精霊の御子

神泉朱之介

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20話

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「わたくしどもは、阿琉御羅アルオラ 王の命を賜ってまいりました。
 王には、是非とも 根威座ネイザ に恭順の意を表したく、亜苦施渡瑠アクセドル 陛下にご寛恕を請いたてまつりたい由。どうか、我らの忠誠をお受け取り下さい」
 阿琉御羅アルオラ から来た使者は、震える声で王の言葉を言上した。
「寛恕、とな?」
 魔皇帝は、長く爪を伸ばした優美な指で赤い髪を絡めてもてあそび、興味深げに微笑んだ。
「寛恕と言い、忠誠と言う。
 このわたしに浮遊大陸の者が言う言葉とも思えぬな。
 わたしの知るところによると、九大陸の王家は盟約を結んでいるという。
 その盟約では、この 根威座ネイザ を敵とし、協力して 根威座ネイザ に対しての防衛にあたることになっているという。もっとも、今、その連合に残るは七つの大陸のみだが。那波ナバ と 宇摩琉場ウマルバ は我が手に堕ちたからな。
 しかし、二つの大陸がその盟約から脱落したからといって、浮遊大陸の王家の間での連合が解消された、という話は聞かぬが?」
「……陛下」
「そうか。裏切り、か」
 魔皇帝は、にんまりと笑う。
阿琉御羅アルオラ は、他の大陸王家を裏切って、我が旗のもとに馳せ参じたい、と、こう申すわけだな?」
「その通りにございます」
 屈辱に身を震わせながら、阿琉御羅アルオラ の使者は答える。
 言葉を飾ったところで、実際のところ魔皇帝の言う通りであるのだから、仕方がない。
「そういうことか。
 ……で?」
 魔皇帝は上機嫌に先をうながした。
阿琉御羅アルオラ の王は、わたしがそなたらの恭順を許せば、何をよこす、というのだ?」
阿琉御羅アルオラ は、九大陸連合から抜けます。そうすれば、藍絽野眞アイロノマ を中心とした現在の連合体制は大きく揺らぐことになりましょう。
 我々はただ、王家の存続と 阿琉御羅アルオラ の民の安寧を保証していただけますなら」
「足りぬな」
 冷然と、魔皇帝は答えた。
「何も、阿琉御羅アルオラ が盟約から抜け出ずとも、おのずと連合は崩れよう。そなたらのように、こうして自ら我が方に恭順を求めようとする者が出てきていること自体、すでに九大陸の絆に亀裂が入っていることを示している。そうであろう?
 自ら落ちてこようとする果実を手にするのに、何故、わざわざ代価を払わねばならぬ?
 そなたがわたしなら、そう考えるとは思わぬのか、そなた?」
 阿琉御羅アルオラ の使者は、毒の果実でも食らわされたかのように、息を飲んで一瞬、押し黙る。
「それでは……それでは、恭順は適わぬ、と?」
 死を覚悟して来てはいるのだろう、しかしそれでも、使者の顔色は蒼ざめて土気色になった。
 魔皇帝は、ちら、と笑う。
「そうは言わぬ」
 安心させるように、その声に優しげな響きが混じる。
「ただ、足らぬ、と言っているだけだ」
「それでは、いかにすれば?
 我が王はまだ若く、世継ぎたる子を設けておりませぬ。人質として差し出せるのは、王の生母たる王后陛下しかおられず……」
「人質にも飽いたな。まぁ、どうしても差し出したい、というのなら受け取っても良いが。
 そうだ、こうしよう。
 そなたらの忠誠とやらも示せる、絶好の機会になるし、な」
 魔皇帝のオレンジ色の光を放つ双眸に、危険な色合いが走る。
「近く、わたしは出陣する。
 根威座ネイザ の軍を率いて、九大陸連合の軍を完膚無きまでに叩くために、な。
 その時に、阿琉御羅アルオラ の軍が後方より援護してくれれば、大分、助かると思うのだが……どうだね?」
 阿琉御羅アルオラ の使者たちは、絶句した。
「戦いの最中に、我らに裏切れ、と?」
 魔皇帝は鷹揚にうなずく。
「同じことであろう? そなたらは、すでに九大陸連合を裏切ろうとしているのだ。だとしたら。ものごとというのは、効果的であればあるほど良いものだ。
 そうだな、そうすれば、阿琉御羅アルオラ の王家の存続は認めよう。 根威座ネイザ に納める奴隷と貢ぎ物については後で定めるにしても、阿琉御羅アルオラ の自治を認めても良い、かな?
 どうするかは、そなたらが決めるがいい。
 わたしはどちらでも良い。
 帰って、王に伝えよ」
 そこで話を打ち切るように、魔皇帝は横を向いた。
 跪いていた使者たちは兵たちに追い立てられ連れていかれ、部屋の中は再び静かになった。
 亜苦施渡瑠アクセドル が空の杯を持ち上げると、金髪の少年は酒壺を取って、そこに美酒を注いだ。
「裏切り、か。面白い。
 今度の脚本は、少しはわたしを楽しませてくれそうだな」
 杯を一気に飲み干すと、さっさと立ち上がる。
「従いてこい」
 亜苦施渡瑠アクセドル の命令に従い、金髪の少年もその後に続く。
 魔皇帝の進む方向で黄金の壁は変容し、そこに巨大な扉が現れる。
 扉は左右に開き、その奥には野外を思わせるほどに広い、薄暗い空間が現れるが、それは奥行きが見通せないほいどに長く広い回廊である。
 巨木のような柱が左右に並び、その前には松明のような炎を掲げた衛兵たちが遙か遠くまでずっと立ち並んでいる。
 よく見れば、気がつく者もいるかもしれない。
 その衛兵たちの奇妙さに。
 直立不動に立ちつくす、重武装の甲冑を鎧ったその衛兵たちは、その背の高さが人の二倍以上もある巨人兵なのだ。
 そして、松明、と見えるのは、彼らが手に持っている赤い火炎槍の炎である。
 だが、その回廊があまりに巨大で、また薄暗いので、そうした異常さはこれといって目につかない。
 亜苦施渡瑠アクセドル とその従者の金髪の少年は足早に、衛兵たちが守る回廊を抜けていく。
 やがて前方で、回廊はふっさりと、まるで立ち切られたかのように途切れ、その先には赤々とした光が満ちている。
 それは炎のように見えた。
 炎の壁。
 それも上へ上へと流れ続けている巨大な火柱を側面から見ているかのような。
 音はしない。
 だがその炎の輝きは、奔放なその力を持て余して、叫びを上げているかに見える
 亜苦施渡瑠アクセドル と少年は、その炎の壁の前に立った。
 正気の人間なら、その炎の壁の前に立つことさえ怖がるだろう。
 それほどに強烈な光と力を、その炎は周囲に撒き散らしている。
「お前も初めて見るだろう。これがわたしが支配する 永久の獄炎 だ」
 亜苦施渡瑠アクセドル は少年に言った。
 炎の前に立つと、亜苦施渡瑠アクセドル の赤い髪はなおさらにその炎の色を濃くする。
 その表情は、酷薄さを増した。
 少年は、無表情のままだ。
「この 永久の獄炎 がわたしの手にある限り、わたしは負けぬ。決してな」
 亜苦施渡瑠アクセドル は、炎に向かって片方の手に差し伸べた。
 すると、炎の色は微妙に変化していく。
「ふふ……」
 魔皇帝の顔が愉悦にゆがむ。
 炎の壁はますます変化していき、透明になっていく。
 そして、その赤い炎の中で何かが形を取ろうとしていた。
 それは、鳥の姿をしている。
 凶暴な嘴を持つ恐ろしげな顔と真っ赤な目、鋭い鉤爪を持つ太い、炎の鶏冠と炎の力強い翼を備えた巨獣。
 炎の中で、それは吼えた。
 火の鳥は炎の中で大きく羽ばたいた後、やがて凝縮されていくように縮んでいき、炎の壁の中から凄まじい勢いで飛び出してきた。
 眩しい閃光が走り、それは魔皇帝の手のひらへと移り、ひとつの宝石、赤い灯を中心に点した大きなダイアモンドがそこに残されていた。
 魔皇帝は、その宝石をぐっと握りしめた。
「今度の出陣では、これを、奴らに放ってやろう。
 浮遊大陸の、精霊どもにすがるしか生きるすべを持たぬ哀れな者たちに」
 くくっと笑うと、魔皇帝は金髪の少年を振り向いた。
 柔らかな少年の金の髪に宝石を持たぬ方の手の指を滑らせると、愛おしげにささやきかけた。
「そなたも、連れていってやるぞ、九大陸との戦いには、な。
 そなた体に合わせて、特別に目立つ美しい甲冑を造らせよう。それに、白い天馬のキメラもな。
 戦場において、そなたが誰よりも映えるように。
 そなたには、特別にわたしの選り抜きの騎士たちを配下につけてやろう。
 そなたを、わたしの愛する 根威座ネイザ の将軍のひとりにしてやろう」
 白いなめらかな少年の頬に、炎の照り返しが映る。
 虚ろなままの琥珀色の双眸が魔皇帝を見返す。
「笑え」
 魔皇帝は命じた。
 すると、少年の顔に微笑みが浮かんだ。
 まるで、天使のごとき笑みだ。
 魔皇帝の邪悪な笑みが、それに答える。
「そう、それで良い。そなたは、その笑みで奴を殺すがいい。
 那理恵渡玲ナリエドレ の大切な養い子、炎の精霊に愛されている 精霊の御子、藍絽野眞アイロノマ の 李玲峰イレイネ 王子を。
 せっかくわたしが放った慈悲の剣で死ぬことを拒んだあの小僧も、そなたの笑みに抱かれて死ぬのなら異存はあるまい。きっと、幸福に思うだろう。
 そなたのその手で、殺すがいい」
 魔皇帝の手の中で、少年は微笑み続ける。
 その微笑みは、 李玲峰イレイネ がともに育ち、親友と思う 大地の御子 金の髪の 於呂禹オロウ として知る顔に浮かぶ、変わらぬ暖かい微笑みだった。
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