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3ー2章 落ち人たちの罪と罰

二十三話 心が震えました。

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 自らの意志で結衣さんがここへ……。
 きっと結衣さんはまだ、ルネルさんたちが誘拐をするような人物だと知らないからです。そうに決まっています。
 ルネルさんはお茶に誘ってくれて、結衣さんの話を聞いてくれた良い人。
 私だって今の今までそう思っていたのですから。
 ならば早く彼女にも会って、ここを出ることを考えなくちゃ。
 だけど、そんな私の考えを見抜いたように、ルネルさんが言いました。

「ユイはサミュエル・ドゥ・ラクロを後見人とすることを良く思っていないのだろう」
「……それは」
「私に保護を申し出てきたのは、ユイ自身だ」

 目の前のルネルさんが放った言葉を、正しく理解するには時間が必要でした。
 結衣さんは街に出てから、突然行方不明になったと聞きました。ならばそのときに、ルネルさんの元へと自ら向かったのでしょうか。だけど彼女はまだここの地理には疎いはず、そんなに簡単にたどり着けるものではありません。やっぱりルネルさんたちの手引きがあったと思えてなりません。
 だけど、ルネルさんに視線を向ければ、抑揚のない声で続けられました。

「我々の目的はユイではなかった」
「目的って、そうです。なんで私を誘拐する必要があるんですか」

 自分が誘拐されてきたことを思い出します。

「先のベルクムントとの終戦と国交樹立に一役買った、お前の加護に興味がある。相応の手筈は整えたつもりだ。多少強引ではあったが、それも早急に私の求めへ応じなかったレヴィナス家の落ち度」
「……あなたは、もしかして」

 私の加護への興味、そして言葉の端々に滲む高いプライド。
 目の前にいる相手が誰なのか、嫌な予感がふつふつと沸いてくるのです。

「お義父さんの政敵……ええと」
「……カロン・クロヴレ伯爵だ、あの警戒心の強い男がおまえに注意を促したはずだ、聞き覚えはあろう?」
「や、やっぱり」

 どうやら私、ものすごい危機を迎えていました。
 焦る私の脳裏に、サミュエルさんの言葉が甦ります。
 ──カロンは、抜かりない蛇のような男だ。
 ちょっと、こんなにフットワーク軽いだなんて聞いてませんよ、サミュエルさん! お義父さんの向こうを張るくらいの人物が、まさかローウィンまでやってくるなんて、思わないじゃないですか。

「じゃ、じゃあなおさら、結衣さんは関係ないじゃないですか、帰してください」

 私の必死な様子がおかしいのか、ルネルさん……いえ、グロヴレ伯爵が薄く嗤います。

「ユイの加護も興味深いが、あれは拐わなくともいずれ私の元に来るしかなかった。それに少なくとも、お前は同郷の女を見捨てられる性分ではなさそうでもある。このまま利用させてもらう」
「な……」

 ルネルさんが私のそばまで歩み寄ります。
 長身の彼から見下ろされるのは、まるで蛇に睨まれた蛙のよう。いつもの調子で後ずさる事すら出来ず、目の前の秀麗な男性を見返すのが精一杯でした。

「酷いです、人が良さそうな顔を見せて、私たちを騙したんですね」

 私がそう毒づくと、急に護衛していた人たちの中から、先程の若い執事の男が怖い顔をして迫ってきます。
 しかしあわや締め上げられるかと思ったとき、それを伯爵が制止。
 そのやり取りで、囲まれた敵中での虚勢がいかに危険なのだということを、私は悟りました。

「どのように私のことを聞かされたのか、手に取るように分かる反応だな」

 一気に顔面蒼白になった私を見て、グロヴレ伯爵はそう言いました。
 ……今さらですが、先ほど彼は自ら『伯爵』と名乗りましたよね。今はもう使われなくなったはずの貴族階級です。
 ということはですね、サミュエルさんから聞かされた通り、彼は元の貴族制度改革に反対する、階級主義者という現れ。レヴィナス家を目の敵にする勢力の、主たる人物が現れたのです。一気に頼りない心持ちになった私。だけど勇気をふり絞ってでも、尋ねばならないことがあります。

「加護については、陛下からの要請を断るつもりはなかったはずです。それなのに強引に私を連れ出して、ことを荒立てる意味はなんですか。アルベリックさんに何かするつもりなんですか?」
「アルベリック・レヴィナスにはさほど興味がない」
「……ならどうして?」

 目の前の紳士は、以前私を攫ったマナドゥ中佐とは様子が違います。
 マナドゥ中佐は、アルベリックさん憎しで行動していた印象でした。事実、私を捕えている間中ずっと、聞くに堪えない侮辱を吐き出し続けていたのですから。
 だけど冷たく私を見下ろすグロヴレ伯爵からは、そんな様子一つ見られません。
 ただ粛々と仕事をこなすかのごとく、私に向かっている。それがかえって不気味なのです。
 震える手足に力を入れ、ようやく後ずさる私の背中に、固い何かがぶつかります。振り返れば防具をきっちりと装着した兵士が、私の逃亡を阻むようにいつの間にか壁のように立っていました。

「カズハ、以前話したように私のもとで絵を描き、与えられた加護を具現させろ」
「あなたの私欲のためにですか?」

 私は身構えます。
 加護の力を過大評価して、利用しようとする者がいるとは聞いていました。彼こそがその一人だったのですね。
 だけど再び私の虚勢に反応したのは、執事の男だった。

「私欲とはなんたる無礼者! 閣下は陛下の御心を最もお察しして……」

 兵士とともに怖い顔をして立っていた執事が、思わずといった様子で口を挟みました。ひどく憤慨した様子ではありましたが、伯爵からの視線を受けて、それ以上は言葉を飲み込んだようです。

「加護を利用したいのは別の者だ。それらが私を阻み、陛下とこの国の平和を阻むのだ。ならばどれほどの真価があるのか、詳細を調べ、よく知らねばならない」
「調べるって……そんなのいつ加護が起こるか分からないって、あなたなら知っていますよね?」
「本当に、そう思っているのか? お前の加護はこれまで適所で起こり、その効果を最大限に生かしてきた。それは間違いなく偶然なのか?」

 私は思わず言葉に詰まります。なぜならグロヴレ伯爵の言ったことは、何度か考えてはまさかと否定してきた事だから。

「でも……加護は女神が、私のために幸運をもたらすって、みんなが」
「そう聞かされて、何も考えずに信じたか?」

 ……そんな風に言われるとは思ってもみませんでした。
 でも。

「信じるに足る説明をしてもらったと思っています。確かに、都合が良すぎるとは思いましたけれど、大切な人たちへの助けになったのなら、それが私にとっては一番大事なことでしたし」
「……都合が良すぎる。そう思ったなら疑問に思うべきだったな。私は、落ち人の加護についてはもっと注意深く監視が必要だと、常々陛下に進言してきた。ベルクムントだけではない、このジルベルドと陸続きとなっている外の国々では、加護の力を積極的に管理し利用しはじめているのだから」

 ……落ち人を利用。サミュエルさんが結衣さんの知識や、異世界から来た物が外国へと流れることを危惧していたのと、同じ。

「そもそもアルベリック・レヴィナスがお前をかくまい、その結果娶ることにならねば、お前は先の落ち人ユイ同様、しばらくは王都のどこかで軟禁されるはずだったのだ」
「……嘘です、バルトロメ陛下がそんな事をするなんて」
「嘘ではない。事実、ユイがそうだったろう。それが我が国本来のやり方だ」

 私は言葉を継ぐことができませんでした。ユイさんから聞き出した、彼女のこれまでの生活が軟禁と言われても、私に否定するだけの根拠があるはずもないのです。むしろあの頑なな彼女の様子を考えると……。

「加護の研究を進めるためには、ユイは役立たずだった。そもそも数がない落ち人、しかも短期間しか現れない加護の調査になる。それ故に、お前たちの婚姻も阻止しようと働きかけた。だがそれには了承しなかった陛下であっても、サミュエルの進言に耳を傾けたのには、相応の理由があったのだ」

 グロヴレ伯爵は淡々と告げると、一枚の書類を私へ向けます。

「多大な影響を及ぼす加護を、私は放置するつもりはない。王都では邪魔が入る、お前には我が領へ来てもらうことにした。安心しろ、許可は得ている」

 そう言ってグロヴレ伯爵が差し出した紙には、王冠をかぶったグリフォンの印章がありました。
 ジルベルド王国軍の軍規の中央にもあるその姿は、国王の象徴。
 慌てて見上げる私の視線を受けて、彼は付け加えます。

「加護が明らかになったユイも共に連れて行く」

 呆然とする私とは反対に、周囲の人々は素早かった。
 グロヴレ伯爵が片手を上げると、後ろに控えていた兵士が私の両腕を捕まえて拘束したのです。

「嫌です、私は……」
「お前が拒否すれば、違う者が……例えばユイ。彼女が代わりを勤めることになる」

 結衣さんの加護……。それが何なのか、クロヴレ伯爵は知っているような口ぶりです。彼女もまた加護を自覚したということなのでしょうか。
 そのことについて問いただそうとしたとき。

「連れていけ」

 グロヴレ伯爵の声を合図に、引きずられるようにしてその部屋から連れ出されてしまいました。
 待って、まだ聞きたいことがあるんです。
 しかし振り返る視線の先に立つ伯爵は、既に塞がれた扉の向こう。

「こちらへ、一緒に来た少女とともに、しばらく大人しくしていなさい」

 執事はそう言うと、拐われてきた宇宙人のように両脇を抱えられた私を先導し、歩き出しました。
 もっとちゃんと聞きたかった……。そんな後ろ髪を残しつつ、私はカーラさんの元へ。

「カズハ!」

 客間の一つとおぼしき部屋に放り込まれると、そこには不安そうに佇むカーラさんの姿。
 慌てて駆け寄ると、彼女も破顔して私に手を伸ばしてきます。

「大丈夫、何かされなかった?」
「はい、平気です。カーラさんこそ大丈夫ですか?」

 連れ込まれたそこは、客間というには質素です。豪邸には似つかわしくない広さで、窓はとても小さく、日差しもさほど入らないようで薄暗く感じます。小さめの寝台が並び、窓際に置かれた小さなテーブルと椅子。それから使い古されたような扉は、クローゼットのように見えます。
 恐らく、お屋敷のメイドさん用の部屋、なのではないかと思うのです。

「しばらくここで過ごしてもらうことになります。外には兵士が常に監視しているので、逃げ出そうとしても無駄です」

 厳しい顔立ちの執事がそう告げました。

「結衣さん……結衣さんはどこですか、会わせてください」
「それは後日に」
「なぜですか、まさか怪我とかさせて」
「無事ですが、そのような暇はありません、すぐに移動となるでしょう」

 グロヴレ伯爵が、私を領地へと連れていくと告げたこと、そして見せられた国王陛下の紋章を思い出します。

「わざわざカロン様があなたに説明する必要すらないところを、直接伝えられたのです。それだけでも厚遇と思うように」

 それだけ告げると、執事は私とカーラさんを残して部屋を出てしまいました。そして金属の閂が下ろされた音が響きます。

「ねえカズハ、誰に何を言われたの? ここはいったいどこなの?」
「……カーラさん」

 私は寝台にカーラさんを導き、並んで座ってから先ほどの出来事を報告します。
 どうやら私の加護を利用したくて攫ったこと、その相手がグロヴレという人物で、レヴィナス家とはあまり良い関係ではないこと。結衣さんがそのグロヴレ伯爵の方を頼って、自らここに来ていると聞かされ、そして……私たちをどこか遠い領地へ連れて行く気なのだということを。
 まだ混乱したままでとりとめない私の話を、カーラさんはとりあえず黙って聞いていました。しかし最後まで聞き終わると……

「カズハの加護をただ利用したいのなら、べつにどこでだっていいはずよ、なんで遠くに連れて行かれなきやいけないの。カズハが一人になっちゃうじゃない!」
「一人に……それは私にもよく分かりません。だけど加護だって最近はあまり頻繁でもありませんから、グロヴレ伯爵の思う通りに利用なんてされないですよ。でも、どうにかしてカーラさんは帰れるように交渉します。だから安心してください」

 とはいうものの、私の頭は真っ白なまま。
 どうやって助けを呼ぶのか、その方法すら分かりません。このままじゃいけないと思うのに、カーラさんへの言葉が空回りするばかりで、心に余裕などまったくありませんでした。

「私だけ帰るなんて、そんなの駄目よ!」
「カーラさん?」
「私、カズハと一緒に行く。きっとその伯爵だって足取りを消すために私も連れて来たのよ。それなら丁度いいわ、私だってあんたから絶対に離れないんだから!」

 私はその言葉に目玉がとび出るかと思いました。
 ちょっと待ってください、そんなことこそ駄目です。そう言おうとしたのですが、言葉を続けるカーラさんの勢いに、押されっぱなしです。

「あんたは一人になっちゃだめよ。ここに来て一年と少し、まだまだ分からないことなんて山ほどあるでしょうに。それだけじゃないわ、あんたってば押しに弱いんだから、きっといいように利用されちゃう! 泣き虫のくせに、言われた通りにホイホイ絵を描いていたら、加護が現れるにきまってる。それでどうやって利用されないでいられるっていうのよ、バカ!」

 泣き虫…………確かに。
 見事なツッコミに、胸が熱い……いえ、とっても痛いですカーラさん。
 でも……カーラさんの顔は赤く染まり、私なんかよりこの状況に怒ってくれることが嬉しくて。
 私はようやく目が覚めたような気がして、カーラさんの手を取り、きつく握りしめます。
 彼女の手は、まだまだ私よりも華奢で小さいのです。だけど、とても温かくて愛おしい。
 私を理解して、ありのままを受け入れてくれるだけでなく、守ろうとまでしてくれるのです。心が震えるというのは、こういうことなのかと腑に落ちました。

「カーラさんありがとうございます、頼りにさせてください。私はやっぱり泣き虫で、いつだって誰かの助けを必要としています。」
「……そ、そうよ、分かってくれればいいの。もともと一緒にローウィン観光をするつもりだったんだもの、少しだけ予定変更と思えばいいのよ」
「……ははは、そうですね」

 カーラさんらしいスパイスの効いた慰めでしたが、私の言葉に安心してくれた証拠なのでしょう。彼女に笑みが戻りました。
 私はというと、慣れない嘘に内心冷や汗をかいていたというのが、正直なところです。
 ──どんな些細なチャンスを逃さず、カーラさんをこの場からお母さんの待つ家へ帰す。
 この決意が、優しい彼女にどうかバレませんように。
 どうか絶対、守れますように。
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