私達は結婚したのでもう手遅れです!

椿蛍

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本編

1 春告鳥

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老舗和菓子屋『柳屋やなぎや』はお寺の多い寺町の一角に店を構える歴史ある和菓子屋だ。
竹林やお寺に囲まれた中に店があって、早朝と夕暮れ時には鐘の響く音が聴こえてくる。
そんな風情ある街並みで生まれ育った私、柳屋やなぎや羽花うかはぼんやりしているとか、のんびりしているとか言われている。
たぶん、この町の時間の流れ方がゆっくりなせいだと思う。
今日もいつもと同じ朝がやってきた。
お店で働く私は父をはじめとする職人さん達が作った上生菓子の見本品を飾っていく。
上生菓子は高級品でとても繊細な和菓子。
おいしく食べれる日数も短い。
上生菓子には季節の風物詩を表現したデザインがあり、味だけでなく見た目にも美しい。
そっと見本品の一つであるうぐいすを手のひらの上にのせる。
三月の初旬、桃の節句に合わせたお菓子や蝶や菜の花の練りきりが並ぶ中、二月に発売された鶯はそろそろおしまいになる。
そして、新しく並ぶのは桜、山吹などの鮮やかな色のお菓子達。
花見の時期は桜餅に三色団子、甘しょっぱいみたらし団子に緑が鮮やかなヨモギ団子。
ヨモギ団子にはどっしりとした特製のあんこがのっている。
そして、海苔に巻かれた醤油味の磯辺団子。
花見の時期は桜の名所として知られるお寺への花見客が大勢訪れるから、団子にも力をいれている。
お花見団子を早く食べたい気持ちもあるけれど、あと少しでお別れの鶯だって可愛らしい。
鶯を名残惜しげに見つめた。

「鶯の鳥の顔。なんだかちょっとキョトンとしていて、かわいいよね。抜けてる感じがして……」

「それ、羽花うかちゃんをモデルにしているからな」

工場から現れた職人さんが笑いながら私の隣にやってきて、できたての苺大福を置いた。
人気の苺大福はショーケースの真ん中でその存在感を見せつけている。
女王様のように。
―――でも、私は鶯。

「へ、へぇー。そうなんだー。私もとうとうモデルになるなんてね。わぁーうれしいなー、かわいいなー」

完全に棒読み。
抜けてるとか言わなきゃよかった。
そう思いながら、緑の背中に小さな梅を背負った鶯をそっとケースに並べた。
上生菓子が並ぶと『柳屋』の職人さん達の腕が目に見えてわかって誇らしい気持ちになる。
この小さなお菓子の中に季節を表現する技術。
一目見ただけで季節を感じられるなんてすごいことだ。
だから、私は和菓子の中でも上生菓子が一番好きだった。
でも、他のお菓子より特別だから、ちょっとお値段が高い。
これを買いに来るお客様は茶道の先生か、お寺の関係者か。
そして、いつもの常連さん―――

「いらっしゃいませ」

お客様が入ってきたのが見えて、深々と頭を下げる。
ふんわりと漂う香りは甘すぎないベルガモットの香り。
イタリア製スーツを身につけて色素の薄いさらりとした髪、細身で余計な脂肪がいっさいない引き締まった体。
フレームラインが細いメガネが知的さをアップさせ、涼やかな目元を際立たせている。
超が頭にいくつもつくイケメンな常連さん。
名前は嶋倉しまくら冬悟とうごさんという。
嶋倉建築の社長さんらしい。
さすが、大手建築会社の社長だけあって上品なオーラがにじみ出ている。
うわぁ、今日も素敵。

「こんにちは、羽花うかさん」

「こ、こんにちはっ」

低い声も胸がギューンってなる声。
もうキューンより胸が締め付けられるくらいのレベルだよ!
大人の男の人ってかんじ。
私なんて挨拶だけで頭がぼっーとなってしまう。
はぁー……今日もお美しい。
女の人より綺麗な顔をしてるんじゃないかな?
私が冬悟さんと並ぶと人間とタヌキくらいの差がある。
うん……いいの……見てるだけで幸せだから。

「今日のおすすめはなんでしょう?」

「そうですねぇ。うぐいすなんていかがでしょう。今日は天気も良いですから、窓を開けて召し上がられるといいかと思います」

「鳥の鳴き声を聴きながら?」

「はい。それに鶯は三月までですから、もうじき終わってしまいます」

さすが冬悟さん。
よくお分かりだなぁ。
私の考えなんてお見通しって感じだよね。

「羽花さんらしいですね。それじゃあ、鶯を一つ。それから箱におすすめのお菓子をいつものように詰めていただけますか?」

「はいっ!」

こうして私と会話をしてから、上生菓子を必ず一つ買っていかれる。
それに会社関係の方に差し上げる箱菓子を大量に注文していただけるお得様でもある。
週に何度も足を運んでこうしてうちのお菓子を買ってくれるってことは『柳屋』の大ファンってことよね!
嬉しいなぁ。
クールな外見なのに甘いものがお好きだっていうのもギャップがあって可愛らしく感じる。

「鶯は冬悟さんがお召し上がりになるんですか?」

「そうですよ」

やっぱりそうだった。
上生菓子は見た目も美しいですけど、味もおいしいですよねっ!
同志がちゃんといた。
えへっと笑うと冬悟さんもにこりとほほ笑んだ。
これが和菓子が好きな者同士の以心伝心。
ささやかな幸せを感じつつ、箱に栗の甘露煮が入ったどら焼き、金箔をちょこんとのせた白くて丸い薯蕷饅頭、皮が香ばしい最中―――どれも甘さ控えめで小豆の味を際立たせた『柳屋』自慢の餡が入ったお菓子達。

「できましたっ!どうぞっ!」

皺もヨレもない完璧な包装。
領収書に冬悟さんの名前を書きながら、私が冬悟さんを初めて名前を呼ぶようになったきっかけを思い出して、思わず頬が緩んでしまった。

『なんとお読みする名前ですか?』
『とうご、ですよ』
『素敵な名前ですね』
『そうですか?うか、という名前も素敵ですよ。よかったら、名前でお呼びしても?』
『はいっ!構いませんっ!』
『そうですか。では、私のことも名前で呼んでください』

―――(かなり)美化された私と冬悟さんの回想が頭の中で終わった。
領収書がきっかけで冬悟さんを名前で呼ぶことになったんだよね。
役得とはこのことよ。
お互いを名前で呼んでいるっていうだけで、特別に思うなんて図々しいの百も承知!
でも、私の中ではこんなハイレベルの男の人は芸能人と同じ。
領収書を手渡す幸福感を味わうくらいは許してください。
いつもなら、これで終わりのはずだった。
けれど、今日は違っていた。

「羽花さん。よかったら今度、食事でもどうですか?」

「えっ!?しょ、食事っ!?」

かぁっーと自分の顔が赤くなるのがわかった、
冬悟さんにしてみたら、なんの意味もなく気軽な気持ちで食事に誘っただけのこと。
それなのに意識してどうするのよっー!
私に恋愛経験がないのがバレバレだった。
自慢じゃないけど、私は近所の仏教系女子短大に通っていて、高校も同じ附属の女子高。
男の人に免疫ゼロ。
合コンはもちろん行ったことがないし、友達の誘いもお店の手伝いがあり、都合がつかずお断りするしかなかった。
なぜなら、父は生粋の和菓子職人で経営のほうはさっぱりだったから。
父の妹である衣兎いとおばさんが手伝いに来てくれていたけれど、娘である私が知らん顔しているわけにもいかない。
だから、私は授業がない時はずっと店の手伝いをしていて遊ぶ時間もなかった。
後妻に入った継母はいつの頃か、私に仕事を押し付けて、店の仕事をまったくやらなくなってしまった。
店に出てお客様の相手をしたり、事務の仕事をするのはいつの間にか私がやるようになった。
毎日、店に出ているとはいえ、ただ和菓子の注文を受けるだけ。
そして、洋菓子屋ならともかく、和菓子を求めるお客様に若い方は少ない。
ハッキリ言って、出会いを期待できるような環境じゃない。
だから、男の人に食事に誘われたのはこれが初めて。

「でも、私なんかが、そのぅ……冬悟さんとお食事とか」

「食事もそうですが、私が懇意にしている呉服屋で羽花さんに似合う着物を見つけまして。プレゼントさせていただけませんか?」

「プレゼント!?もしかして私の着物、おかしかったですか!?」

もしやっ!地味すぎた?
店に出る時はいつも着物姿の私。
柄のないシンプルなものを選んでいる。
今日の着物はつむぎ単衣ひとえ珊瑚さんご色の着物で、帯は大きな蝶の柄が入ったものを使っている。
シンプルな着物にはなるべく柄の派手な帯を選ぶようにしているからだけど……変だった?

「いえ。羽花さんの着物姿はいつも素敵ですよ」

私の心を見透かしたかのようにくすりと笑われてしまった。

「羽花さんのお母様から娘が食事や買い物にめったにでかけることがないので、ぜひ誘ってもらえないかと頼まれまして」

「そ、そんなっ、厚かましいことを……」

継母である母はお友達と遊ぶからと言って、いつもどこかへふらりと姿を消してしまう。
真面目で職人気質の父とは正反対。
母が亡くなって、親戚から再婚を勧められた父は私や妹のためだと言って今の母と結婚したけれど、結局は跡継ぎが必要だっただけ。
弟が生まれると跡取りとして育てられたのが弟で私達姉妹はほとんど放置だった。
高校を卒業したばかりの異母弟は今、京都の和菓子屋に修行だされ、妹は私と同じ近所の仏教系短大に通っている。
私と妹は小さい時からずっと店の手伝いをして育った。
店の手伝いをしないと継母がやってきて、私と妹を怠け者だと叱りつけたから。
だから、友達と遊ぶ時間はほとんどなかった。
自由な時間は習い事がある日だけ。
そして、救いは昔からいる職人さん達の存在だった。
職人さん達は私や妹に優しい。
私と妹を自分の子供か孫のように接してくれて、お年玉やお小遣いを継母にバレないようにこっそりくれた。
だから、私は店を手伝うことにはなんの苦痛もないのだけど継母と私の関係はだんだんとあまりよくないものになっていった。
店で継母より私の方がみんなから信頼されているのが気にいらないらしい。
それなら、店の仕事をしてくれたらいいのにと私は思っていたけれど、継母はそんなことは一切考えない。
ただ私の存在を疎ましく感じているだけ。
その継母が冬悟さんにそんなことをお願いしていたなんて、心苦しいばかりだった。

「すみません。冬悟さん。図々しいことをお願いされて気を悪くしましたよね……」

私がそう言うと、冬悟さんは私からの断りの返事だと思ったらしく眉をひそめた。

「私と出かけるのは嫌ですか?」

「冬悟さんが嫌なんてことはありませんっ!」

むしろ、そんな女性がいるのでしょうかと聞き返したいくらいですっ!と心の中で叫んだ。
私の返事に気をよくしたのか、冬悟さんは優雅にほほ笑んだ。

「よかった。それじゃあ、お店がお休みの時にでもいかがですか?次のお休みは?」

「え!?はっ、はいっ!」

頭の中で火山が爆発した。
容量オーバー。
こんなことあっていいの!?
平々凡々な外見の私があんな美しい人の隣を歩く?
黒塗りの車に冬悟さんが乗る姿をボッーと夢心地に見送った。
完全に私は乙女モード。
天にも昇る気持ちとはこのことだ。
でも、次の休みにと言った冬悟さんとのデートは実現しなかった。
思いもよらない事件がデートの前日に起きてしまったから―――
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