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第一章 始動
入学初日
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心地よい春風が吹き抜ける。いくつかの桜の花びらがひらひらと散って、その軽やかな舞いが青空に映えた。桜の木を見れば、桜の木々は淡いピンク色の花びらをほぼ失い、代わりに新緑の葉が枝に生い茂り、青々と輝いていた。
校内のグラウンドを見渡すと、そこには野球用のユニフォームに身を包んだ女子生徒たちが立っていた。彼女たちはこの新たに誕生した女子野球部の誇り高き部員でベンチ前に円になって立っている。グラウンドのベンチ前に円を描いて立つ彼女たちは、これから野球の舞台に立つ意気込みを感じさせた。
「どんな人なんだろう?」
「すごいおじさんだったりしてね」
そんな会話が途切れ途切れされていた。初々しさと気まずさが混じり合い、あまり会話は弾んでいない様子だった。一部は手に持つグローブを何度も開いたり閉じたりしていた。
彼女たちは、監督を待っていた。しかも、この中にいる誰もが、果たして誰が監督なのかを知らないのだ。なぜなら、この女子野球部は今年が新設だからだ。ここにいる野球部の部員も一年生が十人しかいない。そして、学年集会のあとの諸連絡で「女子野球部は放課後にグラウンドのベンチ前に集合してほしい」という伝言を他の先生から言われたのだ。だから、誰もが監督の名前と顔を知らないし、どのような監督なのか──それは、まさにこれからの野球部としての生活にかかわってくるため、彼女らにとって非常に重要であった。
五分ぐらい待たされたのち、監督がグラウンドの中に入ってきた。グラウンドに入る前に一礼したのち、そのまま彼女らのもとへと向かった。監督はかなり若い男性だった。まだ20代だろうか。年のとったおじさんではなく彼女らは一安心した。
「待たせちゃってごめん。これで全員かな?」
「はい。これで全員だと思います」
一番背の高い子が答えた。
「オーケー、オーケー。それじゃあ、自己紹介していこうか」
監督は声が少し高かった。しかし、だからこそその声には親しみやすさがあった。
「あ、そもそも僕って一体誰なんだよってみんな思ってるよね?それじゃ、僕から。僕の名前は内藤優馬って言います。まあ、内藤でもなんでも気軽に呼んでください。よろしくね」
彼女らの拍手が聞こえた。悪い人ではなさそうで彼女らは安心した。
「じゃあ、どうしようかな。君から時計周りで自己紹介していこう。出身中学と、ポジション、あと何か趣味とかあったら言ってね」と監督に促され、彼女らの自己紹介が始まった。
「初めまして。宝田鈴奈です」
最初に自己紹介したのは宝田だった。彼女はポニーテールで縁が黒い眼鏡をかけていた。緊張しているのもあるのかとても丁寧に自己紹介を進めていった。
「ポジションはファーストです。趣味は野球観戦です。見るのもやるのも好きです。これから宜しくお願いします」
拍手ののち、次の子に自己紹介が移った。しかし、それでもなお一人の子は宝田の方をじっと見つめていた。
次に自己紹介したのは、水岡だった。彼女も、宝田の丁寧な自己紹介に従って丁寧かつ簡潔に自己紹介した。彼女は背が低く小柄で、愛くるしい目をしている。しかし、その中でも日焼けしている姿が、中学校時代に野球に打ち込んできたことを示している。
「水岡憐です。水尾かれんじゃなくて、名字が水岡なのでよろしくお願いします。ポジションは外野です。お願いします」
低い声であったが、その中に彼女の決意が宿っていた。
「相馬陽です。キャッチャーやってました。甘いものが大好きです。お願いします」
次に自己紹介したのは相馬陽だった。彼女は早口で自己紹介を終えた。彼女は顔を赤らめていて、こういった自己紹介に不慣れなのかもしれない。髪型はボブで、髪はさらさらしている。
「私は銀杏田心音といいます。ポジションはセカンドです。お願いします」
次に自己紹介した銀杏田はこのチームの中でも一番背が高く、どちらかというと小粒揃いのチームの中では見た目通り頭一つ抜けている。その背の高さから彼女はピッチャーをやっていたが投げすぎが原因で肘を故障してしまい、それ以来投手として活躍することが不能となった。しかし、一方で野手として野球を続けている。
次に紹介したのは塩野唯香だった。彼女は中学時代ピッチャーをやってきた。
「塩野唯香っていいます。ピッチャーやってました。お願いします」
彼女はマスクをしていた。もう少しで目にかかるのではというほどマスクを上げていた。そのため、彼女がどのような顔つきなのかはほぼ目元しか見えなかった。
次に自己紹介した人こそ、最初に宝田の方をじっと見つめていた人であった。
「次は私の番ですね。私は比石春飛と言います。中学時代はライトをやっていました。よろしくお願いします」
彼女は表情何一つ変えず言った。彼女からはクールな雰囲気が漂っていた。さらに続けて三人が自己紹介した。
「私は松本桂です。みんなと仲良くやっていきたいです。お願いします」
「角弗蘭です。このチームでどんどん勝っていきたいです。お願いします。ポジションは外野守れます」
「成井酸桃です。ポジションはサードです。宜しくお願いします」
最後に、自己紹介した奥炭は未経験者だった。それもあるのかすごく緊張している様子だった。
「わ、私・・・奥炭果歩って言います。ごめんなさい、みんなみたいに経験者じゃないんですけど、宜しくお願いします」
彼女の細々とした声とは対照的に大きな拍手の音が聞こえた。こうして十人の自己紹介を終え、内藤監督が口を開いた。
「良いね。みんなそれぞれポジションもばらけているし、これからが本当に楽しみだ。さて、遠方から来た人は多分寮に入るっていうことになっていたと思うんだけどその準備って出来ているかな?」
この女子野球部は今回県で初めての女子野球部ということで、県内の遠方から来ている子がほとんどであった。具体名をあげれば、成井と奥炭以外は遠方から来ている。そのため、この二人以外は寮生活することとなる。
寮の場所はこの学校から五分ほど歩いたところだ。もうかつて使われなくなった寮施設を今回使わせて頂くこととなった。さらに、幸運なことに寮の庭がグラウンドとして使えるだけの広さを有している。この寮の庭が女子野球部の本拠地となるのだ。
「寮の前には庭があってそれをグラウンドに改造しようと思う。だから、しばらくはグラウンド整備がメインになって練習はできない。一応、このグラウンドは基本的に男子野球部のもので水曜日だけ借りられる感じだから、そこのところもよろしくね。じゃあ、みんなグローブとか持ってもらってあれだけど、寮の方に行こうか」
と、内藤監督に促され一同は寮の方へと向かうことになった。中には練習ができずに残念そうに思っている人もいれば、果たして寮がどのような感じなのだろうかと期待に胸を膨らませる人もいた。
寮に到着すると、一同は目を瞠った。建物自体はそこまで新しい建物ではなく、ところどころ外壁に汚れが目立っている。しかし、三階建ての立派な建物と立派な玄関だった。まるで旅館の入口かのごとく横に広がった玄関が女子野球部員をお出迎えしているようだった。
「それじゃあ、グラウンドの方も見に行こうか」
寮の裏に、広い庭がありそこをグラウンドとして使おうという目論見であった。しかし、実際にそのグラウンドに行ってみるとすぐに野球ができるほど整った環境ではなかった。石はごろごろ落ちていて、芝生の草が辺り一面に広がっている。草は定期的に抜かれているものの、五年ほどはほとんど手入れされていない状態だろうか。
「うわあ、思ったよりひどい状態だね」と成井が独り言のように呟いた。それに対し角が「こんなところでまともに野球できるの?」と疑問を呈す形で反応した。内藤監督は、「まあまあ、僕も初めてこれを見たときは驚いたけど、しっかりと整備すれば広さは十分だし、しばらくの我慢だよ、これは」と言った。
たしかに、グラウンドの広さとしては両翼80mほどは確保できるくらいの広さであるため、十分であるといえる。しかも、他の部活からの干渉もないため、整備さえできれば比較的恵まれた環境になりそうだ。
結局、この後は特に活動すること無く解散し、寮生組と通学生組とで分かれる形となった。
通学生組といっても、成井と奥炭だけだった。二人は歩いて徒歩十分ほど経った最寄り駅に向かう。それからは方向が逆になるため駅でお別れするといった形だ。
通学生組と寮生組で分かれた後、彼女たちは一緒の方向に歩き出した。成井も奥炭も共に背は小さく、どちらも同じくらいだ。また、成井も奥炭もどちらも髪を結んでいないが、成井はセンター分けで短い髪型であり、奥炭は髪をおろして背中の方まで髪がかかっていた。また、成井はずっとニコニコしていた。
「名前なんだっけ?」
「奥炭果歩・・・・・・」
「果歩ちゃんか、良い名前だね!私は成井酸桃だよ、よろしくね!」
「成井さん、よろしくお願いします」
奥炭は小声で呟くように言った。
「もう、そんな堅くならなくっていいって!」
成井は奥炭の肩を強く叩いた。不意に奥炭は「きゃっ」と声が出た。慌てて成井はフォローした。
「ごめんごめん、ちょっと強すぎちゃったかも」
「ううん・・・・・・いや、ちょっとびっくりしただけだから」
「本当ごめんね、私ってそこらへんの力加減ができないっていうか、独り言とかも多いけど気にしないでね」
「べ、別に大丈夫だよ」
「果歩ちゃん、ありがとう!あと、私のことはすももって呼んでほしいな。同期なんだし、さ?」
と成井に促され、奥炭は三秒ほど経ったのちに口を開いた。
「う、うん・・・・・・酸桃さん」
「さん付けじゃなくていいよ!呼び捨てかちゃん付けで呼んでほしいな」
「うん・・・・・・酸桃・・・ちゃん」
奥炭は顔を赤らめながら言った。
「やっぱ、果歩ちゃん可愛いね!果歩ちゃんとこれから毎日帰れるの幸せだなあ」
彼女たちは途中のコンビニでお菓子を買う寄り道をしたのもあって、合計で二十分ほど彼女たちは会話していた。その中で、ほとんどが成井が奥炭に質問をぶつける形だった。
「ねえ、ところで自己紹介で未経験者って言ってたけどさ、なんでここの部活に入ろうと思ったの?」
「えっと、それは・・・・・・」
彼女には親友がいた。その親友が野球をやっていたのだ。奥炭はその彼女の頑張りを陰ながら応援する形だった。奥炭は運動もあまり得意でないし、その親友からの野球に関する話もほぼ聞き流していた。親友自身の活躍については奥炭も興味を持ったが、関連事項、つまりプロ野球のニュースであったり野球のルールであったりそうしたことについては一切興味を抱けなかった。ことあるたびに親友は奥炭に対して「一緒に野球やってみない?」「キャッチボールだけでもいいからさ」と誘ったがそれを奥炭が断るというのが常套だった。
しかし、彼女は去年交通事故に遭ってしまい、二度と野球ができない体になってしまった。今もなお入院している。命に別状があるわけではないが、彼女が今まで共にやってきた野球という道が突然絶たれたのだ。その失意は大きい。
その中で、奥炭は少しでもその親友を励まそうと、高校で野球をやることを決意した。その親友に「野球をやりたい」という旨を伝えると、偶然にも今年新設する高校があることが分かった。学力でいえば奥炭の学力レベルより一段も二段も低い高校であったが、迷うことなく彼女は素田高校に入学した。
奥炭は野球を始めようと思ったきっかけを「友達がやっていたから」という形で無難に伝えた。せっかく成井が楽しそうに喋ってくれているのに少し重たい話をするのは気が引けると感じたからだ。
「なるほどね、いいね!高校から始めるなんてすごい勇気いることだったと思うけど、こうやって一緒にやれるって思えるとこれからすごく楽しみ!改めてだけどよろしくね!」と成井は反応し手を差し出した。奥炭も手を差し出して握手をした。
成井はワクワクするあまり、握手したまま腕を上下に強く振った。奥炭は「ちょっと、強いよ・・・・・・」と言って手を離した。
「ごめん、本当に私さ、やりすぎちゃうところあるから、不快に思っちゃったら本当にごめん」
「別に大丈夫だよ・・・・・・これから、よろしくね」
「うん!果歩ちゃん、よろしく!」
成井は歯を見せながら今日一番の笑顔をした。
ちょうどその話をしていたとき、彼女たちは駅前に着いていた。ちょうど成井が帰る方向の電車が来ていたため、成井は「ごめん!電車来ちゃったから先行くね!明日からもよろしく!」と言ってそのまま改札の方へと駆けていった。
奥炭は、成井のことをすごくエネルギッシュな人だなとずっと感じていた。奥炭自身、こういう感じの人と関わる機会があまりなかったため戸惑いの気持ちが強かったが、成井のワクワクする姿や笑顔を見ていると、彼女自身もなんだか温かい気持ちになれるような、そんな感じがした。
成井は電車の中でドアに寄りかかりながら一人呟いた。
「果歩ちゃんと一緒にスタメンで試合出たいな」
寮の方では部屋分けがなされていた。基本的に二人部屋という形になる。この部屋分けがこの一年間の生活を決めるといっても過言ではないため彼女たちにとっては非常に重要な決定となる。
とはいえ、彼女たちは基本的には初対面であるから、くじ引きで決めようという形になっていた。しかし、そこで松本が口を開いた。
「私さ、塩野さんと同じ部屋がいいな。ダメかな?」
部屋決めの話し合いは水岡主導で進められていた。その水岡が「桂さん、何で?」と理由を聞いた。
「塩野さんって、3組だよね?同じクラスの子と同じ部屋の方が良いかなって思って」
塩野は黙って頷いた。
「そっか、たしかに同じクラス同士同じ部屋の方がやりやすいか。え、この中にさ、同じクラスだよーとかってある?」
水岡は皆に聞いたが、そもそも誰がどこのクラスなのか把握できていなかった。唯一把握できていたのが、松本と塩野が同じクラスということだ。しかも、それも松本は塩野のことを把握していたが、塩野は松本のことを把握していなかった。そのため、水岡は皆にクラスを聞くことにした。
すると、実は相馬と角が同じクラスであることが分かったり、宝田と水岡が同じクラスであることが分かったりした。一方で、銀杏田と比石についてはそれぞれ別のクラスであった(銀杏田については奥炭と同じクラスだった)。そのため、部屋の割り振りとしては松本─塩野、相馬─角、宝田─水岡、銀杏田─比石という形に落ち着いた。
寮内の部屋は、二人用で八畳ほどの狭さである。共有スペースには洗面台やトイレがあり、浴槽は一つしかない。各部屋には二段ベッドと勉強用の長机が配置されており、長机は仕切りで区切られている。寮には広い食堂もあった。人数に見合わないほどの広さであったが、それは以前は寮生以外の学校生徒も利用できる場所であったからだ。そのためだろうか、玄関も立派に装飾されている。寮の一階はほとんどが食堂で、トイレ、洗面台、浴室も一部存在する。二階には各部屋があり、計6つの部屋が存在する。また、二階にもトイレが設置されており、食堂ほど広くはないが、リラックスできるスペースも備わっている。
今回、この寮が復活するということで食堂も復活することとなった。彼女たちは内藤監督に促される形で食堂に集合し、食堂の料理人に挨拶した。そして、すぐに夕食の時間となった。夕食の時間になったタイミングで内藤監督は寮をあとにした。
初日のメニューは歓迎の意味も込めて、かなりの量の唐揚げが振る舞われた。彼女たちは喜々としながら食べていた。初々しい会話も交わされた。「みんなどこに住んでるの?」といった話題や趣味についてなどそんな会話をして、全員のことを浅くではあるが知ることができる機会であった。
食事を済ませた後は、風呂の順番決め、そして清掃の担当分けをすることになった。ここも水岡主導で進められた。とはいっても、風呂の順番にしても清掃の担当分けにしてもじゃんけんで決めるような形になったのだが。
そして、そうした担当分けを決めたあとは、それぞれの部屋で過ごした。部屋で過ごしている中でも、新設されたLINEグループも活発に動いていた。というのも、通学生の成井が寂しがって皆に「寮どんな感じ?」といった形で話題を振ったからだ。
初日、入学式を迎えたというところもあってなかなか忙しい一日であった。そのため、大概の部屋は12時回る前に就寝した。一番最後に就寝したのは宝田の部屋で、それでも1時になる前には就寝していた。
校内のグラウンドを見渡すと、そこには野球用のユニフォームに身を包んだ女子生徒たちが立っていた。彼女たちはこの新たに誕生した女子野球部の誇り高き部員でベンチ前に円になって立っている。グラウンドのベンチ前に円を描いて立つ彼女たちは、これから野球の舞台に立つ意気込みを感じさせた。
「どんな人なんだろう?」
「すごいおじさんだったりしてね」
そんな会話が途切れ途切れされていた。初々しさと気まずさが混じり合い、あまり会話は弾んでいない様子だった。一部は手に持つグローブを何度も開いたり閉じたりしていた。
彼女たちは、監督を待っていた。しかも、この中にいる誰もが、果たして誰が監督なのかを知らないのだ。なぜなら、この女子野球部は今年が新設だからだ。ここにいる野球部の部員も一年生が十人しかいない。そして、学年集会のあとの諸連絡で「女子野球部は放課後にグラウンドのベンチ前に集合してほしい」という伝言を他の先生から言われたのだ。だから、誰もが監督の名前と顔を知らないし、どのような監督なのか──それは、まさにこれからの野球部としての生活にかかわってくるため、彼女らにとって非常に重要であった。
五分ぐらい待たされたのち、監督がグラウンドの中に入ってきた。グラウンドに入る前に一礼したのち、そのまま彼女らのもとへと向かった。監督はかなり若い男性だった。まだ20代だろうか。年のとったおじさんではなく彼女らは一安心した。
「待たせちゃってごめん。これで全員かな?」
「はい。これで全員だと思います」
一番背の高い子が答えた。
「オーケー、オーケー。それじゃあ、自己紹介していこうか」
監督は声が少し高かった。しかし、だからこそその声には親しみやすさがあった。
「あ、そもそも僕って一体誰なんだよってみんな思ってるよね?それじゃ、僕から。僕の名前は内藤優馬って言います。まあ、内藤でもなんでも気軽に呼んでください。よろしくね」
彼女らの拍手が聞こえた。悪い人ではなさそうで彼女らは安心した。
「じゃあ、どうしようかな。君から時計周りで自己紹介していこう。出身中学と、ポジション、あと何か趣味とかあったら言ってね」と監督に促され、彼女らの自己紹介が始まった。
「初めまして。宝田鈴奈です」
最初に自己紹介したのは宝田だった。彼女はポニーテールで縁が黒い眼鏡をかけていた。緊張しているのもあるのかとても丁寧に自己紹介を進めていった。
「ポジションはファーストです。趣味は野球観戦です。見るのもやるのも好きです。これから宜しくお願いします」
拍手ののち、次の子に自己紹介が移った。しかし、それでもなお一人の子は宝田の方をじっと見つめていた。
次に自己紹介したのは、水岡だった。彼女も、宝田の丁寧な自己紹介に従って丁寧かつ簡潔に自己紹介した。彼女は背が低く小柄で、愛くるしい目をしている。しかし、その中でも日焼けしている姿が、中学校時代に野球に打ち込んできたことを示している。
「水岡憐です。水尾かれんじゃなくて、名字が水岡なのでよろしくお願いします。ポジションは外野です。お願いします」
低い声であったが、その中に彼女の決意が宿っていた。
「相馬陽です。キャッチャーやってました。甘いものが大好きです。お願いします」
次に自己紹介したのは相馬陽だった。彼女は早口で自己紹介を終えた。彼女は顔を赤らめていて、こういった自己紹介に不慣れなのかもしれない。髪型はボブで、髪はさらさらしている。
「私は銀杏田心音といいます。ポジションはセカンドです。お願いします」
次に自己紹介した銀杏田はこのチームの中でも一番背が高く、どちらかというと小粒揃いのチームの中では見た目通り頭一つ抜けている。その背の高さから彼女はピッチャーをやっていたが投げすぎが原因で肘を故障してしまい、それ以来投手として活躍することが不能となった。しかし、一方で野手として野球を続けている。
次に紹介したのは塩野唯香だった。彼女は中学時代ピッチャーをやってきた。
「塩野唯香っていいます。ピッチャーやってました。お願いします」
彼女はマスクをしていた。もう少しで目にかかるのではというほどマスクを上げていた。そのため、彼女がどのような顔つきなのかはほぼ目元しか見えなかった。
次に自己紹介した人こそ、最初に宝田の方をじっと見つめていた人であった。
「次は私の番ですね。私は比石春飛と言います。中学時代はライトをやっていました。よろしくお願いします」
彼女は表情何一つ変えず言った。彼女からはクールな雰囲気が漂っていた。さらに続けて三人が自己紹介した。
「私は松本桂です。みんなと仲良くやっていきたいです。お願いします」
「角弗蘭です。このチームでどんどん勝っていきたいです。お願いします。ポジションは外野守れます」
「成井酸桃です。ポジションはサードです。宜しくお願いします」
最後に、自己紹介した奥炭は未経験者だった。それもあるのかすごく緊張している様子だった。
「わ、私・・・奥炭果歩って言います。ごめんなさい、みんなみたいに経験者じゃないんですけど、宜しくお願いします」
彼女の細々とした声とは対照的に大きな拍手の音が聞こえた。こうして十人の自己紹介を終え、内藤監督が口を開いた。
「良いね。みんなそれぞれポジションもばらけているし、これからが本当に楽しみだ。さて、遠方から来た人は多分寮に入るっていうことになっていたと思うんだけどその準備って出来ているかな?」
この女子野球部は今回県で初めての女子野球部ということで、県内の遠方から来ている子がほとんどであった。具体名をあげれば、成井と奥炭以外は遠方から来ている。そのため、この二人以外は寮生活することとなる。
寮の場所はこの学校から五分ほど歩いたところだ。もうかつて使われなくなった寮施設を今回使わせて頂くこととなった。さらに、幸運なことに寮の庭がグラウンドとして使えるだけの広さを有している。この寮の庭が女子野球部の本拠地となるのだ。
「寮の前には庭があってそれをグラウンドに改造しようと思う。だから、しばらくはグラウンド整備がメインになって練習はできない。一応、このグラウンドは基本的に男子野球部のもので水曜日だけ借りられる感じだから、そこのところもよろしくね。じゃあ、みんなグローブとか持ってもらってあれだけど、寮の方に行こうか」
と、内藤監督に促され一同は寮の方へと向かうことになった。中には練習ができずに残念そうに思っている人もいれば、果たして寮がどのような感じなのだろうかと期待に胸を膨らませる人もいた。
寮に到着すると、一同は目を瞠った。建物自体はそこまで新しい建物ではなく、ところどころ外壁に汚れが目立っている。しかし、三階建ての立派な建物と立派な玄関だった。まるで旅館の入口かのごとく横に広がった玄関が女子野球部員をお出迎えしているようだった。
「それじゃあ、グラウンドの方も見に行こうか」
寮の裏に、広い庭がありそこをグラウンドとして使おうという目論見であった。しかし、実際にそのグラウンドに行ってみるとすぐに野球ができるほど整った環境ではなかった。石はごろごろ落ちていて、芝生の草が辺り一面に広がっている。草は定期的に抜かれているものの、五年ほどはほとんど手入れされていない状態だろうか。
「うわあ、思ったよりひどい状態だね」と成井が独り言のように呟いた。それに対し角が「こんなところでまともに野球できるの?」と疑問を呈す形で反応した。内藤監督は、「まあまあ、僕も初めてこれを見たときは驚いたけど、しっかりと整備すれば広さは十分だし、しばらくの我慢だよ、これは」と言った。
たしかに、グラウンドの広さとしては両翼80mほどは確保できるくらいの広さであるため、十分であるといえる。しかも、他の部活からの干渉もないため、整備さえできれば比較的恵まれた環境になりそうだ。
結局、この後は特に活動すること無く解散し、寮生組と通学生組とで分かれる形となった。
通学生組といっても、成井と奥炭だけだった。二人は歩いて徒歩十分ほど経った最寄り駅に向かう。それからは方向が逆になるため駅でお別れするといった形だ。
通学生組と寮生組で分かれた後、彼女たちは一緒の方向に歩き出した。成井も奥炭も共に背は小さく、どちらも同じくらいだ。また、成井も奥炭もどちらも髪を結んでいないが、成井はセンター分けで短い髪型であり、奥炭は髪をおろして背中の方まで髪がかかっていた。また、成井はずっとニコニコしていた。
「名前なんだっけ?」
「奥炭果歩・・・・・・」
「果歩ちゃんか、良い名前だね!私は成井酸桃だよ、よろしくね!」
「成井さん、よろしくお願いします」
奥炭は小声で呟くように言った。
「もう、そんな堅くならなくっていいって!」
成井は奥炭の肩を強く叩いた。不意に奥炭は「きゃっ」と声が出た。慌てて成井はフォローした。
「ごめんごめん、ちょっと強すぎちゃったかも」
「ううん・・・・・・いや、ちょっとびっくりしただけだから」
「本当ごめんね、私ってそこらへんの力加減ができないっていうか、独り言とかも多いけど気にしないでね」
「べ、別に大丈夫だよ」
「果歩ちゃん、ありがとう!あと、私のことはすももって呼んでほしいな。同期なんだし、さ?」
と成井に促され、奥炭は三秒ほど経ったのちに口を開いた。
「う、うん・・・・・・酸桃さん」
「さん付けじゃなくていいよ!呼び捨てかちゃん付けで呼んでほしいな」
「うん・・・・・・酸桃・・・ちゃん」
奥炭は顔を赤らめながら言った。
「やっぱ、果歩ちゃん可愛いね!果歩ちゃんとこれから毎日帰れるの幸せだなあ」
彼女たちは途中のコンビニでお菓子を買う寄り道をしたのもあって、合計で二十分ほど彼女たちは会話していた。その中で、ほとんどが成井が奥炭に質問をぶつける形だった。
「ねえ、ところで自己紹介で未経験者って言ってたけどさ、なんでここの部活に入ろうと思ったの?」
「えっと、それは・・・・・・」
彼女には親友がいた。その親友が野球をやっていたのだ。奥炭はその彼女の頑張りを陰ながら応援する形だった。奥炭は運動もあまり得意でないし、その親友からの野球に関する話もほぼ聞き流していた。親友自身の活躍については奥炭も興味を持ったが、関連事項、つまりプロ野球のニュースであったり野球のルールであったりそうしたことについては一切興味を抱けなかった。ことあるたびに親友は奥炭に対して「一緒に野球やってみない?」「キャッチボールだけでもいいからさ」と誘ったがそれを奥炭が断るというのが常套だった。
しかし、彼女は去年交通事故に遭ってしまい、二度と野球ができない体になってしまった。今もなお入院している。命に別状があるわけではないが、彼女が今まで共にやってきた野球という道が突然絶たれたのだ。その失意は大きい。
その中で、奥炭は少しでもその親友を励まそうと、高校で野球をやることを決意した。その親友に「野球をやりたい」という旨を伝えると、偶然にも今年新設する高校があることが分かった。学力でいえば奥炭の学力レベルより一段も二段も低い高校であったが、迷うことなく彼女は素田高校に入学した。
奥炭は野球を始めようと思ったきっかけを「友達がやっていたから」という形で無難に伝えた。せっかく成井が楽しそうに喋ってくれているのに少し重たい話をするのは気が引けると感じたからだ。
「なるほどね、いいね!高校から始めるなんてすごい勇気いることだったと思うけど、こうやって一緒にやれるって思えるとこれからすごく楽しみ!改めてだけどよろしくね!」と成井は反応し手を差し出した。奥炭も手を差し出して握手をした。
成井はワクワクするあまり、握手したまま腕を上下に強く振った。奥炭は「ちょっと、強いよ・・・・・・」と言って手を離した。
「ごめん、本当に私さ、やりすぎちゃうところあるから、不快に思っちゃったら本当にごめん」
「別に大丈夫だよ・・・・・・これから、よろしくね」
「うん!果歩ちゃん、よろしく!」
成井は歯を見せながら今日一番の笑顔をした。
ちょうどその話をしていたとき、彼女たちは駅前に着いていた。ちょうど成井が帰る方向の電車が来ていたため、成井は「ごめん!電車来ちゃったから先行くね!明日からもよろしく!」と言ってそのまま改札の方へと駆けていった。
奥炭は、成井のことをすごくエネルギッシュな人だなとずっと感じていた。奥炭自身、こういう感じの人と関わる機会があまりなかったため戸惑いの気持ちが強かったが、成井のワクワクする姿や笑顔を見ていると、彼女自身もなんだか温かい気持ちになれるような、そんな感じがした。
成井は電車の中でドアに寄りかかりながら一人呟いた。
「果歩ちゃんと一緒にスタメンで試合出たいな」
寮の方では部屋分けがなされていた。基本的に二人部屋という形になる。この部屋分けがこの一年間の生活を決めるといっても過言ではないため彼女たちにとっては非常に重要な決定となる。
とはいえ、彼女たちは基本的には初対面であるから、くじ引きで決めようという形になっていた。しかし、そこで松本が口を開いた。
「私さ、塩野さんと同じ部屋がいいな。ダメかな?」
部屋決めの話し合いは水岡主導で進められていた。その水岡が「桂さん、何で?」と理由を聞いた。
「塩野さんって、3組だよね?同じクラスの子と同じ部屋の方が良いかなって思って」
塩野は黙って頷いた。
「そっか、たしかに同じクラス同士同じ部屋の方がやりやすいか。え、この中にさ、同じクラスだよーとかってある?」
水岡は皆に聞いたが、そもそも誰がどこのクラスなのか把握できていなかった。唯一把握できていたのが、松本と塩野が同じクラスということだ。しかも、それも松本は塩野のことを把握していたが、塩野は松本のことを把握していなかった。そのため、水岡は皆にクラスを聞くことにした。
すると、実は相馬と角が同じクラスであることが分かったり、宝田と水岡が同じクラスであることが分かったりした。一方で、銀杏田と比石についてはそれぞれ別のクラスであった(銀杏田については奥炭と同じクラスだった)。そのため、部屋の割り振りとしては松本─塩野、相馬─角、宝田─水岡、銀杏田─比石という形に落ち着いた。
寮内の部屋は、二人用で八畳ほどの狭さである。共有スペースには洗面台やトイレがあり、浴槽は一つしかない。各部屋には二段ベッドと勉強用の長机が配置されており、長机は仕切りで区切られている。寮には広い食堂もあった。人数に見合わないほどの広さであったが、それは以前は寮生以外の学校生徒も利用できる場所であったからだ。そのためだろうか、玄関も立派に装飾されている。寮の一階はほとんどが食堂で、トイレ、洗面台、浴室も一部存在する。二階には各部屋があり、計6つの部屋が存在する。また、二階にもトイレが設置されており、食堂ほど広くはないが、リラックスできるスペースも備わっている。
今回、この寮が復活するということで食堂も復活することとなった。彼女たちは内藤監督に促される形で食堂に集合し、食堂の料理人に挨拶した。そして、すぐに夕食の時間となった。夕食の時間になったタイミングで内藤監督は寮をあとにした。
初日のメニューは歓迎の意味も込めて、かなりの量の唐揚げが振る舞われた。彼女たちは喜々としながら食べていた。初々しい会話も交わされた。「みんなどこに住んでるの?」といった話題や趣味についてなどそんな会話をして、全員のことを浅くではあるが知ることができる機会であった。
食事を済ませた後は、風呂の順番決め、そして清掃の担当分けをすることになった。ここも水岡主導で進められた。とはいっても、風呂の順番にしても清掃の担当分けにしてもじゃんけんで決めるような形になったのだが。
そして、そうした担当分けを決めたあとは、それぞれの部屋で過ごした。部屋で過ごしている中でも、新設されたLINEグループも活発に動いていた。というのも、通学生の成井が寂しがって皆に「寮どんな感じ?」といった形で話題を振ったからだ。
初日、入学式を迎えたというところもあってなかなか忙しい一日であった。そのため、大概の部屋は12時回る前に就寝した。一番最後に就寝したのは宝田の部屋で、それでも1時になる前には就寝していた。
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