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第三章 激戦の末に
第四話 風雲、知多半島
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知多半島は尾張西部、刈谷の南に突き出した半島である。
西は伊勢湾、東は知多湾・三河湾に挟まれ、南は伊良湖水道を経て大海に通じる。
今や尾張国知多郡東部および、三河国碧海郡西部を領する立場となった水野信元だが、もともと水野氏は、知多半島北部を中心に勢力を持った国衆である。
源頼朝に仕えた二代・重清が、春日井郡山田庄水野(※現在の愛知県瀬戸市)に移ったことがその名の由来であるという。
この時期の知多半島には有力勢力がおらず、中小勢力による群雄割拠状態になっていた。
といっても、知多半島が価値のない場所だった、というわけではない。むしろ逆だ。
知多半島は尾張と三河をつなぐ東海の途上であるとともに、その陸路と伊勢湾の海路を結ぶ場所でもあった。
この海路は、伊勢から紀伊半島をまわって畿内へ至る重要なものであるため、自然と知多も栄え、また商船を警護するための水軍も発達することとなる。
とはいうものの、重要拠点である知多半島がいつまでも空白地帯でいられたはずもない。 東には三河の松平氏がおり、西には尾張の織田氏が日の出の勢いとなっていた。二大勢力の境界に位置する水野氏は、どちらにつくかを選ばなければならなかったのである。
「殿、如何致しましょう……。あと何日持ちこたえられるか……」
「織田どのの援軍はまだか……?」
信元の問い返しに、水野家家臣は渋面になる。
水野信元は現在、絶体絶命の危機にあった。
駿河の守護大名・今川義元の軍勢が、信元の刈谷城と目と鼻の先に砦を築いたのである。
目的は、この緒川城攻略だろう。
今川にすれば、それまで今川寄りだった水野氏が信元に代になって織田に鞍替えしたのが気に入らなかったのだろう。
信元はすぐに、尾張・織田氏へ援軍を依頼した。
だがその援軍がすぐに来るわけではない。
尾張からこの緒川まで軍を率いてくるとなると、三日はかかるだろう。
そもそも水野氏の当初対立相手は、尾張と三河であった。
三河の松平といえば、当主は松平清康である。
その頃は信元の父・忠政は健在であった。
やがて松平清康が亡くなり、松平氏の勢力も落ちた。
そんな矢先である。
今川氏が、松平氏への影響力を強化する形で三河に手を伸ばしてきた。
巨大勢力が新たに追加され、水野氏にとっては織田につくか、今川・松平連係勢力につくか、という選択肢を突き付けられていることに変わりはない。
議論の末に、今川・松平連係勢力についた。
信元としては織田につくべきだと思ったが、父・忠政は繋がりが深い松平氏を見限ることはできなかったようだ。
現に松平広忠に信元の異母妹・於大(※のちの徳川家康の母)が嫁いでいる。
そんな父・忠政も亡くなり、信元は織田へついた。
だがこれにより、異母妹・於大は広忠に離縁されたが。
しかし二つの勢力の間に挟まれた大名が、代替わりや大きな事件を機につく側を変えるのも、この戦国乱世では珍しくないことだった。
ただまさか、駿河の今川まで手を伸ばしてくるとは。
「申し上げます! 尾張・織田上総介さまがお越しにございます」
その報せに信元はほっとするのと同時に、弱気になりかけた心を引き締めたのだった。
◆◆◆
重原城と緒川城の間を一本の川が隔ている。
尾張の中央部を流れ、衣浦湾に注ぐ河川・境川である。きた、尾張と三河国の国境となる川でもあった。
その境川から、尾張北東部から西三河にまたがる猿投山と、信濃国と美濃国にまたがる恵那山が遠くに望めた。
天文二十三年一月二十三日――、信長が率いる織田軍は無事、海路で知多半島の西岸へと到着した。
もちろん、順調というわけではない。なにしろ前日は、悪天候の中の海路である。
信長本隊は、知多半島の南端を大回りして緒川へと向かった。
鬼崎(※現常滑市)・富具岬(※現美浜町野間)と勢いをつけ、辰巳(※南東)に舵を取った。信長の勢いに負けたのか、富具岬を越えて頃から風も収まりだし、幡豆岬を回る頃には凪の状態となり、申の刻には師崎の港に上陸できたのである。
「う~む……、敵ながらあっ晴れ」
その夜の緒川城――、守山城から駆けつけてきた信長の叔父・信光が唸る。
「感心している場合ではござらぬ」
城主である水野信元に窘められて、信光は謝った。
「いや、失敬」
確かに状況は悪い。
信光がこの戦いに加わったのは、自身の妻と信元の妻が姉妹という関係もあった。
信長は両腕を組んだまま、村木に築かれた砦の構造を記した図面を睨んでいた。
「策は思いついたか? 信長」
信光に声をかけられ、信長はようやく口を開いた。
「叔父上には搦め手(※敵陣の裏)を、信元には大手側(敵陣の表)を攻めていただきたい」
「で、お前たちは?」
「南側を攻める」
「大丈夫なのか?」
「一か八かです」
村木砦の南側は、瓶の形に大きく掘り下げた空堀からなり、その守りは強固なものであると予想される。
散会したあと、信長は火縄銃の一挺を手にする。
これまでの戦いでは使うことのなかった、火縄銃。
だがもし実戦で有利とわかれば、これからの戦は火縄銃が活躍する。
ただ、問題が一つある。
織田軍に、火縄銃を撃つ経験者がいないことだ。一人を除いて――。
◆
美濃・稲葉山城――、斎藤義龍は天守から尾張の方角を睨んでいた。
父・道三が嫡子の自分よりも、信長を気に入り始めたからだ。
しかも、那古城に援軍を送った。
――なにゆえ父上は、信長などに……。
同盟相手に援軍を送るのはこの世では珍しくはないが、信長はうつけと評判の男。道三が気に入るような価値などない筈だ。
信長も信長である。
その信長から、書状が道三に届いた。
「父上! 信長から書状が届いたそうにございますな!?」
「――騒がしいぞ、義龍」
義龍が広間に入ると、安藤守就が座っていた。
守就ははじめ美濃守護・土岐頼芸に仕えていたが、その後は道三の家臣となった男である。
「殿、書状はなんと?」
「知多の水野信元が今川に攻められて、危機に瀕しているそうな」
「援軍の要請にございますか? 知多とは、少々遠うございます」
確かに援軍に向かうには距離がある。
「いや、信長が要請してきたのは那古野城のほうじゃ。どうも留守になった際に誰ぞに襲われる可能性があるらしい」
義龍は瞠目して唇を噛んだが、道三の意図を理解したらしい守就が笑んだ。
「美濃勢に、那古野城を守らせれるとは大胆でございますな? 殿」
「まこと、面白い男よ。守就、すぐさま手勢と共に尾張に向かえ。奴の戦術も気になる。報せは逐一致せ」
「はっ」
こうして守就が、尾張に向かった。
――やられてしまえばいいのだ。尾張の信長など……!
義弟となった信長だが、義龍は信長を義弟とは思っていない。
ただ彼の憎しみは、もう一人にも向けられていた。
当の本人は、義龍の心など知る由もないだろう。
義龍は見つめていた方角を鼻で笑うと、踵を返した。
西は伊勢湾、東は知多湾・三河湾に挟まれ、南は伊良湖水道を経て大海に通じる。
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源頼朝に仕えた二代・重清が、春日井郡山田庄水野(※現在の愛知県瀬戸市)に移ったことがその名の由来であるという。
この時期の知多半島には有力勢力がおらず、中小勢力による群雄割拠状態になっていた。
といっても、知多半島が価値のない場所だった、というわけではない。むしろ逆だ。
知多半島は尾張と三河をつなぐ東海の途上であるとともに、その陸路と伊勢湾の海路を結ぶ場所でもあった。
この海路は、伊勢から紀伊半島をまわって畿内へ至る重要なものであるため、自然と知多も栄え、また商船を警護するための水軍も発達することとなる。
とはいうものの、重要拠点である知多半島がいつまでも空白地帯でいられたはずもない。 東には三河の松平氏がおり、西には尾張の織田氏が日の出の勢いとなっていた。二大勢力の境界に位置する水野氏は、どちらにつくかを選ばなければならなかったのである。
「殿、如何致しましょう……。あと何日持ちこたえられるか……」
「織田どのの援軍はまだか……?」
信元の問い返しに、水野家家臣は渋面になる。
水野信元は現在、絶体絶命の危機にあった。
駿河の守護大名・今川義元の軍勢が、信元の刈谷城と目と鼻の先に砦を築いたのである。
目的は、この緒川城攻略だろう。
今川にすれば、それまで今川寄りだった水野氏が信元に代になって織田に鞍替えしたのが気に入らなかったのだろう。
信元はすぐに、尾張・織田氏へ援軍を依頼した。
だがその援軍がすぐに来るわけではない。
尾張からこの緒川まで軍を率いてくるとなると、三日はかかるだろう。
そもそも水野氏の当初対立相手は、尾張と三河であった。
三河の松平といえば、当主は松平清康である。
その頃は信元の父・忠政は健在であった。
やがて松平清康が亡くなり、松平氏の勢力も落ちた。
そんな矢先である。
今川氏が、松平氏への影響力を強化する形で三河に手を伸ばしてきた。
巨大勢力が新たに追加され、水野氏にとっては織田につくか、今川・松平連係勢力につくか、という選択肢を突き付けられていることに変わりはない。
議論の末に、今川・松平連係勢力についた。
信元としては織田につくべきだと思ったが、父・忠政は繋がりが深い松平氏を見限ることはできなかったようだ。
現に松平広忠に信元の異母妹・於大(※のちの徳川家康の母)が嫁いでいる。
そんな父・忠政も亡くなり、信元は織田へついた。
だがこれにより、異母妹・於大は広忠に離縁されたが。
しかし二つの勢力の間に挟まれた大名が、代替わりや大きな事件を機につく側を変えるのも、この戦国乱世では珍しくないことだった。
ただまさか、駿河の今川まで手を伸ばしてくるとは。
「申し上げます! 尾張・織田上総介さまがお越しにございます」
その報せに信元はほっとするのと同時に、弱気になりかけた心を引き締めたのだった。
◆◆◆
重原城と緒川城の間を一本の川が隔ている。
尾張の中央部を流れ、衣浦湾に注ぐ河川・境川である。きた、尾張と三河国の国境となる川でもあった。
その境川から、尾張北東部から西三河にまたがる猿投山と、信濃国と美濃国にまたがる恵那山が遠くに望めた。
天文二十三年一月二十三日――、信長が率いる織田軍は無事、海路で知多半島の西岸へと到着した。
もちろん、順調というわけではない。なにしろ前日は、悪天候の中の海路である。
信長本隊は、知多半島の南端を大回りして緒川へと向かった。
鬼崎(※現常滑市)・富具岬(※現美浜町野間)と勢いをつけ、辰巳(※南東)に舵を取った。信長の勢いに負けたのか、富具岬を越えて頃から風も収まりだし、幡豆岬を回る頃には凪の状態となり、申の刻には師崎の港に上陸できたのである。
「う~む……、敵ながらあっ晴れ」
その夜の緒川城――、守山城から駆けつけてきた信長の叔父・信光が唸る。
「感心している場合ではござらぬ」
城主である水野信元に窘められて、信光は謝った。
「いや、失敬」
確かに状況は悪い。
信光がこの戦いに加わったのは、自身の妻と信元の妻が姉妹という関係もあった。
信長は両腕を組んだまま、村木に築かれた砦の構造を記した図面を睨んでいた。
「策は思いついたか? 信長」
信光に声をかけられ、信長はようやく口を開いた。
「叔父上には搦め手(※敵陣の裏)を、信元には大手側(敵陣の表)を攻めていただきたい」
「で、お前たちは?」
「南側を攻める」
「大丈夫なのか?」
「一か八かです」
村木砦の南側は、瓶の形に大きく掘り下げた空堀からなり、その守りは強固なものであると予想される。
散会したあと、信長は火縄銃の一挺を手にする。
これまでの戦いでは使うことのなかった、火縄銃。
だがもし実戦で有利とわかれば、これからの戦は火縄銃が活躍する。
ただ、問題が一つある。
織田軍に、火縄銃を撃つ経験者がいないことだ。一人を除いて――。
◆
美濃・稲葉山城――、斎藤義龍は天守から尾張の方角を睨んでいた。
父・道三が嫡子の自分よりも、信長を気に入り始めたからだ。
しかも、那古城に援軍を送った。
――なにゆえ父上は、信長などに……。
同盟相手に援軍を送るのはこの世では珍しくはないが、信長はうつけと評判の男。道三が気に入るような価値などない筈だ。
信長も信長である。
その信長から、書状が道三に届いた。
「父上! 信長から書状が届いたそうにございますな!?」
「――騒がしいぞ、義龍」
義龍が広間に入ると、安藤守就が座っていた。
守就ははじめ美濃守護・土岐頼芸に仕えていたが、その後は道三の家臣となった男である。
「殿、書状はなんと?」
「知多の水野信元が今川に攻められて、危機に瀕しているそうな」
「援軍の要請にございますか? 知多とは、少々遠うございます」
確かに援軍に向かうには距離がある。
「いや、信長が要請してきたのは那古野城のほうじゃ。どうも留守になった際に誰ぞに襲われる可能性があるらしい」
義龍は瞠目して唇を噛んだが、道三の意図を理解したらしい守就が笑んだ。
「美濃勢に、那古野城を守らせれるとは大胆でございますな? 殿」
「まこと、面白い男よ。守就、すぐさま手勢と共に尾張に向かえ。奴の戦術も気になる。報せは逐一致せ」
「はっ」
こうして守就が、尾張に向かった。
――やられてしまえばいいのだ。尾張の信長など……!
義弟となった信長だが、義龍は信長を義弟とは思っていない。
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