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二、潮風に吹かれて

6,〈魔法防壁〉(1)

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 海の底へ沈んでいった巨大なタコが残していった脚の処理をドーガスたちに任せ、グレイとルヴァは倒れていた子どもたちを第一デッキの医務室に運び込んだ。
 扉を開けると、昼間なのにランタンの明かりが漏れ出し、何やら香ばしい香りと長髪のふてぶてしい医者が彼らを迎えた。
 ルヴァが真っ先に口を開く。

「ジャスミン先生、急患です」

「おー。やっと落ち着いたか。で、それが獲物と」

 伸ばしっぱなしの髪をいい加減に纏めた医者は中性的で、一瞬性別の判断がつかなかったが、声を聞いて女性だとわかった。
 彼女のアルトはルヴァのそれよりも低く、落ち着いていた。
 俺より一回りぐらい年上だろうか。

「半分、正解。残り半分は昼食になる予定だ」

 グレイが答えると、ジャスミンは眼鏡の奥で瞳を細めた。

「ほう。それは楽しみだ。ルヴァ、水を頼む」

「了解」

 子どもたちをベッドに寝かせると、ルヴァは二つの空のバケツを持ってきた。
 その前にしゃがみ込む。

「ドゥ・クァラア・メトッラ・イ・ヒサ」

 バケツの上にそれぞれ手をかざしたルヴァが、何かを唱えた。
 しばらくすると彼の手のひらの下に水の球が現れ、みるみるうちに大きくなった。

「これぐらいかな」

 少年が拳を握ると、水の球はコントロールから離れてバケツの中にすとんと落ちた。
 その衝撃でぱしゃりと湿った音が鳴り、雫も飛び散った。
 まるで手のひらから水を取り出したみたいだ、とグレイは思った。
 だがルヴァの皮手袋は見るからに乾いている。

「それ、さっきと同じ水の魔法、だよな? どういう仕組みなんだ?」

「仕組みって聞かれても……」

「俺は魔法が使えないから、不思議で仕方がないんだ」

 グレイが真剣に問うと、ルヴァは照れたように当惑した。

「僕たちの身の回りにある、目に見えない魔法の源――マナに呼び掛けて、それを集めてるっていうか……」

「さっきの呪文が、それか?」

「呪文……になるのかな。僕は古い言葉で命令しただけなんですけど。僕の母なんかは、歌ってたような。でも、使えない人は同じことをしてもなぜだかマナが反応してくれないんですよね? それこそ、僕には不思議だなぁ」

「命令……? 歌……?」

 グレイはますます訳が分からなくなった。
〈ヴァニアスの神子〉である妹リシュナ・ティリアを思い出してみる。
祈りをささげる彼女の魔法に、呪文は伴っていなかった。
言葉や歌が必要なのは、ルヴァの血族――魔法使いのワニア民族ならではということなのだろうか?
 教育の違いか?
 確かに、リシュナに魔法の扱いを教えられる人はいなかった。
 グレイが首をひねっていると、割り入る声があった。

「ルヴァ。すまんが着替えを用意してくれないか。さすがに素っ裸では気の毒だ」

「あ、はぁい」

 ルヴァはジャスミンの指示でそのまま部屋を後にした。
 グレイが手持無沙汰にしていると、医者から乾いたタオルを黙って手渡された。
 それで彼は、バケツの水の用途を完全に理解した。
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