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第1章
捨てる神あれば拾う神あり2
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「ごめんね、びっくりさせちゃって。悪いけど、ここでお別れだよ」
どこかしょんぼりした様子の虫の頭を、最後にもう一度だけ指の頭で撫でる。
「じゃあね。立派に育って、きれいな蝶になるんだよ」
*
「あのときの子だったんだね……よかった。ちゃんと蝶になれたんだ」
七色に光る蝶が女神様の手のひらから飛び立った。ヒラヒラとはばたき、夜空に輝く星のような鱗粉を出して、僕の左手の人差し指にとまる。
「何しろ最近は、悪魔や魔物たちの被害がひどいですから。魔物が私の庭を荒らし、この子を野菜を市場に卸す積み荷の中へ紛れ込ませたのです。その節は、この子がお世話になりました。感謝します」
僕らの住む世界では、たびたび悪魔や魔物、魔獣が人を襲う。
だけどギルドや兵士、神官たちが定期的に国内を見周っているから王都に現れることはゼロだ。
王宮に文官として出仕していた僕は、友や兄から悪魔や魔物を倒したという話を聞くばかりで、悪魔や魔物のたぐいを目にしたことは一度もない。その関係で、女神様の話を耳にしても実感が湧かず、異国の地の話を耳にしているような気分になる。
「とんでもございません。お礼を言われるほどのことは……」
「いいえ、あなたは素晴らしいことをしたのですよ。本当に助かりました。最近は魔王の復活を考える魔物や悪魔が増えています。あの神子を名乗る少年がこの世界に現れたのも、神の名を騙った悪魔と悪魔の信奉者たちによるものです」
「それは、どういうことですか!?」
女神様の言葉を聞いて目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
*
ノエル様は、おとぎ話に出てくるお姫様のように可憐な容姿をした少年だ。東の果てに住む東国の者たちのように黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌という、西国では珍しい風貌をしている。
彼がこの国にやってきたのは三ヵ月前。国をあげての建国祭があった日だ。
朝から王宮の城門前で空砲を打ち、異国の楽団が楽器を奏で、歌い踊る。
城下町は朝からどんちゃん騒ぎで異国の品を売る出店が立ち並んだ。
遠い辺境の地や国境近くの田舎に住む者、旅人もやってきた。富める者も、貧しき者もお祝いの雰囲気を楽しんでいた。
王宮では、王族や貴族、騎士や文官、博士、教授たち、国に貢献した商人や農民たちを招待して、大規模な宴会が催された。
楽士たちが奏でる荘厳な音楽に合わせて、華やかな衣装に身を包んだ神殿娼婦の踊り子たちが軽やかに舞う。
皆、序列ごとに席につき、女官たちが持ってくる豪勢な食事に舌鼓を打つ。
楽士たちが曲を奏で終え、踊り子たちが舞うのをやめる。
その場にいた者たちは美しい音色と華やかな踊りに、拍手した。
儀式は、神官たちが王様や王妃様とともに、天上に住む神々に祈りを捧げる――という段階で急な悪天候となり、一時中断となった。
雨が一滴も降らないのにもかかわらず、王宮の真上にだけ真っ黒な雲が立ち込めて、雷鳴が轟く。
皆、雨に濡れ、雷が落ちるのを心配して屋根のあるところへ移動した。
ピシャー! と大きな音を立て、雷が神々の姿を模した粘土の上へ落ちる。
黒い煙が、もくもくと立ち上り、火事を心配した騎士や衛兵たちが桶の準備を始める。
そして煙が消えると粘土細工の置いてあった祭壇の上に、奇妙な格好をした少年がポツンと立っていたのだ。
奴隷のように裸足で、横に白いラインの入った絹で作られた黒いズボンを穿き、魔術師のロープを短くしたような上着を着ていた。手には、長方形サイズの小さな板を握っている。
彼は辺りを見回したかと思うと突然、「バンザーイ!」と両手を上げて大喜びした。
「やった、やったよ……ぼくも異世界に来れたんだ!」
摩訶不思議な出で立ちをした不審者の出現を皆、怪しんだ。
だけど高齢の神官長が「神子様だ。異世界の神子様が現れたんじゃ!」と叫んで、少年の前でひれ伏した。
――僕らが住むフェアリーランドには古い言い伝えがある。
「『愛』の女神の祝福を受けし神子。黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌をした異世界の少年がこの世に現れしとき、王国は繁栄する。地に住む者は皆、天上に住む神々から永遠の祝福を授かり、悪しき魔が滅ぶ」という伝承だ。
でもノエルさまは『愛』の女神様の加護を受けている神子とは、似ても似つかぬ人物だった。
『愛』の女神様の加護を受けた人間は、癒しの魔法や士気を上げるための踊りを得意とする。しかしノエルさまは、恐ろしいことに――魔王に与する者たちが使う、暗黒エネルギーを使用する闇の魔術や、死者や悪霊を操る死霊術を得意としていたのだ。
だが、一部の人間は彼が神子だと信じて疑わなかった。ノエルさまの信奉者は、ノエルさまに物申す人間を次々と粛清し、亡き者にしていったんだ。
恋人だったエドワードさまもノエルさまに傾倒した。
エドワードさまは同性しか愛せない僕に初めてできた恋人だ。
親戚だから子供の頃から顔見知りで、王宮へ出仕するようになってからは、よく声を掛けていただいた。
「俺はルキウスが好きだ。男同士でも構わない。生涯、おまえだけを愛すと誓う」と王宮のバラ園で告白をしていただいたときのことを、今でも鮮明に覚えている。
どこかしょんぼりした様子の虫の頭を、最後にもう一度だけ指の頭で撫でる。
「じゃあね。立派に育って、きれいな蝶になるんだよ」
*
「あのときの子だったんだね……よかった。ちゃんと蝶になれたんだ」
七色に光る蝶が女神様の手のひらから飛び立った。ヒラヒラとはばたき、夜空に輝く星のような鱗粉を出して、僕の左手の人差し指にとまる。
「何しろ最近は、悪魔や魔物たちの被害がひどいですから。魔物が私の庭を荒らし、この子を野菜を市場に卸す積み荷の中へ紛れ込ませたのです。その節は、この子がお世話になりました。感謝します」
僕らの住む世界では、たびたび悪魔や魔物、魔獣が人を襲う。
だけどギルドや兵士、神官たちが定期的に国内を見周っているから王都に現れることはゼロだ。
王宮に文官として出仕していた僕は、友や兄から悪魔や魔物を倒したという話を聞くばかりで、悪魔や魔物のたぐいを目にしたことは一度もない。その関係で、女神様の話を耳にしても実感が湧かず、異国の地の話を耳にしているような気分になる。
「とんでもございません。お礼を言われるほどのことは……」
「いいえ、あなたは素晴らしいことをしたのですよ。本当に助かりました。最近は魔王の復活を考える魔物や悪魔が増えています。あの神子を名乗る少年がこの世界に現れたのも、神の名を騙った悪魔と悪魔の信奉者たちによるものです」
「それは、どういうことですか!?」
女神様の言葉を聞いて目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
*
ノエル様は、おとぎ話に出てくるお姫様のように可憐な容姿をした少年だ。東の果てに住む東国の者たちのように黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌という、西国では珍しい風貌をしている。
彼がこの国にやってきたのは三ヵ月前。国をあげての建国祭があった日だ。
朝から王宮の城門前で空砲を打ち、異国の楽団が楽器を奏で、歌い踊る。
城下町は朝からどんちゃん騒ぎで異国の品を売る出店が立ち並んだ。
遠い辺境の地や国境近くの田舎に住む者、旅人もやってきた。富める者も、貧しき者もお祝いの雰囲気を楽しんでいた。
王宮では、王族や貴族、騎士や文官、博士、教授たち、国に貢献した商人や農民たちを招待して、大規模な宴会が催された。
楽士たちが奏でる荘厳な音楽に合わせて、華やかな衣装に身を包んだ神殿娼婦の踊り子たちが軽やかに舞う。
皆、序列ごとに席につき、女官たちが持ってくる豪勢な食事に舌鼓を打つ。
楽士たちが曲を奏で終え、踊り子たちが舞うのをやめる。
その場にいた者たちは美しい音色と華やかな踊りに、拍手した。
儀式は、神官たちが王様や王妃様とともに、天上に住む神々に祈りを捧げる――という段階で急な悪天候となり、一時中断となった。
雨が一滴も降らないのにもかかわらず、王宮の真上にだけ真っ黒な雲が立ち込めて、雷鳴が轟く。
皆、雨に濡れ、雷が落ちるのを心配して屋根のあるところへ移動した。
ピシャー! と大きな音を立て、雷が神々の姿を模した粘土の上へ落ちる。
黒い煙が、もくもくと立ち上り、火事を心配した騎士や衛兵たちが桶の準備を始める。
そして煙が消えると粘土細工の置いてあった祭壇の上に、奇妙な格好をした少年がポツンと立っていたのだ。
奴隷のように裸足で、横に白いラインの入った絹で作られた黒いズボンを穿き、魔術師のロープを短くしたような上着を着ていた。手には、長方形サイズの小さな板を握っている。
彼は辺りを見回したかと思うと突然、「バンザーイ!」と両手を上げて大喜びした。
「やった、やったよ……ぼくも異世界に来れたんだ!」
摩訶不思議な出で立ちをした不審者の出現を皆、怪しんだ。
だけど高齢の神官長が「神子様だ。異世界の神子様が現れたんじゃ!」と叫んで、少年の前でひれ伏した。
――僕らが住むフェアリーランドには古い言い伝えがある。
「『愛』の女神の祝福を受けし神子。黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌をした異世界の少年がこの世に現れしとき、王国は繁栄する。地に住む者は皆、天上に住む神々から永遠の祝福を授かり、悪しき魔が滅ぶ」という伝承だ。
でもノエルさまは『愛』の女神様の加護を受けている神子とは、似ても似つかぬ人物だった。
『愛』の女神様の加護を受けた人間は、癒しの魔法や士気を上げるための踊りを得意とする。しかしノエルさまは、恐ろしいことに――魔王に与する者たちが使う、暗黒エネルギーを使用する闇の魔術や、死者や悪霊を操る死霊術を得意としていたのだ。
だが、一部の人間は彼が神子だと信じて疑わなかった。ノエルさまの信奉者は、ノエルさまに物申す人間を次々と粛清し、亡き者にしていったんだ。
恋人だったエドワードさまもノエルさまに傾倒した。
エドワードさまは同性しか愛せない僕に初めてできた恋人だ。
親戚だから子供の頃から顔見知りで、王宮へ出仕するようになってからは、よく声を掛けていただいた。
「俺はルキウスが好きだ。男同士でも構わない。生涯、おまえだけを愛すと誓う」と王宮のバラ園で告白をしていただいたときのことを、今でも鮮明に覚えている。
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