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【第1部】9.金平糖
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「神崎会長、お久しぶりです」
バーのママが、会長の神崎を前に丁寧に頭を下げた。
トモは、神崎の少し後ろに立ち、それを見守る。もう一人、今日はカズという青年も一緒だ。彼は神崎の経営する会社社員だ。
「裕美さん、相変わらず綺麗だねえ」
「お上手なこと」
「いやいや、裕美さんはずっと変わらない。私は老いぼれたけどね」
「いいえ、素敵にお年を召されてますよ」
どうぞ、とママが会長やトモたちを店内に促し、個室に案内した。
トモは付いていきながらも、視線でとある女性の姿を探した。
(ミヅキ、今日はいないのか)
以前にも何度か個室に通されたことがあった。
一年程前、人と話し合いをするという神崎についてきた時だ。その時は個室ではなかったため、客や店員の顔を眺めることができた。その時に、何度かあってトモにインパクトを残した女子高生、ミヅキに再会した。右こめかみの傷は彼女が発端だったが、もうこの女子高生に会うことはないと思っていた。格好は変わっていたが、彼女だとすぐにわかった。
「どうぞ、こちらに」
席を勧められ、会長の神崎が座ったあとに、向かい側にトモとカズは座った。
「お酒とお料理、お持ちしますね」
ママが言い、部屋を出た。
すぐにママが酒やアイスペールをトレイに乗せて持ってきた。その後ろから、いくつかの料理を持ったこの店の一番人気のホステスが入ってきた。そしてもう一人──ミヅキではない。
(やっぱりミヅキはいないのか……金曜日だからいると思ったんだけどな)
神崎はVIP扱いだ。この店のオーナーが彼だからである。
彼が来店するときはよく個室を押さえてくれる。付く女性も粗相なしの常識のある者を付けてくれるようだ。といってもこの店の従業員は、他店よりは常識も良識もある者ばかりだ。神崎と裕美ママの意向もあり、自然と残るのはそのような者だけのようだ。
「いらっしゃいませ」
神崎の隣にママが座り、カズの隣に一番人気のレイナ、そしてトモの隣には名前も知らないホステスが付いた。
「今日はどういった組み合わせかしら」
「一つ新しい事業を始めようと思ってね、その打ち合わせに二人と一緒に行った帰りだよ。どこかで食事でもと思ったら、こちらの影山が裕美ママの店がいいと、ね」
神崎は小さく笑った。
「まあ、いつもご贔屓いただいてありがとうございます」
裕美ママも優雅に笑った。
「贔屓?」
「ええ、こちらの影山様にはご贔屓にしていただいていますよ」
ママが余計なこと言った、とトモは苦虫をかみつぶしたような表情を見せた。この店に来ていることなど神崎は知らないことなのに。
「そうだったのか。ふーむ、それは私も知らなかったよ」
「あら、秘密にしておいたほうがよかったのかしら」
ママは不敵に笑った。
(絶対わざとだろ……)
別に疚しいことはない、事実だ。だが、ばらされたくはなかったのが本音だ。後で追求されても面倒だからだ。
「何飲まれますか?」
名前は知らなかったが、見かけたことはあったような気がする。彼女はナナというらしい──ナナが酒を勧めてきた。
「いや、自分は運転係なんで」
「そうなんですか? 残念ですね。じゃあ、ソフトドリンク、お持ちしましょうね」
ナナは立ち上がり、部屋を出た。
カズのほうはレイナとやりとりをしている。
ナナがコーラを入れたグラスを持って戻ってきた。
料理は、刺身や山芋ステーキなど居酒屋のメニューのような料理が並んでいる。どれも美味そうで、刺身といくつかのつまみを除いては、ママと従業員の自作らしい。バーで出てくるとは思わないものもあった。
「お取りしましょうか」
「いや、自分で取るからいい」
「……ミヅキには優しいのにわたしには冷たいんですね」
ナナは口を尖らせた。
彼女も、ミヅキを贔屓にしていることはわかっているようだ。
「そんなつもりはない」
「えー、そうですか?」
神崎とママ、カズとレイナは楽しそうに談笑しているが、トモはひたすら料理を食べている。ナナはつまらなさそうだ。
「ミヅキを指名されてますけど、何が気に入ったんですか?」
「別に気に入ってるわけじゃない」
「ええ? じゃあ、今度はわたしも指名してくださいよ」
トモの腕に自分の腕を絡め、故意にかわからないが胸を押し付けてくる。
「今度な」
「今度っていつですか?」
「今度は今度だ」
この女はこの店からすぐいなくなりそうなタイプだな、とトモは思った。あまり頭が良くなさそうだ。食事をしている客の腕に絡めてくるなんて、相手のことを考えていない。カズとレイナを盗み見したが、レイナはカズにしなだれかかる様子はない。食事をするカズの隣で、話を聴きながら相槌を打ったり、さりげなく物の位置を変えたり、取り皿を交換したりしている。神崎とママも同様だった。
「……つまんない」
ナナのぼやきが聞こえたのか、
「ナナちゃん、二番のテーブルのヘルプに入ってくれる? それとレイナ、ちょっとそろそろだから見てきてくれるかしら」
ママが暗にナナに下がるように言い、レイナには何かを指示した。
二人は部屋を出て行った。下がったあと、
「ナナが申し訳ありません」
だし巻き卵にかぶりついている所にママが言った。
ふとトモは気付く。ママがホステスを呼ぶときの呼び方に違いがある。
(さっきの子だけ、ちゃん付けなんだな。この店は、ママがちゃん付けするホステスは出来が悪いみたいだな)
「え、いや、別に」
気にも留めず、だし巻き卵を平らげる。
「ママ、申し訳ない。影山が無愛想なばっかりに」
「いえいえ。影山様が無愛想なんてことは全くありませんよ」
ママはまた不敵に笑った。
(なんだ、この笑いは……)
「いつも贔屓にしてくれる子がいるようで」
(うわ、余計なこと言った)
「そうなのか。その子は今日はいらっしゃらないのかな?」
神崎が妙に興味を持ち始めた。面倒くさいな、と思ったスルーを決め込むことにした。
しばらくするとレイナが戻ってきた。
ママに、
「OKです」
耳打ちすると、彼女は「よかった」と笑った。
何か企んでいるのだろうかと思ったが、自分には関係なさそうだと判断した。
「トモさん、これ美味いですね」
カズが小声で言ってきた。
「ああ、美味いな」
聞こえてしまったようで、
「ありがとうございます」
ママが嬉しそうに笑った。
レイナは今度はトモの隣に座った。
「あっちじゃなくていいのか」
「ナナが退席したので、今度はわたしがと思いまして」
「別にいいよ。若いほうがあんたも楽しいだろ」
「若いとかそういうのは関係ないですよ。どんな方でも楽しく美味しく飲食していただくのがわたしたちの仕事ですから」
「…………」
「寧ろ、ミヅキじゃなくてごめんなさい、って思ってますよ」
「ごめんなんて思う必要はないだろ」
ぶっきらぼうに言った。
(俺が勝手に期待しただけだし──期待……? 何を期待したんだ)
もぐもぐと動く口は止めなかった。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「神崎会長、お久しぶりです」
バーのママが、会長の神崎を前に丁寧に頭を下げた。
トモは、神崎の少し後ろに立ち、それを見守る。もう一人、今日はカズという青年も一緒だ。彼は神崎の経営する会社社員だ。
「裕美さん、相変わらず綺麗だねえ」
「お上手なこと」
「いやいや、裕美さんはずっと変わらない。私は老いぼれたけどね」
「いいえ、素敵にお年を召されてますよ」
どうぞ、とママが会長やトモたちを店内に促し、個室に案内した。
トモは付いていきながらも、視線でとある女性の姿を探した。
(ミヅキ、今日はいないのか)
以前にも何度か個室に通されたことがあった。
一年程前、人と話し合いをするという神崎についてきた時だ。その時は個室ではなかったため、客や店員の顔を眺めることができた。その時に、何度かあってトモにインパクトを残した女子高生、ミヅキに再会した。右こめかみの傷は彼女が発端だったが、もうこの女子高生に会うことはないと思っていた。格好は変わっていたが、彼女だとすぐにわかった。
「どうぞ、こちらに」
席を勧められ、会長の神崎が座ったあとに、向かい側にトモとカズは座った。
「お酒とお料理、お持ちしますね」
ママが言い、部屋を出た。
すぐにママが酒やアイスペールをトレイに乗せて持ってきた。その後ろから、いくつかの料理を持ったこの店の一番人気のホステスが入ってきた。そしてもう一人──ミヅキではない。
(やっぱりミヅキはいないのか……金曜日だからいると思ったんだけどな)
神崎はVIP扱いだ。この店のオーナーが彼だからである。
彼が来店するときはよく個室を押さえてくれる。付く女性も粗相なしの常識のある者を付けてくれるようだ。といってもこの店の従業員は、他店よりは常識も良識もある者ばかりだ。神崎と裕美ママの意向もあり、自然と残るのはそのような者だけのようだ。
「いらっしゃいませ」
神崎の隣にママが座り、カズの隣に一番人気のレイナ、そしてトモの隣には名前も知らないホステスが付いた。
「今日はどういった組み合わせかしら」
「一つ新しい事業を始めようと思ってね、その打ち合わせに二人と一緒に行った帰りだよ。どこかで食事でもと思ったら、こちらの影山が裕美ママの店がいいと、ね」
神崎は小さく笑った。
「まあ、いつもご贔屓いただいてありがとうございます」
裕美ママも優雅に笑った。
「贔屓?」
「ええ、こちらの影山様にはご贔屓にしていただいていますよ」
ママが余計なこと言った、とトモは苦虫をかみつぶしたような表情を見せた。この店に来ていることなど神崎は知らないことなのに。
「そうだったのか。ふーむ、それは私も知らなかったよ」
「あら、秘密にしておいたほうがよかったのかしら」
ママは不敵に笑った。
(絶対わざとだろ……)
別に疚しいことはない、事実だ。だが、ばらされたくはなかったのが本音だ。後で追求されても面倒だからだ。
「何飲まれますか?」
名前は知らなかったが、見かけたことはあったような気がする。彼女はナナというらしい──ナナが酒を勧めてきた。
「いや、自分は運転係なんで」
「そうなんですか? 残念ですね。じゃあ、ソフトドリンク、お持ちしましょうね」
ナナは立ち上がり、部屋を出た。
カズのほうはレイナとやりとりをしている。
ナナがコーラを入れたグラスを持って戻ってきた。
料理は、刺身や山芋ステーキなど居酒屋のメニューのような料理が並んでいる。どれも美味そうで、刺身といくつかのつまみを除いては、ママと従業員の自作らしい。バーで出てくるとは思わないものもあった。
「お取りしましょうか」
「いや、自分で取るからいい」
「……ミヅキには優しいのにわたしには冷たいんですね」
ナナは口を尖らせた。
彼女も、ミヅキを贔屓にしていることはわかっているようだ。
「そんなつもりはない」
「えー、そうですか?」
神崎とママ、カズとレイナは楽しそうに談笑しているが、トモはひたすら料理を食べている。ナナはつまらなさそうだ。
「ミヅキを指名されてますけど、何が気に入ったんですか?」
「別に気に入ってるわけじゃない」
「ええ? じゃあ、今度はわたしも指名してくださいよ」
トモの腕に自分の腕を絡め、故意にかわからないが胸を押し付けてくる。
「今度な」
「今度っていつですか?」
「今度は今度だ」
この女はこの店からすぐいなくなりそうなタイプだな、とトモは思った。あまり頭が良くなさそうだ。食事をしている客の腕に絡めてくるなんて、相手のことを考えていない。カズとレイナを盗み見したが、レイナはカズにしなだれかかる様子はない。食事をするカズの隣で、話を聴きながら相槌を打ったり、さりげなく物の位置を変えたり、取り皿を交換したりしている。神崎とママも同様だった。
「……つまんない」
ナナのぼやきが聞こえたのか、
「ナナちゃん、二番のテーブルのヘルプに入ってくれる? それとレイナ、ちょっとそろそろだから見てきてくれるかしら」
ママが暗にナナに下がるように言い、レイナには何かを指示した。
二人は部屋を出て行った。下がったあと、
「ナナが申し訳ありません」
だし巻き卵にかぶりついている所にママが言った。
ふとトモは気付く。ママがホステスを呼ぶときの呼び方に違いがある。
(さっきの子だけ、ちゃん付けなんだな。この店は、ママがちゃん付けするホステスは出来が悪いみたいだな)
「え、いや、別に」
気にも留めず、だし巻き卵を平らげる。
「ママ、申し訳ない。影山が無愛想なばっかりに」
「いえいえ。影山様が無愛想なんてことは全くありませんよ」
ママはまた不敵に笑った。
(なんだ、この笑いは……)
「いつも贔屓にしてくれる子がいるようで」
(うわ、余計なこと言った)
「そうなのか。その子は今日はいらっしゃらないのかな?」
神崎が妙に興味を持ち始めた。面倒くさいな、と思ったスルーを決め込むことにした。
しばらくするとレイナが戻ってきた。
ママに、
「OKです」
耳打ちすると、彼女は「よかった」と笑った。
何か企んでいるのだろうかと思ったが、自分には関係なさそうだと判断した。
「トモさん、これ美味いですね」
カズが小声で言ってきた。
「ああ、美味いな」
聞こえてしまったようで、
「ありがとうございます」
ママが嬉しそうに笑った。
レイナは今度はトモの隣に座った。
「あっちじゃなくていいのか」
「ナナが退席したので、今度はわたしがと思いまして」
「別にいいよ。若いほうがあんたも楽しいだろ」
「若いとかそういうのは関係ないですよ。どんな方でも楽しく美味しく飲食していただくのがわたしたちの仕事ですから」
「…………」
「寧ろ、ミヅキじゃなくてごめんなさい、って思ってますよ」
「ごめんなんて思う必要はないだろ」
ぶっきらぼうに言った。
(俺が勝手に期待しただけだし──期待……? 何を期待したんだ)
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