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3.ふたりで過ごす日曜日
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「ちょっと、うちの店はデリバリーやってないって何度言ったら──」
玄関ドアを開けきる前から女性の甲高い声が聞こえてきた。親しい間柄だとわかるトーンだった。
「すみません、ありがとうございます」
思ったよりも若い女の子だったので、違う意味で驚いた。
二十代前半ぐらいだろうか。明るい色の髪をうしろでひとつに束ね、化粧っけのない肌はきめが細かく透き通るような白さ。いったいどんな知り合いなのだろう。
「あれ? ご、ごめんなさい。てっきり秋成さんかと思って」
「今、電話中なんです。代わりに受け取るようにと言われました」
品物の入った紙袋を預かり、一万円札を渡すと、彼女はウエストポーチをあさり、おつりを準備する。
随分と可愛らしい子だなと思っていると、電話を終えた冴島社長が玄関ホールに姿を見せた。
「なんだ、今日はコタじゃないのか」
どうやら電話の相手とは違うらしいが、この女の子とも知り合いのようだ。
「なんだとはなによ? お兄ちゃんやほかのみんなも手が離せないって言うから、わざわざこのわたしが配達に来てあげたのに」
女の子は不機嫌さをあらわにしていた。といっても本気で怒っていないのは容易にわかる。どちらかというと甘えているように見えた。
冴島社長もそれを承知しているのだろう。気にすることなく、にこやかに彼女をわたしに紹介してくれた。
「春名さん、この子は知り合いなんだ。紅《くれない》の葉っぱと書いて紅葉《もみじ》。で、こちらは春名咲都さん」
紅葉さんって可愛い名前。性格はちょっときつそうだけど。
お兄ちゃんと言っていたけれど、コタさんという方の妹さんなのかな。
「はじめまして、春名です。冴島社長の会社の近くで『FLORALはるな』という花屋をやっています」
「……須崎《すざき》紅葉です」
紅葉さんのテンションが急に下がる。冴島社長に対する態度とあからさまに違う。渋々という感じだ。
「それより秋成さん、日曜の昼時にデリバリーを頼むなんて非常識なんだけど。あとさ、何度も言ってるけど、うちの店はデリバリーはやってないの」
「ごめんな。悪いなとは思ったんだけど」
「ほんとだよ。ただでさえ忙しいのに」
「でもコタのとこの料理は格別だから、どうしても食べたくて」
「秋成さんは相変わらず口がうまいね」
「本音だよ」
差し出したお釣りを冴島社長が受け取ると、紅葉さんはジロリとわたしを見た。
「この人、秋成さんの彼女?」
冷めた口調に嫉妬が見え隠れしている。冴島社長に好意を持っているのかなと思った。
「わたしはただの花屋の者で、今日は注文の品をお届けに来ただけです」
「花屋さんなのに部屋に上がり込んでなにしてたの?」
「水やりなどのお手入れの説明です」
「だったら、さっさと説明して帰ったら? まさかここで秋成さんと一緒にそれを食べるんじゃないよね?」
紅葉さんは隠すどころか、とうとう嫉妬心むき出しで突っかかってきた。しかも初対面なのにいきなりタメ口だ。
「紅葉、お客様に失礼なこと言うなよ。ひとりで食事するのも味気ないから、僕が無理を言ってつき合ってもらうんだよ」
冴島社長は紅葉さんの扱いに慣れているようで、怒ることなくやさしくなだめた。気は強いけれど、可愛い妹のように思っているのが伝わってくる。
「それより早く店に戻らなくていいのか?」
「戻るよ。お店、けっこう混んでるし」
「今日は忙しいところ悪かったな。コタがだめでも紅葉が来てくれるかなと思って頼んだんだ。コタにもよろしく言っといてよ」
「……わかった」
紅葉さんは拍子抜けしたのか、さっきまでの威勢はなくなり、急におとなしくなる。微笑む冴島社長を前にもじもじしながら、「じゃあ、またね」と出ていった。
ドアが閉まると、冴島社長がため息をつく。
「いつまでたっても子どもだな。あれで大学生なんだよ。来年、社会人だなんて大丈夫なんだか」
「紅葉さんってコタさんという方の妹さんなんですか?」
「コタの従妹なんだよ。コタっていうのは大学時代の友達で、洋食屋を営んでいるんだ」
コタさんこと、須崎幸太郎《こうたろう》さんはそこでシェフをしているということだった。大学卒業後、金融関係の会社に就職したが、実家の洋食屋を継ぐためにそこを退職したそうだ。
コタさんのご両親は現役で、今も店には出ているそうだけれど、自分たちが元気なうちに息子にすべてをゆだねようと思ったらしい。
それだけコタさんに期待していた。そして、コタさんの商売人としての素質を見抜いていたのだろう。冴島さんがそう話してくれた。
「繁盛している店だし、一代でたたむのはもったいない。かといって赤の他人にまかせるのも忍びない。ご両親のそんな想いをコタは引き受けることにしたんだよ」
少しわたしと境遇が似ている。小さい頃は家を継ぐなんて考えてもみなかった。だけど大人になり、自分の将来に本気で向き合ったとき、両親の営む店を無視できなくなっていた。
玄関ドアを開けきる前から女性の甲高い声が聞こえてきた。親しい間柄だとわかるトーンだった。
「すみません、ありがとうございます」
思ったよりも若い女の子だったので、違う意味で驚いた。
二十代前半ぐらいだろうか。明るい色の髪をうしろでひとつに束ね、化粧っけのない肌はきめが細かく透き通るような白さ。いったいどんな知り合いなのだろう。
「あれ? ご、ごめんなさい。てっきり秋成さんかと思って」
「今、電話中なんです。代わりに受け取るようにと言われました」
品物の入った紙袋を預かり、一万円札を渡すと、彼女はウエストポーチをあさり、おつりを準備する。
随分と可愛らしい子だなと思っていると、電話を終えた冴島社長が玄関ホールに姿を見せた。
「なんだ、今日はコタじゃないのか」
どうやら電話の相手とは違うらしいが、この女の子とも知り合いのようだ。
「なんだとはなによ? お兄ちゃんやほかのみんなも手が離せないって言うから、わざわざこのわたしが配達に来てあげたのに」
女の子は不機嫌さをあらわにしていた。といっても本気で怒っていないのは容易にわかる。どちらかというと甘えているように見えた。
冴島社長もそれを承知しているのだろう。気にすることなく、にこやかに彼女をわたしに紹介してくれた。
「春名さん、この子は知り合いなんだ。紅《くれない》の葉っぱと書いて紅葉《もみじ》。で、こちらは春名咲都さん」
紅葉さんって可愛い名前。性格はちょっときつそうだけど。
お兄ちゃんと言っていたけれど、コタさんという方の妹さんなのかな。
「はじめまして、春名です。冴島社長の会社の近くで『FLORALはるな』という花屋をやっています」
「……須崎《すざき》紅葉です」
紅葉さんのテンションが急に下がる。冴島社長に対する態度とあからさまに違う。渋々という感じだ。
「それより秋成さん、日曜の昼時にデリバリーを頼むなんて非常識なんだけど。あとさ、何度も言ってるけど、うちの店はデリバリーはやってないの」
「ごめんな。悪いなとは思ったんだけど」
「ほんとだよ。ただでさえ忙しいのに」
「でもコタのとこの料理は格別だから、どうしても食べたくて」
「秋成さんは相変わらず口がうまいね」
「本音だよ」
差し出したお釣りを冴島社長が受け取ると、紅葉さんはジロリとわたしを見た。
「この人、秋成さんの彼女?」
冷めた口調に嫉妬が見え隠れしている。冴島社長に好意を持っているのかなと思った。
「わたしはただの花屋の者で、今日は注文の品をお届けに来ただけです」
「花屋さんなのに部屋に上がり込んでなにしてたの?」
「水やりなどのお手入れの説明です」
「だったら、さっさと説明して帰ったら? まさかここで秋成さんと一緒にそれを食べるんじゃないよね?」
紅葉さんは隠すどころか、とうとう嫉妬心むき出しで突っかかってきた。しかも初対面なのにいきなりタメ口だ。
「紅葉、お客様に失礼なこと言うなよ。ひとりで食事するのも味気ないから、僕が無理を言ってつき合ってもらうんだよ」
冴島社長は紅葉さんの扱いに慣れているようで、怒ることなくやさしくなだめた。気は強いけれど、可愛い妹のように思っているのが伝わってくる。
「それより早く店に戻らなくていいのか?」
「戻るよ。お店、けっこう混んでるし」
「今日は忙しいところ悪かったな。コタがだめでも紅葉が来てくれるかなと思って頼んだんだ。コタにもよろしく言っといてよ」
「……わかった」
紅葉さんは拍子抜けしたのか、さっきまでの威勢はなくなり、急におとなしくなる。微笑む冴島社長を前にもじもじしながら、「じゃあ、またね」と出ていった。
ドアが閉まると、冴島社長がため息をつく。
「いつまでたっても子どもだな。あれで大学生なんだよ。来年、社会人だなんて大丈夫なんだか」
「紅葉さんってコタさんという方の妹さんなんですか?」
「コタの従妹なんだよ。コタっていうのは大学時代の友達で、洋食屋を営んでいるんだ」
コタさんこと、須崎幸太郎《こうたろう》さんはそこでシェフをしているということだった。大学卒業後、金融関係の会社に就職したが、実家の洋食屋を継ぐためにそこを退職したそうだ。
コタさんのご両親は現役で、今も店には出ているそうだけれど、自分たちが元気なうちに息子にすべてをゆだねようと思ったらしい。
それだけコタさんに期待していた。そして、コタさんの商売人としての素質を見抜いていたのだろう。冴島さんがそう話してくれた。
「繁盛している店だし、一代でたたむのはもったいない。かといって赤の他人にまかせるのも忍びない。ご両親のそんな想いをコタは引き受けることにしたんだよ」
少しわたしと境遇が似ている。小さい頃は家を継ぐなんて考えてもみなかった。だけど大人になり、自分の将来に本気で向き合ったとき、両親の営む店を無視できなくなっていた。
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