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3ー2章 落ち人たちの罪と罰

二十四話 脱出チャンスがやってきました。

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 私とカーラさんが閉じ込められてからしばらくもしないうちに、日が傾いてきたようです。
 薄暗くなった部屋には小さなランプが差し入れられました。囚われの身にしては充分すぎる食事が出され、早めに休むよう伝えられます。
 ただし服装はそのままに、とのこと。
 ……ということは、今晩にもこの建物を出て移動させられる。そんな可能性があるのでしょうか。
 そんな私の予想が当たったようです。
 小さめのランプすら消し、暗くなった部屋で身を寄せ合うようにしていた私とカーラさんのもとへ、いくつもの靴音が近づいてきました。

「二人とも部屋から出るんだ」

 私たちに指示を出したのは、外で待機していた兵士の一人です。重い扉が開いたとたんに、数人の男性たちが部屋に入ってきました。グロヴレ伯爵の私兵たちでしょうが、昼間とは違い、黒く目立たない服装で火を点したカンテラを携えています。
 突然のことに茫然としていると、彼らの中から一人が、私たちを立たせて背中を押します。

「早くしろ」

 低いその声に、逆らうことはできませんでした。
 私はカーラさんの手をぎゅっと握りしめながら、暗くひんやりとした廊下を歩きます。前後に挟むように歩き、私たちを監視する彼らの腰には、鞘に納められた剣。
 長い廊下の先にあった狭い階段を上ると、小さな通用口がありました。導かれるように扉をくぐると、すぐ目の前には馬車です。私たちを待ち構えていたように扉が開き、周囲を見回す暇もなく押し込められてしまいました。

「……どこに、連れていこうというんですか?」

 馬車の中で待っていたのは、あの若い執事でした。私は思わず、問わずにはおれません。しかし私の質問が終わるよりも前に、馬車の扉は閉められ、突然の揺れとともに馬車が走り出してしまいました。
 バランスを崩して椅子に倒れ込んだ私たちを、執事が表情ひとつ変えることなく見下ろしています。

「私の名はオーベールと申します。あなた方はローウィンを出発し、グロヴレ伯爵の元領地であるセレスフィアへと向かうことになるでしょう」

 セレスフィア?
 それは、何度か耳にしたことがある街の名前でした。例えばリュファスさんの授業の中で、または様々な流通の品から……。
 確かセレスフィアというのは、王都に次ぐ規模の街の名前。そこが、グロヴレ伯爵が元々治めていた領地だったんですね。

「ここからセレスフィアまでは馬車で十日以上かかります。伯爵は多忙でらっしゃるがゆえに、のんびりと馬車だけで向かうわけにはまいりません。この先、半日馬車で行ったところで、グリフォンに乗り換えますのであなた方もそのつもりでいてください」

 ということは、グロヴレ伯爵も近くにいるのでしょうか。それなら結衣さんも?
 私がそんなことに気をとられていると、カーラさんは気丈にも、執事にくってかかります。

「セレスフィアってそんな遠くに?……でも簡単にいくわけがないわ。隊長さんだってカズハを探しているだろうし、警備隊の監視をくぐり抜けて街を出るのだって、道が限られているのに」

 カーラさんの言うことはもっともです。暗くなってから馬車で街を抜け出すことなんて、普通ならありえません。目立つ事この上ないはずなのです。
 だけど執事の男……オーベールさんは、私たちの疑問は意に介さず。

「相応の準備さえすれば、不可能ではありません」

 自信たっぷりの執事の言葉に、私たちは返す言葉が見つかりませんでした。
グロヴレ伯爵が言うように、陛下の許可を得て私をセレスフィアに連れて行くと言うのは、本当なのでしょうか。もしそれが真実で、アルベリックさんにも逆らうことが出来ないとしたら、私はどうすればいいのでしょうか。
 ひと目でもいい、彼に会いたい。
 そんな私の願いは叶えられることなく、馬車はひたすら走り続けます。
走りはじめてからしばらく経っても、スピードは緩められることなく進んでいるようです。おそらく街中の狭い道は避け、手際よく大通りまで出たのでしょう。
 何もしなければ、街をこのまま出てしまう。ここローウィンは山に囲まれた盆地です。山手に入ってしまえば、見つかりにくいと思うんです。
 目の前の執事から目を離し、私は窓の外の様子をこっそり伺います。だけどちらりと見えたカーテンの向こうは、真っ暗な闇。どうやら外を見せないよう、目隠しで塞がれているのですね。それならと、じっと耳をすましてみると……。
 確証はありませんが、馬の足音や馬車の走る音がいくつか重なって聞こえます。きっとお屋敷にいた護衛の兵士さんたちも、一緒に来ているはず。もしかしたら伯爵や結衣さんもそこに乗っているのかもしれません。
 しばらくし何事もなく来たところで、急に馬車が揺れだしました。

「きゃっ……」
「ぎょわわわわっ!」

 片方に身体を持っていかれそうになり、カーラさんと私はバランスを崩し、窓に押し付けられます。
 馬車が、道を大きく曲がった?
 執事のオーベールさんが、御者に繋がる小さな窓を開き、何かを確認しています。

「二人とも、舌を噛みたくなければ、しばらく大人しくしているように」

 そう言われた途端に、馬車の速度が上がっているのが感じられました。揺れは小刻みに激しくなり、室内の薄暗さも相まって恐ろしさが増します。私とカーラさんは互いにしがみつくようにして、身を寄せ合うしかありません。
 それからしばらくも経たないうちに、馬車が急停車するではありませんか。いったい何が起こるのでしょうか。
 再び御者が窓から顔を出し、オーベールさんに何か伝えています。

「仕方ありませんね、いいでしょう。ここで止められるわけにはいきません、許可します」

 彼がそう答えると、馬車の外で物音が聞こえはじめました。人の足音、それから声……。

「警備隊が追ってくるのは想定内。だが幸いにもアルベリック・レヴィナス率いる本隊ではなく、少人数の捜索隊のようです。こちらの護衛のみで対応できるでしょう」

 私たちを探すために、警備隊の人たちがすぐそこに来てくれているというのですか?
 当然、私とカーラさんに湧き上がる期待。
 どんな状況なのか気になり、私は必死に馬車の外の音に耳をすませます。だけど何人かの怒声が、鈍い騒音にかき消されてしまい、何を喋っているのか聞き分けられません。
 すると、カーラさんが私の袖を引き寄せました。外の様子を気にするような執事の目を盗みながら……

「ねえカズハ、さっき大きく道が曲がったでしょう?」
「はい、最初の揺れのときですね」
「馬車で走り抜けられる道は、この狭くて坂の多いローウィンではそうたくさんないわ。その中でも大きく曲がる道は限られる。私の予想が当たっていれば、この辺りを過ぎてしまったら、街を出てしまう。そうしたら山に囲まれている地形を利用して、警備隊をやり過ごすなんて簡単よ」

 やはり……。じゃあこの執事たちから逃れるには、今が最後のチャンス。
 カーラさんも思いは同じだったようです。

「だから何とかして馬車を出よう。カズハのことは絶対に傷つけたりしないはず、私があの人の気を反らすから」
「……なに言ってるんですか、駄目ですそんなの!」

 カーラさんの提案に私は驚いて、思わず声を大きくしてしまいました。

「何をコソコソしているんですか、すぐに片が付きますから黙っていなさい」

 執事が私たちの様子に気づいてしまいました。大きく長い指が伸びてきて、身を寄せる私たちを引き離そうとしてきます。
 どうあっても抵抗は無理なのでしょうか、そんな風に諦めかけたとき。

「カズハ、そこにいるのか、カズハいたら返事をしろ!」

 馬車の外から剣の交わる鋭い音とともに届いたのは、私を呼ぶ声。それは……

「ソランさん?」

 ローウィン警備隊員を連れて探しにきてくれたのは、ソランさんでした。怪我をしていたのに、きっとじっとしていられなくて捜索に加わってくれたに違いありません。
 私は怖い顔をしたオーベールさんの手を払いのけ、固く締まった馬車の扉を手で叩きます。

「ソランさん、ここです、私はここにいます!」
「……カズハ? 無事なのか?」

 握った拳を打ち付けながら叫んでいると、遠くて分かりづらいけれど、確かに返事がありました。だけどホッとしたのもつかの間、私は肩を掴まれ、車内の床に引きずり倒されてしまったのでした。
 細身とはいえさすが男性の力、突然のこともあって抵抗することも出来ず、床に尻餅をつくはめに。

「……いったぁーい!」
「カズハ! ちょっとあんた、何するのよ!」

 カーラさんに助け起こされている間にも、馬車の外からはソランさんが私を呼ぶ声が。
 だけどその声にもう答えることは出来ません。なぜなら執事が私たちを見下ろしながら、冷たく言い放ったからです。

「静かにしていなさい、言うことを聞かないと拘束しますよ」

 その言葉に私とカーラさんは身を硬くします。言われてみれば、攫われてきたというのに拘束されていません。でもだからこそ、今ここでその言葉に恐怖を抱くのは仕方ないと思いませんか。想像するのは、手足を縛られさるぐつわをつけられ、目隠し……
 いやいや、それは勘弁願いたいのです。
 言葉を失った私たちに、執事は効果のほどを確信したのでしょうか。元のように座るよう告げたところで……

「カズハ、ちょっとソコどいてろ!」
「……え?」

 そんな声がすぐ側で聞こえたかと思ったら、次の瞬間。
 激しい振動とともに大きな音がして、馬車の窓が割れて足元に飛散したのです。

「きゃああ!」

 驚きのあまり叫ぶ私とカーラさん。
 そしてノブが壊されたのか、馬車の扉が勢いよく開かれたのです。

「カズハ、カーラ、二人とも無事か?」

 現れたのは、必死の形相をしたソランさん。
 だけど私が彼に手を伸ばそうとしたその時、彼はうめき声をあげて崩れ落ちてしまいました。

「ソランさん!」

 グロヴレ伯爵の雇った私兵が、ソランさんを背後から襲ったのです。てっきりソランさんたちが優勢なのだと思っていたのに、殴られて沈んでいく彼の後ろでは、人が何人か倒れています。そのほとんどが赤い制服を着た警備隊兵。
 馬車をとり囲む私兵たちは大人数で、私たちのものとは違う馬車が、二台見えます。ということは、ソランさんたった一人が、最後まで残って抵抗していたのでしょう。

「たかだか五人ほどの兵に、手を焼くとは……」
「申し訳ありません、最後の一人に手間取りました」

 オーベールさんの叱責に、ソランさんを押さえ込んでいる男性が、頭を下げます。
 だけど抵抗を止めようとしないソランさん。それで拘束していた男性は、大人しくさせようとしたのでしょうか。ソランさんを再び殴りつけたのです。

「やめて! お願いです、ソランさんを傷つけないで! 私は行くから……だから」

 ソランさんを守ろうと、誘拐犯であるオーベールさんに懇願します。だけどそれに納得いかないと、抵抗を止めようとしないソランさん……

「ちょ、止めてくれ。あんたが連れてかれたら、俺が隊長に叱られるだろうが……」

 後ろ手に拘束されるソランさんのこめかみからは、血がいく筋か流れています。
 そんな姿になってまで、私のそばにいる執事を睨みつけているソランさん。いつものやる気のない中年をどこかに追いやらせているのは、私だと思うと辛くて涙が出そう。
 オーベールさんは、そんなソランさんに近づき、じっと彼を見て言いました。

「ソラン……そういえばマナドゥの使った者が、そんな名前でした。なるほど、お前がエーデの街の……」
「俺は今、ノエリア支部の隊員だ」

 エーデの警備隊員であることを否定するソランさんを、目を細めて見る執事。

「そうか、それでは数に勝る我々でも手を焼くのも仕方ありません。確かマナドゥ中佐が……エーデの警備隊に、武に長けているが隊長の手駒としては使えない馬鹿者がいると。だから副隊長に推される前に間引かせ、ついでに汚れ仕事を任せた者がいたが、見事裏切ってくれたと。そのように言っていたのが、あなたですか」
「……あいつの息のかかった所で昇進しなくて良かったよ」

 執事の言葉は、宰相閣下がたどろうとした繋がりを暗に示してはいないでしょうか。
 だけど今はそんなことより。

「アルベリックさんは、ソランさんを犠牲にしてまで私を連れ戻すことなんて、考えるはずがありません。私は、グロヴレ伯爵の言う通りにします、だからこれ以上彼をを傷つけないでください。ソランさんも抵抗しないで!」
「お、い。カズハ!」
「そのかわり! ソランさんやそこに倒れている警備兵たち、それからカーラさんは解放してください」
「駄目よカズハ、私はあんたのそばにいるって言ったわよね!」

 慌てるカーラさんに首を横に振って見せて、再びオーベールさんへと向き直り、深々と頭を下げます。マナドゥ中佐を呼び捨てにする彼はきっと、そういう立場の人なのだと感じたから。
 ですが、オーベールさんの返事は容赦ないものでした。

「それは出来ません」
「どうしてですか!」

 私の問いかけを制するように彼が手をあげます。その鋭い視線が外に向かっているのに気づき、私も追うようにして外に意識を向けると。
 暗い夜空には瞬く星と、丸い月。満月に近いその明りは、暗く街灯もない道を照らしてくれていた。
 ……だけどふいに光を遮る影が遠くから迫ってきて、そして私たちの視界を一瞬だけ遮って走っていきました。
 私たちが見上げるはるか頭上にある影は、翼を広げる大きな鳥。

「グリフォン!」

 旋回するその黒い影に目をこらしますが、暗すぎて私の目ではよく見えません。
 きっと逆も然り。騎乗するグリフォンライダーからも、私たちの姿は見えにくいでしょう。まるでトンネルのように街道沿いに茂る木々の葉は、小さな私たちを簡単に覆い隠してしまうに違いありません。

「急げ、出発する」

 オーベールさんの声に、グロヴレ伯爵の私兵たちはみな、素早く反応しました。剣を収めて倒れている警備兵を道の木陰に隠すと、馬車を山手の木立に寄せて乗り込みます。
 私たちのいる辺りから離れず、上空で大きく旋回をくり返すグリフォン。
 まるで何かを探しているかのようなその行動に、自然と期待が膨らむのです。もしかしたら、アルベリックさんかもしれない。そうしたらきっと脱出のチャンスはまだこれから訪れるかもしれないのです。
 ……ううん、きっとそう。大丈夫。
 そんな期待を抱きつつも私たちは、再び馬車へ押し込められていました。
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