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第一章 染紅華絵
第5話
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キィ、ガチャン、と玄関が開いて閉まる音がした。
「おかえりなさい」
我が家の大黒柱が帰ってきた。
柱と呼ぶにはヒョロンとした頼りない父。父は細面で、切れ目の下には若干こけた頬が貼りついている。
外見に反して温和で優しい父だが、実は怒ると滅茶苦茶怖い。どれほど怖いかというと、あの姉が泣きじゃくるほどである。
「ただいま」
家に帰り着くまでネクタイも緩めずカッチリとスーツを着こなした父を、部屋着用のロングスカートをエプロンの下から覗かせた母が笑窪を作って出迎える。
「おかえりなさい。御飯にする? お風呂にする? それとも、パ・ス・タ?」
「じゃあパスタで」
「ごめんなさい。いまのなし。今晩のおかずはハンバーグだから」
父さん、突っ込むどころか、突き刺してきたな。
父は母の困った顔を見てニコニコしている。間違いなく姉のハード・サディスティックは父親譲りのものだ。
しかし、父は姉のような意地悪はしない。姉ならここでパスタについて掘り下げるところだが、父は背広を自分でハンガーにかけ、黙って食卓に着いた。
ハンバーグはおいしかった。
姉がいちばんに食べ終え、一番風呂を宣言して風呂場に直行した。
風呂に入る順番に取り決めがあるわけではないが、たいていは姉がいちばんに入り、母が最後に入る。父は俺に先を譲ることが多い。さて、ポチは何番目に風呂に入るでしょう?
あ、ごめん。いまのなし。ポチなんていません。
「ふう、あがったよ」
姉が純白の下着姿で居間に入ってきた。
発色のいい水色のタオルを首にかけている。
そんな姉の姿を見て、不覚にも俺はドキリとする。
姉が風呂上がりに下着姿で現れるのは、これまでにもたびたびあった。
しかし厄介なのは、その頻度があまり多くないということだ。毎日そうだったら見慣れて反応にも困らないのだろうが、稀にくるから、その艶めかしいカラダについドキドキしてしまうのだ。
どうせなら常に服を着るようにしてほしい。
そんなことを考えつつ、ついつい姉の方に目がいってしまう。
ふんわりとした太腿のふくらみが、白いショーツの端部でわずかに食い込んでいる。俺はそれを見て、ボンレスハムを思い浮かべた。しかし、豚のように太っているわけではない。単純においしそうという意味だ。
ピンク色の熱化粧をした白い肌の弾力が際立っている。
スラリと伸びた長い脚のラインは、緩やかにしなやかな円弧を描き、幾何学的模様とは対極の美しさを誇示している。
傷やシミの一つもない綺麗な足、その足の爪がまたいちだんと美しく、普段は靴下に隠れて見えないからこそ、いっそうそそられる。
適度なくびれの上にも芸術的な曲線が連なり、上腕は二の腕に限らずふんわりしていて、思わず頬をすり寄せたいという願望に襲われる。
小さくなく、大きすぎもしない美しい双丘は、シンプルだが白い清楚なカップに包まれ、凛々しささえ感じさせる。
そこまでボーっと、というか、ジーッと見てしまっては、彼女の顔より上に視線を持っていくことは、俺の羞恥心が許してくれなかった。
天賦たる姉の凄艶はスタイルだけではない。彼女は顔も典麗だ。
同じ人間とは思えないくらいに完成された美、などと芸術に関してド素人の俺が勝手に銘打ちたくなるほどだ。
どこを切り取って観察しても美しい姉だが、遠目に全体像を眺めると、それはさらにいっそう美しい芸術作品となり、一次欲求にもとづく好奇心すら霞むくらいの保存欲にとり憑かれる。
黒くて長いストレートヘアーからは、シャンプーのいい香りが、少し離れたここにまで届いてくる。完熟した甘美なフルーツを思わせる香りだ。
姉のシャンプーを使うと香りで一発でバレるため、俺がそれを使うことは許されない。
だが、ごく稀に父が同じ香りを漂わせることがある。さすがの姉も父だけは強く咎められないようだ。
姉妹のいない男どもにとっては、こんな俺の境遇は羨ましい限りだろう。
姉妹がいたとしても、うちの姉ほど美人な女性の、しかも生肌を堂々と見られるほどに恵まれた男子は、そうはいないはずだ。
彼女を空想上の種族で言い表すならば天使だろうか?
いいや、違う。断じて違う。
彼女は悪魔だ。
念を押すが、小悪魔ではない。真性の悪魔だ。大の悪魔だ。
この艶麗な姉が優しければまったくもって文句はないのだが、差し引きすると間違いなくマイナスである。
姉はドのつくサディスティックとか、そんなレベルではない。一言で言うと、エグイ。
姉がいかにエグいか、その一例を出すとしよう。
姉はその容姿ゆえにかなりモテるらしく、姉に告白する男子は星の数ほどいる。その星の数の告白を、姉はすべてICレコーダーに録音しているのだ。
彼女はICレコーダーを常備している。喧嘩だろうが世間話だろうが、すべて録音する。
それらの都合のいい部分をひっぱりだし、時には改変して、武器とする。
たいていは録音された本人には聞かせず、ICレコーダー内の会話中で悪口を言われている友人当人にそれを聞かせる。授業の録音を切り忘れたテイで、「あいつはあなたのことをこんなに悪く思っているけれど、私はあなたの味方よ」という使い方をする。
録音した相手を直接脅すのは最終手段である。自分の評判を落としかねないからだ。
もちろん、姉のそういう手口を熟知している俺とて油断は禁物である。
むしろ家族のほうが危ない。外ではICレコーダーだが、家の中では隠しカメラが設置されていたりする。
……と、そこまで分かっていて、何をやらかしているんだ、俺!
俺は慌ててキョロキョロと辺りを見渡す。
ないか、ないか?
あった!
食器棚の上のダンボールと壁の隙間。
ほかには?
家庭電話機を置いた小棚と壁の隙間。
おそらく、俺の気づかない場所にも数多あるはずだ。
姉が設置した隠しカメラが一つでないのは、カメラが見つかったら父に押収されるから。過去にも何度か押収されているが、姉は頻繁にカメラを回収するようになって、父に見つかる機会も減った。
父は基本的に姉のカメラを発見しても、押収して叱るだけ――お仕置きまではしない――だが、過去に父の私室、トイレ、風呂でカメラが発見されたときには、父の逆鱗に触れて大変なことになった。
それ以来、姉がカメラを設置するとしても、それは居間に限られ、その期間も限定的である。
ふと姉の顔を見る。
なにやらおぞましい気配がしたのだ。
「ふふっ」
しまったぁあああああ!
ハメられた……。
俺が姉の体をジロジロ見る姿を撮影するために、姉がすべて仕組んでいたことだ。隠しカメラも、姉の下着姿も。
姉のジットリとした笑みが俺を突き刺す、というか抉る。細められた目にはナイフの鋭さがあり、鈍い光を視線上に走らせている。
この後、証拠動画を突きつけられ、脅され、お仕置きされることになるだろう。
それが分かっていたのに、心のどこかで分かっていたはずなのに、つい見とれてしまった。
案の定、その晩に俺は姉の部屋に呼び出された。
「見せるまでもないわね」
そう言われ、指図されるがまま上半身裸になり、四つん這いになった。
姉の足がぺトッと俺の背中に乗る。
そして、親指がクイッと曲がったのを感じた。
「ぐぎゃああああああっ!」
猿ぐつわで声を殺されているが、噛み締めるにはちょうどいい布切れだった。
姉の足の指が、絶妙な精度でツボを狙ってくる。
背中を踏まれているのに、全身に痛みが走る。
時には痛み以外の不快感も襲ってくる。
俺の意識が朦朧とし、視界も霞んできたころに、姉はうっとりとした表情で俺の頬を撫でた。
好物は人の苦悶。
世界の中心は自分。
それが俺の姉、染紅華絵である。
下々の民は、女王様に好物を差し出さねばならぬのだ。
「おかえりなさい」
我が家の大黒柱が帰ってきた。
柱と呼ぶにはヒョロンとした頼りない父。父は細面で、切れ目の下には若干こけた頬が貼りついている。
外見に反して温和で優しい父だが、実は怒ると滅茶苦茶怖い。どれほど怖いかというと、あの姉が泣きじゃくるほどである。
「ただいま」
家に帰り着くまでネクタイも緩めずカッチリとスーツを着こなした父を、部屋着用のロングスカートをエプロンの下から覗かせた母が笑窪を作って出迎える。
「おかえりなさい。御飯にする? お風呂にする? それとも、パ・ス・タ?」
「じゃあパスタで」
「ごめんなさい。いまのなし。今晩のおかずはハンバーグだから」
父さん、突っ込むどころか、突き刺してきたな。
父は母の困った顔を見てニコニコしている。間違いなく姉のハード・サディスティックは父親譲りのものだ。
しかし、父は姉のような意地悪はしない。姉ならここでパスタについて掘り下げるところだが、父は背広を自分でハンガーにかけ、黙って食卓に着いた。
ハンバーグはおいしかった。
姉がいちばんに食べ終え、一番風呂を宣言して風呂場に直行した。
風呂に入る順番に取り決めがあるわけではないが、たいていは姉がいちばんに入り、母が最後に入る。父は俺に先を譲ることが多い。さて、ポチは何番目に風呂に入るでしょう?
あ、ごめん。いまのなし。ポチなんていません。
「ふう、あがったよ」
姉が純白の下着姿で居間に入ってきた。
発色のいい水色のタオルを首にかけている。
そんな姉の姿を見て、不覚にも俺はドキリとする。
姉が風呂上がりに下着姿で現れるのは、これまでにもたびたびあった。
しかし厄介なのは、その頻度があまり多くないということだ。毎日そうだったら見慣れて反応にも困らないのだろうが、稀にくるから、その艶めかしいカラダについドキドキしてしまうのだ。
どうせなら常に服を着るようにしてほしい。
そんなことを考えつつ、ついつい姉の方に目がいってしまう。
ふんわりとした太腿のふくらみが、白いショーツの端部でわずかに食い込んでいる。俺はそれを見て、ボンレスハムを思い浮かべた。しかし、豚のように太っているわけではない。単純においしそうという意味だ。
ピンク色の熱化粧をした白い肌の弾力が際立っている。
スラリと伸びた長い脚のラインは、緩やかにしなやかな円弧を描き、幾何学的模様とは対極の美しさを誇示している。
傷やシミの一つもない綺麗な足、その足の爪がまたいちだんと美しく、普段は靴下に隠れて見えないからこそ、いっそうそそられる。
適度なくびれの上にも芸術的な曲線が連なり、上腕は二の腕に限らずふんわりしていて、思わず頬をすり寄せたいという願望に襲われる。
小さくなく、大きすぎもしない美しい双丘は、シンプルだが白い清楚なカップに包まれ、凛々しささえ感じさせる。
そこまでボーっと、というか、ジーッと見てしまっては、彼女の顔より上に視線を持っていくことは、俺の羞恥心が許してくれなかった。
天賦たる姉の凄艶はスタイルだけではない。彼女は顔も典麗だ。
同じ人間とは思えないくらいに完成された美、などと芸術に関してド素人の俺が勝手に銘打ちたくなるほどだ。
どこを切り取って観察しても美しい姉だが、遠目に全体像を眺めると、それはさらにいっそう美しい芸術作品となり、一次欲求にもとづく好奇心すら霞むくらいの保存欲にとり憑かれる。
黒くて長いストレートヘアーからは、シャンプーのいい香りが、少し離れたここにまで届いてくる。完熟した甘美なフルーツを思わせる香りだ。
姉のシャンプーを使うと香りで一発でバレるため、俺がそれを使うことは許されない。
だが、ごく稀に父が同じ香りを漂わせることがある。さすがの姉も父だけは強く咎められないようだ。
姉妹のいない男どもにとっては、こんな俺の境遇は羨ましい限りだろう。
姉妹がいたとしても、うちの姉ほど美人な女性の、しかも生肌を堂々と見られるほどに恵まれた男子は、そうはいないはずだ。
彼女を空想上の種族で言い表すならば天使だろうか?
いいや、違う。断じて違う。
彼女は悪魔だ。
念を押すが、小悪魔ではない。真性の悪魔だ。大の悪魔だ。
この艶麗な姉が優しければまったくもって文句はないのだが、差し引きすると間違いなくマイナスである。
姉はドのつくサディスティックとか、そんなレベルではない。一言で言うと、エグイ。
姉がいかにエグいか、その一例を出すとしよう。
姉はその容姿ゆえにかなりモテるらしく、姉に告白する男子は星の数ほどいる。その星の数の告白を、姉はすべてICレコーダーに録音しているのだ。
彼女はICレコーダーを常備している。喧嘩だろうが世間話だろうが、すべて録音する。
それらの都合のいい部分をひっぱりだし、時には改変して、武器とする。
たいていは録音された本人には聞かせず、ICレコーダー内の会話中で悪口を言われている友人当人にそれを聞かせる。授業の録音を切り忘れたテイで、「あいつはあなたのことをこんなに悪く思っているけれど、私はあなたの味方よ」という使い方をする。
録音した相手を直接脅すのは最終手段である。自分の評判を落としかねないからだ。
もちろん、姉のそういう手口を熟知している俺とて油断は禁物である。
むしろ家族のほうが危ない。外ではICレコーダーだが、家の中では隠しカメラが設置されていたりする。
……と、そこまで分かっていて、何をやらかしているんだ、俺!
俺は慌ててキョロキョロと辺りを見渡す。
ないか、ないか?
あった!
食器棚の上のダンボールと壁の隙間。
ほかには?
家庭電話機を置いた小棚と壁の隙間。
おそらく、俺の気づかない場所にも数多あるはずだ。
姉が設置した隠しカメラが一つでないのは、カメラが見つかったら父に押収されるから。過去にも何度か押収されているが、姉は頻繁にカメラを回収するようになって、父に見つかる機会も減った。
父は基本的に姉のカメラを発見しても、押収して叱るだけ――お仕置きまではしない――だが、過去に父の私室、トイレ、風呂でカメラが発見されたときには、父の逆鱗に触れて大変なことになった。
それ以来、姉がカメラを設置するとしても、それは居間に限られ、その期間も限定的である。
ふと姉の顔を見る。
なにやらおぞましい気配がしたのだ。
「ふふっ」
しまったぁあああああ!
ハメられた……。
俺が姉の体をジロジロ見る姿を撮影するために、姉がすべて仕組んでいたことだ。隠しカメラも、姉の下着姿も。
姉のジットリとした笑みが俺を突き刺す、というか抉る。細められた目にはナイフの鋭さがあり、鈍い光を視線上に走らせている。
この後、証拠動画を突きつけられ、脅され、お仕置きされることになるだろう。
それが分かっていたのに、心のどこかで分かっていたはずなのに、つい見とれてしまった。
案の定、その晩に俺は姉の部屋に呼び出された。
「見せるまでもないわね」
そう言われ、指図されるがまま上半身裸になり、四つん這いになった。
姉の足がぺトッと俺の背中に乗る。
そして、親指がクイッと曲がったのを感じた。
「ぐぎゃああああああっ!」
猿ぐつわで声を殺されているが、噛み締めるにはちょうどいい布切れだった。
姉の足の指が、絶妙な精度でツボを狙ってくる。
背中を踏まれているのに、全身に痛みが走る。
時には痛み以外の不快感も襲ってくる。
俺の意識が朦朧とし、視界も霞んできたころに、姉はうっとりとした表情で俺の頬を撫でた。
好物は人の苦悶。
世界の中心は自分。
それが俺の姉、染紅華絵である。
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