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深夜のウンディーネ

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夜、直人はスポーツ施設を見上げることができる公園のベンチで時間を潰している。

施設の窓から電気が消えるのを待っているのだ。

まだ、人がいる間に忍び込むのはまずい。

大通りまで出た後、軽く飲んでいくという沖田と瀬口と別れ、公園に戻ってきたのだ。

テントの方では撤収作業が始まっている。

施設の窓明かりが次々と消えていく。

ポツポツと人影が通用口から出ていく。

そろそろか?

直人はそっと通用口へと近づいていく。

ロックパネルのテンキーを押していく。

簡単な数字、、、4、3、2、1、、、

微かな電子音と共に錠が解除される音がした。

中を伺い、身を滑らすように施設内に入る。

暗い廊下。

足音を忍ばせて進む。

管理室の方を覗くと、受付の窓口にはすでにカーテンが引かれていた。

ということは、警備員さん以外は退館したということだ。

気取られぬように直人は廊下を進みプーサイドにやってくる。

ベンチに座り、百合香の訪れを待つ。

時間が過ぎていく。

非常灯の緑のライトがプールの水面で揺らめいている。

泳いで百合香を待つか、、、

直人は、上着に手をかけサッと脱ぎ捨てる。

手早く裸になると音を立てぬようプールに入る。

頭を水中に沈め、ゆっくりと足を掻く。

足の動きに合わせ水が身体を撫でる。

不思議なことだが、最近、“ヒメ”と似たような淡い感覚が肌膚を撫で始めている。

“ヒメ”ほどの存在感ではなく、うっすらとした感触だけだったが、泡沫のような小さな優しい刺激を感じ始めている。

開放感を感じながら直人は水中をいく。

息継ぎのため水上に顔を出す。

入り口近くに百合香が立っていた。

直人は泳ぐのを止め、プールの中程で立つ。

“幽玄”

そんな使い慣れない言葉がピッタリとハマるような雰囲気を纏い百合香は立っている。

きめ細やかな肌の顔が白く仄暗いプールサイドに浮かんでいる。

百合香がワンピースに手をかける。

ハラリとワンピースが床に落ち、彼女は胸の下着に手をやる。

その時だ。

「ウンディーネッ!」

切迫した太い声がプールに響く。

シャワールームに通じる廊下から沖田が現れた。

続いて瀬口も現れる。

「ウンディーネッ!、、、ようやく会えた、、、俺だ、、、覚えているか?、、、それともお前は違うのか?、、、あぁ、、、そんなこと、どうでもいい、、、ようやく会えたのだから、、、君を探し続けていた、、、後悔している、、、目指していた大会に出られなかったというつまらない理由で水泳を止めたこと、、、まさか、君が消えるとは思ってもなかった、、、お前を探し続けていたんだっ、、、」

振り向いた百合香に向かい沖田が切々と語る。

尋常ではない沖田の様子に直人は水を切り3人のいる方向へ泳いだ。

プールサイドに上がると、グイと腕を引かれ、上半身を抱えられた。

瀬口だ。

「頼む、沖田さんの好きなようにさせてやってくれ」

「え?なんで、2人がここに、、、それにウンディーネって、、、」

「悪いが跡をつけさせて貰った。パスワードは君が話してくれたのを覚えていた」

沖田が手を広げ、百合香に近づく。

抱く気か?

「ちょっ、、、沖田さんっ!何をっ、、、」

直人が叫び、2人の方へ向かおうとするのを瀬口が背後から羽交締めにする。

「瀬口さんっ!離せっ!離せよっ!」

「直人っ、頼む、見守ってやってくれっ!」

「でもっ、、、」

「沖田さんは間も無く亡くなる。末期癌なんだっ!」

ガツンと頭が殴られたようなショックが直人を襲う。

「え?癌?」

「あぁ、辛い延命治療に耐え、最後の気力を振り絞っているんだ。最期の望みはウンディーネ、、、彼が信じた勝利の精霊に再会すること、、、一度はスポーツを捨ててしまった自身の弱さを謝罪すること、、、」

沖田が百合香に近づき、抱擁しかけた途端、、、

百合香の身体の目尻、口、耳、、、穴という穴から水が迸り出た。

吹き出した水は宙で縒り合わさり、百合香の身体の周りに幾本もの螺旋を描く。

「あぁ、、、」

沖田が伸ばした腕に一本の水流が絡む。

フゥッ

全身の力が抜けたように百合香の身体が崩れ落ちる。

瀬口の腕を振り解き、直人は駆け寄り倒れ掛けた百合香の身体を抱き止める。

百合香は意識を無くしていた。

水流は束となり、沖田の腕を絡めたまま、下方がプールの方へ流れるように進んでいく。

沖田は夢見るような表情でプールへと進み、足から水中に入る。

プールの水面がうねり出している。

沖田の進む方角が低く沈み、周囲が高く反り立ちうねる。

“ウンディーネ、、、ウンディーネ、、、”

呟くような沖田の声が水音に混じって聞こえる。

中央に達した沖田を囲むように渦が撒き始める。

目を開き至福の表情を浮かべ沖田が周囲を見回している。

渦が激しくなり、回る水の壁がそそり立ち沖田の身体を隠していく。

「ウンディーネッ、、、許してくれるのか、、、⁈、、、俺を連れて行ってくれるのか、、、⁈、、、」

沖田の叫び声、、、

それと共にそそり上がって水の壁が沖田のいる中心に向かって雪崩落ちる。

プールの水面はウネっている。

その中心から水がドス黒く染まっていくのが見える。

え?

瀬口がプールサイドに駆け寄る。

広がってきたドス黒く見える水に手を浸した。

そして、腕を上げ信じられないような顔で掌を見、そして、直人の方にその掌を向ける。

それは黒ではなく、真紅だった。

血?

直人は水面を見た。

中心から広がったドス黒く染まった水はプールに広がっていく。

水は波立ち、うねる。

そして、次第に色は失せていき、それに連れ水面の波立ちも収まっていく。

そして、最後には、沖田が纏っていた衣服が、主人を失い、フワフワと水中を漂っていた。



















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