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第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-

1-5 たまにはそれらしく(4)

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 緑を囲う鉄柵をなぞるように二人が辿り着いたのは、見慣れたエルジェ・アカデミーだった。
 そうだった。セシルはぼんやりと納得した。今回の依頼人は学生だったっけ。すごく年上の。
 馬車や自動車が入れるような大きな門――正門はいつも閉ざされており、別にある通用口を使わねばならない。正門が開くとき、それはモルフェシア大公の乗る車両が入ってくるときだというが、それに出くわしたことはまだなかった。

「ごきげんよう」

 セシルがその手前にあつらえられた小屋の戸口を叩くと、守衛が首だけを伸ばし丸い顔を見せた。チャーミングな口髭と頭髪に白いものが混じる彼は、受け取ったセシルの学生証と自分の首を前後させて確認すると、瞳の厳しさを和らげた。そして、そのたれ目をしばたたかせながら小屋から出てきて、鍵を開けてくれた。

「休みに勉強ですか、お嬢様。さすがのお志ですなあ」

「えへ、へへ……」

 オレ、女の子でもないし貴族でもないし、ましてや勉強に来たわけでもないんだけどね。
 少年は色んな後ろめたさで視線を泳がせた。

「ありがとう。今日はセシルが、忘れ物があると言うものだから。よければ見学も兼ねて」

 それを彼の付添いがなんの躊躇いもなく引き継ぐ。朗らかに声と口元を緩ませてもいる。

「そうでしょうね。やんごとないお方も少なくない。昼間でも用心するに越したことはありません」

 同意に深く頷く初老の守衛に、パーシィは小さく鼻を鳴らした。

「と、いうと? 最近、この辺りでなにかあったのかな?」

「いやいや。大したことはありませんよ。学生さんになにかあれば、真っ先に首が飛ぶのは私たちですから。もっとも、この塀の外は圏外ですがね」

「ほう。敷地内は庭のようなものと。それは安心だ」

「そりゃあ、エルジェ・アカデミーの昼も夜も見てますからね。目をつぶって歩いたって、道を守るポプラ並木にぶつかりっこないですよ」

 二人の男がのんびり会話をするのがじれったい。世間話をするぐらいなら早く依頼人のところへ行って、早く調査を終えたい。もちろん、セシルが真っ先に脱したいのは小気味よい会話でもエルジェ・アカデミーでもなく、少女装である。
 しかしながら、何の気なしに交わす会話が事件解決の糸口になることも知っている。
 相手と顔見知りになっておくのも情報戦にとっては有効打となる。一発で情報が得られるとも限らないのだ。ここは黙って待つほかない。
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