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22話ー兼田翔②
しおりを挟むファミレスを出る前にトイレに入って戸賀井にメッセージを送った。
――今から帰ります。帰ったらまた連絡します
すぐに既読が付いて、声が聞きたいので帰ったら電話ください、と返事が来て、それには返信せずにトイレを出た。
夕食のパスタは味がしなかった。
まさか翔が弟の前であんなことを言い出すとは思ってもいなくて、雄大は返事もせずに頬を引き攣らせながら笑って誤魔化した。断るにしても、弟の前で? それは酷ではないかと考え出したら正解が分からなくなって、何とか話題を別の方向に持って行こうと駿にあれこれ質問をして、彼が喋ってくれている内に黙々とパスタを食べた。
店を出る頃になって駿が友達と約束しているからと一人で帰って行って、翔と二人で会計を済ませて店を出た。
「すいません、ごちそうになってしまって」
「俺から誘ったので。来てくれて嬉しかったです。門村先生、車ですか?」
「近いので歩きです。運動しないと腹がやばいので」
「送らせて貰って良いですか」
駄目です、という理由もなく、雄大が歩く方向に翔も付いてくる。辺りは街灯がないと暗いけれど未成年が歩いていても補導される時間帯ではない。
「門村先生は普段お休みの時はなにをしてますか」
「俺ですか……なんだろう……一番多いのは読書ですかね。面白い本や印象に残った話を生徒たちに紹介出来るのでそれも兼ねて読んでます」
答えてから、あっ、と思い出し、雄大は掛けてあったボディバッグを開けて翔に貸す予定にしていた文庫本を取り出す。
「持って来ましたよ」
「え、ああ、ありがとうございます。お借りします」
差し出すと、一瞬何か分からなかったのか翔がまじまじと文庫本を見て、貸し借りの約束を思い出したように声を上げた。
「すぐ読んでお返ししますので」
「翔さん、お忙しいでしょう。いつでも構いませんよ」
「先生に会いたい口実なので」
夜道にさっぱりとした翔の声が響く。
「駿を交えての飯も、本を借りるのも、全部口実です」
受け取った文庫本をビジネスバッグの中にさっとなおし、爽やかに言い切ると翔は「こういうこと言われるのご迷惑でしょう?」と雄大に聞いてくる。問われた雄大は何と答えて良いのか分からず「ああ、いえ、そんなことは」と口籠る。
「正直言うと恋愛の仕方が分かりません。門村先生から連絡がないので気になって学校に押しかけたことも、今になってみたらやばい奴の行動ですよね。本当にすいませんでした」
「いや、あの、謝らないでください」
「こういうこと言っちゃうのもダメなんでしょうね。さりげない気の引き方とかも分からなくて、食事の誘い方も次の約束もどうしたらいいのかさっぱりで。結局最後には直接的な行動に出てしまう……駿には体育会系だって注意されます」
「俺もそんなに経験があるわけじゃないので翔さんに何もアドバイスは出来ないんですが、翔さんはそのままで良いと思います」
言いながら、ふと、夜の匂いではない別の香りを感じる。
眉を寄せ、嗅ごうと意識すると柑橘系の匂いが強く鼻腔を刺激して来て、αのフェロモンだと気が付いた。
急いで鼻に手を被せると翔が「どうしました?」と顔を近付け窺ってくる。
「花粉症で……くしゃみが出そうで、すいません」
αのフェロモンが、とは言えず言い訳をすると翔がビジネスバッグの外ポケットを探り出す。
「マスクありますよ」
「……頂いてもいいですか」
個包装になったマスクを受け取って、顔の下半分をそれで覆うと香りの侵入を防ぐため鼻に当たる部分に入っているワイヤーを指でキュッと押さえる。
「それで、あの、翔さんは、そのまま、自然のままで良いと思います。人柄が出ているというか誠実さが伝わると思うので」
「先生には伝わってますか?」
「……俺には……好きな人がいるので……すごく有難いんですが翔さんの気持ちには応えられないです」
隣を歩きながらペコッと頭を下げる。
「そういうところが好きです」
間髪入れずに言われて、雄大は下げた頭を上げられず僅かに前屈みで歩く。
伝わっていないのだろうか。それとも想い人の存在など嘘だと思われたか。
「気持ちなんて隠そうと思えば隠せるのに俺のことを思って正直に好きな人が居ることを打ち明けてくれる、そんな門村先生に魅かれます」
翔が纏う香りが強く濃くなる。どんなにマスクで防御しようが隙間は幾らでもあって、鼻から入って来る濃密な匂いは口内に流れて雄大の唾液と混じり合う。
「それにまだ先生には番は居ないですよね。俺にチャンスはありませんか」
翔は気付いていないようだが、好意を向けられる度にフェロモンが湧き出ている。
ヒートを迎え、Ωとしての本能が目覚めたばかりの雄大にこの刺激は強過ぎる。
「えっと……ですから……」
何か発しようと口を開くと眩暈がする。ヒートが来てしまったのかと一瞬ひやりとしたが、体の芯は冷えている。単にαのフェロモンに当てられているだけで、発情ではないようだ。ただ、これ以上一緒に居れば何が起こるかは分からない。
戸賀井が心配していたのはこういうことなのだろうなと身を以て知ると、雄大は歩く速度を上げて翔と距離を取る。
「今日はもう遅いですし、その話はまた今度」
話しを切り上げようと逃げ文句を使うと、雄大はマスクの上から更に口元を押さえて早歩きをする。
眩暈は頭痛に変わっていて、倒れるなら翔の前ではなく部屋の中で一人きりが良いと自宅に向かい急いで足を動かす。
「あの、門村先生……俺、二十七になります。食品メーカーで営業してます。高校まで部活で野球やってて、今も会社の草野球チームに所属してます。身長は高校の時には百八十三ありました。伸びても縮んでもないので多分今もそれぐらいです。体重は……今度測っときます。年の離れた弟が居ますがだいぶしっかりとしてきたのでそろそろ野球以外にも趣味を見つけようかなと思ってます」
「……え、なに、なんですか」
「自己紹介です。俺の。先生に知って貰おうと思って。婚活イベントの時には出来なかったので」
自宅アパートはもう目の前というところで、雄大は恐る恐る後ろを振り返る。斜め後ろに、自己紹介だと言い、簡単な経歴を発表した翔の姿が街灯に照らされて見える。
ちょっと変わった人なのだろう。でも悪い人でないのは良く分かる。しかし今の雄大には構う余裕がない。だから「ああ、そうなんですね。お気遣いを頂きありがとうございます」と返事をして翔から目線を外す。
「家、ここなので、お先に失礼します」
部屋に入ったらすぐに戸賀井に連絡をしよう。雄大の頭の中は戸賀井で占められていて、彼のことを考えながら翔に向かい頭を下げる。
「おやすみなさい、門村先生」
すぐ後ろから聞こえて来た声に、もう一度振り返りながら頭を下げて見せる。
アパートの階段を上がり部屋へ向かう短い廊下を歩き、先程の翔の自己紹介を思い出す。あのタイミングで思い付くのが自分のプロフィールを告げることとは。
脳内は戸賀井で占拠されていたはずが、いつの間にか翔の天然振りが意識の中にちょこんと居座る。
雄大は思い出し笑いを堪えながら玄関のドアを開けた。
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