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10 恩師
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「いらっしゃい。美知さん」
いつものように先生は快く迎えてくれた。
先生は定年になってから、退職金で海沿いの小さな家を買って、のんびり暮らしている。
猫一匹を同居人にして、争いとは無縁の日々、穏やかで平和な暮らし。
先生が焼いてくれたクッキーの甘い香りが玄関先まで漂っていて、私を癒してくれる優しい空気がいつもここにはあった。
私もいずれは先生のような暮らしができたらと夢見て働いている。
「お邪魔します。美知の彼氏です」
「なっ!?」
「だよね?」
にこっと泉地が笑って、確認したのは『弱みを握ってるんだよ』という意味だと私は察した。
「そ、そうね……」
「まあ! 美知さんの恋人? 名前はなんておっしゃるの?」
「はじめまして。狼谷泉地です」
「狼谷……。そう。狼谷さんね」
先生は私を見て、にっこり微笑んだ。
そして、私と泉地を居間に通して、手作りのクッキーと紅茶を出してくれた。
「先生にこれ、お土産です」
「まあ。ありがとう。ここの焼き菓子はおいしいわよね」
「ここのお店、先生はお好きでしたよね」
私が母のことで苦しんだり、悩んだりしているのに気づいた先生は進路指導室へ呼び、お菓子とお茶を出してくれた。
その時、出てくるお菓子は決まって、この焼き菓子店のものだった。
「ええ。ありがとう」
「先生はお変わりありませんか」
「おかげさまで。美知さんは……」
先生は言いかけて口をつぐんだ。
泉地がいるから、遠慮したのだろうけど―――
「母のことを話していただいても構いません」
母のことを泉地にわかってもらうために一緒に来ることを強く拒まなかった。
話を聞けば、泉地は私から離れるだろうと思っていた。
「美知さん。彼はお母様のことはご存じなのかしら?」
「いいえ。知ってもらおうと思って、連れてきました」
「そういうこと」
ふうっと先生はため息をついた。
「知る必要があることなら、遠慮なく言っていただいて結構です」
泉地は先生を見据えた。
私からではなく、先生からなにもかも聞き出せるのなら、好都合という顔をしていた。
けど、聞いて後悔するのはきっと泉地のほう。
「美知さんのお母様は少し困った考えの方でね。娘である美知さんを手元に置いておきたい気持ちが強い方なの」
「手元に置いて、私をいいように使いたいだけなんですよ。生活費から、家事まで」
「美知さん」
「いいんです。はっきり言ったほうが。私の母は娘にお金をせびる人間だって。学園にもお金を要求したことだって、あるんだから!」
声が震えた。
あれは小学生の頃だった。
『あんたが適合者でラッキーだったわ。毎月お金がもらえるんだもの』
母は私を目の前にして、そう言った。
『玉の輿に乗って、お母さんに楽をさせてね』
学園に入学するまで、嫌というほどその言葉を私に言い聞かせていた。
『学園から家族に対するお金は出ないのかしら』
私が入学した後は政府から支給される金額が減らされ、遊び暮らしていた母は生活が苦しいと言って学園までやって来た。
母に働くという選択肢はなかった。
もちろん、母がやって来ても学園には入れなかったけど、学園の外でマリアステラ学園の外部担当の人が話をしたと後に母から聞いて知った。
「わかった? 泉地。あなたと私は育った環境が違いすぎるの。獣人の中でも将来を期待されている存在なんだから、私じゃなくて自分に見合った相手を探して」
「美知さん」
先生が私の手を握り、優しく名前を呼んだ。
「狼谷さん。気を悪くしないでね、美知さんは相手の獣人に迷惑をかけたくなくて、誰も相手を選ばないことを選択したのよ。何度も話をしたけど、お母様のことがどうしてもね……」
先生は私の考えを尊重してくれたけど、私を守れる獣人なら、どうかしらとも優しく諭してくれた。
けれど、私は母と会う度、無理だと思い知らされ、いつも打ち砕かれてきたのだった。
獣人から逃げ隠れるようにして過ごし、カヴァリエになれずに学生生活を終えた私に母は怒り狂った。
『カヴァリエになれないまま、卒業するなんて、ありえないわ。それなら、私が美知にふさわしい獣人を選んであげるわよ』
適合者を売買することは重罪となることを母は知っているはずだ。
それを堂々と母が宣言したのを聞いた学園側は私が卒業後も学園に残り、学食で働かせてもらえることを特別に許可してくれたのだった。
母のことを聞けば、諦めてくれるだろう。
こんな面倒臭い女、誰が付き合いたいっていうの。
一通り、話し終えると私は静かにうつむいた。
先生以外の人で、母のことを打ち明けるのは初めてだった。
けど、泉地があまりにも私を困らせるからいけないのだ。
一人で生きていくと決めた私を揺さぶるから。
「わかった。事情は理解したよ」
「そう。よかった」
「なんとかするよ」
その泉地の軽い口調にズサッとテーブルにうつ伏せた。
「まあ、頼もしいこと」
「わかってない!? 先生も止めてください!」
「あら、なぜ?」
「そ、それは」
九つ下で高校生なんですと言いたかったけど、言えなかった。
「狼谷さんなら、なんとかできるかもしれないじゃないの。せっかくのご縁よ。ご縁を大事にしなさいな」
先生は泉地ににっこり微笑んだ。
「狼谷さん。美知さんをよろしくお願いいたします。あなたなら、きっと大丈夫ね」
「はい。必ず、幸せにします」
なんなの、その挨拶は。
私を完全に無視して、先生は泉地に深々と頭を下げたのだった。
まるで、花嫁を送り出す母親のように。
いつものように先生は快く迎えてくれた。
先生は定年になってから、退職金で海沿いの小さな家を買って、のんびり暮らしている。
猫一匹を同居人にして、争いとは無縁の日々、穏やかで平和な暮らし。
先生が焼いてくれたクッキーの甘い香りが玄関先まで漂っていて、私を癒してくれる優しい空気がいつもここにはあった。
私もいずれは先生のような暮らしができたらと夢見て働いている。
「お邪魔します。美知の彼氏です」
「なっ!?」
「だよね?」
にこっと泉地が笑って、確認したのは『弱みを握ってるんだよ』という意味だと私は察した。
「そ、そうね……」
「まあ! 美知さんの恋人? 名前はなんておっしゃるの?」
「はじめまして。狼谷泉地です」
「狼谷……。そう。狼谷さんね」
先生は私を見て、にっこり微笑んだ。
そして、私と泉地を居間に通して、手作りのクッキーと紅茶を出してくれた。
「先生にこれ、お土産です」
「まあ。ありがとう。ここの焼き菓子はおいしいわよね」
「ここのお店、先生はお好きでしたよね」
私が母のことで苦しんだり、悩んだりしているのに気づいた先生は進路指導室へ呼び、お菓子とお茶を出してくれた。
その時、出てくるお菓子は決まって、この焼き菓子店のものだった。
「ええ。ありがとう」
「先生はお変わりありませんか」
「おかげさまで。美知さんは……」
先生は言いかけて口をつぐんだ。
泉地がいるから、遠慮したのだろうけど―――
「母のことを話していただいても構いません」
母のことを泉地にわかってもらうために一緒に来ることを強く拒まなかった。
話を聞けば、泉地は私から離れるだろうと思っていた。
「美知さん。彼はお母様のことはご存じなのかしら?」
「いいえ。知ってもらおうと思って、連れてきました」
「そういうこと」
ふうっと先生はため息をついた。
「知る必要があることなら、遠慮なく言っていただいて結構です」
泉地は先生を見据えた。
私からではなく、先生からなにもかも聞き出せるのなら、好都合という顔をしていた。
けど、聞いて後悔するのはきっと泉地のほう。
「美知さんのお母様は少し困った考えの方でね。娘である美知さんを手元に置いておきたい気持ちが強い方なの」
「手元に置いて、私をいいように使いたいだけなんですよ。生活費から、家事まで」
「美知さん」
「いいんです。はっきり言ったほうが。私の母は娘にお金をせびる人間だって。学園にもお金を要求したことだって、あるんだから!」
声が震えた。
あれは小学生の頃だった。
『あんたが適合者でラッキーだったわ。毎月お金がもらえるんだもの』
母は私を目の前にして、そう言った。
『玉の輿に乗って、お母さんに楽をさせてね』
学園に入学するまで、嫌というほどその言葉を私に言い聞かせていた。
『学園から家族に対するお金は出ないのかしら』
私が入学した後は政府から支給される金額が減らされ、遊び暮らしていた母は生活が苦しいと言って学園までやって来た。
母に働くという選択肢はなかった。
もちろん、母がやって来ても学園には入れなかったけど、学園の外でマリアステラ学園の外部担当の人が話をしたと後に母から聞いて知った。
「わかった? 泉地。あなたと私は育った環境が違いすぎるの。獣人の中でも将来を期待されている存在なんだから、私じゃなくて自分に見合った相手を探して」
「美知さん」
先生が私の手を握り、優しく名前を呼んだ。
「狼谷さん。気を悪くしないでね、美知さんは相手の獣人に迷惑をかけたくなくて、誰も相手を選ばないことを選択したのよ。何度も話をしたけど、お母様のことがどうしてもね……」
先生は私の考えを尊重してくれたけど、私を守れる獣人なら、どうかしらとも優しく諭してくれた。
けれど、私は母と会う度、無理だと思い知らされ、いつも打ち砕かれてきたのだった。
獣人から逃げ隠れるようにして過ごし、カヴァリエになれずに学生生活を終えた私に母は怒り狂った。
『カヴァリエになれないまま、卒業するなんて、ありえないわ。それなら、私が美知にふさわしい獣人を選んであげるわよ』
適合者を売買することは重罪となることを母は知っているはずだ。
それを堂々と母が宣言したのを聞いた学園側は私が卒業後も学園に残り、学食で働かせてもらえることを特別に許可してくれたのだった。
母のことを聞けば、諦めてくれるだろう。
こんな面倒臭い女、誰が付き合いたいっていうの。
一通り、話し終えると私は静かにうつむいた。
先生以外の人で、母のことを打ち明けるのは初めてだった。
けど、泉地があまりにも私を困らせるからいけないのだ。
一人で生きていくと決めた私を揺さぶるから。
「わかった。事情は理解したよ」
「そう。よかった」
「なんとかするよ」
その泉地の軽い口調にズサッとテーブルにうつ伏せた。
「まあ、頼もしいこと」
「わかってない!? 先生も止めてください!」
「あら、なぜ?」
「そ、それは」
九つ下で高校生なんですと言いたかったけど、言えなかった。
「狼谷さんなら、なんとかできるかもしれないじゃないの。せっかくのご縁よ。ご縁を大事にしなさいな」
先生は泉地ににっこり微笑んだ。
「狼谷さん。美知さんをよろしくお願いいたします。あなたなら、きっと大丈夫ね」
「はい。必ず、幸せにします」
なんなの、その挨拶は。
私を完全に無視して、先生は泉地に深々と頭を下げたのだった。
まるで、花嫁を送り出す母親のように。
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