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一、黒髪のグレイ

4、王家の迷宮(7)

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 グレイは長剣を引きぬくと、巨大カエルに切りかかった。
 だが、すぐに体ごと弾かれてしまった。
 でっぷりとした体には意外と脂が乗っているようだ。
 そもそも表面がぬるぬるしているため、剣の刃が皮膚に引っかからないのかもしれない。
 幾度となく剣を叩きつけるも、ぼよんと弾む背腹で、グレイの体力が削られていくばかりだ。
 カエルはというと、目の前を往来する蠅に舌を伸ばすのに夢中で、グレイを気にも留めていない。
 長い舌がびゅんと勢いよくのびては、何かを咀嚼している。
 道すがらグレイたちが薙ぎ払ってきた巨大な虫を食べているのだとしたら。
 少年の肝がにわかに冷えはじめた。
 俺たちも食われかねないってことか。
 髪から汗を滴らせながら、グレイは後方に控えていたテュミルの方に戻る。

「お前も休む暇ないぜ!」

 粘液がまとわりついた剣を水路で洗い粘り気を取ると、グレイは湿気た前髪をかきあげた。
 汗にへばりつく前髪が邪魔で、いつもは大嫌いな整髪料が、この時だけは少し恋しかった。

「ミ・ル・ちゃん」

 テュミルはにやけた声を出した。

「は?」

「お前って言われるの、嫌いなのよね! ミルちゃん、どうか助けてください! って、頭を下げたら、やらなくもないわ!」

「そんなこと、言ってる場合か!」

「まあまあ。もうちょっとだけ持ちこたえてよ、ね?」

 長い睫毛から放たれたウインクに、グレイはまたもたじろいだ。
 不満そうに、楽しそうに、尊大に。表情をころころと変える少女から、なぜか目が離せなくなる。
 気付けばグレイの口から、悔しさがこぼれていた。

「……偉そうにしやがって」

「どっちがよ!」

 すると、話し声に反応したらしく、巨大なカエルはいつの間にか二人の方に体の正面を向けていた。
 グレイが気付いた時には既に、その長い舌が伸びてきているところだった。
 彼は咄嗟に身を翻し、かわした。
 しかし避けた先にはまだ、テュミルがいた。
 ぬらぬらと蝋燭の光を跳ね返す舌が、少女の体に巻きつこうと迫る。

「きゃあああああ!」

 立ちすくむ少女。
 間に合わない。

「ミル!」

 グレイが腕を伸ばした向こう、カエルの長い舌で覆われていた視界には、何事も無かったかのようにテュミルが立っていた。
 パンパン、と手を打ち払う余裕まで見せている。

「よし! お仕事完了!」

「お前……なんで無事で……?」

 素早く立ち上がったグレイは、ぽかんと口を開けるばかりだった。
 カエルの舌が勢い良く戻っていくのを見送ったテュミルが突然、彼の胸にしなだれかかった。

「ってことで。ねえ、ちょっと抱いてくれない?」

 テュミルはグレイの首に両腕を巻きつけると、体を思い切り密着させた。
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