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火送り

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 市街はまだ明るさがあったが、すぐにヘッドライトの二本の筋をコントラストとした漆黒の闇が車を包んだ。

 昼間も通った道だが、その時の緑が溢れる爽やかな光景とは全く異なる。

 進行方向の山肌にチロチロと瞬く薄明かりが近付いてくる。

 白い煙状のものも霞のように微かに見え始めた。

 何かを焚いているのは明らかだ。

 そして、炊かれているのは、おそらくオハマ様。

 昼間に神社を訪れた時に見た穴でオハマ様を送る火が焚かれているのだろう。

 山道に入ると暗闇にも濃淡があったのかと思えるほど、周囲は暗くなった。

 タイヤが踏む砂利の音しか物音がしない。

 後部座席に座った明は沈黙に押しつぶされそうになっている。

 未だかつて感じたことがない嫌な沈黙。

 自分の心のせいだとは分かっているが、、、

 運転席にはウェーブの掛かった形良い八尾先輩の後頭部。

 そして、助手席にはサラッと長い髪の後頭部が半分ほど見えている。

 小柄な鏡子のものだ。

 並んだ2人の後頭部を見ていると明の中に何故かザワザワした暗い感情が流れる。

 ホテルの展望浴場で八尾先輩は山の中腹の神社の辺りで炎が上がったような様子に気付いた。

 オハマ様の送り火だろう。

 その秘事を見るために慌ただしく抜け湯舟から立ち上がった八尾先輩は、明に「行こう」と誘った。

 訳はわからなかったが、八尾先輩に誘われて明は嬉しかった。

 慌てて体を拭き、服を身に付ける。

 そして、エレベーターに乗り、一階に向かうと途中階で扉が開いた。

 そこに立っていたのは鏡子だった。

 八尾先輩の後ろに立つ明の姿に明らかに驚く素振りを見せ、続いて、八尾先輩にキツい視線を向ける。

 その視線は普段の穏やかな鏡子からは想像が出来ない咎めるような視線だった。

 八尾先輩は動揺もせず、一言、

「始まったようだ」

 と言った。

 鏡子は何も言わず、エレベーターに乗り込んだ。

 明は鏡子が現れたことに動揺していた。

 そう言えば、脱衣場で八尾先輩が素早くスマホを操作していた。

 おそらくその時に鏡子に呼び出しのメッセージを送ったのだろう。

 鏡子が素早く現れたのは八尾先輩の呼び出しにいつでも応じられるように支度をしていたということだ。

 そして、明もいることに気付いた後の八尾先輩に向けた咎めるような視線。

 “俺、、、おジャマ虫ってことか?”

 八尾先輩に誘われた時、自分が認められたようで昂まった高揚感が急速に萎む。

 八尾先輩について車へ到着した時も、運転する八尾先輩は当然、運転席のドアを開けたが、鏡子は自然に助手席の方の扉を開け、さっさと乗り込んだ。

 必然的に明は後部座席になる。

 そして、皆が無言のまま、車は駐車場を出発し、昼間に通った神社に向かう道へと入った。

 それ以来、沈黙が続いている。

 “誰か、何か喋らないかな、、、”

 例えば、鏡子が明るく“明も一緒なんだぁ”と言ってくれたら、、、

 八尾先輩が、これから向かう神社で行われている秘事の蘊蓄を披露してくれたら、、、

 明自身が何かを話せば良いだけのことであるが、何も思いつかない。

 悶々とした気持ちを抱いていると、目の前にライトに照らされた人工物の色彩が現れるのと同時に、車が音もなく減速した。

 サッとライトが切られるまでの一瞬に見えたのは、工事現場に置かれている真っ赤なコーン、そして黄色と黒のマダラ模様の突っかい棒、そして、立入禁止と大きく描かれた看板。

「ここからは歩いていくしかないか」

 静かな声で八尾先輩が言う。

「行こう」

 3人は車を降り、一塊になる。

 社外に出ると遠く祝詞のような低い声が聞こえてくる。

 八尾先輩が車のダッシュボードから取り出した細いペン型の懐中電灯の灯を頼りに細い道の端を歩き出した。

「ここら辺りには見張りがいないようだけれど、音を立てないように気を付けて、、、」

 八尾先輩が囁くように言う。

 虫の声が異様に大きく響く。

 しばらく山道を登ると繁った木々の隙間から、暖かな明かりが漏れてくるようになり、緊張した面持ちの八尾先輩が懐中電灯の灯を消す。

 パチパチと木が爆ぜる音が聞こえる。

 ペン型のライトが消された。

 前方の木々の間から暗く赤い光が強弱をつけ漏れている。

 おそらくあそこが、神社に通じる階段だろう。

 不意に八尾先輩が明の肩に手を回し、アキラに近づき、耳元で「足元に気をつけて」と囁いた。

 囁き終わると八尾先輩の身体は離れたが、明の肩と耳には八尾先輩の感触が残っていた。

 暗闇で3人は体を寄せ合い、そっと足を進める。

 赤く照らされた石の階段が近づく。

 八尾先輩は身を屈めると、2人にも屈めるように手で合図をした。

 そして、3人は、こっそりと山道を進み、這うように石段を昇り、こっそりと境内を伺う。

 八尾先輩はスマホを、鏡子は細いレコーダーらしきものを境内に向けている。

 境内の様子、、、

 中央から赤い火が立ち上っている。

 それを取り囲む七人の男。

 社を背にして白装束の男が古い巻物を広げ祝詞を読み上げている。

 え?

 その山伏のような格好をした男は、昼間神社に居た気の良さそうなオジサンだった。

 今は昼間のノンビリとした雰囲気はなく、ピリついた気迫に満ちている。

 傍では白装束の若い男が境内に置かれていたオハマ様の張りぼてが乗せられた草で編んだ楕円形の敷物を持ち上げ、火の方に運び投げ入れた。

 祝詞の声が大きくなる。

 祝詞をあげる男の両側に控えた男二人が抱えている壺に手を入れ、中から粉末状のモノを火に投げ入れる。

 バチっ

 爆ぜる音と共に、投げ入れられた粉末が火の粉と変わる。

 焦げた、だが、どこか甘さと気品深さを湛えた香りが明の鼻をくすぐる。

 オハマ様を投げ入れた若者二人は炎に向かい手を合わせて、その反対側に立っていた二人がそちらの後方に置かれたオハマ様の張りぼてに恭しく向かう。

 それを三人は身を潜めて見つめている。

         *

「あれは、異界送りなのでしょうね」

鏡子が言った。

帰りの車中である。

境内での秘事は、粛々と進み、最後のオハマ様が配られると、祝詞の声は収まっていき、火の勢いも弱くなっていった。

頃合いを見た八尾先輩の合図で三人は神社を後にした。

「やはりオハマ様は送らなければならない存在なのだろうな」

ハンドルを握る八尾先輩が言う。

遠い山陵にはうっすらと光が差し始めている。

夏の早い日の出も間近いのだろう。

「祝詞の内容は聞き取れたかい?かなり訛りがあったようだけど」

「あとで、録音を聴き直さないといけないけれど、、、かなり独特で、、、イザナギ、イザナミの2柱の名と天の沼矛、オンゴロという言葉は聞き取れたので、オハマ様は国産みにかかる存在と思われます」

「鎮めを意図した祝詞のように聞こえたが」

「それは間違いはないでしょう。イザナギを讃え、イザナミには平穏を願ってました。録音をしっかりと文字起こししなければ分かりませんが、オハマ様と思しき名は出てきていないように思えます」

「口にしてはいけない忌み名ということか、、、文字起こしは明日以降にして、早くホテルで眠ろう。集合は遅めにしてあるが寝不足は避けたい」

「今日の行き先はそんなに重要ではないんですか?」

「重要かどうかは行ってみなければわからないが、優先順位は低いと考えているが、予断は禁物だからね、、、」

前の席の2人が明の存在を忘れたように会話している。

明の胸は、ザワザワ騒ついている。
























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