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第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-

1-3 古の歌(12)

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 少年が絶句したのも想定内なのか、青年は気軽に続ける。

「それで、これが手放せなくなった」

 パーシィは、右耳を彩っていた銀色の耳飾りを外してセシルの手のひらに乗せた。
 四枚の羽が外へ向かってはばたき、重心となる翡翠色の石がはめ込まれている。
 温かさの残るそれをよく観察すると、瞳がするように石がまばたきをし、色をひらめかせた。
 中では風が渦巻き小魚のようにいきいきとした姿を見せてはくるりと円を描いて泳いでいる。

「風のマナが入ってる……?」

「そう。これは、モルフェシアから買った特注の補聴器だ」

「補聴器? 機械なの? これ、魔法が入ってるのと同じだよ! モルフェシアって機械の、文明の国じゃないの?」

 噛みついた少年の口に、パーシィが人差し指の戸を立てる。声が大きすぎた。

「文明国家モルフェシア。世界のどこよりも発展し機械が支配する顔は表向き。その内側にはマナストーンがある。どの機械の動力源も、そうだ。補聴器の石も。そしてすべての機械だけでなく、ケルムの街は六種類のマナストーン――〈マナの柱〉の均衡の上で成り立っている。と、いう伝説があるんだが、今のところまだ四つしか見つかっていない」

「待って、全然わかんない! それって、ケルムの人たちは知ってるの? 機械が全部、魔法で動いているって!」

 パーシィは静かに首を振った。

「それを隠しておくため、議会の人間が街中で目を光らせている。不調があればすぐに大公に知らせて、対処を促す」

 暗闇が誘っていたうっすらと心地良い眠気が、一気に遠のいた。
 セシルは知らず知らずのうちに激しくまばたきを繰り返した。

「そんな大きな魔法を、たくさんのマナを使える人間なんて、人間じゃないよ! 魔女にもいない。魔女よりもすごいなにかだよ!」

 セシルの十三年間の人生を思っても、そんな魔女はダ・マスケにいなかった。
 少年が知らないだけかもしれない。
 しかし日常を助ける分の小さな魔法とは桁違いのマナを使うのは想像に易かった。

「魔女よりも強い存在、か」

 青年の声はひどく落ち着いていて、どこか腑に落ちたようだった。

「僕の仕事――探偵業は、モルフェシア公から与えられた。僕は彼と取引をした。ここに住まう代償としてモルフェシア議会の一員〈愚者〉として大公の目になり、モルフェシアを地下で支配しているマナストーン――〈マナの柱〉を探す役目を負った」

 まだ真実のショックからさめないセシルは、うわ言のようにあえいだ。

「だから、オレの〈力〉が必要だったの?」

 横たわっているのに頭がくらくらした。セシルはただ、自分の夢と幼馴染を探すために村を出た。そのつもりだった。それが今や世界の秘密、真実をたった一晩のうちに知ってしまい、さらにはその片棒を担がされようとしている。ダ・マスケの存在と己に流れる魔法の血を隠す方が、何倍も簡単にさえ感じられた。
 愕然とする少年の頭に、なにか温かいものが載せられた。パーシィの大きな手のひらだ。
 彼は亜麻色の髪に指を通し、撫ぜてくれる。

「それは全くの別件だ。ヴァイオレット殿から連絡をもらった。ダ・マスケから外に出たい子を保護するのは、僕たち一族の義務だから。妹は国を離れられない身だし、君はモルフェシアへ行きたいと言っていた。だから僕が引き受けた」

 彼は、セシルの手から補聴器を受け取ると、上体を起こしサイドボードの上に乗せた。
 そして鋭いひと吹きで蝋燭の明かりを消した。

「でも、理解した上で助けてくれると嬉しい」

 訪れた暗闇は静けさの象徴なのに、なんだか騒がしく感じられた。
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