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第七章 幻の都
723 野良犬共の戯れ
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「なるほど。お逃げになるのですね」
静かに、冷ややかな声で、ホルスが言った。
「なんだって!」
逆に、メイサーは熱く激高する。
「あなたを迎え入れるために、力を尽くしていたご領主さまから逃げて、今度は、この街や国を救おうとなさっているあの方まで巻き込んで逃げ出そうとしている。逃げ癖がついた者はどこまでも逃げる。冒険者のことわざなのだそうですね」
「訂正しろ! あたしは負けて逃げるんじゃない! くそったれな鎖を嵌め、檻に閉じ込めようとする、尊い御身分とやらを拒否しているだけだ!」
「言い訳ですか? 僕の言葉が図星だったのではありませんか?」
「ぐうっ……」
メイサーは鼻白んだが、この女には珍しく、それ以上吠え掛かることはなかった。
さすがのメイサーも、自分があまりにも身勝手なことを言っているという自覚があったのかもしれない。
「奥方さま。僕は貴女に期待しているのですよ」
「……期待だと?」
「貴女のおっしゃる通り、この国の貴族は腐っているし、なかでもこの街の支配者は酷いものでした。ですが、その愚かさのおかげで自滅して、ホーリーカーン様、今のご領主さまに頼らざるを得なかった。あのお方は、あなたのおっしゃるくそったれな貴族ではありません。ご本人のお言葉によりますと、くそったれな探索者です」
あー、あいつの言いそうなことだな。
ホルスの言葉に思わずニヤついてしまう。
「くそったれな探索者の街の主にあの方ほどふさわしい者はいない。そして、その奥方として、微笑み一つで、探索者を黙らせて来たという貴女ほどふさわしい方はいない」
「言うじゃないか。じゃあ、あんたはふさわしくないと?」
「ええ。僕は、母が全てを奪われ、人としての尊厳を失い、最期には命までも奪われたと、知っていたにも関わらず、それを成した者の靴を舐めて来た者です。一度たりとも、反抗しようともしなかった。そのような者に、世界を変えることは出来ません」
ホルスは淡々と言った。
「たとえ、全く覚えていない相手であったとしても、それは母であり、僕の命の源であった人です。気にしない訳ではありませんでした。ですが、僕は賢い生き方を選んだ。この憐れで愚かな街を救うには、そんな賢さは毒でしかない」
「……悪かったね」
驚いたことに、メイサーは肩を落として涙を流していた。
「なぜ、泣いておいでになるのですか?」
「あたしと兄貴には、ちょっとだけ母さんの思い出があるんだ。何も持たないあんたに酷いことを言っちまった」
「酷い、とは何を指して言われているのかわかりませんが、僕は感謝していますよ。僕には、自分の親について、ただただ冷たくて空虚な記憶しかありませんでした。ですが、あなたが先ほど教えてくださったことで、自分の血について、少なくとも片親のほうは、誇ってもいいのだと思うことが出来ます」
「うん。思いっきり誇りに思うといい」
メイサーがいきなりホルスを抱きしめた。
二人の間はそれなりに離れていたのだが、その空間を、メイサーが一瞬で埋めてしまったのだ。
「ちょ、やめてください! 主さまに見られたら殺されてしまいます!」
「まーまー、いいじゃないか、感謝の印だよ。遠慮せずに」
「ダスター殿、お助けを!」
おっと、話の内容が内容なので、ついつい手出しも口出しも控えていたんだが、確かにこれは、青少年には気の毒だ。それに貞操と命の危機でもある。
「やめろ、メイサー。困ってるだろ? お前、それで何人の未来ある若者の道を誤らせたと思ってるんだ?」
「ただ感謝してるだけじゃないか? ね、ホルスくん」
ホルスは涙目で俺を見ている。
メイサーが頬を押し付けて来るので、うかつに姿勢を変えることが出来ないのだ。
うっかりメイサーのほうに向きなおったら、口づけしてしまったということになりかねないからな。
「ていっ!」
俺はほぼ本気で、メイサーの首筋めがけて手刀を振り下ろす。
だが、手が触れる直前に、くるりと向きを変えたメイサーの腕が、俺の腕を跳ねのけた。
メイサーはホルスを離し、地を這うような姿勢を取る。
彼女の、戦闘スタイルだ。
「へぇ? 腕はなまってないかい?」
「そっちこそ」
俺がじりっとわずかに足を動かした瞬間、しゅるっと、地面を滑るようにメイサーの蹴りが飛んで来る。
低い位置からの攻撃を捌くのは難しいが、幸い、俺は昔のメイサーとの模擬戦で、その対処には慣れていた。
上からの肘の打ちおろしを仕掛けると、変幻自在なメイサーの動きが変化して、片手を突いての、トリッキーなジャンプで上を取って来る。
俺は咄嗟に転がり、そのついでに足を引っ掛けた。
一瞬バランスを失ったメイサーは、体勢を立て直すために下がる。
「へえ、やるじゃないか」
「あんたも相変わらずだな」
「お前等、俺抜きでお楽しみだな!」
いつの間にか扉を開けて入って来たカーンが、腕を組んで俺達を睨んで立っていた。
「領主さま。また逃げ出したんですか? 見張りの役立たずっぷりに涙が出そうです」
ホルスが頭を抱えている。
「お前等ばっかり面白そうなことをやって、俺をのけ者にするからだろうが! よし、ダスター、久しぶりにやろうじゃないか? さっさとメイサーを黙らせてしまえ」
「あん? くそったれのカーン。あたしが負けると決まったようなことを言うんじゃないよ」
「はん。自分でもわかっているくせに。まぁだが、楽しそうだな、我が妻よ」
カーンが妻と言った途端、今まで戦意にギラついていたメイサーの目つきが、とろりと溶けるように柔らかくなった。
「つ、妻だなんて、恥ずかしいからやめて」
「お、おう。いや、きっとりと宣言しておかないとな。悪い虫がつかないとも限らないし」
「そう? じゃあ、もう一回言ってみる?」
「おう、いいぞ。お前は俺の愛しい妻だ」
「そういうことは部屋で二人っきりでやれ!」
いきなりいちゃつき出した二人に思わずツッコんでしまった。
「お恥ずかしいかぎりです」
そしてなぜかホルスが二人に代わって謝るのだった。
静かに、冷ややかな声で、ホルスが言った。
「なんだって!」
逆に、メイサーは熱く激高する。
「あなたを迎え入れるために、力を尽くしていたご領主さまから逃げて、今度は、この街や国を救おうとなさっているあの方まで巻き込んで逃げ出そうとしている。逃げ癖がついた者はどこまでも逃げる。冒険者のことわざなのだそうですね」
「訂正しろ! あたしは負けて逃げるんじゃない! くそったれな鎖を嵌め、檻に閉じ込めようとする、尊い御身分とやらを拒否しているだけだ!」
「言い訳ですか? 僕の言葉が図星だったのではありませんか?」
「ぐうっ……」
メイサーは鼻白んだが、この女には珍しく、それ以上吠え掛かることはなかった。
さすがのメイサーも、自分があまりにも身勝手なことを言っているという自覚があったのかもしれない。
「奥方さま。僕は貴女に期待しているのですよ」
「……期待だと?」
「貴女のおっしゃる通り、この国の貴族は腐っているし、なかでもこの街の支配者は酷いものでした。ですが、その愚かさのおかげで自滅して、ホーリーカーン様、今のご領主さまに頼らざるを得なかった。あのお方は、あなたのおっしゃるくそったれな貴族ではありません。ご本人のお言葉によりますと、くそったれな探索者です」
あー、あいつの言いそうなことだな。
ホルスの言葉に思わずニヤついてしまう。
「くそったれな探索者の街の主にあの方ほどふさわしい者はいない。そして、その奥方として、微笑み一つで、探索者を黙らせて来たという貴女ほどふさわしい方はいない」
「言うじゃないか。じゃあ、あんたはふさわしくないと?」
「ええ。僕は、母が全てを奪われ、人としての尊厳を失い、最期には命までも奪われたと、知っていたにも関わらず、それを成した者の靴を舐めて来た者です。一度たりとも、反抗しようともしなかった。そのような者に、世界を変えることは出来ません」
ホルスは淡々と言った。
「たとえ、全く覚えていない相手であったとしても、それは母であり、僕の命の源であった人です。気にしない訳ではありませんでした。ですが、僕は賢い生き方を選んだ。この憐れで愚かな街を救うには、そんな賢さは毒でしかない」
「……悪かったね」
驚いたことに、メイサーは肩を落として涙を流していた。
「なぜ、泣いておいでになるのですか?」
「あたしと兄貴には、ちょっとだけ母さんの思い出があるんだ。何も持たないあんたに酷いことを言っちまった」
「酷い、とは何を指して言われているのかわかりませんが、僕は感謝していますよ。僕には、自分の親について、ただただ冷たくて空虚な記憶しかありませんでした。ですが、あなたが先ほど教えてくださったことで、自分の血について、少なくとも片親のほうは、誇ってもいいのだと思うことが出来ます」
「うん。思いっきり誇りに思うといい」
メイサーがいきなりホルスを抱きしめた。
二人の間はそれなりに離れていたのだが、その空間を、メイサーが一瞬で埋めてしまったのだ。
「ちょ、やめてください! 主さまに見られたら殺されてしまいます!」
「まーまー、いいじゃないか、感謝の印だよ。遠慮せずに」
「ダスター殿、お助けを!」
おっと、話の内容が内容なので、ついつい手出しも口出しも控えていたんだが、確かにこれは、青少年には気の毒だ。それに貞操と命の危機でもある。
「やめろ、メイサー。困ってるだろ? お前、それで何人の未来ある若者の道を誤らせたと思ってるんだ?」
「ただ感謝してるだけじゃないか? ね、ホルスくん」
ホルスは涙目で俺を見ている。
メイサーが頬を押し付けて来るので、うかつに姿勢を変えることが出来ないのだ。
うっかりメイサーのほうに向きなおったら、口づけしてしまったということになりかねないからな。
「ていっ!」
俺はほぼ本気で、メイサーの首筋めがけて手刀を振り下ろす。
だが、手が触れる直前に、くるりと向きを変えたメイサーの腕が、俺の腕を跳ねのけた。
メイサーはホルスを離し、地を這うような姿勢を取る。
彼女の、戦闘スタイルだ。
「へぇ? 腕はなまってないかい?」
「そっちこそ」
俺がじりっとわずかに足を動かした瞬間、しゅるっと、地面を滑るようにメイサーの蹴りが飛んで来る。
低い位置からの攻撃を捌くのは難しいが、幸い、俺は昔のメイサーとの模擬戦で、その対処には慣れていた。
上からの肘の打ちおろしを仕掛けると、変幻自在なメイサーの動きが変化して、片手を突いての、トリッキーなジャンプで上を取って来る。
俺は咄嗟に転がり、そのついでに足を引っ掛けた。
一瞬バランスを失ったメイサーは、体勢を立て直すために下がる。
「へえ、やるじゃないか」
「あんたも相変わらずだな」
「お前等、俺抜きでお楽しみだな!」
いつの間にか扉を開けて入って来たカーンが、腕を組んで俺達を睨んで立っていた。
「領主さま。また逃げ出したんですか? 見張りの役立たずっぷりに涙が出そうです」
ホルスが頭を抱えている。
「お前等ばっかり面白そうなことをやって、俺をのけ者にするからだろうが! よし、ダスター、久しぶりにやろうじゃないか? さっさとメイサーを黙らせてしまえ」
「あん? くそったれのカーン。あたしが負けると決まったようなことを言うんじゃないよ」
「はん。自分でもわかっているくせに。まぁだが、楽しそうだな、我が妻よ」
カーンが妻と言った途端、今まで戦意にギラついていたメイサーの目つきが、とろりと溶けるように柔らかくなった。
「つ、妻だなんて、恥ずかしいからやめて」
「お、おう。いや、きっとりと宣言しておかないとな。悪い虫がつかないとも限らないし」
「そう? じゃあ、もう一回言ってみる?」
「おう、いいぞ。お前は俺の愛しい妻だ」
「そういうことは部屋で二人っきりでやれ!」
いきなりいちゃつき出した二人に思わずツッコんでしまった。
「お恥ずかしいかぎりです」
そしてなぜかホルスが二人に代わって謝るのだった。
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