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それから
❶
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「お邪魔しまーす。……難航してるねえ、荷解き」
僕の新居であるアパートの玄関を開けるなり、彼女は笑ってそう言った。
「うるさい……」
「ひどいなあ。終わらないから手伝ってって言ってきたのは、そっちでしょ?」
「……春輝は?」
「もう少しで来るって。寝坊した挙句、道に迷ったってさ」
「相変わらずだ……」
「ふふ、疲弊してるねえ。引っ越しは初めて?」
「……まあ」
「じゃあ、この引っ越しの先輩に任せなさい」
「ありがとうございます先輩……」
「あはは、本当に限界だね、アキくん」
勝手知ったる顔でソファに座った雪ちゃんに、「お茶出せないよ」と苦笑すると、「むしろ、私が差し入れ持ってきたから」と、膨らんだエコバッグを揺らしながら言われた。ちなみにそのソファは、両親と春輝と僕の四人で、小一時間唸りながら選んだ代物である。
「冷蔵庫はあるでしょ? アイス買ってきたから、冷やしたいな」
「備え付けのやつがあるよ。ありがとう。僕、仕舞ってくるから、雪ちゃんは座ってて」
「ありがとう。はい、これ」
ガサッと渡されたアイスの袋三つを、ほとんど何も入っていない冷凍室に放り込む。
「仕舞ってくるって言ったって、こんなに近いんだったら、私が行ったほうが早かったね」
「うるさい。男一人で住むんだから、これくらいでいいでしょ」
リビングと台所が一つになった、ワンルームの部屋は、確かに手狭だったけれど、二階の角部屋だし、近くにコンビニもあるし、一大学生が暮らすには充分だった。冷蔵庫や洗濯機が備え付けなのもありがたい。
「みんなで集まる時手狭だといやじゃん」
「家を溜まり場にする気なの?」
「だめ? まあ、私と春輝くんとアキくんだけだし、余裕で入るか」
「僕の意見を聞いてよ……」
「いやなの?」
「いいけど」
「ほら、いいじゃん」
にっ、と雪ちゃんは笑って、エコバッグの中からペットボトルの水を取り出して一口飲んだ。
「……なんか、雪ちゃんさ」
「うん。どうしたの?」
「……ヒマリに似てきたね」
「えー、なにそれ。あ、髪伸びたからじゃない? 今、伸ばしてるんだよねぇ。確かに、ヒマリちゃんくらいの長さかもね」
違う、と僕は言おうとして、口を噤んだ。自分でも、どこが似ているのか言語化できないのだ。それに、言われてみれば、彼女の髪はずいぶん伸びて、どことなくヒマリっぽかった。
「ヒマリちゃんかあ、懐かしいね。……いや、忘れた日は一日だってないけどさ、なんか、こうやって話題に上がるの、久しぶりじゃない?」
「ああ、……まあ、確かに」
思えば、ヒマリがかえってから、もう、二年経つのだ。月日が流れるのは早いなあ、なんて、到底十八歳らしくない感想が浮かぶ。
「あ、そうだ。これね、今月のお手紙。……届けてほしいな」
「……わかった」
彼女は、次は自分のショルダーバッグから、ゆるい猫のイラストが描かれた封筒を取り出して僕に渡した。例の手紙だ。
あれから、春輝も雪ちゃんも、毎月欠かさず、僕に一通か二通の手紙を預けてくれていた。ヒマリのベッドの上は、もう、いろんな柄の封筒でいっぱいになっている。
「……ヒマリちゃん、元気?」
「……元気……なんじゃない?」
正直に言うと、ヒマリがまだこの世に存在している、という体でいるのは、少し疲れるようになってきた。初めの頃は、それで彼らが悲しまずに済むなら、と覚悟を決めていたのだが、人というのはどうしようもない生き物で、嘘を突き通すのが辛くなってきたのだ。
それでも、どうしても、生きているのといないのとでは、絶対に心持ちが違うだろうから、僕は二人には、絶対に隠し通す覚悟でいた。
いたのだけれど。
「ねえ、アキくん。……隠さなくていいよ」
「……なんの、話?」
「……ヒマリちゃんって、今、どこにいるの?」
「……それ、は、えっと、すごく遠くの……」
「……本当は」
すう、と、彼女の呼吸の音だけが、やたら鮮明に聞こえる。
「本当は、もう、いないんじゃない?」
「……な」
なにをばかな、と、そう言おうとした。けれど、彼女の目は真剣そのもので、自分の首を真綿で絞めてるみたいな、ゆるい諦めの色が滲んでいたものだから、僕はなにも言えなくなってしまって、開いた口をゆっくり閉じた。
「……やっぱり、そうなんだ」
「……どうして、そう思ったの?」
「いろいろ引っかかるところはあったけど……あの連絡マメなヒマリちゃんが、一切連絡できなくなるなんて、只事じゃないなって。LINEもできないとか、あり得ないし。だってヒマリちゃんって、三秒で既読付くような子だったんだよ?」
彼女は、よいしょ、とソファに体育座りして、頬を膝に乗せて、こう続けた。
「あとは、まあ、アキくん見てたら、すぐ、なんとなく分かったよ。……アキくんは、結構、嘘、下手っぴだよね。ヒマリちゃんの近況の話になった時、いっつも目が泳いでるの、気付いてた?」
「……」
「……ひょっとしたら、あの子は病気で、何か、余命とかがあったのかな、とかも、考えたんだけど。でも、あんなに元気だったんだから、それもあんまり現実味ないなって。そしたら、もう、私、よくわからなくなってきちゃって。……ねえ、教えてよ、アキくん」
さら、と、真黒の髪が、肩から背中の方に落ちた。
「あの子は、……ヒマリちゃんは、今、どこにいるの?」
窓に、小さな水滴が、いくつか付いていた。どうやら、雨が降ってきたらしい。
僕の新居であるアパートの玄関を開けるなり、彼女は笑ってそう言った。
「うるさい……」
「ひどいなあ。終わらないから手伝ってって言ってきたのは、そっちでしょ?」
「……春輝は?」
「もう少しで来るって。寝坊した挙句、道に迷ったってさ」
「相変わらずだ……」
「ふふ、疲弊してるねえ。引っ越しは初めて?」
「……まあ」
「じゃあ、この引っ越しの先輩に任せなさい」
「ありがとうございます先輩……」
「あはは、本当に限界だね、アキくん」
勝手知ったる顔でソファに座った雪ちゃんに、「お茶出せないよ」と苦笑すると、「むしろ、私が差し入れ持ってきたから」と、膨らんだエコバッグを揺らしながら言われた。ちなみにそのソファは、両親と春輝と僕の四人で、小一時間唸りながら選んだ代物である。
「冷蔵庫はあるでしょ? アイス買ってきたから、冷やしたいな」
「備え付けのやつがあるよ。ありがとう。僕、仕舞ってくるから、雪ちゃんは座ってて」
「ありがとう。はい、これ」
ガサッと渡されたアイスの袋三つを、ほとんど何も入っていない冷凍室に放り込む。
「仕舞ってくるって言ったって、こんなに近いんだったら、私が行ったほうが早かったね」
「うるさい。男一人で住むんだから、これくらいでいいでしょ」
リビングと台所が一つになった、ワンルームの部屋は、確かに手狭だったけれど、二階の角部屋だし、近くにコンビニもあるし、一大学生が暮らすには充分だった。冷蔵庫や洗濯機が備え付けなのもありがたい。
「みんなで集まる時手狭だといやじゃん」
「家を溜まり場にする気なの?」
「だめ? まあ、私と春輝くんとアキくんだけだし、余裕で入るか」
「僕の意見を聞いてよ……」
「いやなの?」
「いいけど」
「ほら、いいじゃん」
にっ、と雪ちゃんは笑って、エコバッグの中からペットボトルの水を取り出して一口飲んだ。
「……なんか、雪ちゃんさ」
「うん。どうしたの?」
「……ヒマリに似てきたね」
「えー、なにそれ。あ、髪伸びたからじゃない? 今、伸ばしてるんだよねぇ。確かに、ヒマリちゃんくらいの長さかもね」
違う、と僕は言おうとして、口を噤んだ。自分でも、どこが似ているのか言語化できないのだ。それに、言われてみれば、彼女の髪はずいぶん伸びて、どことなくヒマリっぽかった。
「ヒマリちゃんかあ、懐かしいね。……いや、忘れた日は一日だってないけどさ、なんか、こうやって話題に上がるの、久しぶりじゃない?」
「ああ、……まあ、確かに」
思えば、ヒマリがかえってから、もう、二年経つのだ。月日が流れるのは早いなあ、なんて、到底十八歳らしくない感想が浮かぶ。
「あ、そうだ。これね、今月のお手紙。……届けてほしいな」
「……わかった」
彼女は、次は自分のショルダーバッグから、ゆるい猫のイラストが描かれた封筒を取り出して僕に渡した。例の手紙だ。
あれから、春輝も雪ちゃんも、毎月欠かさず、僕に一通か二通の手紙を預けてくれていた。ヒマリのベッドの上は、もう、いろんな柄の封筒でいっぱいになっている。
「……ヒマリちゃん、元気?」
「……元気……なんじゃない?」
正直に言うと、ヒマリがまだこの世に存在している、という体でいるのは、少し疲れるようになってきた。初めの頃は、それで彼らが悲しまずに済むなら、と覚悟を決めていたのだが、人というのはどうしようもない生き物で、嘘を突き通すのが辛くなってきたのだ。
それでも、どうしても、生きているのといないのとでは、絶対に心持ちが違うだろうから、僕は二人には、絶対に隠し通す覚悟でいた。
いたのだけれど。
「ねえ、アキくん。……隠さなくていいよ」
「……なんの、話?」
「……ヒマリちゃんって、今、どこにいるの?」
「……それ、は、えっと、すごく遠くの……」
「……本当は」
すう、と、彼女の呼吸の音だけが、やたら鮮明に聞こえる。
「本当は、もう、いないんじゃない?」
「……な」
なにをばかな、と、そう言おうとした。けれど、彼女の目は真剣そのもので、自分の首を真綿で絞めてるみたいな、ゆるい諦めの色が滲んでいたものだから、僕はなにも言えなくなってしまって、開いた口をゆっくり閉じた。
「……やっぱり、そうなんだ」
「……どうして、そう思ったの?」
「いろいろ引っかかるところはあったけど……あの連絡マメなヒマリちゃんが、一切連絡できなくなるなんて、只事じゃないなって。LINEもできないとか、あり得ないし。だってヒマリちゃんって、三秒で既読付くような子だったんだよ?」
彼女は、よいしょ、とソファに体育座りして、頬を膝に乗せて、こう続けた。
「あとは、まあ、アキくん見てたら、すぐ、なんとなく分かったよ。……アキくんは、結構、嘘、下手っぴだよね。ヒマリちゃんの近況の話になった時、いっつも目が泳いでるの、気付いてた?」
「……」
「……ひょっとしたら、あの子は病気で、何か、余命とかがあったのかな、とかも、考えたんだけど。でも、あんなに元気だったんだから、それもあんまり現実味ないなって。そしたら、もう、私、よくわからなくなってきちゃって。……ねえ、教えてよ、アキくん」
さら、と、真黒の髪が、肩から背中の方に落ちた。
「あの子は、……ヒマリちゃんは、今、どこにいるの?」
窓に、小さな水滴が、いくつか付いていた。どうやら、雨が降ってきたらしい。
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