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二、潮風に吹かれて

2,聖王女リシュナ・ティリア(6)

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 そして、右手で従弟の少年に着席を促すと、彼は感謝を述べながら、滑るような優雅な所作で応接用の椅子へ腰かけた。

「父から手紙が届きましたので、急いでお渡ししたくて」

「叔父様、から」

 アレクセイが懐から取り出した書状を、リシュナは内心おっかなびっくり手にした。
 面にはリシュナへの宛名が、そして裏には ヴァニアス王国の宰相エフゲニー・リンデン伯爵の署名があった。
 彼こそがアレクセイの父親だった。
 リシュナが鮮血のように赤い封蝋をちぎって中を読んでいると、遠くからバタバタと足音が近づいてきた。
 それはほどなくして、サロンの扉に思い切りぶつかった。
 乳母が訳知り顔で扉を引いてやると、そこからひょっこりと子どもが頭を出した。
 渦巻く金髪と翠の瞳をくるくるさせた少女だ。
 彼女はヒマワリのような笑顔を咲かせた。

「ねーたまっ! おはよっ! あーそぼっ!」

「おはよう、フィナ」

 リシュナはちらと視線を投げただけにした。
 代わりに、モモが対応してくれる。

「セレス様。姫君がスカートで走ってはなりません」

「えー、やだ! 走った方が速いもん」

「埃を立ててうるさく騒ぐのは、姫君のすることではございません」

「じゃあ、姫、やめる!」

 乳母が末姫を捕まえて、乱れた髪や服装を直しはじめるも、セレスはちょこまかと動く。

「お姉様は大事なお話の途中なのです、セレス様」

 アレクセイが苦笑交じりで従妹をなだめると、末姫は乳母の腋の下から顔を出して面白がった。

「それって、ねーたまがアレクと結婚する話?」

「フィナ、静かにして」

 妹の粗相を努めて無視しようとしたリシュナだったが、近くで騒がれるとどうにも集中ができない。
 視線が文字の上を滑って、とても読めたものではない。

「むー」

 姉の叱責に、妹は頬を膨らませた。
 彼女が抱いてきた白い生き物も同様にする。
 むうという声までも。
 だがそのお陰で、元の静けさが帰ってきた。
 リシュナはため息交じりに視線を手元へ落とす。
 そうしてやっと、内容が頭に入ってきた。
 手紙には〈獅子の月〉最後の議会について書かれていた。
 いわゆる報告書だ。
 国王の妹ゆえに毎時届けられる情報だったが、リシュナはこれがさほど好きではなかった。
 政についてさほど興味がなかったのもそうだが、兄について書かれていることがあまりにも少ないからだ。
 ほとんどが、リンデン伯爵の提案する新しい政策についてと、世間の動向に対する議会の意見にとどまっている。
 これなら読んだふりをしても構わないわね。
 そう判断しそうになったリシュナの青い瞳が、ある文字列を捉えた。
 国王グラジルアス・ラズ・スノーブラッド・ヴァニアス陛下。
 リシュナは気づくなり、手紙にかじりついた。
 決議に至る詳細はすっかり読み飛ばしたが、たった一つ大事なことはわかった。
 グラジルアスがベルイエン離宮に住まいを移すということだ。
 気づけば少女は口を開いていた。

「兄様が、ベルイエンにお越しになるのね!」

「にーたまが?」

 珍しく声を上げたリシュナに、セレスがたまらず身を乗り出す。
 妹は駆け出し、姉姫の膝の上に素早く座った。

「アレク。これは本当ですか?」

 期待に輝く四つの瞳に、アレクセイも嬉しそうにうなずく。

「議会の決定ですから、相違ありません」

 朝日が降り注ぐ景色がより一層輝いて見える。

 リシュナは思わず妹を抱きしめていた。
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