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第四章 世界の片隅で生きる者たち
232 疲れた心にやすらぎを
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「東……ですか」
聖者さんはため息のような声でそう言った。
「やっぱり東には教会の威光も届かないですよね」
「はい。それどころか、東の国々が滅びれば、信徒の多くの者は『神の裁き』と言うでしょう」
「……つまり、危機を伝えても救おうとする者がいない、と」
「実はここにも東部の国々から逃げて来た者がいます。あそこでは魔力持ちは災いの元として、最悪殺されてしまうのだそうです。そういう話を聞いていれば、魔力の強さを信奉する神の盟約の信徒がその国々を憎むようになるのは当然でしょう」
「あなたも、憎いとお思いですか?」
「いえ、会ったこともない相手を憎むことなど出来ませんわ」
聖者さんはまともな感覚の持ち主のようだった。
しかしあれだな、これはテスタの話を聞いて、導師を嫌っていた俺たちにも通じる話だ。
誰だって親しい者が昔辛い思いをしていたことを知れば、その原因となった相手を憎むまではなくとも嫌うのは当然だろう。
単に教義を拒絶する相手だからという異端者への不審よりも、この身近な者への同情からの拒絶は根が深いと言える。
「どうします?」
正直俺には世界の命運など到底抱えきれない問題だ。
明日世界が滅びる訳でもないのだから、そのときまで普通に暮らして、いざとなったら抗うという冒険者らしい生き方のほうが俺向きと言えるだろう。
なによりも今回の話は聖者さんからの依頼なのだ。
俺が何かを考える必要はない。
「むずかしい問題です。……もし、もしも、勇者さまを東部に行かせるとしたらあなたさまは反対しますか?」
「勇者さまを東に……ですか」
俺はしばし考える。
たとえ東部が魔力持ちを嫌っていたとしても、正式な神の子としての命を受けた勇者を表だってどうこうすることはないだろう。
もしそんなことをすれば西部全体の国との戦いとなる。
西部からしれみればとんでもない遠征になるが、だからといって勇者の報復をためらうとは思えない。
うん。世界がどうこうする前に人類が滅びそうな気がして来たな。
まぁそんな馬鹿な国は存在しないだろう。
そして俺個人としてみれば、勇者に価値観の違う世界を見てもらうことには賛成だ。
あの若い連中には今のうちにたくさんの知識を自分のものとして欲しい。
この先使命だなんだで教会や国から便利に使われる可能性もある。
そんなときに違う価値観の世界を知っていると知らないとでは全く対応が変わってしまうだろう。
「もし勇者さまを東に派遣するおつもりなら、大聖堂の権威を彼に授けてください。神の威光が通じない相手であっても、大きな権力圏を持つ組織として教会は力を持っています。それがあれば早々に害されることもないでしょう」
「用心深いのですね」
「冒険者ですから」
聖者さんはふふっと笑い、暖炉の上にあった小さなベルを振った。
音はしない。
どうも魔道具のようで、どこかに魔力が飛んでいったのが見えた。
「案内の人を呼びました。今夜はありがとうございました。お礼はのちほどさせていただきます」
「本来は先に値段交渉をするものなんですが、まぁ、今回は信用あるご相手ということで、そちらにお任せします。ケチったり、逆に払いすぎたりしないようにしてくださいね」
実際、払いすぎが一番怖い。
金なら別に多くてもいいが、どうも金以外を渡されそうな気がするのだ。
「いいですか、名誉とか祝福とかはいりませんからね」
念を押す。
聖者さんはニコニコ笑いながらうなずいた。
案内の人はやっぱり橋の聖騎士さんだった。
無言で出口まで送ってくれると、そこに世話役のノルフェイデさんがいる。
「もしかしてずっと待っていたんですか?」
「当然ですわ」
この真っ暗な庭にずっと待っていたのか。
ものすごく罪悪感があるぞ。
「お気になさらないでください。この度無理を言ったのは私共のほうです。ダスターさまが気に病まれることは何もありません」
「ですが、男としては女性を暗闇に待たせておくというのはいたたまれないことですよ」
「まぁ、ダスターさまは意外と権威主義なんですね」
「ええっ」
権威とは全く縁がないはずの自分に掛けられた疑いに、俺は思わず顔をしかめる。
「だって、女性を守るべき者とお思いなのでしょう? ここでは男性も女性も同じように扱われるのですよ」
「なるほど。そう言われると俺は権威主義だったかもしれないな」
俺がそう言うと、ノルフェイデさんはしばし俺の顔を見つめてくすっと笑った。
「違いましたね。ダスターさまはおやさしいのです」
「……はぁ」
これはからかわれているんだろうなと思いながら、短い馬車の時間を終え、部屋に無事に戻ったのだった。
戻ってしばらくすると、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
相手が誰であるかは、扉の外にいる段階でわかっていた。
馴染みの魔力だ。
「ダスター。大丈夫だった?」
するりと扉を開けて部屋に入って来たメルリルは、不安そうに俺を見る。
「ああ。いや、本音を言わせてもらうと、すごく疲れた」
俺がそう言うと、メルリルはすっと歩み寄って来て、ソファーに寄りかかって座っている俺の隣に座り、そっと俺の頭に手を触れた。
「抱きしめてもいい?」
「へっ!」
いきなりの言葉に俺は少し後ずさる。
なぜか頭の上にいたフォルテが飛び立ち、やわらかそうなベッドの上で丸くなった。
「駄目?」
「い、いや、駄目も何も、その、今は夜中で、メルリルは女性で……」
我ながらしどろもどろである。
「少しだけ。お願い」
「う、ぬ」
好きな女性にお願いされて断れる男がいるだろうか?
俺は先程の混乱をやや残した頭で、ぐるぐると考えを巡らせたが、何も思い浮かばず、ただ、無言でうなずいた。
メルリルは花が咲くような笑顔を見せると、俺の頭を抱え込み、自分の胸に抱き寄せる。
……やわらかく、そして温かい。
トクン、トクンと、命の響きが伝わって来た。
自分の家以外では決して完全に眠ることのないはずの俺の意識が、ゆっくりとその温かさのなかに沈んで行くのを不思議な心地よさと供に感じたのだった。
聖者さんはため息のような声でそう言った。
「やっぱり東には教会の威光も届かないですよね」
「はい。それどころか、東の国々が滅びれば、信徒の多くの者は『神の裁き』と言うでしょう」
「……つまり、危機を伝えても救おうとする者がいない、と」
「実はここにも東部の国々から逃げて来た者がいます。あそこでは魔力持ちは災いの元として、最悪殺されてしまうのだそうです。そういう話を聞いていれば、魔力の強さを信奉する神の盟約の信徒がその国々を憎むようになるのは当然でしょう」
「あなたも、憎いとお思いですか?」
「いえ、会ったこともない相手を憎むことなど出来ませんわ」
聖者さんはまともな感覚の持ち主のようだった。
しかしあれだな、これはテスタの話を聞いて、導師を嫌っていた俺たちにも通じる話だ。
誰だって親しい者が昔辛い思いをしていたことを知れば、その原因となった相手を憎むまではなくとも嫌うのは当然だろう。
単に教義を拒絶する相手だからという異端者への不審よりも、この身近な者への同情からの拒絶は根が深いと言える。
「どうします?」
正直俺には世界の命運など到底抱えきれない問題だ。
明日世界が滅びる訳でもないのだから、そのときまで普通に暮らして、いざとなったら抗うという冒険者らしい生き方のほうが俺向きと言えるだろう。
なによりも今回の話は聖者さんからの依頼なのだ。
俺が何かを考える必要はない。
「むずかしい問題です。……もし、もしも、勇者さまを東部に行かせるとしたらあなたさまは反対しますか?」
「勇者さまを東に……ですか」
俺はしばし考える。
たとえ東部が魔力持ちを嫌っていたとしても、正式な神の子としての命を受けた勇者を表だってどうこうすることはないだろう。
もしそんなことをすれば西部全体の国との戦いとなる。
西部からしれみればとんでもない遠征になるが、だからといって勇者の報復をためらうとは思えない。
うん。世界がどうこうする前に人類が滅びそうな気がして来たな。
まぁそんな馬鹿な国は存在しないだろう。
そして俺個人としてみれば、勇者に価値観の違う世界を見てもらうことには賛成だ。
あの若い連中には今のうちにたくさんの知識を自分のものとして欲しい。
この先使命だなんだで教会や国から便利に使われる可能性もある。
そんなときに違う価値観の世界を知っていると知らないとでは全く対応が変わってしまうだろう。
「もし勇者さまを東に派遣するおつもりなら、大聖堂の権威を彼に授けてください。神の威光が通じない相手であっても、大きな権力圏を持つ組織として教会は力を持っています。それがあれば早々に害されることもないでしょう」
「用心深いのですね」
「冒険者ですから」
聖者さんはふふっと笑い、暖炉の上にあった小さなベルを振った。
音はしない。
どうも魔道具のようで、どこかに魔力が飛んでいったのが見えた。
「案内の人を呼びました。今夜はありがとうございました。お礼はのちほどさせていただきます」
「本来は先に値段交渉をするものなんですが、まぁ、今回は信用あるご相手ということで、そちらにお任せします。ケチったり、逆に払いすぎたりしないようにしてくださいね」
実際、払いすぎが一番怖い。
金なら別に多くてもいいが、どうも金以外を渡されそうな気がするのだ。
「いいですか、名誉とか祝福とかはいりませんからね」
念を押す。
聖者さんはニコニコ笑いながらうなずいた。
案内の人はやっぱり橋の聖騎士さんだった。
無言で出口まで送ってくれると、そこに世話役のノルフェイデさんがいる。
「もしかしてずっと待っていたんですか?」
「当然ですわ」
この真っ暗な庭にずっと待っていたのか。
ものすごく罪悪感があるぞ。
「お気になさらないでください。この度無理を言ったのは私共のほうです。ダスターさまが気に病まれることは何もありません」
「ですが、男としては女性を暗闇に待たせておくというのはいたたまれないことですよ」
「まぁ、ダスターさまは意外と権威主義なんですね」
「ええっ」
権威とは全く縁がないはずの自分に掛けられた疑いに、俺は思わず顔をしかめる。
「だって、女性を守るべき者とお思いなのでしょう? ここでは男性も女性も同じように扱われるのですよ」
「なるほど。そう言われると俺は権威主義だったかもしれないな」
俺がそう言うと、ノルフェイデさんはしばし俺の顔を見つめてくすっと笑った。
「違いましたね。ダスターさまはおやさしいのです」
「……はぁ」
これはからかわれているんだろうなと思いながら、短い馬車の時間を終え、部屋に無事に戻ったのだった。
戻ってしばらくすると、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
相手が誰であるかは、扉の外にいる段階でわかっていた。
馴染みの魔力だ。
「ダスター。大丈夫だった?」
するりと扉を開けて部屋に入って来たメルリルは、不安そうに俺を見る。
「ああ。いや、本音を言わせてもらうと、すごく疲れた」
俺がそう言うと、メルリルはすっと歩み寄って来て、ソファーに寄りかかって座っている俺の隣に座り、そっと俺の頭に手を触れた。
「抱きしめてもいい?」
「へっ!」
いきなりの言葉に俺は少し後ずさる。
なぜか頭の上にいたフォルテが飛び立ち、やわらかそうなベッドの上で丸くなった。
「駄目?」
「い、いや、駄目も何も、その、今は夜中で、メルリルは女性で……」
我ながらしどろもどろである。
「少しだけ。お願い」
「う、ぬ」
好きな女性にお願いされて断れる男がいるだろうか?
俺は先程の混乱をやや残した頭で、ぐるぐると考えを巡らせたが、何も思い浮かばず、ただ、無言でうなずいた。
メルリルは花が咲くような笑顔を見せると、俺の頭を抱え込み、自分の胸に抱き寄せる。
……やわらかく、そして温かい。
トクン、トクンと、命の響きが伝わって来た。
自分の家以外では決して完全に眠ることのないはずの俺の意識が、ゆっくりとその温かさのなかに沈んで行くのを不思議な心地よさと供に感じたのだった。
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