この愛を思い知れ

我利我利亡者

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 ユージーンは孤独な子供だった。生まれた一族は地域一帯に強い影響力を持つ由緒正しい素封家だったが、その金や権力は後暗い商売を元に築かれたもので、そんな家の血を引く彼に阿る者は居ても親しみを覚えてくれる相手はいなかったからだ。ユージーンは女子供を攫って売り捌き弱者を食い物にする家業を疎んじてはいたが、ただそこに生まれただけの子供にできる事はなく……。また、家業を嫌う子供を家族も愛さず、たった一人で豪華な部屋に閉じ込められるようにして放置されていた。
 他にも兄弟が居てたった一人の跡取りでもなし、類い稀なる犯罪の才能がある訳でもなし、おまけに家業に対する情熱も理解もない。価値があるのはその血と美しい顔立ちだけ。いずれはどこかの有力な一族と縁を繋ぐ為婿入りする道具になるだろう。その時まで飼い殺され、それ以上は望まれない。そんな人生が決定づけられていた。
 転機が訪れたのはユージーンが十歳の時。彼の世話に汚れ仕事もこなせる家の使用人の人手を取られる事を嫌った両親が、世話係に専用の奴隷を買ったのだ。当時十六になったばかりだと言うその奴隷は、朝日のように眩しい金髪と若葉のような瑞々しい緑眼が印象的なエリックという名の美しい青年で、ユージーンは一目見てこの奴隷を気に入った。跪いたエリックに優しく微笑みかけられ、生まれて初めて誰かにそんな事をしてもらったユージーンは、あっという間にその奴隷の虜となったのだ。
 ユージーンはそりゃあもう目一杯エリックを可愛がった。同じテーブルで自分と同じ食事を摂らせ、身に付けさせるのも上等な物ばかり。手を上げたり怒鳴りつけたりした事など一度もなく、それどころか学のないエリックに勉強を教え、ずっと傍に連れたがり、その様子はどちらが主人か分かりゃしないと陰口を叩かれた程だ。
 エリックもそんな幼い主人をよく慕い、家事をする間ちょこまか後ろを着いてくるユージーンに笑みを零し、彼が強請るがまま毎晩添い寝をして、求められれば何度でも頭を撫でてやった。エリックは美しいだけでなく中身もとても優秀な奴隷だ。学はなく口も達者な方ではないが頭の回転が速く、よく気も利く。そのせいでユージーンの元から無理矢理貸し出され、接待の場や一族の女の外出に付き合わされる事がままあった。あんな落ち零れよりも自分の所に来い。もっといい思いをさせてやる。どれだけそう囁かれても、エリックは必ずユージーンの元へ帰ってきた。腹いせに折檻を受けようが、どれだけ脅されようが、必ず。ユージーンはその事が泣きたくなる程嬉しくて堪らなかった。
 親の愛も身を守る立場もないユージーンには、エリックだけだ。ユージーンにとってエリックは大切な奴隷で、慕うべき兄で、唯一頼れる相手だった。エリックさえ居てくれれば後は何も要らない。唯一ユージーンの傍に居てくれて決して軽んじないエリックは、彼にとって何にも変え難い存在だった。例え、エリックが自分にぞんざいな対応をしないのは、彼が買われた奴隷で自分が買った主人だからだとしても……。
 そして、エリックがユージーンの元に来てから二年が経った。ユージーンは十二歳、エリックは十八歳。相変わらず二人は仲良く穏やかに暮らしていた。ただ、月日が経てば全てが何も変わらず、とはいかない訳で……。ユージーンとエリックの間に、新しい関係ができていた。
 始まりはある朝、目覚めたユージーンが下半身に覚えのない不快感を察知した所から始まる。恐る恐る布団を剥ぎ下衣を捲ってみると、下着の中が白くベットリした液体で汚れている。ユージーンが戸惑っているとその日も添い寝をしていたエリックが隣で目を覚まし、その様子を眺め全てを察して不安に涙目のユージーンを抱き上げた。
「エリック。僕は病気なのか?」
「違いますよ、ユージーン様。それは精通と言って、あなたが大人の仲間入りをした証です。もうこんな風に寝ている間に下着を汚してしまわないよう、俺が対策を教えて差し上げます」
 クスンと鼻を鳴らすユージーンを抱き締め、ユラユラ揺れて宥めながらエリックは幼い主人の下肢に手を伸ばす。ユージーンのツルリとしたペニスにエリックの無骨な指が絡みつき、ゆっくり柔らかい手付きで弄り始める。初めての快感に身悶えする小さな体をやんわりと押さえつけながら、エリックはユージーンを優しく導き、手解きをした。やがて、快感を極めたユージーンは達し、息も絶え絶えエリックの手の中に精を吐き出す。白い肌を火照らせクッタリと身を預けるユージーンに、エリックはよくできましたと蕩けるような笑みを零し、汗ばんだ額にキスを落とすのだった。
 それまで知らなかった快感も、一度覚えてしまえば夢中になるのはあっという間だ。歳頃のユージーンも直ぐに自慰に嵌った。より正確に言うと、エリックに自慰に。ユージーンがエリックに求める事の中に、夜寝る前だけにするお強請りが加わった。
 エリックはあの手この手でユージーンを悦ばせる。最初はペニスに対する手淫だけだったが、そのうち手管に口淫が加わり、男でも後ろで感じる事ができると本で知ったユージーンがせがめばアナルに指を差し入れ、その指がエリック自身のペニスに変わるまではあっという間だった。まだ成長途中の主人の体をエリックは丁寧に解し、優しく組み敷いて、自分の快楽など二の次でユージーンが感じる事を一番に苛んだ。それがユージーンをどれだけ喜ばせた事か。若い二人は毎晩のように互いを求め、交合いあった。
 ユージーンにはエリックだけだ。エリックだけが孤独を埋め、心の傷を癒し、傍に寄り添ってくれた。それだけの事でも、幼いが故に未熟で誰からも愛して貰えなかった心が、ただの奴隷でしかない相手に傾いてしまうのは当然と言えよう。でも、きっとエリックは同じように思ってはくれていない。優しい彼は、哀れな主人に情けをかけてくれているだけだろう。それでもよかった。エリックが傍に居てくれるのなら、それだけで自分はどんな事にでも耐えられる。そう思いながら、ユージーンは毎夜のようにエリックを求め続けた。
 こうして日々は穏やかに続いていくかと思われたが、しかし、何事にも終わりというものはある。ユージーンの十五歳の誕生日の日、かれこれ数年間エリックを無理矢理連れ出す以外なんの接触も計って来なかった両親から伝言が届いた。一年後、ユージーンが十六歳の誕生日を迎え成人した暁には、彼をどこぞの有力貴族の元へ嫁がせるのだという。
 この国では男同士でも結婚できる。相手は男色の趣味はないが、酷い嗜虐趣味があってそのせいで今まで妻を何人も殺してきてしまったのだという。それで、今度は女よりも丈夫な男を娶り、長く楽しめるようにする事に決めたんだとか。幸か不幸か美しく育ったユージーンは貴族のお眼鏡にかなったらしい。絵姿を見てこれなら欲しいと笑ったそうだ。ユージーンの家族はその場で沢山の見返りと引替えに、彼の婚約を取り決めてきた。こうして、ユージーンのその後の一生はアッサリと決まったのだ。
 嫁いでいくのだからある程度の嫁入り道具や使用人は連れて行く事ができるだろうが、エリックは連れて行けないと言われた。他家へ嫁ぐのだから我が家の為に買った奴隷は置いていけ、という事らしい。実際はただ、エリックという上等な奴隷をユージーンの厄介払いと共に手離したくないだけだろう。ユージーンの母も姉妹も、いいやそれどころか男の親族だって、優秀で美丈夫のエリックを欲しがっていた。ユージーンにしか懐かない生意気な奴隷でも、主人が遠くに行けば諦めて従順になるとでも考えたのかもしれない。ユージーンにもエリックにも、選択の余地は残されていなかった。
 ユージーンの婚約を伝えられたその晩。二人はいつものようには蜜事は行わず黙って抱き締めあってベッドに横たわった。エリックと離れる事や悲惨な将来は確かに悲しかったが、それ以上にユージーンを支配するのは諦念だ。いつかこんな日が来る事は分かっていた。それこそ幼い頃から家の役に立てと言い聞かされて育ってきたし、ユージーンを生かしてきたこの上質な環境はタダで供与されてきたわけではない。例え家の為だろうと悪事に手を染められないユージーンは、こういう形でしかこれまでのうのうと生きてきた代償を払う術がないのだ。
 エリックは何を考えているのだろう。彼は何も喋らず、黙って強くユージーンを抱き締めている。若しかすると、それが全ての答えなのかもしれない。エリックは優秀だからきっと残していっても家族にぞんざいに扱われる事はないに違いないし、ひょっとするとユージーンに義理立てして反抗しなくていい分今よりもっと楽に暮らせる可能性すらあった。家族に目をかけてもらえば、今は奴隷の立場でもいずれは自らの所有権を買い上げ市民権だって取得する事も可能だ。力のないユージーンにはそれを叶えてやれない。つくづく役に立たない自分が嫌になって、ユージーンはそれ以上何も考えなくて済むように眠りに落ちる努力をするのだった。
 それから始まった十六歳までのかけがえのない一年は、これまでと変わらず恙なく過ぎていく。何をするにもその先に待ち受ける終わりが付き纏い苦しくなったが、仕方がないと諦めてしまえばそれまでだ。ただ、ユージーンはエリックとの最後の時間をこの先死ぬまでの心の支えにする為に、一つも忘れないよう努力するだけに留めた。エリックの事は愛しているけれどこの気持ちが叶うなんて思った事はないし、何よりエリックは自分の事なんか我儘な主人としか思っていないだろう。そう察していたからこそ、諦めるのは昔から大得意だった。
 そして、ユージーンの誕生日……即ち輿入れまで後半月に迫った、ある日の事である。ユージーンの一族の体面を損なわない程度に揃えられた嫁入り道具は既に先方に送られていて、後は数日後に遠くにある貴族の屋敷を目指して、輿入れに間に合うよう旅立つだけだ。今ある持ち物は殆どがみすぼらしいからと捨てられるし、後には纏める程にも残らなかった。ユージーンにできる事はもう何もない。せめて少しでもエリックの温もりの記憶を体に刻み付けようと、同じベッドに潜り込んで体を寄せるのが唯一ユージーンがした事だった。
 いつものようにエリックの胸元に顔を寄せ眠りにつこうとして、ふとユージーンは違和感を覚える。普段は優しくユージーンを受けいれてくれるエリックの体に、不自然に力が入って強ばっていたからだ。いやに緊張した様子である。どうしたのだろうか? 妙に思ったユージーンが声をかけようとしたのと、外で大きな破壊音がしたのは同時だった。
 驚いたユージーンが体を起こして事態の把握を図る、その前にエリックに頭を押えられ起き上がれなくなる。不安になってエリックを見上げるとシッ、と唇の前で指を立て静かにしているようにジェスチャーされた。何が起きているのか分からなくて不安が隠しきれないユージーンと違い、エリックはやけに落ち着いている。まるで、。遠くに聞こえる人の争う音や破壊音を聞きながら、ユージーンはエリックの腕の中で震え続けた。
 やがて白々と夜も明ける頃。一族の住まう豪華な本邸から少し離れた敷地内に建てられた、ユージーンの住む別邸に何者かが入り込んでくる音が聞こえてきた。さっきまで外はあれ程争う音で騒がしかったのに、今は不気味な程に静かだ。ガチャガチャと金属音を立てながら重い足音は別邸中を動き回り、やがてユージーンとエリックの居る寝室の前までやってきた。扉に鍵はかけていない。見つめる視線の先で、勢いよく扉が開かれる。
 開いた扉の向こう側に居たのは、甲冑を身につけた騎士だ。世間知らずのユージーンは分からなかったが、この国の治安維持組織としては一番強い権力を持つ第一騎士団の腕章をつけている。荒々しく入室してきたその騎士はベッドの上の二人をギロリと睥睨し、口を開いた。
「そいつがユージーンか?」
 こちらを睨みつける騎士の視線の冷たさに、ユージーンは思わずエリックの体に身を寄せる。いつものように安心させようとエリックが体を抱いて背中を撫でてくれる事を期待したが、しかしエリックは動かない。どうして? 突然現れた重武装の騎士の存在よりも自分を気にしてくれないエリックに驚いて、ユージーンは思わず横に居る青年の顔を見上げる。エリックは恐ろしい程に淡々とした目で騎士の事を見ていた。
「エリック……?」
「ユージーン。今まで一族ぐるみで重ねてきた数々の犯罪行為を理由に、他の奴等は使用人も含めてもう全員逮捕した。残るはお前だけだ。大人しく投降しろ。抵抗しなければ手荒にはしない」
 恐る恐るエリックの服を引くユージーンだったが、エリックは何も答えない。ただ、ようやくユージーンを見たその瞳は相変わらずなんの感情も熱も伴っておらず、優しく、しかし断固たる強さで服を掴むユージーンの手を外した。呆然とするユージーンの手を、いつの間にか部屋に踏み込んできていた騎士が乱暴に掴む。
「おい、手を煩わせるな。さっさと来い。非協力的な態度を取るようなら、それ相応の対応をするぞ!」
「……乱暴に扱うな。を忘れたとは言わさんぞ」
「チッ! 分かってるよ、五月蝿ぇな! エリック、隊長が呼んでいるからお前はあいつについて行け。この餓鬼は俺が連行する」
「でも」
「さっさと行け。それとも、お前の方がを破る気か?」
「……」
 エリックはその騎士をギロリと睨みつつも、言われた通り他の騎士の後について行ってその場を離れる。多少はユージーンの事を気にした様子はあったが、振り返る事はない。部屋を出ていくその背中を、ユージーンは為す術なく見守るしかなかった。
 今のエリックと騎士の会話。どう考えても明らかに知り合いのそれだ。どうしてエリックと突然家に踏み込んできたこの騎士が知り合いなんだ? いやそれよりも、さっき騎士は一族を全員逮捕したと言わなかったか? 一族は騎士団とも癒着していて罪を摘発される事はないと常々言っていたのに、どうして……。様々な疑問がユージーンの頭の中を乱舞する。混乱して一言も話す事が叶わないまま、ユージーンは引き摺られるようにして屋敷の敷地外へと連れ出された。
 屋敷の外には檻付きの荷馬車が数台停めてあり、檻の中には飾り立ててはいるものの抵抗して汚したらしいみすぼらしい格好をした一族の人間や使用人達がギュウギュウに詰め込まれている。自分もあの中に入れられるのかと思ったが、不思議な事にユージーンが乗せられたのはボロくはあるものの普通の馬車だ。とはいえ手足は鎖で繋がれ、馬車の中に備え付けられた金具に留められてしまったが。それでも普通に座面に座らせてもらっているだけ、一族達よりはマシな扱いと言っていい。ユージーンを乗せて直ぐ馬車は出発し、ガタゴトとどこかを目指して走り出した。
 ユージーンが連れていかれたのはどこかの石造りの要塞のような建物だ。漏れ聞こえる話を総合すると、どうやらこの地方の騎士の詰所らしい。そこでユージーンは狭い独房に入れられた。清潔で乾いた独房だが、明かりが少なく暗い。最初の内は日に何時間か聴取を受けていたが、ユージーンが爪弾き者でろくに内情を知らないと分かるとそれもなくなる。独房で寒さに膝を抱えながら、ユージーンは牢番が聞かせてくる下世話な話を聞き続けるしかなかった。
 牢番曰く、ユージーンの一族は地方で長年のさばり続けてた経験を元に、自惚れのあまり欲張ってて弑逆を企てたらしい。領主を殺し、空いた席に自分達が座ろうとしたのだ。勿論、そんな馬鹿な企みが上手くいく筈もない。さまざまな機関との癒着が酷く、混乱をきたすよりはと長年目零しされ続けていた一族の横暴は、とうとう一族を根絶やしにする事で潰される事が決まった。謀反を企てたのだから、当然の報いだ。
 一族の命運は尽き、悪事に加担した使用人も含めて大人は全員拷問の末縛り首に。子供は肉刑を受けた後犯罪奴隷に身分を落とされるらしい。ギリギリとは言え一応まだ未成年に分類されるユージーンも奴隷になる。温室育ちのお前に奴隷暮らしは辛かろう。俺にするのなら、俺が買取って可愛がってやってもいいぞ。どこかが欠けていてもは色々ある。下卑た牢番はそんな事を言う。しかし。ユージーンはその言葉に怯えないし嫌悪感も表さない。鼻白む牢番に、ユージーンはこう言った。
「エリックは? エリックはどうなったの?」
 身を落とした今となっても、ユージーンが気になるのは愛するエリックの事だけだ。一族の人間だけでなく使用人も刑を受ける事になるのなら、エリックはどうなるのだろう。エリックはもう二十一歳だ。彼はユージーンの身の回りの世話ばかりしていて汚らわしいには関わっていなかったけれど、実情はどうであれ纏めて処罰されてしまえば命が危うい。心配で思わず表情を曇らせるユージーンをどう思ったのか。牢番は瞳に生き生きとした輝きを取り戻しユージーンに嘲る表情を向けた。
「まさかお前、エリックが何者なのか知らないのか? あいつはな、騎士団がお前の一族の内部情報を探る為に送り込んだ諜報員だよ。最初っからお前の一族を陥れる為にあそこに居たんだ。取り入って情報を掴みやすくしてこいとは言ったが、まさかここまで気にいられているとは! あいつもなかなかやるもんだ!」
 牢番の言葉にユージーンは愕然とするしかない。ああ、なんという事だろう。別に、エリックのせいで一族が没落した事はどうでもいい。元々滅べばいいと思っていたのだし、彼等が企てた事から考えればなるべくしてなった結果だ。恨むのは筋違いだろう。
 しかし、エリックは目的があって一族に……つまりはユージーンに近づいたのだという。その目的の為に気に入られるようにとの命令も受けていたらしい。と、いう事は。エリックが優しくしてくれたのも、いつも傍に居てくれたのも、情を傾けてくれたのも、全部情報収集という目的達成の為の偽りの姿だったのだろうか? そんな考えがユージーンの頭の中を駆け巡る。
 別に、ユージーンは自分がエリックに心から愛されていると思う程自惚れてはいない。エリックがユージーンを抱いたのは主従関係を笠に着て命令されたからか、欲もろくに発散できない奴隷生活で魔が差して据え膳に手を出してしまったからだろう。それでも、ユージーンはエリックに同情かあるいは哀れみに基づいた優しさを向けられているのだと信じていた。エリックは優しいから。しかし、牢番の言葉を聞いた後ではその信じていた気持ちですら偽りの物だったのだと揺らいでしまう。ユージーンは目の前が真っ暗になった。
 色をなくしたユージーンを、牢番がニヤニヤ笑いで見ている。どんな下卑た言葉にも無感動だったユージーンが、唯一打ちのめされる話題を見つけたのだ。それからずっと、牢番はユージーンにエリックの事を伝え彼が苦しみ悲しそうな顔をするのを眺めた。
 エリックは摘発の立役者として陛下から直々にお褒めの言葉を賜ったらしいだとか、元々貧しい生まれだった彼は今回の事で叙勲され叙爵もされるかもしれないだとか。どうやらエリックの人生はユージーンの一族を摘発した事で上手く回り始めたようだ。あんなにも近くに居て愛していた筈の人は、今はあまりにも遠くの存在にしか思えなかった。
 牢番に虐められる毎日を過ごし、そしてとうとうユージーンが肉刑を受け売られる日がやってくる。この頃にはもう、ユージーンはすっかり痩せ細り幽霊のように青白く線の細い体になっていた。迎えに来た人間に連れられ、ユージーンはトボトボと独房を出ていく。もう自分の人生や今後の事なんてとてもじゃないが考えられない。生きる気力をなくしたユージーンは導かれるまま石造りの廊下を歩き、ある部屋へと入室した。そこで肉刑を受けるのかと思いきや、そこに居たのは。
「ユージーン」
 自分の名を呼ぶ懐かしいその声に、ユージーンは思わずビクリと体を揺らした。なんで。どうして。ユージーンの頭の中をそんな言葉が走り回る。黙り込んで俯いたまま動けずにいるユージーンの前に、誰かが立った。カタカタ震えるユージーンの顎を、無骨な指がソッと掬い上げる。上げさせられた視線の先に居たのは、いつになく立派な服装に身を包んだエリックだった。
「……少し痩せたな」
「飯はちゃんと出てたそうだ。しっかり食わなかったのはそいつ自身の責任だろう」
「……チッ」
 今まで自分の前では見せなかったエリックの粗野な態度に、ユージーンはビクリと肩を揺らす。エリックはその様子に目を細めたが、何も言わずユージーンを連れてきた人間に何か書類のようなものを差し出した。
「ほら、確かめろ」
「……確かに。後はこちらは関知しない。好きにするといい」
 それだけ言うと、ユージーンとエリックを残し後の人間は部屋を出ていった。エリックは何か言いあぐねた様子でジッとユージーンの顔を見ていたが、顎を掴んでいた指をソッと外し、それからようやく決心をしたらしく口を開く。
「久しぶりだな、ユージーン。誕生日、一緒にいられなくて済まなかった」
 ユージーンは言われて初めて自分の誕生日が一週間程前に過ぎていた事、エリックに誕生日を祝ってもらう約束をしていた事を思い出した。十六歳の誕生日と同時に嫁入りが決まっていたユージーンは誕生日当日はエリックとは一緒に居られない事が分かり切っていたが、それでも事前にであっても最後の誕生日を祝ってもらいたかったのだ。
 どうして今、エリックはそんな事を謝るのだろう。既に一族の摘発という目的は達成したんだから、今更僕の誕生日なんてどうでもいいだろうに。それに、この喋り方。エリックはいつも丁寧な言葉遣いだったから、何だか慣れない。まあ、もう僕の奴隷のフリをする必要はないんだから、仕方がないんだろうけど。そう困惑するあまり、ユージーンはエリックの声掛けに答えるのも忘れた。……それがいけなかったのだろうか。ユージーンを見つめたまま、エリックはグッと何かを堪えるかのように唇を噛んだ。
 突然、エリックは着込んでいた上着を脱ぎ、それをユージーンの頭から被せた。いきなりの事に驚いて目を白黒させているユージーンを今度は浮遊感が襲う。そして、膝の裏と背中に他人の温もりが。ユージーンが上着で隠された上でエリックに横抱きにされていると気がついた時にはもう、エリックは部屋を出て歩き出していた。
 どうしてエリックはこんな事をするんだろう。困惑するユージーンをエリックは外まで連れ出して停まっていた馬車に乗せ、自分もその隣に乗り込んだ。二人が乗り込むと馬車は直ぐに走り出す。小一時間走っている間ユージーンは被せられた上着を取り去る事も許されず、ずっと自分の肩を抱き寄せるエリックの真意が分からずビクビクしていた。
 やがて馬車はどこかへ停り、エリックはまたユージーンを抱き上げ歩き出す。扉や鍵の開閉音がしてからエリックがソッとユージーンを地面に下ろし、被せていた上着を取り除く。するとユージーンの目の前に拡がっていたのは、こじんまりとしつつも綺麗に掃除されて居心地のよさそうな家だった。
「ユージーン、今日からここがお前の家だ。疲れているだろうから案内はまた明日にしよう。取り敢えず何か食うか。いくら何でも今のお前は痩せ過ぎだ」
 そう言ってエリックはユージーンの手を引いて台所に行き、そこにあった椅子に座らせる。エリックは手早く料理を作り、それをユージーンの目の前に置いた。困惑のあまり固まっていたユージーンだったが、その隣に座ったエリックがジッとその顔を見つめ続けて落ち着かないので、とうとう観念して出された料理にを手をつけざるを得ない。久々の温かい食事は身に染みる。ゆっくりと食事を続けるユージーンを眺めながら、エリックはとんでもない事を口にした。
「ユージーン。お前の事は仕事の褒美として特別に肉刑なしの恩赦と共に俺が国から貰い受けた。お前は今、俺の奴隷だ」
「え……。な、何を」
「いいから聞け。さっきも言った通りお前には今日からここで過ごして貰う。鎖では繋がないが、敷地からは出るなよ。庭は広いが門の傍には近づくな。できる限り外には出ず、家の中で過ごせ。それさえ守れば、後は好きに過ごしていい。家事や仕事をやる必要もない。ただ……」
 エリックの手がユージーンの腰に回る。呆然とエリックの顔を見上げるユージーンを抱き寄せ、エリックはその唇にキスをした。舌で唇を割り開き、腰に回された手が怪しく動き回る。タップリ時間をかけてユージーンを味わってから、エリックはようやく唇を離した。
「……俺がお前に求めるのはだけだ。お前と離れていたこの一ヶ月はとても長かった。今夜は期待しているぞ」
 それだけ言い置くと、エリックは名残惜しげに指先でユージーンの背筋を撫でてから、席を立って部屋を出ていく。後に残されたのは怒涛の展開に理解が追いつかず呆然とするユージーンただ一人。結局ユージーンは様子を見に来たエリックが気がつくまで固まっていて、その頃には既に折角の料理は冷めてしまっていた。
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