66 / 93
3ー2章 落ち人たちの罪と罰
二十三話 心が震えました。
しおりを挟む
自らの意志で結衣さんがここへ……。
きっと結衣さんはまだ、ルネルさんたちが誘拐をするような人物だと知らないからです。そうに決まっています。
ルネルさんはお茶に誘ってくれて、結衣さんの話を聞いてくれた良い人。
私だって今の今までそう思っていたのですから。
ならば早く彼女にも会って、ここを出ることを考えなくちゃ。
だけど、そんな私の考えを見抜いたように、ルネルさんが言いました。
「ユイはサミュエル・ドゥ・ラクロを後見人とすることを良く思っていないのだろう」
「……それは」
「私に保護を申し出てきたのは、ユイ自身だ」
目の前のルネルさんが放った言葉を、正しく理解するには時間が必要でした。
結衣さんは街に出てから、突然行方不明になったと聞きました。ならばそのときに、ルネルさんの元へと自ら向かったのでしょうか。だけど彼女はまだここの地理には疎いはず、そんなに簡単にたどり着けるものではありません。やっぱりルネルさんたちの手引きがあったと思えてなりません。
だけど、ルネルさんに視線を向ければ、抑揚のない声で続けられました。
「我々の目的はユイではなかった」
「目的って、そうです。なんで私を誘拐する必要があるんですか」
自分が誘拐されてきたことを思い出します。
「先のベルクムントとの終戦と国交樹立に一役買った、お前の加護に興味がある。相応の手筈は整えたつもりだ。多少強引ではあったが、それも早急に私の求めへ応じなかったレヴィナス家の落ち度」
「……あなたは、もしかして」
私の加護への興味、そして言葉の端々に滲む高いプライド。
目の前にいる相手が誰なのか、嫌な予感がふつふつと沸いてくるのです。
「お義父さんの政敵……ええと」
「……カロン・クロヴレ伯爵だ、あの警戒心の強い男がおまえに注意を促したはずだ、聞き覚えはあろう?」
「や、やっぱり」
どうやら私、ものすごい危機を迎えていました。
焦る私の脳裏に、サミュエルさんの言葉が甦ります。
──カロンは、抜かりない蛇のような男だ。
ちょっと、こんなにフットワーク軽いだなんて聞いてませんよ、サミュエルさん! お義父さんの向こうを張るくらいの人物が、まさかローウィンまでやってくるなんて、思わないじゃないですか。
「じゃ、じゃあなおさら、結衣さんは関係ないじゃないですか、帰してください」
私の必死な様子がおかしいのか、ルネルさん……いえ、グロヴレ伯爵が薄く嗤います。
「ユイの加護も興味深いが、あれは拐わなくともいずれ私の元に来るしかなかった。それに少なくとも、お前は同郷の女を見捨てられる性分ではなさそうでもある。このまま利用させてもらう」
「な……」
ルネルさんが私のそばまで歩み寄ります。
長身の彼から見下ろされるのは、まるで蛇に睨まれた蛙のよう。いつもの調子で後ずさる事すら出来ず、目の前の秀麗な男性を見返すのが精一杯でした。
「酷いです、人が良さそうな顔を見せて、私たちを騙したんですね」
私がそう毒づくと、急に護衛していた人たちの中から、先程の若い執事の男が怖い顔をして迫ってきます。
しかしあわや締め上げられるかと思ったとき、それを伯爵が制止。
そのやり取りで、囲まれた敵中での虚勢がいかに危険なのだということを、私は悟りました。
「どのように私のことを聞かされたのか、手に取るように分かる反応だな」
一気に顔面蒼白になった私を見て、グロヴレ伯爵はそう言いました。
……今さらですが、先ほど彼は自ら『伯爵』と名乗りましたよね。今はもう使われなくなったはずの貴族階級です。
ということはですね、サミュエルさんから聞かされた通り、彼は元の貴族制度改革に反対する、階級主義者という現れ。レヴィナス家を目の敵にする勢力の、主たる人物が現れたのです。一気に頼りない心持ちになった私。だけど勇気をふり絞ってでも、尋ねばならないことがあります。
「加護については、陛下からの要請を断るつもりはなかったはずです。それなのに強引に私を連れ出して、ことを荒立てる意味はなんですか。アルベリックさんに何かするつもりなんですか?」
「アルベリック・レヴィナスにはさほど興味がない」
「……ならどうして?」
目の前の紳士は、以前私を攫ったマナドゥ中佐とは様子が違います。
マナドゥ中佐は、アルベリックさん憎しで行動していた印象でした。事実、私を捕えている間中ずっと、聞くに堪えない侮辱を吐き出し続けていたのですから。
だけど冷たく私を見下ろすグロヴレ伯爵からは、そんな様子一つ見られません。
ただ粛々と仕事をこなすかのごとく、私に向かっている。それがかえって不気味なのです。
震える手足に力を入れ、ようやく後ずさる私の背中に、固い何かがぶつかります。振り返れば防具をきっちりと装着した兵士が、私の逃亡を阻むようにいつの間にか壁のように立っていました。
「カズハ、以前話したように私のもとで絵を描き、与えられた加護を具現させろ」
「あなたの私欲のためにですか?」
私は身構えます。
加護の力を過大評価して、利用しようとする者がいるとは聞いていました。彼こそがその一人だったのですね。
だけど再び私の虚勢に反応したのは、執事の男だった。
「私欲とはなんたる無礼者! 閣下は陛下の御心を最もお察しして……」
兵士とともに怖い顔をして立っていた執事が、思わずといった様子で口を挟みました。ひどく憤慨した様子ではありましたが、伯爵からの視線を受けて、それ以上は言葉を飲み込んだようです。
「加護を利用したいのは別の者だ。それらが私を阻み、陛下とこの国の平和を阻むのだ。ならばどれほどの真価があるのか、詳細を調べ、よく知らねばならない」
「調べるって……そんなのいつ加護が起こるか分からないって、あなたなら知っていますよね?」
「本当に、そう思っているのか? お前の加護はこれまで適所で起こり、その効果を最大限に生かしてきた。それは間違いなく偶然なのか?」
私は思わず言葉に詰まります。なぜならグロヴレ伯爵の言ったことは、何度か考えてはまさかと否定してきた事だから。
「でも……加護は女神が、私のために幸運をもたらすって、みんなが」
「そう聞かされて、何も考えずに信じたか?」
……そんな風に言われるとは思ってもみませんでした。
でも。
「信じるに足る説明をしてもらったと思っています。確かに、都合が良すぎるとは思いましたけれど、大切な人たちへの助けになったのなら、それが私にとっては一番大事なことでしたし」
「……都合が良すぎる。そう思ったなら疑問に思うべきだったな。私は、落ち人の加護についてはもっと注意深く監視が必要だと、常々陛下に進言してきた。ベルクムントだけではない、このジルベルドと陸続きとなっている外の国々では、加護の力を積極的に管理し利用しはじめているのだから」
……落ち人を利用。サミュエルさんが結衣さんの知識や、異世界から来た物が外国へと流れることを危惧していたのと、同じ。
「そもそもアルベリック・レヴィナスがお前をかくまい、その結果娶ることにならねば、お前は先の落ち人ユイ同様、しばらくは王都のどこかで軟禁されるはずだったのだ」
「……嘘です、バルトロメ陛下がそんな事をするなんて」
「嘘ではない。事実、ユイがそうだったろう。それが我が国本来のやり方だ」
私は言葉を継ぐことができませんでした。ユイさんから聞き出した、彼女のこれまでの生活が軟禁と言われても、私に否定するだけの根拠があるはずもないのです。むしろあの頑なな彼女の様子を考えると……。
「加護の研究を進めるためには、ユイは役立たずだった。そもそも数がない落ち人、しかも短期間しか現れない加護の調査になる。それ故に、お前たちの婚姻も阻止しようと働きかけた。だがそれには了承しなかった陛下であっても、サミュエルの進言に耳を傾けたのには、相応の理由があったのだ」
グロヴレ伯爵は淡々と告げると、一枚の書類を私へ向けます。
「多大な影響を及ぼす加護を、私は放置するつもりはない。王都では邪魔が入る、お前には我が領へ来てもらうことにした。安心しろ、許可は得ている」
そう言ってグロヴレ伯爵が差し出した紙には、王冠をかぶったグリフォンの印章がありました。
ジルベルド王国軍の軍規の中央にもあるその姿は、国王の象徴。
慌てて見上げる私の視線を受けて、彼は付け加えます。
「加護が明らかになったユイも共に連れて行く」
呆然とする私とは反対に、周囲の人々は素早かった。
グロヴレ伯爵が片手を上げると、後ろに控えていた兵士が私の両腕を捕まえて拘束したのです。
「嫌です、私は……」
「お前が拒否すれば、違う者が……例えばユイ。彼女が代わりを勤めることになる」
結衣さんの加護……。それが何なのか、クロヴレ伯爵は知っているような口ぶりです。彼女もまた加護を自覚したということなのでしょうか。
そのことについて問いただそうとしたとき。
「連れていけ」
グロヴレ伯爵の声を合図に、引きずられるようにしてその部屋から連れ出されてしまいました。
待って、まだ聞きたいことがあるんです。
しかし振り返る視線の先に立つ伯爵は、既に塞がれた扉の向こう。
「こちらへ、一緒に来た少女とともに、しばらく大人しくしていなさい」
執事はそう言うと、拐われてきた宇宙人のように両脇を抱えられた私を先導し、歩き出しました。
もっとちゃんと聞きたかった……。そんな後ろ髪を残しつつ、私はカーラさんの元へ。
「カズハ!」
客間の一つとおぼしき部屋に放り込まれると、そこには不安そうに佇むカーラさんの姿。
慌てて駆け寄ると、彼女も破顔して私に手を伸ばしてきます。
「大丈夫、何かされなかった?」
「はい、平気です。カーラさんこそ大丈夫ですか?」
連れ込まれたそこは、客間というには質素です。豪邸には似つかわしくない広さで、窓はとても小さく、日差しもさほど入らないようで薄暗く感じます。小さめの寝台が並び、窓際に置かれた小さなテーブルと椅子。それから使い古されたような扉は、クローゼットのように見えます。
恐らく、お屋敷のメイドさん用の部屋、なのではないかと思うのです。
「しばらくここで過ごしてもらうことになります。外には兵士が常に監視しているので、逃げ出そうとしても無駄です」
厳しい顔立ちの執事がそう告げました。
「結衣さん……結衣さんはどこですか、会わせてください」
「それは後日に」
「なぜですか、まさか怪我とかさせて」
「無事ですが、そのような暇はありません、すぐに移動となるでしょう」
グロヴレ伯爵が、私を領地へと連れていくと告げたこと、そして見せられた国王陛下の紋章を思い出します。
「わざわざカロン様があなたに説明する必要すらないところを、直接伝えられたのです。それだけでも厚遇と思うように」
それだけ告げると、執事は私とカーラさんを残して部屋を出てしまいました。そして金属の閂が下ろされた音が響きます。
「ねえカズハ、誰に何を言われたの? ここはいったいどこなの?」
「……カーラさん」
私は寝台にカーラさんを導き、並んで座ってから先ほどの出来事を報告します。
どうやら私の加護を利用したくて攫ったこと、その相手がグロヴレという人物で、レヴィナス家とはあまり良い関係ではないこと。結衣さんがそのグロヴレ伯爵の方を頼って、自らここに来ていると聞かされ、そして……私たちをどこか遠い領地へ連れて行く気なのだということを。
まだ混乱したままでとりとめない私の話を、カーラさんはとりあえず黙って聞いていました。しかし最後まで聞き終わると……
「カズハの加護をただ利用したいのなら、べつにどこでだっていいはずよ、なんで遠くに連れて行かれなきやいけないの。カズハが一人になっちゃうじゃない!」
「一人に……それは私にもよく分かりません。だけど加護だって最近はあまり頻繁でもありませんから、グロヴレ伯爵の思う通りに利用なんてされないですよ。でも、どうにかしてカーラさんは帰れるように交渉します。だから安心してください」
とはいうものの、私の頭は真っ白なまま。
どうやって助けを呼ぶのか、その方法すら分かりません。このままじゃいけないと思うのに、カーラさんへの言葉が空回りするばかりで、心に余裕などまったくありませんでした。
「私だけ帰るなんて、そんなの駄目よ!」
「カーラさん?」
「私、カズハと一緒に行く。きっとその伯爵だって足取りを消すために私も連れて来たのよ。それなら丁度いいわ、私だってあんたから絶対に離れないんだから!」
私はその言葉に目玉がとび出るかと思いました。
ちょっと待ってください、そんなことこそ駄目です。そう言おうとしたのですが、言葉を続けるカーラさんの勢いに、押されっぱなしです。
「あんたは一人になっちゃだめよ。ここに来て一年と少し、まだまだ分からないことなんて山ほどあるでしょうに。それだけじゃないわ、あんたってば押しに弱いんだから、きっといいように利用されちゃう! 泣き虫のくせに、言われた通りにホイホイ絵を描いていたら、加護が現れるにきまってる。それでどうやって利用されないでいられるっていうのよ、バカ!」
泣き虫…………確かに。
見事なツッコミに、胸が熱い……いえ、とっても痛いですカーラさん。
でも……カーラさんの顔は赤く染まり、私なんかよりこの状況に怒ってくれることが嬉しくて。
私はようやく目が覚めたような気がして、カーラさんの手を取り、きつく握りしめます。
彼女の手は、まだまだ私よりも華奢で小さいのです。だけど、とても温かくて愛おしい。
私を理解して、ありのままを受け入れてくれるだけでなく、守ろうとまでしてくれるのです。心が震えるというのは、こういうことなのかと腑に落ちました。
「カーラさんありがとうございます、頼りにさせてください。私はやっぱり泣き虫で、いつだって誰かの助けを必要としています。」
「……そ、そうよ、分かってくれればいいの。もともと一緒にローウィン観光をするつもりだったんだもの、少しだけ予定変更と思えばいいのよ」
「……ははは、そうですね」
カーラさんらしいスパイスの効いた慰めでしたが、私の言葉に安心してくれた証拠なのでしょう。彼女に笑みが戻りました。
私はというと、慣れない嘘に内心冷や汗をかいていたというのが、正直なところです。
──どんな些細なチャンスを逃さず、カーラさんをこの場からお母さんの待つ家へ帰す。
この決意が、優しい彼女にどうかバレませんように。
どうか絶対、守れますように。
きっと結衣さんはまだ、ルネルさんたちが誘拐をするような人物だと知らないからです。そうに決まっています。
ルネルさんはお茶に誘ってくれて、結衣さんの話を聞いてくれた良い人。
私だって今の今までそう思っていたのですから。
ならば早く彼女にも会って、ここを出ることを考えなくちゃ。
だけど、そんな私の考えを見抜いたように、ルネルさんが言いました。
「ユイはサミュエル・ドゥ・ラクロを後見人とすることを良く思っていないのだろう」
「……それは」
「私に保護を申し出てきたのは、ユイ自身だ」
目の前のルネルさんが放った言葉を、正しく理解するには時間が必要でした。
結衣さんは街に出てから、突然行方不明になったと聞きました。ならばそのときに、ルネルさんの元へと自ら向かったのでしょうか。だけど彼女はまだここの地理には疎いはず、そんなに簡単にたどり着けるものではありません。やっぱりルネルさんたちの手引きがあったと思えてなりません。
だけど、ルネルさんに視線を向ければ、抑揚のない声で続けられました。
「我々の目的はユイではなかった」
「目的って、そうです。なんで私を誘拐する必要があるんですか」
自分が誘拐されてきたことを思い出します。
「先のベルクムントとの終戦と国交樹立に一役買った、お前の加護に興味がある。相応の手筈は整えたつもりだ。多少強引ではあったが、それも早急に私の求めへ応じなかったレヴィナス家の落ち度」
「……あなたは、もしかして」
私の加護への興味、そして言葉の端々に滲む高いプライド。
目の前にいる相手が誰なのか、嫌な予感がふつふつと沸いてくるのです。
「お義父さんの政敵……ええと」
「……カロン・クロヴレ伯爵だ、あの警戒心の強い男がおまえに注意を促したはずだ、聞き覚えはあろう?」
「や、やっぱり」
どうやら私、ものすごい危機を迎えていました。
焦る私の脳裏に、サミュエルさんの言葉が甦ります。
──カロンは、抜かりない蛇のような男だ。
ちょっと、こんなにフットワーク軽いだなんて聞いてませんよ、サミュエルさん! お義父さんの向こうを張るくらいの人物が、まさかローウィンまでやってくるなんて、思わないじゃないですか。
「じゃ、じゃあなおさら、結衣さんは関係ないじゃないですか、帰してください」
私の必死な様子がおかしいのか、ルネルさん……いえ、グロヴレ伯爵が薄く嗤います。
「ユイの加護も興味深いが、あれは拐わなくともいずれ私の元に来るしかなかった。それに少なくとも、お前は同郷の女を見捨てられる性分ではなさそうでもある。このまま利用させてもらう」
「な……」
ルネルさんが私のそばまで歩み寄ります。
長身の彼から見下ろされるのは、まるで蛇に睨まれた蛙のよう。いつもの調子で後ずさる事すら出来ず、目の前の秀麗な男性を見返すのが精一杯でした。
「酷いです、人が良さそうな顔を見せて、私たちを騙したんですね」
私がそう毒づくと、急に護衛していた人たちの中から、先程の若い執事の男が怖い顔をして迫ってきます。
しかしあわや締め上げられるかと思ったとき、それを伯爵が制止。
そのやり取りで、囲まれた敵中での虚勢がいかに危険なのだということを、私は悟りました。
「どのように私のことを聞かされたのか、手に取るように分かる反応だな」
一気に顔面蒼白になった私を見て、グロヴレ伯爵はそう言いました。
……今さらですが、先ほど彼は自ら『伯爵』と名乗りましたよね。今はもう使われなくなったはずの貴族階級です。
ということはですね、サミュエルさんから聞かされた通り、彼は元の貴族制度改革に反対する、階級主義者という現れ。レヴィナス家を目の敵にする勢力の、主たる人物が現れたのです。一気に頼りない心持ちになった私。だけど勇気をふり絞ってでも、尋ねばならないことがあります。
「加護については、陛下からの要請を断るつもりはなかったはずです。それなのに強引に私を連れ出して、ことを荒立てる意味はなんですか。アルベリックさんに何かするつもりなんですか?」
「アルベリック・レヴィナスにはさほど興味がない」
「……ならどうして?」
目の前の紳士は、以前私を攫ったマナドゥ中佐とは様子が違います。
マナドゥ中佐は、アルベリックさん憎しで行動していた印象でした。事実、私を捕えている間中ずっと、聞くに堪えない侮辱を吐き出し続けていたのですから。
だけど冷たく私を見下ろすグロヴレ伯爵からは、そんな様子一つ見られません。
ただ粛々と仕事をこなすかのごとく、私に向かっている。それがかえって不気味なのです。
震える手足に力を入れ、ようやく後ずさる私の背中に、固い何かがぶつかります。振り返れば防具をきっちりと装着した兵士が、私の逃亡を阻むようにいつの間にか壁のように立っていました。
「カズハ、以前話したように私のもとで絵を描き、与えられた加護を具現させろ」
「あなたの私欲のためにですか?」
私は身構えます。
加護の力を過大評価して、利用しようとする者がいるとは聞いていました。彼こそがその一人だったのですね。
だけど再び私の虚勢に反応したのは、執事の男だった。
「私欲とはなんたる無礼者! 閣下は陛下の御心を最もお察しして……」
兵士とともに怖い顔をして立っていた執事が、思わずといった様子で口を挟みました。ひどく憤慨した様子ではありましたが、伯爵からの視線を受けて、それ以上は言葉を飲み込んだようです。
「加護を利用したいのは別の者だ。それらが私を阻み、陛下とこの国の平和を阻むのだ。ならばどれほどの真価があるのか、詳細を調べ、よく知らねばならない」
「調べるって……そんなのいつ加護が起こるか分からないって、あなたなら知っていますよね?」
「本当に、そう思っているのか? お前の加護はこれまで適所で起こり、その効果を最大限に生かしてきた。それは間違いなく偶然なのか?」
私は思わず言葉に詰まります。なぜならグロヴレ伯爵の言ったことは、何度か考えてはまさかと否定してきた事だから。
「でも……加護は女神が、私のために幸運をもたらすって、みんなが」
「そう聞かされて、何も考えずに信じたか?」
……そんな風に言われるとは思ってもみませんでした。
でも。
「信じるに足る説明をしてもらったと思っています。確かに、都合が良すぎるとは思いましたけれど、大切な人たちへの助けになったのなら、それが私にとっては一番大事なことでしたし」
「……都合が良すぎる。そう思ったなら疑問に思うべきだったな。私は、落ち人の加護についてはもっと注意深く監視が必要だと、常々陛下に進言してきた。ベルクムントだけではない、このジルベルドと陸続きとなっている外の国々では、加護の力を積極的に管理し利用しはじめているのだから」
……落ち人を利用。サミュエルさんが結衣さんの知識や、異世界から来た物が外国へと流れることを危惧していたのと、同じ。
「そもそもアルベリック・レヴィナスがお前をかくまい、その結果娶ることにならねば、お前は先の落ち人ユイ同様、しばらくは王都のどこかで軟禁されるはずだったのだ」
「……嘘です、バルトロメ陛下がそんな事をするなんて」
「嘘ではない。事実、ユイがそうだったろう。それが我が国本来のやり方だ」
私は言葉を継ぐことができませんでした。ユイさんから聞き出した、彼女のこれまでの生活が軟禁と言われても、私に否定するだけの根拠があるはずもないのです。むしろあの頑なな彼女の様子を考えると……。
「加護の研究を進めるためには、ユイは役立たずだった。そもそも数がない落ち人、しかも短期間しか現れない加護の調査になる。それ故に、お前たちの婚姻も阻止しようと働きかけた。だがそれには了承しなかった陛下であっても、サミュエルの進言に耳を傾けたのには、相応の理由があったのだ」
グロヴレ伯爵は淡々と告げると、一枚の書類を私へ向けます。
「多大な影響を及ぼす加護を、私は放置するつもりはない。王都では邪魔が入る、お前には我が領へ来てもらうことにした。安心しろ、許可は得ている」
そう言ってグロヴレ伯爵が差し出した紙には、王冠をかぶったグリフォンの印章がありました。
ジルベルド王国軍の軍規の中央にもあるその姿は、国王の象徴。
慌てて見上げる私の視線を受けて、彼は付け加えます。
「加護が明らかになったユイも共に連れて行く」
呆然とする私とは反対に、周囲の人々は素早かった。
グロヴレ伯爵が片手を上げると、後ろに控えていた兵士が私の両腕を捕まえて拘束したのです。
「嫌です、私は……」
「お前が拒否すれば、違う者が……例えばユイ。彼女が代わりを勤めることになる」
結衣さんの加護……。それが何なのか、クロヴレ伯爵は知っているような口ぶりです。彼女もまた加護を自覚したということなのでしょうか。
そのことについて問いただそうとしたとき。
「連れていけ」
グロヴレ伯爵の声を合図に、引きずられるようにしてその部屋から連れ出されてしまいました。
待って、まだ聞きたいことがあるんです。
しかし振り返る視線の先に立つ伯爵は、既に塞がれた扉の向こう。
「こちらへ、一緒に来た少女とともに、しばらく大人しくしていなさい」
執事はそう言うと、拐われてきた宇宙人のように両脇を抱えられた私を先導し、歩き出しました。
もっとちゃんと聞きたかった……。そんな後ろ髪を残しつつ、私はカーラさんの元へ。
「カズハ!」
客間の一つとおぼしき部屋に放り込まれると、そこには不安そうに佇むカーラさんの姿。
慌てて駆け寄ると、彼女も破顔して私に手を伸ばしてきます。
「大丈夫、何かされなかった?」
「はい、平気です。カーラさんこそ大丈夫ですか?」
連れ込まれたそこは、客間というには質素です。豪邸には似つかわしくない広さで、窓はとても小さく、日差しもさほど入らないようで薄暗く感じます。小さめの寝台が並び、窓際に置かれた小さなテーブルと椅子。それから使い古されたような扉は、クローゼットのように見えます。
恐らく、お屋敷のメイドさん用の部屋、なのではないかと思うのです。
「しばらくここで過ごしてもらうことになります。外には兵士が常に監視しているので、逃げ出そうとしても無駄です」
厳しい顔立ちの執事がそう告げました。
「結衣さん……結衣さんはどこですか、会わせてください」
「それは後日に」
「なぜですか、まさか怪我とかさせて」
「無事ですが、そのような暇はありません、すぐに移動となるでしょう」
グロヴレ伯爵が、私を領地へと連れていくと告げたこと、そして見せられた国王陛下の紋章を思い出します。
「わざわざカロン様があなたに説明する必要すらないところを、直接伝えられたのです。それだけでも厚遇と思うように」
それだけ告げると、執事は私とカーラさんを残して部屋を出てしまいました。そして金属の閂が下ろされた音が響きます。
「ねえカズハ、誰に何を言われたの? ここはいったいどこなの?」
「……カーラさん」
私は寝台にカーラさんを導き、並んで座ってから先ほどの出来事を報告します。
どうやら私の加護を利用したくて攫ったこと、その相手がグロヴレという人物で、レヴィナス家とはあまり良い関係ではないこと。結衣さんがそのグロヴレ伯爵の方を頼って、自らここに来ていると聞かされ、そして……私たちをどこか遠い領地へ連れて行く気なのだということを。
まだ混乱したままでとりとめない私の話を、カーラさんはとりあえず黙って聞いていました。しかし最後まで聞き終わると……
「カズハの加護をただ利用したいのなら、べつにどこでだっていいはずよ、なんで遠くに連れて行かれなきやいけないの。カズハが一人になっちゃうじゃない!」
「一人に……それは私にもよく分かりません。だけど加護だって最近はあまり頻繁でもありませんから、グロヴレ伯爵の思う通りに利用なんてされないですよ。でも、どうにかしてカーラさんは帰れるように交渉します。だから安心してください」
とはいうものの、私の頭は真っ白なまま。
どうやって助けを呼ぶのか、その方法すら分かりません。このままじゃいけないと思うのに、カーラさんへの言葉が空回りするばかりで、心に余裕などまったくありませんでした。
「私だけ帰るなんて、そんなの駄目よ!」
「カーラさん?」
「私、カズハと一緒に行く。きっとその伯爵だって足取りを消すために私も連れて来たのよ。それなら丁度いいわ、私だってあんたから絶対に離れないんだから!」
私はその言葉に目玉がとび出るかと思いました。
ちょっと待ってください、そんなことこそ駄目です。そう言おうとしたのですが、言葉を続けるカーラさんの勢いに、押されっぱなしです。
「あんたは一人になっちゃだめよ。ここに来て一年と少し、まだまだ分からないことなんて山ほどあるでしょうに。それだけじゃないわ、あんたってば押しに弱いんだから、きっといいように利用されちゃう! 泣き虫のくせに、言われた通りにホイホイ絵を描いていたら、加護が現れるにきまってる。それでどうやって利用されないでいられるっていうのよ、バカ!」
泣き虫…………確かに。
見事なツッコミに、胸が熱い……いえ、とっても痛いですカーラさん。
でも……カーラさんの顔は赤く染まり、私なんかよりこの状況に怒ってくれることが嬉しくて。
私はようやく目が覚めたような気がして、カーラさんの手を取り、きつく握りしめます。
彼女の手は、まだまだ私よりも華奢で小さいのです。だけど、とても温かくて愛おしい。
私を理解して、ありのままを受け入れてくれるだけでなく、守ろうとまでしてくれるのです。心が震えるというのは、こういうことなのかと腑に落ちました。
「カーラさんありがとうございます、頼りにさせてください。私はやっぱり泣き虫で、いつだって誰かの助けを必要としています。」
「……そ、そうよ、分かってくれればいいの。もともと一緒にローウィン観光をするつもりだったんだもの、少しだけ予定変更と思えばいいのよ」
「……ははは、そうですね」
カーラさんらしいスパイスの効いた慰めでしたが、私の言葉に安心してくれた証拠なのでしょう。彼女に笑みが戻りました。
私はというと、慣れない嘘に内心冷や汗をかいていたというのが、正直なところです。
──どんな些細なチャンスを逃さず、カーラさんをこの場からお母さんの待つ家へ帰す。
この決意が、優しい彼女にどうかバレませんように。
どうか絶対、守れますように。
10
お気に入りに追加
541
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。