上 下
55 / 99
二、潮風に吹かれて

2,聖王女リシュナ・ティリア(7)

しおりを挟む
 グラジルアスが住まいを完全に離宮へ移すのは、〈処女の月〉の中頃だという。
 そして王宮に戻る目途は今のところ立っていないのだとも、手紙には書いてあった。
 仕事を終えた乳母とアレクセイが下がると、サロンには幼い姉妹が残された。
 二人は窓辺で日向ぼっこをしながら頭を捻った。
 王宮側が、五年間の沈黙を破ったのだ。
 少年王と妹たちとの面会をこれまで幾度となく拒んできた政府が、この手のひらの返しようである。
 面会どころではない。
 王家の子女が再び同じ屋根の下で暮らせるなんて、夢のような話だった。

「フィナの言った通り、アレクセイとの縁談が、まとまってしまうのかしら……」

 脳裏によぎったのは、兄がずっと署名を渋ってきた案件だった。
 この件にはリシュナの人生がかかっているので、彼女も目を皿にして定例報告書を読んだ。
 だからこれまで、グレイはどうにかしてリシュナとアレクセイ――リンデン伯爵の息子で従弟の彼との婚約を遅らせてくれているのを知っていた。
 おそらく、アレクセイの人となりをよく知らないからという理由を立ててきたのだろう、とリシュナは推理している。
 リンデン伯爵がそれを真に受けたのだとしたら、今回の離宮行きはそれが目的に違いない。

「ところでフィナ。見かけないと思ったら、あなたがラヤを連れて行っていたのね」

「うん。まくらにした」

「だめよ。つぶれてしまうわ」

「潰れてないよ!」

 セレスは、白いウサギ――ラヤを頭に乗せて遊んでいた。その生き物はウサギのように耳が長いけれど、手足は短く、体は真ん丸。
 まるで針のないハリネズミのような不思議な形をしていた。
 たまに、むう、と鼻を鳴らすその生き物は、リシュナのペットだった。
 本当はグレイがどこかから拾ってきたらしいのだが、リシュナによくなついたので事実上そういうことになっていた。
 セレスがラヤの耳をふにふにと揉む。

「アレクと許婚するの?」

「するかどうかは、まだ決まっていないわ」

「結婚。ふぅん」

 リシュナは妹の腕の中からラヤを抱き上げて、自分の膝に乗せると、頭を撫ぜた。
 羽毛のような滑らかな肌触りが指と心を癒す。

「ねえ、フィナ。わたくしにはもうひとつ運命があってもいいと思うの」

「運命?」

 セレスが足をばたつかせる。
 その勢いで、室内履きがぽろりと飛んで行った。
 リシュナはそれを見とがめた。
しおりを挟む

処理中です...