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悪夢 side イヴ
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イヴ=スタームがこうなった運命を受け入れるには、自身の愚かな行いを見つめ直す必要があった。
その行いをした自分は許されたかった。
許されたくて彼に縋ってしまった。秘密が白日の元に晒されれば、終わる関係だったとしても、自分は愚かにも縋ってしまったのだ。
そして、彼は告げる。
「話すこともない、失せろ」
◆
「! …っはぁ、はぁ……」
勢いよく、ベッドから起き上がった。
イヴは自分がしたことの罪を未だに昇華できていなかった。
悪夢とも呼べる過去の出来事は、イヴの心の奥底で黒く、黒く、ドロドロとへばりついている。
「……っくそ」
いつまで忘れられないのか、イヴにはもう分からなかった。
逃げるように左遷地区と名高い、辺境区域へ来てから、既に3ヶ月は経っていた。
寝汗で気持ち悪いシャツを脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。
まだ少し冷たいシャワーは頭を冷やすにちょうど良かった。
濡れた髪も適当に拭きあげ、タオルドライした身体へ仕事着を通した。
そして、イヴは部屋を出て仕事へ向かった。
辺境は思ったよりも平和だった。
もっともっと、魔獣が蔓延る場所だと思ったのだ。魔法使いもほとんど居なければ、剣士もほとんど居ないと思っていた。そして、自分のような文官は死地にいけと言われるのかと思っていた。
しかし、実際には事務として働いていた。
職場に到着すると、まだ上司は到着していなかった。
いつもの事だ。ここではイヴが1番序列が低い。1番に来てやることは、今日が締切の書類をかき集めることだ。
辺境地区の事務は、2人だけであった。
2人で辺境地区に住む騎士団員、傭兵、魔法師の諸々の手続きや経理などの事務を一手に引き受けていた。
この世の地獄かと思うほど、多くの書類に埋もれていた2人を見た時は絶望したものだった。
「おはよう、イヴ」
書類の整理をしていると、中性的で伸びやかな、耳障りの良い声が聞こえてきた。
イヴはその人物へ振り返った。
「おはようございます、サシャさん」
振り返った先には、事務の先輩のサシャ=イブリックが到着した所だった。
サシャ=イブリックは、一目で目を奪われる美貌の持ち主だった。
紫の瞳はアメジストの様に煌めき、零れ落ちてしまうのではないかと思うほど。月の精と見まごうほどの麗しい銀の髪は1つに結んで肩に流している。
均整の取れた目鼻立ちに、白い肌。
このサシャを目の前にして、間違いを起こしたい人間は沢山いる。
サシャは結婚しているにも関わらず、未だに他の人間からアプローチを受けているようだった。まぁアプローチをした奴は片っ端から夫、アーヴィン=イブリックという人物に叩きのめされているのだが。
イヴにとっても、自分の運命さえなければ、サシャのことをそういう目で見ていた可能性もあると思った。
「おはようございます」
ヘラ、と愛想良い顔をして挨拶をする。
サシャはため息をつきながらいつもの席に着いた。
この目の前の大量の書類を見て溜息をついた訳では無いのはここ3ヶ月で明白だった。
気だるさの残る色気に、席を着く時に庇う腰、若干の寝不足を感じさせる伏せた目。
明らかに情事を思い起こさせるその様相は、イヴや上司でなければ襲われているのではないかと思うほどであった。
しかも、それはほぼほぼ毎日である。
聞けば、サシャは結婚して既に1年が経っているという。蜜月と言うには長すぎる期間に、イヴですらドン引いた。
「はぁ…」
「サシャさん、とりあえず今日の分は仕分けしてあるのでよろしくお願いします」
「ああ、ありがとう。コリンさんは遅刻か…」
「いやいや!セーフだよ!おはよう!」
始業時刻ギリギリに扉の前に立っているのは、事務の中で1番トップの上司、コリンであった。
コリンは、先輩サシャが来るまでたった1人でこの膨大な事務をこなしていたという。成人男性にしては小柄な彼の姿からは考えられないほどパワフルな一面がある。
「サシャー、また怠そうだけどいい加減旦那にセーブしてもらったらぁ?」
「コリンさん!」
真っ赤な顔でバンッと机を叩きながら抗議するサシャ。明らかにセクハラ発言をするコリンはケラケラと笑っていた。
「コリンさん、サシャさんを揶揄うのはやめてください。今日分の書類は机に置いてあります」
いつものやり取りに内心ため息をつきながらイヴは席に着いた。
「はいはーい。 あ、イヴさ、今日は魔法師団のとこに行くの?」
「ええ。昨日は騎士団でしたので」
「じゃあついでにこれ、お願い」
そう言って、イヴの目の前にドンッと明らかに重い音をたてて書類が追加された。
イヴは、ひく、と口端が震えながらも笑顔でコリンに尋ねる。
「なんですか、この量」
「昨日持ってくはずだった手続き申請のための書類だよ! 配っといてね!」
この上司の最低なところは、締切を破る常習犯であることだった。
「昨日言ってください!」
「だって、今日行くんでしょ?1日くらい平気だってー」
「はぁ…イヴ、一緒に持ってこうか?」
「……いえ、大丈夫です」
「そうだよサシャー、サシャは重いものどうせ持てないもん!腰が痛くて!」
イヴが懸念していたことと同様の指摘を口走る上司は、サシャにキッと睨まれても全く怯む様子はなかった。
この2人の喧嘩に巻き込まれる前に、先に魔法師団へ行こうと決めて、書類をダンボールに詰めて持ちあげた。
そこそこの重量があるが、成人男性の平均的な力はあるイヴでも何とか持ち上げられる量だった。
「じゃ、行ってきます」
「はーい。がんばってねぇ」
「行ってらっしゃい」
コリンとサシャに送り出され、事務室を後にした。
イヴはダンボールを抱えながら廊下を歩き、魔法師団への道を歩いた。
イヴの仕事は事務だけではなかった。
イヴの実家、スターム家は代々治癒術の優れた家系だった。イヴもその恩恵に預かって生まれ育った。
治癒術が優れているならば魔法師団や教会へ務めるのが一般的だが、イヴはそうはしなかった。
父に勧められるまま、文官となったのだ。
「よいしょ…っ」
魔法師団への入口にたどり着くと、ずり落ちそうになるダンボールを、片足も使って抱え直した。
行儀悪いが肩を使って扉を開けた。
「おはようございますー」
「あ! イヴ! 来たねー!」
ヘラリ、と愛想良く笑いながら挨拶をすると、魔法師がの何人かが出迎えてくれた。
そして、イヴの荷物を受け取ってくれたのだ。
「よっ、え!重! なにこれ!」
「ああ、すみません。手続き申請の書類です。また期日は記載されてるので皆さんに配っといて下さると助かります」
「はいはい。 イヴに言われたら仕方ねぇな」
「はは、コリンさんじゃ誰も言う事聞かねぇからなー」
コリンのいい加減さは、ここでも有名のようだった。
はは…と力なく笑うことしか出来ないイヴ。
「今日はどなたからですかね?」
「今日は研究棟の奴らが何人か死んでるからそこから頼む」
「分かりました」
了承して、出迎えてくれた魔法師と別れ、廊下を進んだ。研究棟の扉の前に辿り着くと、イヴはノックをした。
シン…と返事はない。いつもの事だ。
扉を恐る恐る開けると、そこには死屍累々の屍が所々に見受けられた。
「や、やぁー、イヴかい? いやー…助かった…」
そう言ったのは、ここの魔法師団トップのシルヴァであった。
「シルヴァさん。いつも通りですね…順番に回復かけますんで…」
「ありがたやーありがたやー」
震えながらも拝まれ、イヴはため息をついた。なぜこうも何処も彼処もブラックなのか。
魔法師団のメンバーの中でも回復魔法を得意とするものは居る。
しかし、それは怪我を治すことに特化しており、内側の痛みや疲れまで癒すことは難しい。
イヴは怪我も治すことは可能だが、どちらかというと、そう言った内側を治すことの方が得意であった。
これがイヴが色んなところで重宝される理由であった。
イヴは順番に屍たちをゆっくり癒していく。
イヴの癒し方は、対象に触れる必要がある。一般的には魔力の白い光を当てれば良いだけだが、イヴの場合は直接患部に手を当てなくてはならない。それはマッサージの様に心地よくて好評なのだ。
「ああー! 助かったよ!」
「いえいえ。ゆっくり休んでくださいね」
ヘラ、と愛想笑いをすれば、相手からほんのり紅潮した顔を伏せられた。
とりあえず一通りかけ終わった所で、シルヴァに声をかけに戻った。
「研究棟の方々は終わりましたので、今日はこれで失礼しますね」
「ああー! 待って待って、今日はお礼と言ってはなんだけど、良い物を渡してあげるよ」
「良い物ですか?」
「そうそう、こんないつもボランティアしてもらって何にも渡さないのは心が痛むよ。ほら、これ」
そう言ってシルヴァから渡されたのは、魔法陣が書かれた紙と小さな布のお守り袋のようだった。
「その紙を、お守り袋に入れて枕の下に入れてごらん。夢を見ずによく眠れるはずだよ」
「! し、シルヴァさん……」
シルヴァに相談したことを覚えてくれていたことに感動して、感極まりそうになった。
本当はこんなことをしている暇もないほどブラックなのに、申し訳なかった。
「あ、ありがとうございます……!」
嬉しくてうっとりと手で大切に包んだ。
これで悪夢を見なくてすむ。
卑怯と言われようとも、イヴは出来る限り早く忘れたいのだ。
あの、胸が締め付けられ、死にたくなるほどの切なさを。
シルヴァは、うんうん、と満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、君さえ良ければなんだけど、僕とお付き合いしない?」
「え?」
シルヴァから唐突に告げられた。
そんな雰囲気はなかったように思えた。
好かれているとは思っていたが、それは良い人だという意味で好かれているだけだと思っていた。
「……返事は待つよ。考えてみて欲しい。断ったとしても、その魔法陣は返さなくて大丈夫だからね」
「し、シルヴァさん……」
「君がどうしてこの辺境に来たのかは、相談を受けて知っている。それに同情したと捉えられても仕方ないと思っている。けれど、僕はそれでも君を支えたいと思っていることに間違いはないよ」
先程の微笑みから、真剣な眼差しに変わるシルヴァに、イヴは戸惑いを隠せなかった。
「過去は変えられない。でも、薄れさせることはできる。前向きに考えて欲しい。君は……充分苦しんだよ」
イヴは、そうして暖かい涙が頬を伝うのを感じた。
そう、これは───
浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。
その行いをした自分は許されたかった。
許されたくて彼に縋ってしまった。秘密が白日の元に晒されれば、終わる関係だったとしても、自分は愚かにも縋ってしまったのだ。
そして、彼は告げる。
「話すこともない、失せろ」
◆
「! …っはぁ、はぁ……」
勢いよく、ベッドから起き上がった。
イヴは自分がしたことの罪を未だに昇華できていなかった。
悪夢とも呼べる過去の出来事は、イヴの心の奥底で黒く、黒く、ドロドロとへばりついている。
「……っくそ」
いつまで忘れられないのか、イヴにはもう分からなかった。
逃げるように左遷地区と名高い、辺境区域へ来てから、既に3ヶ月は経っていた。
寝汗で気持ち悪いシャツを脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。
まだ少し冷たいシャワーは頭を冷やすにちょうど良かった。
濡れた髪も適当に拭きあげ、タオルドライした身体へ仕事着を通した。
そして、イヴは部屋を出て仕事へ向かった。
辺境は思ったよりも平和だった。
もっともっと、魔獣が蔓延る場所だと思ったのだ。魔法使いもほとんど居なければ、剣士もほとんど居ないと思っていた。そして、自分のような文官は死地にいけと言われるのかと思っていた。
しかし、実際には事務として働いていた。
職場に到着すると、まだ上司は到着していなかった。
いつもの事だ。ここではイヴが1番序列が低い。1番に来てやることは、今日が締切の書類をかき集めることだ。
辺境地区の事務は、2人だけであった。
2人で辺境地区に住む騎士団員、傭兵、魔法師の諸々の手続きや経理などの事務を一手に引き受けていた。
この世の地獄かと思うほど、多くの書類に埋もれていた2人を見た時は絶望したものだった。
「おはよう、イヴ」
書類の整理をしていると、中性的で伸びやかな、耳障りの良い声が聞こえてきた。
イヴはその人物へ振り返った。
「おはようございます、サシャさん」
振り返った先には、事務の先輩のサシャ=イブリックが到着した所だった。
サシャ=イブリックは、一目で目を奪われる美貌の持ち主だった。
紫の瞳はアメジストの様に煌めき、零れ落ちてしまうのではないかと思うほど。月の精と見まごうほどの麗しい銀の髪は1つに結んで肩に流している。
均整の取れた目鼻立ちに、白い肌。
このサシャを目の前にして、間違いを起こしたい人間は沢山いる。
サシャは結婚しているにも関わらず、未だに他の人間からアプローチを受けているようだった。まぁアプローチをした奴は片っ端から夫、アーヴィン=イブリックという人物に叩きのめされているのだが。
イヴにとっても、自分の運命さえなければ、サシャのことをそういう目で見ていた可能性もあると思った。
「おはようございます」
ヘラ、と愛想良い顔をして挨拶をする。
サシャはため息をつきながらいつもの席に着いた。
この目の前の大量の書類を見て溜息をついた訳では無いのはここ3ヶ月で明白だった。
気だるさの残る色気に、席を着く時に庇う腰、若干の寝不足を感じさせる伏せた目。
明らかに情事を思い起こさせるその様相は、イヴや上司でなければ襲われているのではないかと思うほどであった。
しかも、それはほぼほぼ毎日である。
聞けば、サシャは結婚して既に1年が経っているという。蜜月と言うには長すぎる期間に、イヴですらドン引いた。
「はぁ…」
「サシャさん、とりあえず今日の分は仕分けしてあるのでよろしくお願いします」
「ああ、ありがとう。コリンさんは遅刻か…」
「いやいや!セーフだよ!おはよう!」
始業時刻ギリギリに扉の前に立っているのは、事務の中で1番トップの上司、コリンであった。
コリンは、先輩サシャが来るまでたった1人でこの膨大な事務をこなしていたという。成人男性にしては小柄な彼の姿からは考えられないほどパワフルな一面がある。
「サシャー、また怠そうだけどいい加減旦那にセーブしてもらったらぁ?」
「コリンさん!」
真っ赤な顔でバンッと机を叩きながら抗議するサシャ。明らかにセクハラ発言をするコリンはケラケラと笑っていた。
「コリンさん、サシャさんを揶揄うのはやめてください。今日分の書類は机に置いてあります」
いつものやり取りに内心ため息をつきながらイヴは席に着いた。
「はいはーい。 あ、イヴさ、今日は魔法師団のとこに行くの?」
「ええ。昨日は騎士団でしたので」
「じゃあついでにこれ、お願い」
そう言って、イヴの目の前にドンッと明らかに重い音をたてて書類が追加された。
イヴは、ひく、と口端が震えながらも笑顔でコリンに尋ねる。
「なんですか、この量」
「昨日持ってくはずだった手続き申請のための書類だよ! 配っといてね!」
この上司の最低なところは、締切を破る常習犯であることだった。
「昨日言ってください!」
「だって、今日行くんでしょ?1日くらい平気だってー」
「はぁ…イヴ、一緒に持ってこうか?」
「……いえ、大丈夫です」
「そうだよサシャー、サシャは重いものどうせ持てないもん!腰が痛くて!」
イヴが懸念していたことと同様の指摘を口走る上司は、サシャにキッと睨まれても全く怯む様子はなかった。
この2人の喧嘩に巻き込まれる前に、先に魔法師団へ行こうと決めて、書類をダンボールに詰めて持ちあげた。
そこそこの重量があるが、成人男性の平均的な力はあるイヴでも何とか持ち上げられる量だった。
「じゃ、行ってきます」
「はーい。がんばってねぇ」
「行ってらっしゃい」
コリンとサシャに送り出され、事務室を後にした。
イヴはダンボールを抱えながら廊下を歩き、魔法師団への道を歩いた。
イヴの仕事は事務だけではなかった。
イヴの実家、スターム家は代々治癒術の優れた家系だった。イヴもその恩恵に預かって生まれ育った。
治癒術が優れているならば魔法師団や教会へ務めるのが一般的だが、イヴはそうはしなかった。
父に勧められるまま、文官となったのだ。
「よいしょ…っ」
魔法師団への入口にたどり着くと、ずり落ちそうになるダンボールを、片足も使って抱え直した。
行儀悪いが肩を使って扉を開けた。
「おはようございますー」
「あ! イヴ! 来たねー!」
ヘラリ、と愛想良く笑いながら挨拶をすると、魔法師がの何人かが出迎えてくれた。
そして、イヴの荷物を受け取ってくれたのだ。
「よっ、え!重! なにこれ!」
「ああ、すみません。手続き申請の書類です。また期日は記載されてるので皆さんに配っといて下さると助かります」
「はいはい。 イヴに言われたら仕方ねぇな」
「はは、コリンさんじゃ誰も言う事聞かねぇからなー」
コリンのいい加減さは、ここでも有名のようだった。
はは…と力なく笑うことしか出来ないイヴ。
「今日はどなたからですかね?」
「今日は研究棟の奴らが何人か死んでるからそこから頼む」
「分かりました」
了承して、出迎えてくれた魔法師と別れ、廊下を進んだ。研究棟の扉の前に辿り着くと、イヴはノックをした。
シン…と返事はない。いつもの事だ。
扉を恐る恐る開けると、そこには死屍累々の屍が所々に見受けられた。
「や、やぁー、イヴかい? いやー…助かった…」
そう言ったのは、ここの魔法師団トップのシルヴァであった。
「シルヴァさん。いつも通りですね…順番に回復かけますんで…」
「ありがたやーありがたやー」
震えながらも拝まれ、イヴはため息をついた。なぜこうも何処も彼処もブラックなのか。
魔法師団のメンバーの中でも回復魔法を得意とするものは居る。
しかし、それは怪我を治すことに特化しており、内側の痛みや疲れまで癒すことは難しい。
イヴは怪我も治すことは可能だが、どちらかというと、そう言った内側を治すことの方が得意であった。
これがイヴが色んなところで重宝される理由であった。
イヴは順番に屍たちをゆっくり癒していく。
イヴの癒し方は、対象に触れる必要がある。一般的には魔力の白い光を当てれば良いだけだが、イヴの場合は直接患部に手を当てなくてはならない。それはマッサージの様に心地よくて好評なのだ。
「ああー! 助かったよ!」
「いえいえ。ゆっくり休んでくださいね」
ヘラ、と愛想笑いをすれば、相手からほんのり紅潮した顔を伏せられた。
とりあえず一通りかけ終わった所で、シルヴァに声をかけに戻った。
「研究棟の方々は終わりましたので、今日はこれで失礼しますね」
「ああー! 待って待って、今日はお礼と言ってはなんだけど、良い物を渡してあげるよ」
「良い物ですか?」
「そうそう、こんないつもボランティアしてもらって何にも渡さないのは心が痛むよ。ほら、これ」
そう言ってシルヴァから渡されたのは、魔法陣が書かれた紙と小さな布のお守り袋のようだった。
「その紙を、お守り袋に入れて枕の下に入れてごらん。夢を見ずによく眠れるはずだよ」
「! し、シルヴァさん……」
シルヴァに相談したことを覚えてくれていたことに感動して、感極まりそうになった。
本当はこんなことをしている暇もないほどブラックなのに、申し訳なかった。
「あ、ありがとうございます……!」
嬉しくてうっとりと手で大切に包んだ。
これで悪夢を見なくてすむ。
卑怯と言われようとも、イヴは出来る限り早く忘れたいのだ。
あの、胸が締め付けられ、死にたくなるほどの切なさを。
シルヴァは、うんうん、と満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、君さえ良ければなんだけど、僕とお付き合いしない?」
「え?」
シルヴァから唐突に告げられた。
そんな雰囲気はなかったように思えた。
好かれているとは思っていたが、それは良い人だという意味で好かれているだけだと思っていた。
「……返事は待つよ。考えてみて欲しい。断ったとしても、その魔法陣は返さなくて大丈夫だからね」
「し、シルヴァさん……」
「君がどうしてこの辺境に来たのかは、相談を受けて知っている。それに同情したと捉えられても仕方ないと思っている。けれど、僕はそれでも君を支えたいと思っていることに間違いはないよ」
先程の微笑みから、真剣な眼差しに変わるシルヴァに、イヴは戸惑いを隠せなかった。
「過去は変えられない。でも、薄れさせることはできる。前向きに考えて欲しい。君は……充分苦しんだよ」
イヴは、そうして暖かい涙が頬を伝うのを感じた。
そう、これは───
浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。
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