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ep.17 死にいたる君への毒
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こちらは完全版です
かなり過激な表現がありますので、少しでも心配な方は省略版をお読みください
こちらを読まなかったからといって、話がわからなくなることはありません
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その週の休息日に僕らは連れ立って、4人で街に買い物に出た。4人でというのはそれぞれが封筒と便箋を購入するためだ。
先日の一件から、各々手紙を書こうという話になったのだ。ヨナスまで書くと言い出したのは驚いたが、もとより今の状態をご両親に一方的に通知したいとのことだそうだ。
僕らの老婆心をよそに、ヨナスは確固たる意思で手紙を書こうと決めていたらしい。パオルは便乗して買っておくかという流れだが、どうも彼を保護した神祇官宛に何を書こうかそわそわしている節がある。ルカは言わずもがなだが、恨み節の一つでも書いてやれというパオルに若干触発されているようだ。
「ああ、僕これで良いや」
店内に入って早々、ルカは便箋と封筒がセットになった簡素なものを選んだ。選んだという表現はどこかおかしいが、さっさと会計を済ませて店内を物色している。
一方パオルは予算というものがあり、値段が安く量が多いものを必死に探している。
ヨナスは、彼に似合う花の加工がされた便箋を取り出しては眺め、また戻しという作業を繰り返している。
僕はルカと一緒で、いつも買う簡素な便箋をもう選んでいた。
「貸しますよ?」
「んなことできるか」
昨日から何度かこのやり取りを繰り返している。
彼には元々手持ちが無いため消耗品の購入のため幾ばくかのお小遣いが支給されている。ここ最近それらは勉強のためのノートに変わっているので、こういうものに使うお金はほとんど残っていない。失念していたなと、反省した。どうにかフィン先輩に最近大量に消費されるノートの補填を融通利かせてもらえないか、頼まなければならない。
「これが良いか」
見つけたのは彼の要望する量が多いものではなかったが、予算ギリギリのものだった。柔らかな箔押しが隅にあるもので、恩のある人に出すにはもってこいの便箋だった。
「とても素敵だと思いますよ」
「失敗できねぇけどな」
ヨナスもお気に入りがいくつか見つかったようで、どれにしようか迷っていた。
のぞいてみると、彼が悩んでいるのはどれにしようじゃなく、どちらにしようがしっくりきた。かたや清楚な花の模様が描かれているもの、かたや何も無い簡素なもの。
「どちらの便箋が好きですか?」
「…こっち」
ヨナスは迷わずに清楚な花の模様の描かれている便箋を指差した。
「じゃあそっちにしましょう」
「…でも…」
「ヨナスのお母様も好き勝手書いてるじゃ無いですか。相手と同じ土俵に立つのはあまりオススメできませんが、これがヨナス自身の形ですから、大事にして良いと思いますよ」
「僕、の、形?」
「好きなものってその人自身だと思いますよ。嫌いなものなんてみにつけたりしませんよね。手紙は相手に宛てるものですけど、自分をわかって欲しい時には自分を思い切り出して良いと思うんです」
「ヨナス決まった?」
ひょこりとルカが僕の後ろからヨナスを覗く。通路が狭いとはいえ、少しだけびっくりする。
「花柄綺麗じゃん、ヨナスに似合いそう」
「そう?」
「似合う似合う。色のうっすいピンクだし」
「これ、に…する」
そう言うと先に会計していたパオルの後ろに並んだ。
「最近仲良しですね」
「僕が一方的にね。搾取してるんだ」
「またそんな言い方をして。もう少し平和な言い方ありますよね」
「事実だからね。僕今中毒なんだよ。彼の歌声の」
ふとニコリとルカが笑った気がした。胸が軋む音がする。親に捨てられ、親を捨てようとしている少年がああも笑えるものかと、気のせいにしたかった。いや、それは当然の結果なのだ、捨てるに値する親なのだ。そう言い聞かせた。
「孤児か」
「別に今と変わらねぇんだろ?」
「綺麗さっぱりするくらいかな」
「良いことじゃねぇの?俺はどうなるかなー。ナジェカ以上になったところで、金でも入り出したら無心されんだろうな」
「パオルのところは、縁を切ろうが切らまいが関係なさそうだもんね」
「お貴族様みたいに、法律や戒律が通用する相手でも世界でもねぇしな」
「まぁ、確かに貴族といえば貴族だけどね。お金だけはいっぱいあるけど。それだけだよ」
「金って大事だぞ」
「だから貸すって言ったじゃん」
「ルカも貸すって言ってたんですか?」
「そうだよ。お前ら、ちなみにヨナスも無言でロンプ紙幣差し出してきたぞ」
「だから、あんな頑なだったんですか。フィン先輩も誘えばよかったですね」
「はあ?」
「方々から逆無心をされる気持ちはどうかな?」
「ウルセェ」
照れるパオルは足を早めて先を歩く。僕らはそれについていく。僕らは確かに今幸せの絶頂にいるのかもしれない。
それから2日後、いつもの定例報告を昼休みに行った時につい、うっかり自慢してしまった。
「なんで!僕を!誘わないの!!」
「他意はなかったんですが」
「全員でロンプ紙幣をパオルに差し出して、誰の紙幣を受け取るかとかやりたかった!!」
「すっかり仲良しですね」
「こっちはずっと避けられてるけどね。僕としては君のおかげで心境の変化かな」
「ルカは手紙を書きましたよ。フィン先輩の言いつけ通り」
「これでルカが無事に手放されてくれれば、良いんだけどね。読むかな?」
「どうでしょう。でも同じ内容の手紙を買った封筒分書いてましたよ」
「どこかで聞いた話だ」
「もっとも、内容は簡素ですけどね」
「息子からの最初で最後の手紙かもしれないんだ。読んでくれると信じたいね」
「その割には、事務的な面が大きいですけどね」
「それもそうだ。中身は読んだの?」
「いいえ、ルカは読むことを勧めてくれましたが、読みませんでした」
「そうなんだ。君はいつだってそうだよね」
なんの話だろうかと思ったが、フィン先輩は矢継ぎ早に続けてしまったので、口を挟む暇はなかった。
「そうだ、なぜかあの調停者、僕が窓口だと勘違いしてるらしくて、とうとう僕宛に手紙まで届き出したんだ。確かに、学校の対応には不審がるのはわかるけどね」
「何か進展があったんですか?」
「彼の乳母が彼に会いたいって言ってるってことが書いてあったんだけど、手紙をそっくりそのまま渡すか、どうするか」
「どちらでも良いと思いますけど」
「気が重い」
「そんな気が重くなるような内容なら、かいつまんだ方が良いかもしれませんけど」
「手紙内容じゃなく、こう彼の窓口になってることね。なんのために君に全部押し付けたのか。確かに僕は相談役として君の窓口であるのは確かだけど、君が担当する生徒に直接関与するのは、さすがにダメだと思うけど、正式な役員ではない君に外部とのやりとりまで背負わせるのはもっとダメなんだよ」
「さすがに僕には荷が重すぎますし、こちらでの書類仕事は全部フィン先輩がやってるので、仕方ないといえば仕方ないと思いますが」
「今すぐに君を役員して代わってもらいたい」
「残念ながら、まだ学年的に役員は無理です」
「そうなんだけど、そうなんだけどさ。最近毎日が辛い。ヨナスにおんぶにだっこだったから、聖歌隊の練習も割り増しして辛いし。全員がソロの練習とか、きついにも程がある」
「フィン先輩でも弱音吐くんですね」
「僕は元々弱音しか吐いてないよ、あんまり度量が大きくないんだ」
少し前まで役員の面々は一足飛びに大人になった完璧な人たちの集まりだと思っていた。とりわけフィン先輩は相談役で、ずば抜けていて、誰しも彼に感心していた。そんな彼がこうも身近に思える日が来るとは思ってもみなかった。
第1通目を投函してから3日空きで手紙を送り続けた。結局5通送ったところで、書いていたものは全て送り切り、返信もないままだった。そのかん、調停者は何度もルカの両親に面会を取り付けたが、一度たりとも叶うことはなかった。
そうこうしている間に、ルカの乳母とルカの面会がやってきた。
調停者はルカの要望により別室で待機している。僕とフィン先輩もルカに同席するようにお願いされたため疑問符を浮かべながら、その席についた。ルカの乳母と名乗った女性は、小柄で小太りのいかにもと言う風体だった。初老くらいの年齢だろうか、手や顔に年輪が見える。
「お坊ちゃん、お久しぶりです。まあまあ大きくなられて、また一段とお母様に似て美しくお成りになられた」
「久しぶり。相変わらずのようで何よりだよ」
ルカはどこぞの貴族の令息かというように、1人掛けの椅子に足と指を組んで踏ん反り返っている。実際貴族の霊速ではあるのだが、普段の様子と随分と違うためとても違和感がある。
「あら、そちらはお友達?お友達が出来らんですか?お坊ちゃんに?人って変わるものですね」
そう言ってルカの乳母は僕らを値踏みした。フィン先輩に対してはちらっと見ただけだったが、僕に対しては頭の先から爪先まで眉間に皺を寄せながらじっくり見て少しだけ頬を引き攣らせて笑った。
「そうそう、お坊ちゃんがこちらに来られてから、すっかりお役御免になりましてね。すっかり悪評が広がってしまいましてね、ちっとも仕事が無いんです。私の家は、旦那様が治める領地の一画に、代々住んでいましてね。麦を栽培してるんです。今年の麦はあまり良くないんです。ディギがついて。どこものようですよ。隣の領地の麦もやられたと聞きましたから、来年は麦が高くなりますよ。それでですね、私は小さい頃から体が弱かったんで家の手伝いはあまりできなかったんですよ。だから幼い頃から、そういう幼い子供がいる家に奉公に上がってお世話をしていたんですよ。お坊ちゃんまでに16人の子供を立派に学校へ上がるまで育てましたよ。それは評判が良かったんです」
挨拶もそこそこに突然身の上話を始めた。ルカは姿勢も表情も変えずに、ただ聞いている。僕とフィン先輩は視線だけで目を合わせて、どうしたものかと唖然とした。僕らはなんの前触れもなくはじまったそれに、時間は限られているため適当にどこかで中断させるべきと思ったが、話の切れ間を見つけられない。
「でもね、お坊ちゃんだけはダメだったんですよ。私の唯一の汚点です。お坊ちゃんうんともすんとも笑わないでしょう?今だって、乳母である私との再会なのに、ニコリともしないなんて、おかしいじゃありませんか。周りが気味悪がって私の育て方が悪かったんだって言われるんですよ。顔の作りが綺麗なだけ余計に気味が悪いんです。そう思いません?でも私だけはそうは思いませんよ。だって4歳の誕生日までは笑っておられたんですから、どう考えてもご両親のせいですよ?私は誠心誠意しっかりとお育てしましたからね。なんせ4歳までは手の掛からない綺麗な子だったのですよ。だから可愛がって、可愛がって、こんなお顔の綺麗な子は初めて育てましたから、前の16人の子供たちよりよほど大切に目をかけて育てましたよ。初めて立った時や言葉を話した時も奥様にキチンとご報告差し上げたんですよ。でも奥様、いつでもいつだって、そう、だけで終わってしまって。だからなんですよ。お坊ちゃんの頭がおかしくなってしまったのは。ねえ。お友達の方もそう思うでしょう。眉毛ひとつ動かない。気持ち悪くない?すぐ死のうとするのも知っているから、ここにいるのでしょう?ねぇ。気持ち悪いでしょう。頭がおかしいと思いません?」
ルカが何を言われても絶対に言い返したりしないでいいから、ただここにいて欲しいと言った理由がわかった。僕もフィン先輩も立って大声で反論したいのを必死に我慢している。爪が酷く手のひらに食い込んでいく。
「もう4歳の誕生日から私たちは本当に大変だったんですよ。奥様や旦那様に会いたいというお坊ちゃんを大人しくさせるのは本当に骨が折れました。その頃からですよ。虫を殺して使用人たちに見せたり、わざと怪我をしてみたり、家中の家具や調度品にいたずらをしたりどれだけ後始末が大変だったことか。気が違ったかと思ったほどですよ。あれだけお利口さんだったお坊ちゃんがですよ。高価な物を隠したり触れられないように気を張ったり、もう大変だったんですよ。それを嬉々として旦那様や奥様に見せに行こうとするのでもうどれだけ目を光らせてはいけなかったことか、これほどまでに神々を恨んだことはありませんでしたよ。一度だけ、全ての足を取った、何の虫だったかしら、それを私の目を盗んで奥様に持って行った時には、奥様が卒倒してしまいましてね。あの後私はとても叱られましたよ。お坊ちゃんを叱れば良いのに、私を叱るのですよ。私も私でお坊ちゃんのしでかした後始末などをしなくてはならなくて忙しいのにですよ。奥様が自分でお産みになられたお子様のしでかしたことなのに、私を叱るのですから。それはもうクビになるかというほどですよ。でもここで私がお坊ちゃんを見放したら、もっとダメになると思いましたから、これも神々が私にお与えになった試練だと思うことにしたのです。4歳までのお坊ちゃんを知っていましたし、情と言いましょうか、そういうものもあったんですよ。でもそれも5歳の誕生日まででしたけどね。それ以降は家庭教師がついてほとんど一日中お勉強していらしたから、旦那様も喜んでおられましたし、私も安心していたんです。それから、小賢しくどうすれば自分が構われるかを学習したんでしょうね。使用人や家庭教師たちに対してあざとい様子を見せだしたんですよ。たった6歳の子供がですよ。気持ち悪いったらありゃしませんでしたよ。なんせ黙っていれば天使のような綺麗なお顔立ちでしょう?ころっと騙される新入りの使用人の多かったこと。子供だから一時の反抗期だったのよと、騙される年若い使用人も多かったこと。だからね、気をつけなさいといちいち注意しなければいけなかったんですよ。それは本当に骨の折れるような説得が必要だったのです。お坊ちゃんの本性は私しか知らないのですから。恐ろしい。あら、なぜかって顔をしてらっしゃるわね」
僕らがしていたのは、なぜとかどうしてとかいうそんな顔じゃなかったはずだった。この不毛で不可解で、不愉快な話はいつまで続くのだろうかや怒りを我慢しているという顔をしていたと思う。
「だってお坊ちゃん、お顔立ちが綺麗でしょう?騙されるんですよ。お坊ちゃんを知らない新しい使用人は特に。みんな、ね、仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんけどね。もしかしてお友達もそうなの?ダメよ。お坊ちゃんの中身は気味が悪いものが詰まってるのよ。あんなに愛らしかったのに、ご両親に愛され無いのよ。きっと気づいていたんですよ。お坊ちゃんの気味悪さに。だってそうでしょう?あれだけ甲斐甲斐しくお育てしたのに、6歳で家庭教師に股を開いていたのですよ。わかります?それを見た時の私の気持ちあ、あの悍ましさが。お坊ちゃんの足の間に座って、お坊ちゃんの足を舐める家庭教師の姿を見た時の私の気持ちがわかりますか?男の使用人にだってそうですよ。そんな歳で色目を使って。この私が大切に大切にお育てしたのに、どうしてこんな気味の悪い子に育ったものだわ。だから家庭教師や使用人に言っていやるのよ。旦那様に言いつけるって。紹介状がもらえなくなるからって、身を滅ぼす前にここを辞めなさいって。何人がそうやって辞めていったかもう覚えてないわ。女の使用人もそう、何度話しかけられたか競争し始めた。女中頭がいつでも私に苦情を言ったのよ。まともに育てられないのかって、お前の育て方が悪いって。私はお坊ちゃんに毎日毎日言ったのよ。使用人を誑し込むのはやめなさいって。ご両親に愛されないのは、そんなことを平気でするご自分の心根が醜いからだって、外見だけでなく、心も美しくなりたいなら、もっとまともになって、愛される努力をしないさいって。家庭教師や男の使用人にさせていることがどれだけ汚らわしいことか、女の使用人に媚を売って母親の愛情を欲しがることがどれだけ卑しいことかをちゃんと教ましたよ。でもちっとも響かなかったんですよ。そうです。あれは8歳を迎える少し前のことですよ、お坊ちゃんは自室でご自分の首を締めてい他のです。目を疑っう光景で、慌ててやめさせると何を考えてるのかわからない目でじっと私を見ていましたよ。気味が悪くて悪くて、慌てて叱りつけましたよ。その後も、お腹にナイフを刺してみたり、首をくくってみたり、窓から飛び降りてみたり、その度に責められましたよ。女中頭にも執事にも、旦那様にも。もう任せられないと何度も何度も、私を攻めるのです。でも私は最善を尽くして精一杯お仕えしていますって何度も何度も言いったんです。でも誰も私の言葉に耳を傾けてはくれないのです。屋敷の中でここぞとばかりに肩身が狭くなりまして、もうその頃には新入りに注意することもなくなっていたのです。だって、使用人全員がお坊ちゃんのことを気味が悪いって思っていたんですから。8歳の子供が思いつく限りの方法で自殺するんですよ。もう、そばにいるだけでこっちの気まで狂いそうでしたよ。お金もらってたって、そんな気味の悪いものと関わりたくありませんからね。だから私は愛されたいなら、どうせ死ねないのだからもうそんな気味の悪いことをするんじゃ無いと、何度も何度も叱ったんですよ。もちろん、叩いたりなんてことはしてませんよ。確かに子供や孫が言うことを聞かない時はもちろん叩きますよ。でもちゃんとその後に抱きしめて次はどうすればいいか教えてやるんです。私の育てた子供も孫もあんなに良い子なのに、おかしいと思いますでしょ?先に育てた16人もそうやって育てて、とても良い子に育ったんですよ。勿論、自分の子や孫じゃないですから叩いたりなんてことはしていませんよ。だから女中頭や執事にはいつでも言ってやったんです。頭のおかしな子供をまともに勉強する机につかせているのだから、私は給料に見合う仕事を誠心誠意やっていると。でもここへ入る歳になる頃には、自殺する回数もどんどん増えましてね。殆ど一日中お坊ちゃんを見張っていなければいけなかったんですよ。それがどれだけ大変なことだったか。小賢しく目を盗むんですよ。そして自殺する。それか家庭教師を誑し込んでいるか。男の家庭教師ですよ。汚らわしい。どれだけそれが汚らわしいことなのかも、随分と説きました。けど、ちっともやめることはなかったんですよ。娼婦のようだと何度も言いましたけど、全くやめなかったんですよ。本当に気味が悪い。男の使用人も気味の悪さよりも、という使用人が何人もいましたよ。どんな娘よりもお顔だけはお綺麗ですからね。仕方がないことかもしれませんけどね。彼らは告げ口をしたので、最後にはお坊ちゃんに暴言を吐いて辞めて行きましたけど、当然ですよ。人を騙すのをやめなさいって、言っても言っても聞かないのですから。ねえ、あなたたちもお坊ちゃんに騙されているのでしょう?お顔立ちだけはいいものね。使用人や家庭教師のように、お坊ちゃんの股の間でいやらしいことしているんでしょ?そうそう、新しい奥様にお生まれになったお坊ちゃんもお可愛いと聞いていますよ。今度はちゃんと育てられるわ、ねえお坊ちゃん旦那様と新しい奥様に口を聞いていただけないかしら?お坊ちゃんの頭がおかしなせいで首になったようなものなのですから、責任を感じてもいいと思いませんか?今度のお坊ちゃんはちゃんとご両親に愛された、心根の美しい子なのだから、きっとちゃんと真っ当に育てられますよ。騙したり誑かしたりしない綺麗な子に育てます。今度こそ自信があるんですよ。前回はたまたま運が悪かっただけ。神様も試練をお与えになったんですよ。お坊ちゃんっていう。お前は気味の悪い子供とどう向き合うかって。やれることはやりました。お坊ちゃんを守るために家庭教師や使用人を辞めさせましたし、私はちゃんと愛情を持って叱りました。それを糧にして美しい子供をより美しく育てられるようにって、試練だったのですよ。ねえ、お友達もそう思いますでしょ?大丈夫、絶対、真っ当に育ちますよ。だって、試練を受けた私が育てるのだから、ね。お坊ちゃん、旦那様と新しい奥様に口を聞いてくださいよ。ね、次は大丈夫だって。お坊ちゃんの失敗は私のせいなんかじゃなかった。元々の心根が汚かったんだって、天使の皮をかぶったエンゾザだったって」
僕は思わず立ち上がろうとしたが、フィン先輩が制服の背中を強く掴んで立ち上がらせてくれなかった。
「お坊ちゃんみたいな気味の悪い子、そうそう生まれてくるものではないですからね。現に旦那様にも新しい奥様にもとても愛されているようなんですよ。あの子だったら、もっと上手に育てられますよ。ねえ」
そこまで一気に喋ると、ルカの乳母は出されたもうすっかり冷めてしまったお茶にやっと口をつけた。そして、自分がずっと喋っていたせいなのに、冷めたお茶を出すなんてと怒っている。
僕ははらわたの煮え繰り返る思いがしていた。好き勝手言うルカの乳母に、ここまで言われているのに静かに淡々とその話を聞いているルカに。ここへ来る前にルカが何を言われても、話終わるまで口を開いてくれるなと頭を下げてお願いしてきたから、何とか我慢できていた。本当はフィン先輩の手を振り払いたかった。しかし、隣に座っているフィン先輩も、表情こそはにこやかだが怒気を孕んだ気配が漂ってくる。
「先日、父に手紙を出しました。もうかれこれ3週間経ちますが、返事が来ていません。弟が生まれてからすっかり見放されてしまっているんです。せっかくお越しいただいたのに、お役に立てそうもありません。ここまで立派に育てていただいて、何か感謝を形にして表したかったのに残念です」
ルカは姿勢を正し、優しい口調でそう言うのを、僕は胸が痛くなりながら黙って聞いた。僕も何か言うべきかと迷っていたら、突然ルカの乳母が立ち上がって、飲みかけの冷めた紅茶をティーカップごとルカに投げつけた。ルカは何でもないという様子を見せて、僕らを制止した。
「だからお前は頭がおかしいと言ったんだよ、何が感謝だ。またそう慇懃無礼に濁らせて終わりか、どれだけお前の。尻拭いをやってやったと思っているんだわかってるのか?お前が私の愛を受け入れないから、誰にも愛されないんだよ。あれだけ愛してやったのに、父親と母親がいいだ?あれだけ愛してやったのに、4歳の誕生日から何かにつけて旦那様と奥様のことばかり聞きやがって、愛してやったのは私だろう?愛していたのに笑いもしなくなったのは何でだ、どうして死ぬ?奥様と旦那様からどうしてお前が愛されないのか、何度も教えてやったじゃ無いか。どうしてわからない。お前は実の両親のどちらにも愛されないんだ。旦那様は奥様を愛していないし、奥様もお前がお腹にいる時からお前になんか興味が無かったんだよ。お前が生まれた時、排泄物を見るような目で見たと何度も教えてやったじゃないか。お前に真っ当な愛を注いだのは私だけだったじゃ無いか。なのにこの仕打ち、どうして、あれだけ愛情をかけてやったのに。お前は私をどれだけ追い詰めたら気がすむんだ。あんな家庭教師ごときに股を開いて、娼婦のように咥えて、体を舐めさせて、私がどれだけお前を大切に愛していたか。男の使用人にも同じことをしていたな。お前の欲しかった愛はそこにあったか?女の使用人にも同じように体を好きにさせていたな、気味が悪い。どうしてそうなった。あれだけ愛してやったのに。ああ、気味が悪い。その顔、その顔だよ。どうして眉一つ動かさない。だから旦那様も奥様もお前を愛さないんだよ。私があんなに愛してやったのに。旦那様と奥様に愛されないかわいそうな子供をあんなに愛してやったのに。とんだハズレだよ。お前みたいな子供が生まれなきゃ今頃まだ乳母としての仕事ができてたんだよ。次に生まれた子の乳母にもなれたんだよ。このハズレめ。お前が全部悪いんだよ。このエンゾザめ!」
ルカの乳母は言いたい事だけ言って、お茶請けに出された焼き菓子と砂糖を全て掴んで手持ちの袋に入れると、こんなところまで来て無駄骨だったと言いながら扉を乱暴に開けて帰って行った。
「ありがとう、黙っていてくれて」
ルカは緊張の糸が切れたのか、姿勢を崩して大きく息を吐いた。
「僕は5度ほどお茶をぶっかけてやろうかと思ったよ」
「案外喧嘩っ早いんだ、パオルのこと言えないよ」
「あれを聞いて黙っていられるほど、まだ人間できちゃいないよ」
「最後の罵倒が何だか懐かしかった、あの人、僕の記憶の限りではずっとああだったからね。本当に、懐かしい」
別室にいた調停者がルカの乳母よりも大きな音を立てながら、慌てて応接室に入ってくる。別室にいる相手に声を届ける呪符を作ったが、僕らが作ったもので、さらに羊皮紙ではなかったため効果は半減していただろうが、どうやらちゃんとルカの乳母の声は聞こえていたらしい。
「ルカ、本当にすまない。あんなだとは思わなかった。ただルカを心配して会いたいと言っていたんだよ。だから、面会の都合をつけてしまった。君と、彼女についてちゃんと話をすべきだった」
「別に構わないよ、僕はあの人対して何も思っていないのだし、それに僕があなたに人となりを話して、あなたが会わせないと判断しても、きっと僕は会ってたよ。あの人はそういう人だから。どうにかして僕に会いに来ただろうし」
「それはそうだが、学校側に面会拒否の申請を出すことだってできたはずだ」
「あんなもの、あってないようなものだよ。あなたも職務が違うとはいえ、神祇官だからわかるでしょう。マハネの円環から人として生まれたのは、善性が合格ラインに達したからだって。悪意は後天的なものであるって。あの人が涙ながらに訴えたら、面会拒否の申請なんて意味がないよ」
「だが……」
「それに、そうだね。僕は案外あの罵倒を懐かしく感じていたんだ。自分でも意外だったけどね」
調停者は、ソファに座り直して正面からルカと目を合わせた。
「それは違うよ、ルカ。君は麻痺しているんだ、あんなものを君は懐かしんではいけないよ。あれは毒だ。君を蝕むものの一つだよ。ゆっくりと君を殺す毒だ」
「おかげですっかり中毒患者だ」
「治療は可能だ。君には良き友人がいるし、これからも増える」
「そうかな」
「そうですよ。増えます。だってルカは綺麗です。心根もちゃんと」
「ベンヤミンは相変わらず、盲信的だ」
「だって、僕はルカの真っ当な友人第1号ですから。でも一番の友人ではないですけどね」
「その席はヨナスのだからね」
そこまで言うとルカは顔を急に真っ青にして嘔吐するなりその場に倒れた。あまりに突然のことで、その場にいた僕らはルカを受け止めることすらできなかった。
かなり過激な表現がありますので、少しでも心配な方は省略版をお読みください
こちらを読まなかったからといって、話がわからなくなることはありません
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その週の休息日に僕らは連れ立って、4人で街に買い物に出た。4人でというのはそれぞれが封筒と便箋を購入するためだ。
先日の一件から、各々手紙を書こうという話になったのだ。ヨナスまで書くと言い出したのは驚いたが、もとより今の状態をご両親に一方的に通知したいとのことだそうだ。
僕らの老婆心をよそに、ヨナスは確固たる意思で手紙を書こうと決めていたらしい。パオルは便乗して買っておくかという流れだが、どうも彼を保護した神祇官宛に何を書こうかそわそわしている節がある。ルカは言わずもがなだが、恨み節の一つでも書いてやれというパオルに若干触発されているようだ。
「ああ、僕これで良いや」
店内に入って早々、ルカは便箋と封筒がセットになった簡素なものを選んだ。選んだという表現はどこかおかしいが、さっさと会計を済ませて店内を物色している。
一方パオルは予算というものがあり、値段が安く量が多いものを必死に探している。
ヨナスは、彼に似合う花の加工がされた便箋を取り出しては眺め、また戻しという作業を繰り返している。
僕はルカと一緒で、いつも買う簡素な便箋をもう選んでいた。
「貸しますよ?」
「んなことできるか」
昨日から何度かこのやり取りを繰り返している。
彼には元々手持ちが無いため消耗品の購入のため幾ばくかのお小遣いが支給されている。ここ最近それらは勉強のためのノートに変わっているので、こういうものに使うお金はほとんど残っていない。失念していたなと、反省した。どうにかフィン先輩に最近大量に消費されるノートの補填を融通利かせてもらえないか、頼まなければならない。
「これが良いか」
見つけたのは彼の要望する量が多いものではなかったが、予算ギリギリのものだった。柔らかな箔押しが隅にあるもので、恩のある人に出すにはもってこいの便箋だった。
「とても素敵だと思いますよ」
「失敗できねぇけどな」
ヨナスもお気に入りがいくつか見つかったようで、どれにしようか迷っていた。
のぞいてみると、彼が悩んでいるのはどれにしようじゃなく、どちらにしようがしっくりきた。かたや清楚な花の模様が描かれているもの、かたや何も無い簡素なもの。
「どちらの便箋が好きですか?」
「…こっち」
ヨナスは迷わずに清楚な花の模様の描かれている便箋を指差した。
「じゃあそっちにしましょう」
「…でも…」
「ヨナスのお母様も好き勝手書いてるじゃ無いですか。相手と同じ土俵に立つのはあまりオススメできませんが、これがヨナス自身の形ですから、大事にして良いと思いますよ」
「僕、の、形?」
「好きなものってその人自身だと思いますよ。嫌いなものなんてみにつけたりしませんよね。手紙は相手に宛てるものですけど、自分をわかって欲しい時には自分を思い切り出して良いと思うんです」
「ヨナス決まった?」
ひょこりとルカが僕の後ろからヨナスを覗く。通路が狭いとはいえ、少しだけびっくりする。
「花柄綺麗じゃん、ヨナスに似合いそう」
「そう?」
「似合う似合う。色のうっすいピンクだし」
「これ、に…する」
そう言うと先に会計していたパオルの後ろに並んだ。
「最近仲良しですね」
「僕が一方的にね。搾取してるんだ」
「またそんな言い方をして。もう少し平和な言い方ありますよね」
「事実だからね。僕今中毒なんだよ。彼の歌声の」
ふとニコリとルカが笑った気がした。胸が軋む音がする。親に捨てられ、親を捨てようとしている少年がああも笑えるものかと、気のせいにしたかった。いや、それは当然の結果なのだ、捨てるに値する親なのだ。そう言い聞かせた。
「孤児か」
「別に今と変わらねぇんだろ?」
「綺麗さっぱりするくらいかな」
「良いことじゃねぇの?俺はどうなるかなー。ナジェカ以上になったところで、金でも入り出したら無心されんだろうな」
「パオルのところは、縁を切ろうが切らまいが関係なさそうだもんね」
「お貴族様みたいに、法律や戒律が通用する相手でも世界でもねぇしな」
「まぁ、確かに貴族といえば貴族だけどね。お金だけはいっぱいあるけど。それだけだよ」
「金って大事だぞ」
「だから貸すって言ったじゃん」
「ルカも貸すって言ってたんですか?」
「そうだよ。お前ら、ちなみにヨナスも無言でロンプ紙幣差し出してきたぞ」
「だから、あんな頑なだったんですか。フィン先輩も誘えばよかったですね」
「はあ?」
「方々から逆無心をされる気持ちはどうかな?」
「ウルセェ」
照れるパオルは足を早めて先を歩く。僕らはそれについていく。僕らは確かに今幸せの絶頂にいるのかもしれない。
それから2日後、いつもの定例報告を昼休みに行った時につい、うっかり自慢してしまった。
「なんで!僕を!誘わないの!!」
「他意はなかったんですが」
「全員でロンプ紙幣をパオルに差し出して、誰の紙幣を受け取るかとかやりたかった!!」
「すっかり仲良しですね」
「こっちはずっと避けられてるけどね。僕としては君のおかげで心境の変化かな」
「ルカは手紙を書きましたよ。フィン先輩の言いつけ通り」
「これでルカが無事に手放されてくれれば、良いんだけどね。読むかな?」
「どうでしょう。でも同じ内容の手紙を買った封筒分書いてましたよ」
「どこかで聞いた話だ」
「もっとも、内容は簡素ですけどね」
「息子からの最初で最後の手紙かもしれないんだ。読んでくれると信じたいね」
「その割には、事務的な面が大きいですけどね」
「それもそうだ。中身は読んだの?」
「いいえ、ルカは読むことを勧めてくれましたが、読みませんでした」
「そうなんだ。君はいつだってそうだよね」
なんの話だろうかと思ったが、フィン先輩は矢継ぎ早に続けてしまったので、口を挟む暇はなかった。
「そうだ、なぜかあの調停者、僕が窓口だと勘違いしてるらしくて、とうとう僕宛に手紙まで届き出したんだ。確かに、学校の対応には不審がるのはわかるけどね」
「何か進展があったんですか?」
「彼の乳母が彼に会いたいって言ってるってことが書いてあったんだけど、手紙をそっくりそのまま渡すか、どうするか」
「どちらでも良いと思いますけど」
「気が重い」
「そんな気が重くなるような内容なら、かいつまんだ方が良いかもしれませんけど」
「手紙内容じゃなく、こう彼の窓口になってることね。なんのために君に全部押し付けたのか。確かに僕は相談役として君の窓口であるのは確かだけど、君が担当する生徒に直接関与するのは、さすがにダメだと思うけど、正式な役員ではない君に外部とのやりとりまで背負わせるのはもっとダメなんだよ」
「さすがに僕には荷が重すぎますし、こちらでの書類仕事は全部フィン先輩がやってるので、仕方ないといえば仕方ないと思いますが」
「今すぐに君を役員して代わってもらいたい」
「残念ながら、まだ学年的に役員は無理です」
「そうなんだけど、そうなんだけどさ。最近毎日が辛い。ヨナスにおんぶにだっこだったから、聖歌隊の練習も割り増しして辛いし。全員がソロの練習とか、きついにも程がある」
「フィン先輩でも弱音吐くんですね」
「僕は元々弱音しか吐いてないよ、あんまり度量が大きくないんだ」
少し前まで役員の面々は一足飛びに大人になった完璧な人たちの集まりだと思っていた。とりわけフィン先輩は相談役で、ずば抜けていて、誰しも彼に感心していた。そんな彼がこうも身近に思える日が来るとは思ってもみなかった。
第1通目を投函してから3日空きで手紙を送り続けた。結局5通送ったところで、書いていたものは全て送り切り、返信もないままだった。そのかん、調停者は何度もルカの両親に面会を取り付けたが、一度たりとも叶うことはなかった。
そうこうしている間に、ルカの乳母とルカの面会がやってきた。
調停者はルカの要望により別室で待機している。僕とフィン先輩もルカに同席するようにお願いされたため疑問符を浮かべながら、その席についた。ルカの乳母と名乗った女性は、小柄で小太りのいかにもと言う風体だった。初老くらいの年齢だろうか、手や顔に年輪が見える。
「お坊ちゃん、お久しぶりです。まあまあ大きくなられて、また一段とお母様に似て美しくお成りになられた」
「久しぶり。相変わらずのようで何よりだよ」
ルカはどこぞの貴族の令息かというように、1人掛けの椅子に足と指を組んで踏ん反り返っている。実際貴族の霊速ではあるのだが、普段の様子と随分と違うためとても違和感がある。
「あら、そちらはお友達?お友達が出来らんですか?お坊ちゃんに?人って変わるものですね」
そう言ってルカの乳母は僕らを値踏みした。フィン先輩に対してはちらっと見ただけだったが、僕に対しては頭の先から爪先まで眉間に皺を寄せながらじっくり見て少しだけ頬を引き攣らせて笑った。
「そうそう、お坊ちゃんがこちらに来られてから、すっかりお役御免になりましてね。すっかり悪評が広がってしまいましてね、ちっとも仕事が無いんです。私の家は、旦那様が治める領地の一画に、代々住んでいましてね。麦を栽培してるんです。今年の麦はあまり良くないんです。ディギがついて。どこものようですよ。隣の領地の麦もやられたと聞きましたから、来年は麦が高くなりますよ。それでですね、私は小さい頃から体が弱かったんで家の手伝いはあまりできなかったんですよ。だから幼い頃から、そういう幼い子供がいる家に奉公に上がってお世話をしていたんですよ。お坊ちゃんまでに16人の子供を立派に学校へ上がるまで育てましたよ。それは評判が良かったんです」
挨拶もそこそこに突然身の上話を始めた。ルカは姿勢も表情も変えずに、ただ聞いている。僕とフィン先輩は視線だけで目を合わせて、どうしたものかと唖然とした。僕らはなんの前触れもなくはじまったそれに、時間は限られているため適当にどこかで中断させるべきと思ったが、話の切れ間を見つけられない。
「でもね、お坊ちゃんだけはダメだったんですよ。私の唯一の汚点です。お坊ちゃんうんともすんとも笑わないでしょう?今だって、乳母である私との再会なのに、ニコリともしないなんて、おかしいじゃありませんか。周りが気味悪がって私の育て方が悪かったんだって言われるんですよ。顔の作りが綺麗なだけ余計に気味が悪いんです。そう思いません?でも私だけはそうは思いませんよ。だって4歳の誕生日までは笑っておられたんですから、どう考えてもご両親のせいですよ?私は誠心誠意しっかりとお育てしましたからね。なんせ4歳までは手の掛からない綺麗な子だったのですよ。だから可愛がって、可愛がって、こんなお顔の綺麗な子は初めて育てましたから、前の16人の子供たちよりよほど大切に目をかけて育てましたよ。初めて立った時や言葉を話した時も奥様にキチンとご報告差し上げたんですよ。でも奥様、いつでもいつだって、そう、だけで終わってしまって。だからなんですよ。お坊ちゃんの頭がおかしくなってしまったのは。ねえ。お友達の方もそう思うでしょう。眉毛ひとつ動かない。気持ち悪くない?すぐ死のうとするのも知っているから、ここにいるのでしょう?ねぇ。気持ち悪いでしょう。頭がおかしいと思いません?」
ルカが何を言われても絶対に言い返したりしないでいいから、ただここにいて欲しいと言った理由がわかった。僕もフィン先輩も立って大声で反論したいのを必死に我慢している。爪が酷く手のひらに食い込んでいく。
「もう4歳の誕生日から私たちは本当に大変だったんですよ。奥様や旦那様に会いたいというお坊ちゃんを大人しくさせるのは本当に骨が折れました。その頃からですよ。虫を殺して使用人たちに見せたり、わざと怪我をしてみたり、家中の家具や調度品にいたずらをしたりどれだけ後始末が大変だったことか。気が違ったかと思ったほどですよ。あれだけお利口さんだったお坊ちゃんがですよ。高価な物を隠したり触れられないように気を張ったり、もう大変だったんですよ。それを嬉々として旦那様や奥様に見せに行こうとするのでもうどれだけ目を光らせてはいけなかったことか、これほどまでに神々を恨んだことはありませんでしたよ。一度だけ、全ての足を取った、何の虫だったかしら、それを私の目を盗んで奥様に持って行った時には、奥様が卒倒してしまいましてね。あの後私はとても叱られましたよ。お坊ちゃんを叱れば良いのに、私を叱るのですよ。私も私でお坊ちゃんのしでかした後始末などをしなくてはならなくて忙しいのにですよ。奥様が自分でお産みになられたお子様のしでかしたことなのに、私を叱るのですから。それはもうクビになるかというほどですよ。でもここで私がお坊ちゃんを見放したら、もっとダメになると思いましたから、これも神々が私にお与えになった試練だと思うことにしたのです。4歳までのお坊ちゃんを知っていましたし、情と言いましょうか、そういうものもあったんですよ。でもそれも5歳の誕生日まででしたけどね。それ以降は家庭教師がついてほとんど一日中お勉強していらしたから、旦那様も喜んでおられましたし、私も安心していたんです。それから、小賢しくどうすれば自分が構われるかを学習したんでしょうね。使用人や家庭教師たちに対してあざとい様子を見せだしたんですよ。たった6歳の子供がですよ。気持ち悪いったらありゃしませんでしたよ。なんせ黙っていれば天使のような綺麗なお顔立ちでしょう?ころっと騙される新入りの使用人の多かったこと。子供だから一時の反抗期だったのよと、騙される年若い使用人も多かったこと。だからね、気をつけなさいといちいち注意しなければいけなかったんですよ。それは本当に骨の折れるような説得が必要だったのです。お坊ちゃんの本性は私しか知らないのですから。恐ろしい。あら、なぜかって顔をしてらっしゃるわね」
僕らがしていたのは、なぜとかどうしてとかいうそんな顔じゃなかったはずだった。この不毛で不可解で、不愉快な話はいつまで続くのだろうかや怒りを我慢しているという顔をしていたと思う。
「だってお坊ちゃん、お顔立ちが綺麗でしょう?騙されるんですよ。お坊ちゃんを知らない新しい使用人は特に。みんな、ね、仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんけどね。もしかしてお友達もそうなの?ダメよ。お坊ちゃんの中身は気味が悪いものが詰まってるのよ。あんなに愛らしかったのに、ご両親に愛され無いのよ。きっと気づいていたんですよ。お坊ちゃんの気味悪さに。だってそうでしょう?あれだけ甲斐甲斐しくお育てしたのに、6歳で家庭教師に股を開いていたのですよ。わかります?それを見た時の私の気持ちあ、あの悍ましさが。お坊ちゃんの足の間に座って、お坊ちゃんの足を舐める家庭教師の姿を見た時の私の気持ちがわかりますか?男の使用人にだってそうですよ。そんな歳で色目を使って。この私が大切に大切にお育てしたのに、どうしてこんな気味の悪い子に育ったものだわ。だから家庭教師や使用人に言っていやるのよ。旦那様に言いつけるって。紹介状がもらえなくなるからって、身を滅ぼす前にここを辞めなさいって。何人がそうやって辞めていったかもう覚えてないわ。女の使用人もそう、何度話しかけられたか競争し始めた。女中頭がいつでも私に苦情を言ったのよ。まともに育てられないのかって、お前の育て方が悪いって。私はお坊ちゃんに毎日毎日言ったのよ。使用人を誑し込むのはやめなさいって。ご両親に愛されないのは、そんなことを平気でするご自分の心根が醜いからだって、外見だけでなく、心も美しくなりたいなら、もっとまともになって、愛される努力をしないさいって。家庭教師や男の使用人にさせていることがどれだけ汚らわしいことか、女の使用人に媚を売って母親の愛情を欲しがることがどれだけ卑しいことかをちゃんと教ましたよ。でもちっとも響かなかったんですよ。そうです。あれは8歳を迎える少し前のことですよ、お坊ちゃんは自室でご自分の首を締めてい他のです。目を疑っう光景で、慌ててやめさせると何を考えてるのかわからない目でじっと私を見ていましたよ。気味が悪くて悪くて、慌てて叱りつけましたよ。その後も、お腹にナイフを刺してみたり、首をくくってみたり、窓から飛び降りてみたり、その度に責められましたよ。女中頭にも執事にも、旦那様にも。もう任せられないと何度も何度も、私を攻めるのです。でも私は最善を尽くして精一杯お仕えしていますって何度も何度も言いったんです。でも誰も私の言葉に耳を傾けてはくれないのです。屋敷の中でここぞとばかりに肩身が狭くなりまして、もうその頃には新入りに注意することもなくなっていたのです。だって、使用人全員がお坊ちゃんのことを気味が悪いって思っていたんですから。8歳の子供が思いつく限りの方法で自殺するんですよ。もう、そばにいるだけでこっちの気まで狂いそうでしたよ。お金もらってたって、そんな気味の悪いものと関わりたくありませんからね。だから私は愛されたいなら、どうせ死ねないのだからもうそんな気味の悪いことをするんじゃ無いと、何度も何度も叱ったんですよ。もちろん、叩いたりなんてことはしてませんよ。確かに子供や孫が言うことを聞かない時はもちろん叩きますよ。でもちゃんとその後に抱きしめて次はどうすればいいか教えてやるんです。私の育てた子供も孫もあんなに良い子なのに、おかしいと思いますでしょ?先に育てた16人もそうやって育てて、とても良い子に育ったんですよ。勿論、自分の子や孫じゃないですから叩いたりなんてことはしていませんよ。だから女中頭や執事にはいつでも言ってやったんです。頭のおかしな子供をまともに勉強する机につかせているのだから、私は給料に見合う仕事を誠心誠意やっていると。でもここへ入る歳になる頃には、自殺する回数もどんどん増えましてね。殆ど一日中お坊ちゃんを見張っていなければいけなかったんですよ。それがどれだけ大変なことだったか。小賢しく目を盗むんですよ。そして自殺する。それか家庭教師を誑し込んでいるか。男の家庭教師ですよ。汚らわしい。どれだけそれが汚らわしいことなのかも、随分と説きました。けど、ちっともやめることはなかったんですよ。娼婦のようだと何度も言いましたけど、全くやめなかったんですよ。本当に気味が悪い。男の使用人も気味の悪さよりも、という使用人が何人もいましたよ。どんな娘よりもお顔だけはお綺麗ですからね。仕方がないことかもしれませんけどね。彼らは告げ口をしたので、最後にはお坊ちゃんに暴言を吐いて辞めて行きましたけど、当然ですよ。人を騙すのをやめなさいって、言っても言っても聞かないのですから。ねえ、あなたたちもお坊ちゃんに騙されているのでしょう?お顔立ちだけはいいものね。使用人や家庭教師のように、お坊ちゃんの股の間でいやらしいことしているんでしょ?そうそう、新しい奥様にお生まれになったお坊ちゃんもお可愛いと聞いていますよ。今度はちゃんと育てられるわ、ねえお坊ちゃん旦那様と新しい奥様に口を聞いていただけないかしら?お坊ちゃんの頭がおかしなせいで首になったようなものなのですから、責任を感じてもいいと思いませんか?今度のお坊ちゃんはちゃんとご両親に愛された、心根の美しい子なのだから、きっとちゃんと真っ当に育てられますよ。騙したり誑かしたりしない綺麗な子に育てます。今度こそ自信があるんですよ。前回はたまたま運が悪かっただけ。神様も試練をお与えになったんですよ。お坊ちゃんっていう。お前は気味の悪い子供とどう向き合うかって。やれることはやりました。お坊ちゃんを守るために家庭教師や使用人を辞めさせましたし、私はちゃんと愛情を持って叱りました。それを糧にして美しい子供をより美しく育てられるようにって、試練だったのですよ。ねえ、お友達もそう思いますでしょ?大丈夫、絶対、真っ当に育ちますよ。だって、試練を受けた私が育てるのだから、ね。お坊ちゃん、旦那様と新しい奥様に口を聞いてくださいよ。ね、次は大丈夫だって。お坊ちゃんの失敗は私のせいなんかじゃなかった。元々の心根が汚かったんだって、天使の皮をかぶったエンゾザだったって」
僕は思わず立ち上がろうとしたが、フィン先輩が制服の背中を強く掴んで立ち上がらせてくれなかった。
「お坊ちゃんみたいな気味の悪い子、そうそう生まれてくるものではないですからね。現に旦那様にも新しい奥様にもとても愛されているようなんですよ。あの子だったら、もっと上手に育てられますよ。ねえ」
そこまで一気に喋ると、ルカの乳母は出されたもうすっかり冷めてしまったお茶にやっと口をつけた。そして、自分がずっと喋っていたせいなのに、冷めたお茶を出すなんてと怒っている。
僕ははらわたの煮え繰り返る思いがしていた。好き勝手言うルカの乳母に、ここまで言われているのに静かに淡々とその話を聞いているルカに。ここへ来る前にルカが何を言われても、話終わるまで口を開いてくれるなと頭を下げてお願いしてきたから、何とか我慢できていた。本当はフィン先輩の手を振り払いたかった。しかし、隣に座っているフィン先輩も、表情こそはにこやかだが怒気を孕んだ気配が漂ってくる。
「先日、父に手紙を出しました。もうかれこれ3週間経ちますが、返事が来ていません。弟が生まれてからすっかり見放されてしまっているんです。せっかくお越しいただいたのに、お役に立てそうもありません。ここまで立派に育てていただいて、何か感謝を形にして表したかったのに残念です」
ルカは姿勢を正し、優しい口調でそう言うのを、僕は胸が痛くなりながら黙って聞いた。僕も何か言うべきかと迷っていたら、突然ルカの乳母が立ち上がって、飲みかけの冷めた紅茶をティーカップごとルカに投げつけた。ルカは何でもないという様子を見せて、僕らを制止した。
「だからお前は頭がおかしいと言ったんだよ、何が感謝だ。またそう慇懃無礼に濁らせて終わりか、どれだけお前の。尻拭いをやってやったと思っているんだわかってるのか?お前が私の愛を受け入れないから、誰にも愛されないんだよ。あれだけ愛してやったのに、父親と母親がいいだ?あれだけ愛してやったのに、4歳の誕生日から何かにつけて旦那様と奥様のことばかり聞きやがって、愛してやったのは私だろう?愛していたのに笑いもしなくなったのは何でだ、どうして死ぬ?奥様と旦那様からどうしてお前が愛されないのか、何度も教えてやったじゃ無いか。どうしてわからない。お前は実の両親のどちらにも愛されないんだ。旦那様は奥様を愛していないし、奥様もお前がお腹にいる時からお前になんか興味が無かったんだよ。お前が生まれた時、排泄物を見るような目で見たと何度も教えてやったじゃないか。お前に真っ当な愛を注いだのは私だけだったじゃ無いか。なのにこの仕打ち、どうして、あれだけ愛情をかけてやったのに。お前は私をどれだけ追い詰めたら気がすむんだ。あんな家庭教師ごときに股を開いて、娼婦のように咥えて、体を舐めさせて、私がどれだけお前を大切に愛していたか。男の使用人にも同じことをしていたな。お前の欲しかった愛はそこにあったか?女の使用人にも同じように体を好きにさせていたな、気味が悪い。どうしてそうなった。あれだけ愛してやったのに。ああ、気味が悪い。その顔、その顔だよ。どうして眉一つ動かさない。だから旦那様も奥様もお前を愛さないんだよ。私があんなに愛してやったのに。旦那様と奥様に愛されないかわいそうな子供をあんなに愛してやったのに。とんだハズレだよ。お前みたいな子供が生まれなきゃ今頃まだ乳母としての仕事ができてたんだよ。次に生まれた子の乳母にもなれたんだよ。このハズレめ。お前が全部悪いんだよ。このエンゾザめ!」
ルカの乳母は言いたい事だけ言って、お茶請けに出された焼き菓子と砂糖を全て掴んで手持ちの袋に入れると、こんなところまで来て無駄骨だったと言いながら扉を乱暴に開けて帰って行った。
「ありがとう、黙っていてくれて」
ルカは緊張の糸が切れたのか、姿勢を崩して大きく息を吐いた。
「僕は5度ほどお茶をぶっかけてやろうかと思ったよ」
「案外喧嘩っ早いんだ、パオルのこと言えないよ」
「あれを聞いて黙っていられるほど、まだ人間できちゃいないよ」
「最後の罵倒が何だか懐かしかった、あの人、僕の記憶の限りではずっとああだったからね。本当に、懐かしい」
別室にいた調停者がルカの乳母よりも大きな音を立てながら、慌てて応接室に入ってくる。別室にいる相手に声を届ける呪符を作ったが、僕らが作ったもので、さらに羊皮紙ではなかったため効果は半減していただろうが、どうやらちゃんとルカの乳母の声は聞こえていたらしい。
「ルカ、本当にすまない。あんなだとは思わなかった。ただルカを心配して会いたいと言っていたんだよ。だから、面会の都合をつけてしまった。君と、彼女についてちゃんと話をすべきだった」
「別に構わないよ、僕はあの人対して何も思っていないのだし、それに僕があなたに人となりを話して、あなたが会わせないと判断しても、きっと僕は会ってたよ。あの人はそういう人だから。どうにかして僕に会いに来ただろうし」
「それはそうだが、学校側に面会拒否の申請を出すことだってできたはずだ」
「あんなもの、あってないようなものだよ。あなたも職務が違うとはいえ、神祇官だからわかるでしょう。マハネの円環から人として生まれたのは、善性が合格ラインに達したからだって。悪意は後天的なものであるって。あの人が涙ながらに訴えたら、面会拒否の申請なんて意味がないよ」
「だが……」
「それに、そうだね。僕は案外あの罵倒を懐かしく感じていたんだ。自分でも意外だったけどね」
調停者は、ソファに座り直して正面からルカと目を合わせた。
「それは違うよ、ルカ。君は麻痺しているんだ、あんなものを君は懐かしんではいけないよ。あれは毒だ。君を蝕むものの一つだよ。ゆっくりと君を殺す毒だ」
「おかげですっかり中毒患者だ」
「治療は可能だ。君には良き友人がいるし、これからも増える」
「そうかな」
「そうですよ。増えます。だってルカは綺麗です。心根もちゃんと」
「ベンヤミンは相変わらず、盲信的だ」
「だって、僕はルカの真っ当な友人第1号ですから。でも一番の友人ではないですけどね」
「その席はヨナスのだからね」
そこまで言うとルカは顔を急に真っ青にして嘔吐するなりその場に倒れた。あまりに突然のことで、その場にいた僕らはルカを受け止めることすらできなかった。
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