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第四章 世界の片隅で生きる者たち
233 神託の間へ
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ふと気づく。
窓の隙間から光が漏れ出ていて、少し明るい。
空気が、ひんやりとしている。
「……朝、か」
驚愕だった。
たとえどれほど安全な宿であっても、自分で定めた安全地帯以外では完全に眠ることがないはずの俺が、どうやら眠り込んでいたらしい。
頭を上げると、自然に上がった視線の先にメルリルの姿があった。
ソファーに座っているうちに眠ってしまったという感じの状態だ。
俺の頭はその膝の上にあった。
「これはあれかな、子どもに戻るという奴かな」
花街の女たちの言うことには、男というものは、赤子に戻って母の胸に抱かれたいという願望を多かれ少なかれ誰もが持っているとのことだった。
実の母に大した親しみを感じていなかった俺は、その話には懐疑的だったが、こうなるとあの、酸いも甘いも噛み分けた女たちの言葉が真実だったのかもしれない。
俺は大きく息を吐くと、まだ目覚めないメルリルにマントか掛けてやり、そっと離れた。
窓を開けて光と外気を入れる。
酒を飲みたい気分だったが、朝っぱらからそういう訳にもいかなかった。
「ピュイ!」
「お前、一人でベッドを使ってご機嫌だな」
「ピッ、ピッ」
目覚めて早々何か食わせろと催促して来るデカイ鳥に荷物から漁った干し豆を取り出して与えた。
「茶でも飲むか」
備え付けのストーブの熾火を灰から起こし、焚付を入れて火を作っていく。
湯が沸く頃にメルリルが目を覚ました。
「あ!」
「ん?」
何やら驚いたような声を上げるメルリルを調理場から覗いてみると、ばっちりと目が合う。
「おはよう」
『あ、あの、優しい日差しが穏やかな一日の始まりを告げていますね。いい朝を』
故郷の夢でも見ていたのだろうか? 珍しくメルリルは森人の言葉で挨拶を返して来た。
そして、はっとしたように自分の口を押さえると、真っ赤になって耳を上下に激しく動かし始める。
よくよく見ると、背もたれの部分の尻尾もばっさばっさと動いていた。
「わ、わたし、ダスターの部屋でひと晩……」
「ああ、ありがとう。正直、昨夜は気分が最悪だったからな。メルリルが抱きしめてくれたおかげで立て直せた」
「へ? あ、役に立てたなら。うれしい」
尻尾の動きが大きくなる。
機嫌がいいようでなによりだ。
「お茶、飲むか?」
「あ、うん。いただきます。ええっと、少し冷える朝はすっぱみのあるお茶、だよね」
「よく出来ました」
メルリルと自分のカップを持って部屋の真ん中にあるテーブルに置いた。
メルリルはソファーに座ったままそのお茶を飲む。
「あたたかい。それにすっきりする」
「もう初夏だっていうのに朝方は冷えるな。さすがは大陸最北ということか」
「こんなに遠くまで来ることがあるなんて、森にいるときには思わなかったな」
「……やっぱりさびしいか?」
俺の言葉にメルリルは目をパチクリとさせて、ふと微笑んだ。
「ううん。今はさびしくない」
「そうか」
「うん」
二人共しばし無言で茶をすする、ただそれだけの無言の時間が過ぎていった。不思議と心地いい沈黙だ。
「そう言えば、メルリル」
「うん?」
「昨日、聖者さまから……」
昨日メルリルが聖者さんから何か貰っていたことについて尋ねようと思っていたそのとき、扉が強く叩かれた。
「師匠! 朝の鍛錬!」
宿泊房の俺たちの部屋には大聖堂の者は近づかないように頼んでいるとは言え、大声で師匠呼びはないだろうに。
落ち着いた気持ちが再び急降下するのを感じながら、なんだかんだで真面目に鍛錬を行う勇者たちのために腰を上げたのだった。
―― ◇ ◇ ◇ ――
その発表があったのは朝食の後だった。
世話役のノルフェイデさんが訪れて、緊急に聖者さまの神託の儀があるので、ご神託の間に全員集まるようにとのことのようだ。
全員というのは客人である俺たちも例外ではないらしい。
俺たちは奥まった宿泊房から、入口に最も近い建物である大聖堂に移動した。
敷地内で一番大きくて立派な建物である大聖堂は、そのままこの場所全体の名前にもなっている。
ご神託の間というのは、その大聖堂の一番広いホールらしい。
何千人もが生活しているこの地の全員を集めることが出来る場所だ。とんでもない広さだった。
「でかい柱だなぁ」
今更ながら大聖堂の造りに驚きを感じる。
普通の来訪者はこの大聖堂を真っ先に訪ねることとなるので、俺の驚きの順番としては、ある意味逆ルートを辿ったことになるのだろうか。
先に本神殿と神の盟約を見てしまってからこっちを目にすると、ガワの立派さに比べて、中身の空っぽさを感じる。
とは言え、それは鑑賞に耐えないという意味ではない。
まるで巨人の石工が作ったかのような巨大な石材によって組み上げられている大聖堂は、天井に色硝子を使って光を取り入れ、石造りの建物とは思えないように明るかった。
どれほどの技術と労力があれば、こんな建物を造れるのか、想像も出来ない。
ホールには大勢の人々が、それぞれのグループを作ってまとまっていた。
俺たちはこっそりと大きな柱の影に身を潜める。
「勇者さま、どうぞこちらへ」
あの橋の聖騎士とは違う大聖堂の聖騎士がゆっくりと近づいて来てそう告げた。
威圧感のないやわらかな物腰と、穏やかな声音のせいで、明らかに強者である雰囲気が緩和され、なんとなく親しみを感じさせる聖騎士だ。
片腕がないところを見ると、かの有名な隻腕の聖騎士さまだろう。
勇者は最初、抵抗したが、膝をついて頼み込む隻腕の聖騎士についに折れて、前のほうへと連れて行かれた。
勇者の聖騎士であるクルスと、聖女ミュリア、モンクのテスタも一緒に行く。
「わたしたちは行かなくても大丈夫?」
メルリルが、勇者のすがるような目を気にして俺に尋ねる。
「俺たちは従者だぞ。場違いだよ」
事実を端的に答えて、さらに目立たない場所を探して移動した。
俺は俺の仕事をしたのだ。勇者は勇者の仕事をするべきだろう。
暇をもてあまして頭の上から額をつつくフォルテをなでてやりながら、俺はそう心のなかで思ったのだった。
窓の隙間から光が漏れ出ていて、少し明るい。
空気が、ひんやりとしている。
「……朝、か」
驚愕だった。
たとえどれほど安全な宿であっても、自分で定めた安全地帯以外では完全に眠ることがないはずの俺が、どうやら眠り込んでいたらしい。
頭を上げると、自然に上がった視線の先にメルリルの姿があった。
ソファーに座っているうちに眠ってしまったという感じの状態だ。
俺の頭はその膝の上にあった。
「これはあれかな、子どもに戻るという奴かな」
花街の女たちの言うことには、男というものは、赤子に戻って母の胸に抱かれたいという願望を多かれ少なかれ誰もが持っているとのことだった。
実の母に大した親しみを感じていなかった俺は、その話には懐疑的だったが、こうなるとあの、酸いも甘いも噛み分けた女たちの言葉が真実だったのかもしれない。
俺は大きく息を吐くと、まだ目覚めないメルリルにマントか掛けてやり、そっと離れた。
窓を開けて光と外気を入れる。
酒を飲みたい気分だったが、朝っぱらからそういう訳にもいかなかった。
「ピュイ!」
「お前、一人でベッドを使ってご機嫌だな」
「ピッ、ピッ」
目覚めて早々何か食わせろと催促して来るデカイ鳥に荷物から漁った干し豆を取り出して与えた。
「茶でも飲むか」
備え付けのストーブの熾火を灰から起こし、焚付を入れて火を作っていく。
湯が沸く頃にメルリルが目を覚ました。
「あ!」
「ん?」
何やら驚いたような声を上げるメルリルを調理場から覗いてみると、ばっちりと目が合う。
「おはよう」
『あ、あの、優しい日差しが穏やかな一日の始まりを告げていますね。いい朝を』
故郷の夢でも見ていたのだろうか? 珍しくメルリルは森人の言葉で挨拶を返して来た。
そして、はっとしたように自分の口を押さえると、真っ赤になって耳を上下に激しく動かし始める。
よくよく見ると、背もたれの部分の尻尾もばっさばっさと動いていた。
「わ、わたし、ダスターの部屋でひと晩……」
「ああ、ありがとう。正直、昨夜は気分が最悪だったからな。メルリルが抱きしめてくれたおかげで立て直せた」
「へ? あ、役に立てたなら。うれしい」
尻尾の動きが大きくなる。
機嫌がいいようでなによりだ。
「お茶、飲むか?」
「あ、うん。いただきます。ええっと、少し冷える朝はすっぱみのあるお茶、だよね」
「よく出来ました」
メルリルと自分のカップを持って部屋の真ん中にあるテーブルに置いた。
メルリルはソファーに座ったままそのお茶を飲む。
「あたたかい。それにすっきりする」
「もう初夏だっていうのに朝方は冷えるな。さすがは大陸最北ということか」
「こんなに遠くまで来ることがあるなんて、森にいるときには思わなかったな」
「……やっぱりさびしいか?」
俺の言葉にメルリルは目をパチクリとさせて、ふと微笑んだ。
「ううん。今はさびしくない」
「そうか」
「うん」
二人共しばし無言で茶をすする、ただそれだけの無言の時間が過ぎていった。不思議と心地いい沈黙だ。
「そう言えば、メルリル」
「うん?」
「昨日、聖者さまから……」
昨日メルリルが聖者さんから何か貰っていたことについて尋ねようと思っていたそのとき、扉が強く叩かれた。
「師匠! 朝の鍛錬!」
宿泊房の俺たちの部屋には大聖堂の者は近づかないように頼んでいるとは言え、大声で師匠呼びはないだろうに。
落ち着いた気持ちが再び急降下するのを感じながら、なんだかんだで真面目に鍛錬を行う勇者たちのために腰を上げたのだった。
―― ◇ ◇ ◇ ――
その発表があったのは朝食の後だった。
世話役のノルフェイデさんが訪れて、緊急に聖者さまの神託の儀があるので、ご神託の間に全員集まるようにとのことのようだ。
全員というのは客人である俺たちも例外ではないらしい。
俺たちは奥まった宿泊房から、入口に最も近い建物である大聖堂に移動した。
敷地内で一番大きくて立派な建物である大聖堂は、そのままこの場所全体の名前にもなっている。
ご神託の間というのは、その大聖堂の一番広いホールらしい。
何千人もが生活しているこの地の全員を集めることが出来る場所だ。とんでもない広さだった。
「でかい柱だなぁ」
今更ながら大聖堂の造りに驚きを感じる。
普通の来訪者はこの大聖堂を真っ先に訪ねることとなるので、俺の驚きの順番としては、ある意味逆ルートを辿ったことになるのだろうか。
先に本神殿と神の盟約を見てしまってからこっちを目にすると、ガワの立派さに比べて、中身の空っぽさを感じる。
とは言え、それは鑑賞に耐えないという意味ではない。
まるで巨人の石工が作ったかのような巨大な石材によって組み上げられている大聖堂は、天井に色硝子を使って光を取り入れ、石造りの建物とは思えないように明るかった。
どれほどの技術と労力があれば、こんな建物を造れるのか、想像も出来ない。
ホールには大勢の人々が、それぞれのグループを作ってまとまっていた。
俺たちはこっそりと大きな柱の影に身を潜める。
「勇者さま、どうぞこちらへ」
あの橋の聖騎士とは違う大聖堂の聖騎士がゆっくりと近づいて来てそう告げた。
威圧感のないやわらかな物腰と、穏やかな声音のせいで、明らかに強者である雰囲気が緩和され、なんとなく親しみを感じさせる聖騎士だ。
片腕がないところを見ると、かの有名な隻腕の聖騎士さまだろう。
勇者は最初、抵抗したが、膝をついて頼み込む隻腕の聖騎士についに折れて、前のほうへと連れて行かれた。
勇者の聖騎士であるクルスと、聖女ミュリア、モンクのテスタも一緒に行く。
「わたしたちは行かなくても大丈夫?」
メルリルが、勇者のすがるような目を気にして俺に尋ねる。
「俺たちは従者だぞ。場違いだよ」
事実を端的に答えて、さらに目立たない場所を探して移動した。
俺は俺の仕事をしたのだ。勇者は勇者の仕事をするべきだろう。
暇をもてあまして頭の上から額をつつくフォルテをなでてやりながら、俺はそう心のなかで思ったのだった。
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