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前日譚 私は婚約破棄を選び取った
陽だまりを守りたい
しおりを挟む「レイ、この間のことなのだけど――」
愛らしい笑顔を向けてくれながら、彼女はいつものように私に温かで明るい世界を見せてくれる。
フェリが初めて私を陽だまりに導いてくれてから、早いもので2年が経った。
私への愛称もすっかり馴染んだものになっている。
彼女のころころと変わる表情を眺めるこの一時は、私の何よりも大切な時間だ。それは、初めての顔合わせから変わることはなく、――変わるとすれば、彼女への想いが深まっていくことだけだった。
愛らしく、そしてしなやかな強さを持った私の婚約者。
会う度に、そして会わない間にも愛しさが募る。
許されるものなら、ずっと彼女の傍にいたい。
そう願いながら私は少しずつ気づいてはいた。
彼女への想いが、王太子としてあるべき形から外れていることを。
軍に身を置くフェリの話には、多くの男性が現れる。
当然のことだ。軍は圧倒的に男性の方が多いのだから。
私とてそれを忘れることはなかったが、それでも、彼女には決して感づかせないように笑顔を浮かべて、胸の焦げ付きをやり過ごしていた。
理不尽な嫉妬だ。それを分かっていても理不尽な感情は湧き上がり続ける。
だが、彼女の身近にいることの出来る彼らに、私が見ることが叶わない彼女と時間を共に出来る彼らに、私が嫉妬することは、まだ許される範囲ではあっただろう。
嫉妬で留まれば良かったのだ。
けれど、私は、留まれなかった。
彼女の話は私を陽だまりに連れ出し、幸せを与えてくれる。それは確かな事実だったが、どうしても胸の痛みを覚える時間でもあった。
見えてしまうものがある。
ウィアート家の嫡子であり「女神の愛し子」たる彼女は、将来、軍の最上位である総司令官に就くことが期待されている。
だが、それは、王太子である私がいずれは王に即位することと、似て非なるものだ。
私は血筋で即位が保証されている。
私は立場に相応しくなるための努力を怠るつもりはないが、現実としては、よほどの事が無い限り、継承権が覆されることはない。
対して、軍の総司令官はウィアート家が務めているが、血筋だけではなく実力も求められるのだ。そして、血筋と実力が天秤にかけられれば、実力に重きが置かれる。
ウィアート家は嫡子に実力が足りないと判断すれば、有望な親族を養子に迎え、総司令官に就けていた。
軍という、命に直結する職業では、それも必要なことであり、また、あるべき姿なのだろう。
その状況で、彼女は総司令官に就くことを期待され、期待に応えようとしている。
総司令官に求められるものは、武芸の腕だけではないが、腕がなければ騎士たちが付いては来ない。
彼女は女性だ。武芸において、体格、筋肉の量で女性が不利になることは自明だ。
彼女の話を聞けば、彼女自身、それを分かっていることが伝わってくる。
彼女の側近候補であるヴィクターという少年との手合わせを話すとき、彼女の瞳には、いつも微かな羨望と陰りがあった。
聡い彼女は、将来訪れる自分の限界を客観的に見つめている。厳しい現実から目を逸らすことはない。
「女神の愛し子」である彼女は、有能な他の親族に立場を譲るとことはできない。
哀しいほどに聡い彼女は、そのことも理解している。
だから、限界が来るまでは、そして限界が来たとしても、周りからの期待に応えようと努力し続けるのだ。
「女神の愛し子」であるために。
不安だった。
限界を迎えたとき、ここまで努力している彼女はどうなってしまうのだろう。
陽だまりが消えてしまうのではないだろうか。
彼女は壊れてしまうのではないだろうか。
彼女はそのとき私に傷を見せてくれるのだろうか。
見せてくれたとして、私は――、
「レイと次に会うときまでには、上手くできるようになっていたいわ」
私に曇り無い笑顔を向けて、鍛錬の話をしてくれるフェリに笑顔を返す。
「女神の愛し子」でなくてよいのだと、ただ、私の傍にいてくれるだけで良いのだと、喉元までせり上がる叫びを、笑顔で抑え込む。
彼女の努力を否定する、決して口にしてはいけない私の身勝手な想いを、お茶と共に飲み込む。
魂に陽だまりを持つ彼女だ。
予期された限界も、時間をかけて乗り越えていくだろう。
理性はそう告げてくる。
だが、許せなかった。
フェリが傷つくことは、耐えがたかった。彼女の笑顔を曇らせることすら、許せなかった。
女神の伝承に、女神自身は闘わない記述がないかと国中の伝承を探したこともある。
守護神の女神は、戦神だ。どの伝承も、女神が戦場で先陣を切り闘ったという部分は変わらなかった。
神たるものが、なぜ人の世界にそこまで介入するのだと、恨んだところで遙か昔からの伝承は変えられない。
「女神の愛し子」である彼女は、武芸を極め、闘わなければいけないのだ。
道を断たれたというのに、私は諦めきれない。
フェリを「女神の愛し子」とした、艶やかな銀の髪と紫の瞳。
見惚れてやまない美しい色だが、この色さえなければ彼女は「女神の愛し子」から解放される。成長と共に髪の色が変わることは、よく耳にすることだ。彼女の色が変わらないかと、変わって欲しいと幾度となく願った。
邪な願いは叶わない。
年を追うごとに銀の髪は艶を増し、紫の瞳は鮮やかさを増す。彼女は女神の色を纏ったままだった。
むしろ美しさを増した彼女の色は、より女神に近づいてしまったのかも知れない。
この2年で愛らしさから、ほのかに美しさが加わり始めたフェリは、女神の色も相まって、とかく人目を惹くようになり、改めて「女神の愛し子」と、もて囃されている。
彼女の努力も知らず、ただ外見に見蕩れる者を目にして、私は腹立たしさを覚えたが、彼女が「女神の愛し子」であり続けるもどかしさに比べれば、それは微々たるものだった。
衰えるどころか、勢いを増す「女神の愛し子」としての彼女への期待に、私は幾度となく女神の伝承を呪った。
なぜ、銀の髪と紫の瞳なのだ。
なぜ、神たるものの色が伝わっているのだ。
このような伝承がなければ、彼女は自由に武芸を楽しみ、自由に他の道も選ぶことができるというのに。
詮無きことを考え続け、ついにはフェリが期待から逃げ出してくれないかとすら思うようになった。
本末転倒だ。
期待を受け止め、幸せに変えるのが、彼女の本質だというのに。
彼女らしさが失われるというのに、彼女が自身の限界に傷つくよりはと、思ってしまう。
だが、今になって思えば――、
私がここまで「女神の愛し子」というフェリの立場を疎んだのは、無意識に私は彼女を喪うかも知れない恐れを抱いていたのではないだろうか。
それが真実かどうかを知る術はないが、確実に言えることは他にあった。
私はもう、この時既に王太子として抱くべき、穏やかで緩やかな想いから完全に踏み外していた。
彼女の陽だまりを、私の何よりも愛しい陽だまりを脅かすものは、何であれ許せなかった。
だから、彼女の腕が血に染まらずとも、いつか同じ道を辿ったのだろう。
あの日の出来事は、その時期を早めただけだったのだ。
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