孤独を埋め合う吸血鬼と人間の話

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 高校卒業と同時、意味も目的もないまま上京してとにかく片っ端から履歴書を送って面接を受け、高校三年間ファミレスで働いた経験のおかげかホテルのレストランのホールスタッフに就職が決まり、ここで働き始めてからかれこれ2年が経とうとしていた。
 ファミリー向けのレストランとは勝手が違うので最初は慣れなかったけど、スタッフの人はみんな優しいし、客層も落ち着いているので何だかんだで上手くやれている。

「紘くん、そっち終わった~?」
「終わりましたー」
「ありがと!じゃあさっさと上がろ!お疲れ様でーす!」
「お疲れ様です」
 
 ディナータイムの後片付けの後、レジ締めを終えて同じホールのスタッフの先輩と最終確認してからキッチンのスタッフにも声をかけて退勤する。

「ねー聞いてよ紘くん。最近疲れがやばすぎてさあ、私昨日帰り一瞬道のど真ん中で気絶したっぽいんだよね。しかも夢見た」
「まじすか」
 
 従業員用の通路に入りエレベーターを待つ間、先輩がとんでもない事を言い出したので耳を傾ける。

「背の高い男にどっか連れてかれる夢、やけにリアルだった」
「え?!それ夢じゃなくて事件性ありません?」
「体の隅々まで調べたけど暴力振るわれた形跡もないし、お金もあった。ほんとに瞬きしたら五分経ってたって感覚なの。周りに人も沢山いたし、なんか起こったらざわついてたはずだけど何もなかった」
「催眠……的な……?」
「あはは!AVじゃないんだからそれはないでしょ~、だから夢だと思ってるんだけど……でも前さ、フロントの子も帰り道同じこと起きたって言ってたの。紘くんも気をつけてね、一応」

 先輩がエプロンを外しながらため息を吐く。そもそも気絶したのならその間の事は分からないわけだし、本当に何も起こってないとも言いきれない。男女関係なく、しかも金も取られてないし怪我もしてない、ってのが余計怖い。

「気絶してた時間どのくらいなんですか?」
「五分ぐらいかなあ……まあさすがに昨日今日でチャリは危ないかなと思って今日は彼氏に迎えに来てもらうんだけど、こんな時間に申し訳ないわあ……貴重な休みの日の時間使わせちゃって」
「彼氏さんは気にしてないんじゃないですかね。休みがどうとかより彼女が危険な目に遭わないことの方が大事でしょ」 
「心底だるそうにしてたけどね……はあ、付き合ったばっかの頃は嬉々として迎えに来てくれたのに」

 って、こんな話ごめんねと先輩に謝られたので、全然と首を横に振った。そこへちょうどエレベーターが来たので、スタッフルームのあるフロアのある階のボタンを押す。

「誰かにずっと愛されるのってほんと難しいよねえ。好きでいてもらえるための努力しなきゃってのはわかってるんだけど、何したらいいのかさっぱり」
「確かに、無条件で甘やかされたいし愛されたい」
「分かる~~!猫ちゃんになるしかないかあ」

 エレベーターから降りてスタッフルームに入り、休憩用スペースの机で雑談しているフロントのスタッフにお疲れ様ですと挨拶をして、奥にある更衣室の前で先輩と分かれた。
 明日は休みなので制服はクリーニング屋さんが回収してくれる袋にぶち込み、私服に着替えて一瞬スマホを確認してから直ぐに更衣室を後にする。急いでいる訳では無いけれど、ゆっくりする理由もない。
 スタッフルームのフロアまで来てしまえば後は階段で降りる方が早いので、エレベーターを素通りして階段を使って降りて行く。お腹すいたなあと考えながら外に出ると、エレベーターから降りてきた先輩と鉢合わせた。

「え、先輩さっき居ました?エレベーターの前」
「なんかミスって1回上行っちゃった」
「あるあるですね、迎えもう来てるんですか?」
「うん、すぐそこの車。じゃあお疲れ~」
「お疲れ様です」

 今度こそ先輩と分かれ駅までの道を歩き出すと、後方で何やら言い争う声が聞こえてきた。
 お前が来いって言ったんだろ!なにそれ私の事心配じゃないの?!お前のわがままにはうんざりなんだよ!などの声がはっきりと聞こえてしまって慌ててイヤホンを装着する。恐らく先輩と彼氏さんだろう。
 去年の今頃は毎日彼氏さん迎えに来てたよなあ、なんてぼんやりと考えてしまい、これ以上余計なことを考えないように音楽を流した。
 たまたまシャッフルで再生した音楽の内容はタイミングがいいのか悪いのか、ただあなたに愛して欲しかったという失恋ソングで、俺はそれを聴きながら先輩の愛されることが難しいという言葉を思い出していた。
 

「えっ」

 最寄り駅から歩いて家まで向かっていると、アパート付近の道のド真ん中で人が倒れていた。俺の最寄り駅はまあまあ治安が悪く度々テレビでも取り上げられるくらいで、駅前で人(主に酔っ払い)が倒れてるのは割と日常茶飯事なのだが、さすがに15分ほど歩けば住宅街に入り雰囲気も落ち着いてくる。
 なのにも関わらず人が倒れている。暗くてよく見えないけど、血が出ているとかではなさそうで、酔っ払い特有のお酒の匂いもしない。強いて言うならばそう、寝ているというか気絶に近いような……
 そこまで考えて、先輩の話を思い出した。そういえば道のど真ん中で突然気絶したって、こういうこと?もしかしてやばい?この人放置したら明日の朝ニュースになってるとか、ないよな?!

「……あ、あのー。大丈夫ですか?」

 おそるおそる声をかけると、ぴくりと体が動いた。良かった、生きてはいるらしい。とりあえず自転車とか危ないですし、道の端に寄った方が……と続けて話しかけると、倒れていた男性が目をゆっくりと開く。

「……で、」
「はい?」
「あ……った、ごめん」

 寝ぼけているのか俺を誰かと勘違いしているみたいで、ごめんの三文字だけは何とか聞き取れた。それにしても、この人日本人どころかアジア人じゃないな。美しい銀髪が夜風に揺らされ、ブルーグレーの瞳がとろりと蕩けるように細められる。
 思わず見とれてしまった俺は、彼の手がこちらに伸びてきたことに気付かなかった。そっと項の辺りに触れられる感覚にはっとして、何事かと身を構えた時にはもうその顔は目前で。

「愛してる……」
「え?ちょっ、ふ」

 今度はハッキリと聞き取れた、自分には縁がない愛の告白に動揺した次の瞬間、唇を奪われていた。見ず知らずの美形に。少し乾燥した薄い唇が俺の唇に軽く触れて、そしてすぐ離れる。短いような長いような、そんな時間の流れの中、俺だけが何が起こったのか分からないまま取り残されている。

「え、え?!今キッ、キスしま、はっ?!」

 知らない人にキスをされたという不快感より驚きが勝ってしばらく呆然としていたけれど、冷静になった頭で普通に考えてやばそうな人だし置いていこうと立ち上がった。なんなんだもう、いくら治安の悪い場所とは言えキスなんて初めてされた。

「でも、この人……」

 愛してやまない誰かと俺を勘違いしてた。何だかそれが胸に引っかかって、もしかしてこの人なら、と後ろめたい考えが頭を過る。こんな俺でも、この人をここで助けたら、俺だってきっと、きっと―――
 邪な感情が先走って、先に手が出ていた。男性の体を起こし、腕の下に手を通して、肩を組むように持ち上げる。

「重っ……体力仕事の経験がここで活かされるとは」

 意識のない人間は重いというのは本当だった。
 この場合、春先の不審者はどちらなのだろうか。意識のない人間を親切心からではなく家に連れて帰る俺か、それとも見ず知らずの人間にいきなりキスをする彼か。
 どっちもどっちか、と自問自答して、冷たい夜風を頬に感じながら家までの道のりを歩いていく。人通りは多くないけれど、すれ違う人はきっと酔っ払いを抱えているようにしか見えないだろう。

 アパートの自室が1階で良かった。2階なら階段をこの人を抱えて登る自信が無い。
 鞄の中から鍵を取り出して、鍵穴に差し込みドアノブを捻る。北向きで、太陽の光の入らない部屋では蛍光灯の光すら冷たく感じてしまうものだけれど、今日は一人じゃないと思うと少しだけ暖かく感じた。


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