気がする。
「いらっしゃいませー」
姉貴と並んでコンビニに入ると、しっかりと心のこもった挨拶をしてくれた。
これでこそコンビニだよなー、と和んでいる俺とは裏腹に、姉貴は迷わず奥に進んでいく。その細い左腕には、緑色の買い物かごが引っかけられている。ドレッシングだけを買いに来たのになんでだよ。
そして。
「あった、ドレッシングよ!」
なんか騒いでいらっしゃるので、入ってすぐの雑誌コーナーで立読みをして無関係を装おうとしたのに、わざわざ引き返してきて俺の腕を引っ張りやがる姉貴。
実に嬉しそうである。
すると姉貴は、一切の躊躇なく、ドレッシングを一つだけかごに入れ、レジに持って行った。
待つことおよそ十秒。
いたって普通に会計も済み、姉貴がやってきた。会計済みの証であるテープを貼ってもらっただけらしい。
そのまま無言で、姉貴は店を出ていく。俺もそれに続いた。
店の外に出て、自動ドアが閉じたところで、姉貴は言った。
「…………なんの達成感もないわね」
「でしょうね!」
〈今日の姉貴の一言〉
「ドレッシングだけ買ったはいいけど、ドレッシングをかけるサラダがないわ」
でしょうね!
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