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第六章 その祈り、届かなくとも……
545 知者と愚者
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「たとえばだよ。君が身一つで何も持っていなかったとする。何かを手に入れたいときにはどうするかね?」
「労働ですね。田舎のほうでは金銭よりもむしろ労働のほうが喜ばれる場合もあります」
「さすが君は話が早いね。貴族にはそういうことがどうも理解出来ないらしくてね」
「つまりドラゴンにとっては盟約が労働の代わりということですか?」
「確かに不思議なことかもしれない。労働は相手に対して提供するものだが、ドラゴンが世界と取り交わしたという盟約は、何もしないということだ。だが、力関係を考慮に入れてみるとどうだ? もしドラゴンとこの世界の力の差が大人と子どもほどもあるとしたら?」
学者先生の言葉に俺は息を呑んだ。
にわかには受け入れがたい話だ。
「それはつまりドラゴンには神を滅ぼす力があるということですか?」
「仮にそう考えると盟約に価値が出て来る。さっきの君の真似をして人間に言い換えてみると、大人が子どもに対して絶対に殴らないと約束したようなものだ。これなら価値があるだろう?」
「まさか。確かにドラゴンの力は強大ですが、神を世界を滅ぼすほどなど……」
「確かに信じがたい話だ。もしこの考察が真実なら、私たちはまさに薄氷の上に立っていることになる。ドラゴンの気分という薄い安全だ」
「いや、だが、盟約は魂に刻まれる。破ることは出来ないものだ。そうでしょう?」
「そう、かな? これも仮定だが、そもそも盟約という制度をこの世界に持ち込んだのがドラゴンだとしたら? ルールを決めたのは彼らということになる。作ったルールは破ることも出来る」
「先生。それ以上は。……いくらなんでも異端な考えとして排除されてしまいますよ」
俺は慌てて学者先生の言葉を止めた。
今この場には俺だけではなく勇者たちもいるのだ。
荷車の音がうるさく響いているとは言え、体に魔力を通して集中すれば目的の声だけ拾うことも可能であることは俺が一番よく知っている。
勇者が学者先生を告発するということがないにしろ、何かの拍子にこの会話が話題に出るかもしれない。
異端な思想は強い反発を生む。
学者先生のような立場の人にとって、それは致命傷になりかねないのだ。
「いやこれは、少々突飛すぎる考えになってしまったかな? 君に諭されるのは久しぶりだな。懐かしいよ」
学者先生は朗らかに笑う。
実に楽しそうだ。
この人は、知らないことを知ることに生涯を捧げている。
国での立場とか、他人の思惑とか、そういうことが理解出来ないような人ではないが、優先順位では好奇心が一番上に来るのだ。
昔もそれで危うい場面があった。
「先生はほんと、変わりませんね」
はぁと息を吐く。
「いやいや、私だって歳月によって変わったよ。昔よりもずっと消極的になった。昔の私だったらとっくにドラゴンの営巣地に行って、その話を聞いているところだ。……いや、そうか! そうだ、直接聞けば早いな。うむ!」
「簡便してください。俺に案内させるおつもりでしょう? 絶対嫌ですからね。ドラゴンには触れるべきではない。それでいいじゃないですか」
「君は保守的だなぁ。冒険者なんだからもっと冒険心を持たねばならないだろう?」
「自殺志願者じゃないですから」
道中そんな会話をしているうちに、野営の時間となってしまった。
やれやれ、学者先生といると飽きないな。
そんな調子で二日が過ぎ、いつの間にやら学者先生はフォルテや若葉と打ち解けてしまった。
フォルテはともかく若葉のほうの正体は話してないのだが、自明の理だったらしい。
「それでフォルテくんは人間の食事にたいへんな価値があるとそう言うのだね」
「キュルッ、ルルル」
「ガフン」『僕も同意見だ。人間はその感覚が複雑で繊細だ。味覚や嗅覚、触覚などを駆使した料理というものは、万物の理を覆すような技能だよ』
なにか真面目な顔で訳のわからない議論を展開している。
そして学者先生は普通にフォルテや若葉との会話方法を身に着けてしまった。
俺たちのようになぜかわかるという段階ではなく、フォルテや若葉がいかなる方法で人間とコミュニケーションを取っているのかということを解明して、専用の術式を構築して勇者に魔力付与させた魔道具を作ってしまったのだ。
恐るべきは知者である。
「師匠。ザクト師はとんでもない賢者だな」
「今頃わかったのか」
「魔法というのはつまるところ使用する者の感覚頼りのところがある。だが、ザクト師は魔法を使えないのに原理を理解して魔力を使って奇跡を成すための道具を考案してしまった。とてつもない理解力だ」
勇者の感心のしかたはまた独特だが、学者先生を尊敬したようなのでまぁよしとする。
「大聖堂が学者というものを気にしている理由がわかった」
「大聖堂が?」
何やら気になることを言い出した。
「昔、クソ導師が言っていたんだ。およそ知者とされる者たちは我々が管理するべきであると。俺はバカがたわごとを言っていると相手にしなかったがな。そもそも知者という連中は国の庇護下にある。国をよりよく運営する為に王に知恵を貸すのが役割だ。大聖堂は政治に介入しないのが約束。それなのに知者を管理するなどと言い出したらその大原則が揺らいでしまう」
「ああ、あの導師なら言いそうなことだな」
もう亡くなった相手を悪く言うのもなんだが、俺はあの人が嫌いなので、どうしても評価が低くなってしまう。
というか、勇者よ、いくらなんでもクソ導師はやめろ。
人に聞かれたらお前の人格が疑われるぞ。
本質はどうあれ、表面はちゃんと勇者としての憧れられる姿を保っていてくれ。
「労働ですね。田舎のほうでは金銭よりもむしろ労働のほうが喜ばれる場合もあります」
「さすが君は話が早いね。貴族にはそういうことがどうも理解出来ないらしくてね」
「つまりドラゴンにとっては盟約が労働の代わりということですか?」
「確かに不思議なことかもしれない。労働は相手に対して提供するものだが、ドラゴンが世界と取り交わしたという盟約は、何もしないということだ。だが、力関係を考慮に入れてみるとどうだ? もしドラゴンとこの世界の力の差が大人と子どもほどもあるとしたら?」
学者先生の言葉に俺は息を呑んだ。
にわかには受け入れがたい話だ。
「それはつまりドラゴンには神を滅ぼす力があるということですか?」
「仮にそう考えると盟約に価値が出て来る。さっきの君の真似をして人間に言い換えてみると、大人が子どもに対して絶対に殴らないと約束したようなものだ。これなら価値があるだろう?」
「まさか。確かにドラゴンの力は強大ですが、神を世界を滅ぼすほどなど……」
「確かに信じがたい話だ。もしこの考察が真実なら、私たちはまさに薄氷の上に立っていることになる。ドラゴンの気分という薄い安全だ」
「いや、だが、盟約は魂に刻まれる。破ることは出来ないものだ。そうでしょう?」
「そう、かな? これも仮定だが、そもそも盟約という制度をこの世界に持ち込んだのがドラゴンだとしたら? ルールを決めたのは彼らということになる。作ったルールは破ることも出来る」
「先生。それ以上は。……いくらなんでも異端な考えとして排除されてしまいますよ」
俺は慌てて学者先生の言葉を止めた。
今この場には俺だけではなく勇者たちもいるのだ。
荷車の音がうるさく響いているとは言え、体に魔力を通して集中すれば目的の声だけ拾うことも可能であることは俺が一番よく知っている。
勇者が学者先生を告発するということがないにしろ、何かの拍子にこの会話が話題に出るかもしれない。
異端な思想は強い反発を生む。
学者先生のような立場の人にとって、それは致命傷になりかねないのだ。
「いやこれは、少々突飛すぎる考えになってしまったかな? 君に諭されるのは久しぶりだな。懐かしいよ」
学者先生は朗らかに笑う。
実に楽しそうだ。
この人は、知らないことを知ることに生涯を捧げている。
国での立場とか、他人の思惑とか、そういうことが理解出来ないような人ではないが、優先順位では好奇心が一番上に来るのだ。
昔もそれで危うい場面があった。
「先生はほんと、変わりませんね」
はぁと息を吐く。
「いやいや、私だって歳月によって変わったよ。昔よりもずっと消極的になった。昔の私だったらとっくにドラゴンの営巣地に行って、その話を聞いているところだ。……いや、そうか! そうだ、直接聞けば早いな。うむ!」
「簡便してください。俺に案内させるおつもりでしょう? 絶対嫌ですからね。ドラゴンには触れるべきではない。それでいいじゃないですか」
「君は保守的だなぁ。冒険者なんだからもっと冒険心を持たねばならないだろう?」
「自殺志願者じゃないですから」
道中そんな会話をしているうちに、野営の時間となってしまった。
やれやれ、学者先生といると飽きないな。
そんな調子で二日が過ぎ、いつの間にやら学者先生はフォルテや若葉と打ち解けてしまった。
フォルテはともかく若葉のほうの正体は話してないのだが、自明の理だったらしい。
「それでフォルテくんは人間の食事にたいへんな価値があるとそう言うのだね」
「キュルッ、ルルル」
「ガフン」『僕も同意見だ。人間はその感覚が複雑で繊細だ。味覚や嗅覚、触覚などを駆使した料理というものは、万物の理を覆すような技能だよ』
なにか真面目な顔で訳のわからない議論を展開している。
そして学者先生は普通にフォルテや若葉との会話方法を身に着けてしまった。
俺たちのようになぜかわかるという段階ではなく、フォルテや若葉がいかなる方法で人間とコミュニケーションを取っているのかということを解明して、専用の術式を構築して勇者に魔力付与させた魔道具を作ってしまったのだ。
恐るべきは知者である。
「師匠。ザクト師はとんでもない賢者だな」
「今頃わかったのか」
「魔法というのはつまるところ使用する者の感覚頼りのところがある。だが、ザクト師は魔法を使えないのに原理を理解して魔力を使って奇跡を成すための道具を考案してしまった。とてつもない理解力だ」
勇者の感心のしかたはまた独特だが、学者先生を尊敬したようなのでまぁよしとする。
「大聖堂が学者というものを気にしている理由がわかった」
「大聖堂が?」
何やら気になることを言い出した。
「昔、クソ導師が言っていたんだ。およそ知者とされる者たちは我々が管理するべきであると。俺はバカがたわごとを言っていると相手にしなかったがな。そもそも知者という連中は国の庇護下にある。国をよりよく運営する為に王に知恵を貸すのが役割だ。大聖堂は政治に介入しないのが約束。それなのに知者を管理するなどと言い出したらその大原則が揺らいでしまう」
「ああ、あの導師なら言いそうなことだな」
もう亡くなった相手を悪く言うのもなんだが、俺はあの人が嫌いなので、どうしても評価が低くなってしまう。
というか、勇者よ、いくらなんでもクソ導師はやめろ。
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