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それから
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耐え切れない沈黙が、しばらく続いた。
彼女は、緊張した面持ちのまま、ペットボトルの水をもう一口飲み込んで、ふーっとため息をついた。
「……信じない、と思う」
「それでもいいよ」
「……どうして、そんなに知りたいの?」
「……あの子は、私の、一番大事な友達だから」
その笑顔が、あまりにもヒマリと似ていたものだから、僕は思わず目線を逸らしそうになる。それでも、逸らしちゃいけない、と僕は思う。ここで逃げてしまうのは、だめな気がする。
「……すごく、荒唐無稽な話だよ。……僕を、嘘つき呼ばわりしたって、構わない」
「しないよ。アキくんは、こういう時、嘘つけない人だもん」
僕はゆっくり深呼吸して、勉強机の椅子を彼女の前まで持ってきて、そこに座って、それから、ヒマリのことを、最初から説明した。
「僕らは、幼馴染みじゃなかった」
「そっか」
「……彼女は、実は、……僕の母さんの、お姉さんなんだ」
「……うん」
「でも……」
ここから先を話すのは、彼女にとって酷なことなんじゃないかと思った。
やっぱり秘密、と言おうとして、彼女の真剣な目を見て、……ああ、不誠実だな、と思って、僕は腹を括った。
「……彼女は、彼女が高校一年生、母さんが中学三年生の時に、死んでる」
雪ちゃんの目が少し大きくなって、その表情のまま固まって動かなくなった。
「……死んでる、の?」
「うん。ヒマリは……正しくは、母さんのお姉さんは、もうこの世の人じゃない」
「……ええと、ちょっと待って、混乱してきた。じゃあ、えっと……私たちが一年間一緒に過ごしてきたあの子って、幽霊だったの?」
「幽霊……とは、違う、と思う。……神様に、空からおろしてもらった、って言ってたかな」
「そっか。……じゃあ、天使だったんだ、ヒマリちゃん」
天使。なるほど、と僕は思った。確かに、彼女は、天使のような人だった。
「……そうかもね」
それから僕は、ヒマリから伝え聞いたことを、かいつまんで雪ちゃんに説明した。母の周りに不幸が起きやすいらしい、ということ。次は僕が死ぬはずだった、ということ。それを守ってくれたこと。僕が死を免れたことで、負の連鎖が断ち切れたこと。全て、ヒマリのおかげだということ。
雪ちゃんは、目を瞑ってしばらく考えたあと、ゆっくり目を開けて、微笑んだ。
「……そっか。……ちょっと、正直、まだ、気持ちが整理できてないんだけど。でも、……ヒマリちゃんって、変わらないんだね、ずっと」
「……信じてくれるんだ。こんな、事実無根な話。僕が、騙してからかおうとしてるとか、思わないの?」
「思わないよ。アキくん、そういう性格悪いこと楽しめるような人じゃないもん。もう、三年も一緒にいるんだから、それくらいわかるよ」
悲しくなるほど優しい顔で雪ちゃんがそんなことを言うから、僕は今日初めて彼女から目を逸らして、慌てて話題を変えた。
「……ヒマリが、変わらないっていうのは、どういうこと?」
「なんて言えばいいかな……好きな人、大事な人のために、そこまでできるのって、すごいなって思ったよ。自分の中で、絶対に曲げられない何かがある、ってことでしょ? それが、ヒマリちゃんにとっては、妹の……アキくんのお母さんの笑顔を、守り切ることだったんだ」
羨ましいね、と、彼女は、水をもう一口飲んで続ける。
「ヒマリちゃんのことは、高一の時からずっと尊敬してるけど、改めて、思った。あの子は、すごいね」
「……そうだね」
きみも、充分尊敬に値する、すごい人だと思うけれど。
僕は、そんなことを考えて、……けれど、流石にそれを口に出すほどの勇気は持ち合わせていなかったから、代わりに立ち上がって、手近にあった鋏で一番近くの段ボールのガムテープを切った。
中を見ると、一番上に、梱包材に包まれた写真立てが二つ入っていた。
「……なんの写真?」
隣から覗き込んで来た雪ちゃんが、不思議そうな顔でそう訊いてきた。僕は、梱包材を鋏で取り除きながら答える。
「これは、高一の冬、四人で遊びに行った時のやつ。ヒマリが撮ってたチェキ、一枚もらった。……ヒマリが写ってるのは、これしか持ってなくて」
「こっちは?」
「……姉さんの写真」
僕は、少し恥ずかしくなって、梱包材をプチプチ潰しながらそう言った。薄茶色の木のフレームの中で、中学校の制服を着た姉が、こちらに向かってピースしている。確か、卒業式の時に撮られたものだ。その隣では、屈託ない表情のヒマリと、はしゃぎすぎて少しブレている春輝と、ぎこちなく笑う僕らが、一枚の紙にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「……お姉さんの写真持ってきたの?」
「……悪い?」
「いや、悪くないけど……」
「……一人暮らし始めたら、どうせ生活習慣がぐちゃぐちゃになるだろうから、持って行けって、母さんが。……お姉ちゃんに見張られてたら、大丈夫でしょ、って」
へえ、と呟いた彼女は、写真を見るのをやめて顔を上げて、真っ赤な僕を見るや否や、みるみる口角をあげて、ニコニコしながらこう言った。
「シスコンなんだね、アキくんは」
「……うるさい」
「否定しないんだ?」
「……」
僕は無言のまま、少しだけ彼女を睨みつけた。彼女は、僕の反応が面白かったのか、ますます勢いづいて、こう続けた。
「いいじゃん。私、兄弟いないから、羨ましいな。家族仲がいいってことでしょ? ……まあでも、親御さんの写真はなくて、お姉さんの写真があるってことは、まあ、そういうことだよね。お姉さんだけ、特別なんだ」
「……やめて……」
「あ、でも、そう考えると、ヒマリちゃんも、結構シスコンか。空からこっちに来ちゃうくらい、妹さんのこと大好きだったんだもんね。……じゃあ、もう、そういう家系なのかも」
「どういう家系だよ……」
「シスコンになる家系」
やたら大真面目な顔で雪ちゃんがそんなことを言うから、僕はつい吹き出してしまった。
「なにそれ」
「ふふ。……笑ってくれて良かった。ヒマリちゃんの話振ってから、アキくん、ずっと暗い顔してたからさ。ちょっと責任感じちゃってたんだよね。触れちゃダメな話題だったかな? って」
「……いや。きっと、このまま言わないでいるより、ずっと良かった。変に気遣わせちゃって、ごめん。……ありがとう」
「ううん。こっちこそ。話してくれて、ありがとう。……春輝くんが来たら、春輝くんにも、ちゃんと話してあげようね。あの人、結構ちゃんと理系だから、こんなおとぎ話みたいなことは、信じるのに時間かかるかもしれないけど」
「春輝の理解力は、文系も理系も関係ないと思うけど……。でも、一緒に説明してくれる?」
「もちろん」
ふふ、と彼女はもう一度笑った。僕もつられて、口角を引き上げる。
「じゃあ、お礼に私も、秘密、暴露しちゃおっかな。一個だけ」
「うん。なに?」
「……私ね。ずっと、ヒマリちゃんに憧れてたの。……髪、伸ばしてるって、言ったでしょ? これね、あの子の真似っこ。たまたま似てるんじゃないの。わざとなの。……こうしてると、あの子が、ずっと一緒にいてくれてるような気がして」
「……ずっと、一緒にいるよ、ヒマリは。ずっと、僕らのこと、見てくれてるよ」
「そっか」
「うん」
ぴんぽーん。気の抜けた音が響いて、二人で顔を見合わせて笑う。
春輝が来た。
彼女は、緊張した面持ちのまま、ペットボトルの水をもう一口飲み込んで、ふーっとため息をついた。
「……信じない、と思う」
「それでもいいよ」
「……どうして、そんなに知りたいの?」
「……あの子は、私の、一番大事な友達だから」
その笑顔が、あまりにもヒマリと似ていたものだから、僕は思わず目線を逸らしそうになる。それでも、逸らしちゃいけない、と僕は思う。ここで逃げてしまうのは、だめな気がする。
「……すごく、荒唐無稽な話だよ。……僕を、嘘つき呼ばわりしたって、構わない」
「しないよ。アキくんは、こういう時、嘘つけない人だもん」
僕はゆっくり深呼吸して、勉強机の椅子を彼女の前まで持ってきて、そこに座って、それから、ヒマリのことを、最初から説明した。
「僕らは、幼馴染みじゃなかった」
「そっか」
「……彼女は、実は、……僕の母さんの、お姉さんなんだ」
「……うん」
「でも……」
ここから先を話すのは、彼女にとって酷なことなんじゃないかと思った。
やっぱり秘密、と言おうとして、彼女の真剣な目を見て、……ああ、不誠実だな、と思って、僕は腹を括った。
「……彼女は、彼女が高校一年生、母さんが中学三年生の時に、死んでる」
雪ちゃんの目が少し大きくなって、その表情のまま固まって動かなくなった。
「……死んでる、の?」
「うん。ヒマリは……正しくは、母さんのお姉さんは、もうこの世の人じゃない」
「……ええと、ちょっと待って、混乱してきた。じゃあ、えっと……私たちが一年間一緒に過ごしてきたあの子って、幽霊だったの?」
「幽霊……とは、違う、と思う。……神様に、空からおろしてもらった、って言ってたかな」
「そっか。……じゃあ、天使だったんだ、ヒマリちゃん」
天使。なるほど、と僕は思った。確かに、彼女は、天使のような人だった。
「……そうかもね」
それから僕は、ヒマリから伝え聞いたことを、かいつまんで雪ちゃんに説明した。母の周りに不幸が起きやすいらしい、ということ。次は僕が死ぬはずだった、ということ。それを守ってくれたこと。僕が死を免れたことで、負の連鎖が断ち切れたこと。全て、ヒマリのおかげだということ。
雪ちゃんは、目を瞑ってしばらく考えたあと、ゆっくり目を開けて、微笑んだ。
「……そっか。……ちょっと、正直、まだ、気持ちが整理できてないんだけど。でも、……ヒマリちゃんって、変わらないんだね、ずっと」
「……信じてくれるんだ。こんな、事実無根な話。僕が、騙してからかおうとしてるとか、思わないの?」
「思わないよ。アキくん、そういう性格悪いこと楽しめるような人じゃないもん。もう、三年も一緒にいるんだから、それくらいわかるよ」
悲しくなるほど優しい顔で雪ちゃんがそんなことを言うから、僕は今日初めて彼女から目を逸らして、慌てて話題を変えた。
「……ヒマリが、変わらないっていうのは、どういうこと?」
「なんて言えばいいかな……好きな人、大事な人のために、そこまでできるのって、すごいなって思ったよ。自分の中で、絶対に曲げられない何かがある、ってことでしょ? それが、ヒマリちゃんにとっては、妹の……アキくんのお母さんの笑顔を、守り切ることだったんだ」
羨ましいね、と、彼女は、水をもう一口飲んで続ける。
「ヒマリちゃんのことは、高一の時からずっと尊敬してるけど、改めて、思った。あの子は、すごいね」
「……そうだね」
きみも、充分尊敬に値する、すごい人だと思うけれど。
僕は、そんなことを考えて、……けれど、流石にそれを口に出すほどの勇気は持ち合わせていなかったから、代わりに立ち上がって、手近にあった鋏で一番近くの段ボールのガムテープを切った。
中を見ると、一番上に、梱包材に包まれた写真立てが二つ入っていた。
「……なんの写真?」
隣から覗き込んで来た雪ちゃんが、不思議そうな顔でそう訊いてきた。僕は、梱包材を鋏で取り除きながら答える。
「これは、高一の冬、四人で遊びに行った時のやつ。ヒマリが撮ってたチェキ、一枚もらった。……ヒマリが写ってるのは、これしか持ってなくて」
「こっちは?」
「……姉さんの写真」
僕は、少し恥ずかしくなって、梱包材をプチプチ潰しながらそう言った。薄茶色の木のフレームの中で、中学校の制服を着た姉が、こちらに向かってピースしている。確か、卒業式の時に撮られたものだ。その隣では、屈託ない表情のヒマリと、はしゃぎすぎて少しブレている春輝と、ぎこちなく笑う僕らが、一枚の紙にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「……お姉さんの写真持ってきたの?」
「……悪い?」
「いや、悪くないけど……」
「……一人暮らし始めたら、どうせ生活習慣がぐちゃぐちゃになるだろうから、持って行けって、母さんが。……お姉ちゃんに見張られてたら、大丈夫でしょ、って」
へえ、と呟いた彼女は、写真を見るのをやめて顔を上げて、真っ赤な僕を見るや否や、みるみる口角をあげて、ニコニコしながらこう言った。
「シスコンなんだね、アキくんは」
「……うるさい」
「否定しないんだ?」
「……」
僕は無言のまま、少しだけ彼女を睨みつけた。彼女は、僕の反応が面白かったのか、ますます勢いづいて、こう続けた。
「いいじゃん。私、兄弟いないから、羨ましいな。家族仲がいいってことでしょ? ……まあでも、親御さんの写真はなくて、お姉さんの写真があるってことは、まあ、そういうことだよね。お姉さんだけ、特別なんだ」
「……やめて……」
「あ、でも、そう考えると、ヒマリちゃんも、結構シスコンか。空からこっちに来ちゃうくらい、妹さんのこと大好きだったんだもんね。……じゃあ、もう、そういう家系なのかも」
「どういう家系だよ……」
「シスコンになる家系」
やたら大真面目な顔で雪ちゃんがそんなことを言うから、僕はつい吹き出してしまった。
「なにそれ」
「ふふ。……笑ってくれて良かった。ヒマリちゃんの話振ってから、アキくん、ずっと暗い顔してたからさ。ちょっと責任感じちゃってたんだよね。触れちゃダメな話題だったかな? って」
「……いや。きっと、このまま言わないでいるより、ずっと良かった。変に気遣わせちゃって、ごめん。……ありがとう」
「ううん。こっちこそ。話してくれて、ありがとう。……春輝くんが来たら、春輝くんにも、ちゃんと話してあげようね。あの人、結構ちゃんと理系だから、こんなおとぎ話みたいなことは、信じるのに時間かかるかもしれないけど」
「春輝の理解力は、文系も理系も関係ないと思うけど……。でも、一緒に説明してくれる?」
「もちろん」
ふふ、と彼女はもう一度笑った。僕もつられて、口角を引き上げる。
「じゃあ、お礼に私も、秘密、暴露しちゃおっかな。一個だけ」
「うん。なに?」
「……私ね。ずっと、ヒマリちゃんに憧れてたの。……髪、伸ばしてるって、言ったでしょ? これね、あの子の真似っこ。たまたま似てるんじゃないの。わざとなの。……こうしてると、あの子が、ずっと一緒にいてくれてるような気がして」
「……ずっと、一緒にいるよ、ヒマリは。ずっと、僕らのこと、見てくれてるよ」
「そっか」
「うん」
ぴんぽーん。気の抜けた音が響いて、二人で顔を見合わせて笑う。
春輝が来た。
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