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理由 side イヴ

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イヴ=スタームは、王立騎士団の経理部の文官であった。

王立騎士団は第1から第5騎士団まであり、その全ての人数ともなれば何千人にもなる。
その人数の経理ともなれば、膨大な量だが、さすがは王都であり文官の数もかなりの人員が配置されているおかげで、基本的には定時上がりであった。

イヴは、いつも定時上がりであることを利用して、いつもの場所へ向かっていった。

「……! すみません!お、お待たせしました!」

文官の身にはキツい距離を走って向かった先は、騎士団の中でもエリート中のエリートが存在する第1騎士団への出入口だった。

イヴは走って乱れた髪を耳にかけながら、待ち合わせ相手に謝罪した。
別に遅刻では無いのだが、目の前の男に嫌な気分になって欲しくなくてつい謝ってしまった。

「いや、時間通りだ」
「そ、そうですか。あの、今日は…」
「いつも通りだ。頼む」

そう言われて、くるりと踵を翻し、イヴに背中を向けて第1騎士団の中へ入っていった。
イヴはその背中を追いかけるように小走りで後を追った。

イヴは内心、舌打ちしてこめかみがピクピクするのを抑えていた。

この目の前の男は、イヴを嫌いなことを隠しもしないのだ。だからこうやって冷たい言い方をする。

イヴは生来、人の感情に敏感であった。
それはおそらく、スターム家の家系が関係しているのもあるかもしれない。

スターム家は、王家創立の頃からの歴史ある由緒正しき侯爵貴族である。
そして、スターム家として生まれると、強い癒しの力を得ることが出来た。

イヴはその五男として生まれた。

跡継ぎは長男であったため、ある程度自由に生きることを許されていたイヴは、それでも自由奔放とはなれず、父親の従うとおりに生きてきた。

そう、癒しの力で他人に触れ、父の顔色を伺い、言うことに従っていれば楽に生きられることを知ってしまったイヴは、他人の感情に敏感になったのだ。

だから、この目の前の男がイヴの事を嫌っているのは明白な事実なのだ。

なにが気に入らないのかは分からない。
しかし、会った時からこのような冷たい態度だった。

「じゃあ頼む」

談話室のような場所に辿り着くと、目の前の男はソファに腰掛けて無愛想にイヴへ言った。

イヴは『言い方ってもんがあるだろうが』と心の中で悪態をつきながら、「わかりました」と、へら、と愛想良く笑った。

男の頭部を軽くマッサージする。東洋の手法でツボ、というものがあることを書物で読み覚えた場所を、的確に、程よい力で押す。
押しながらも、魔力をゆっくり細く注ぐ。丁寧に練り上げた癒しの力は、イヴの1番得意とする内側の痛みに届く。

そう、この男は偏頭痛に悩まされていた。

イヴがそれを知ったのは、約1か月前の事だった。

1か月前、イヴはある目的でこの男に近づいた。
そして、この男と少し話しただけで、眉間の取れない皺とこめかみを抑える動作で偏頭痛があるとイヴは見切ったのだ。

それから、仕事がある日はほぼ毎日こうやってこの男の所へ日参し、甲斐甲斐しくも、非常に不本意ではあるが無料で癒し続けていた。

そう、本来ならこの癒しの力、お金をとっても許されるほどの効果がある。

実際、スターム家にこの男のように肩こりや腰痛、頭痛、関節痛に悩まされている貴族たちが金を払ってまでイヴの所までやってくるほどなのだ。

それを、無償で提供してやってると言うのに、この男のイヴに対する好感度は一切上がらないのだ。

毎日会うことで絆されてくるかもと思ったが、そんな様子は一向に見られない堅物だった。

イヴは『こいつと結婚するやつは絶対に苦労する』と決めつけて平静を保っていた。

「……もういい」
「そうですか。 じゃ、今日はこれで終わりですかね。他はどこかありますか?」
「いや、ない」
「分かりました」

いつものやりとりと全く一緒である。
1か月、この男はイヴの事が嫌いな割には癒しの力を利用し、その上、礼の一つも言わない。
これなら金を払って癒している貴族連中のほうがまだお礼を言ってくれている。

しかし、イヴは耐えるしかない。

「では、私はこれで失礼します」
「ああ」

二度と会いたくない、そう思えるほどには1ヶ月でイヴもこの男の事は大嫌いであった。

「…… なんであんなやつの言うことなんか聞かなきゃならないんだ!」

騎士団を出るまで、通りかかる騎士たちに愛想笑いをしていた姿を崩して、イヴは周りに人が居ないのを確認して小さく叫んだ。

イヴがどうして、こんな嫌いな男の言うことを聞き続けなくてはならない理由は、やはり1ヶ月前に遡る。

スターム家は、王家創立の頃からの歴史ある由緒正しき侯爵貴族であるが、言ってしまえば、それだけである。
歴史だけが異様に古いだけの、まともな領地運営や事業の手腕もない侯爵家だった。
癒しの力を利用して、稼ぐこともできる。しかし、イヴの父親が、とある事業に金を注ぎ込み失敗した。

スターム家の財政は圧迫された。

そんな中、当主である父親と跡継ぎである長男にイヴはある日呼び出された。

「スターム家の為に、イヴにしか出来ないことをやってもらう」

父親が言った言葉に、イヴは嫌な予感がした。
日々のイライラが溜まりに溜まって、何でもいいから八つ当たりしてやりたい。そんな顔をしていた。

長男の方を見ても、日々父親に八つ当たりされ、辟易とした顔を隠しもしていなかった。

「……なんでしょうか」

それでも、イヴは生来父親の言う通りに生きてきた。
ここで反抗したことで、ただ父親の癇癪が長引くだけで、面倒臭いことこの上ない。

「言うことをちゃんと聞けよ」
「はい」

そもそもイヴが反抗したことなどあっただろうか。

次男や三男はどちらかというと自由奔放で、父親の言うことを聞くようなタチではなく、早々にスターム家を飛び出していた。
イヴもそうすれば良かった、など遅すぎる後悔をしつつも大人しく言うことを聞いてきた。

「お前には、ある男に近づいてもらう」
「近づく?」
「そうだ。そしてその男を篭絡し、金を引き出せ」

貴族らしい言い回しなど何一つない、父親のクズな発言にイヴは内心『ふざけんな』と悪態をついた。

「スターム家再興の為には、そこそこ見目良く、癒しの力も強いお前なら、あの男も堕ちるだろう」
「はぁ……」

そこそこ、と失礼な発言をしているが、父親なりに褒めているつもりのようだった。

「男の名前は、カシミール=グランティーノ」
「えっ?!」
「あのグランティーノ家は王国一、金がある。むしろ金しかない! 歴史はスターム家に劣るだろう!見合いをさせても良いのだが、お前の癒しの力を失うのも都合が悪いのでな」

イヴのおかげで貴族連中からけっこうなお金を巻き上げているのを、イヴは知っている。

父親の、この金にがめつい性格はイヴが物心ついた時から既にあった。
この先長男もこうなるのかもしれないと思うと、やはりイヴは早くスターム家から出ていった方がいいかもしれないと思った。

そして、グランティーノ家は、これぞ貴族といった金持ち一家である。
最も広大な領地に莫大な財産。
経営手腕の良い当主に美しい侯爵夫人。

そしてカシミールはその次男だ。

跡継ぎではないものの、イヴがカシミールと繋がれば金の無心ができるといった所だろう。

「……しかし、カシミールは、その…別に男色というわけではないかと」

そう。カシミールとは学園で会ったことがあり、知っていたのだ。おそらく、イヴが一方的に知っているだけであり、向こうは存在自体知らないだろう。

カシミールは顔の良さと恵まれた体躯、さらにお金持ちで、騎士の腕も申し分ない。そんな男がモテない訳がなく、何人か恋人らしき人物と歩いているのを見かけたことがあった。

その中に、男性は一人もいなかった。

「あとはお前で考えろ! いいな! 必ずカシミールから金を巻き上げろ!」

後先もなにも考えてなさそうな投げやりな父親に、こめかみに力が入るのを感じながらイヴは耐えるしかなかった。

これが、イヴが嫌いな男の言うことを聞き続けなくてはならない理由であった。
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