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第二部
6.ヒースダインの狙い
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その後バージルも仕事へ戻ってしまい、カシュアは部屋で簡単な夕食をとった。今日はいろいろあったので、自分でもこれ以上の活動は体に障ると判断して、おとなしく休むことにする。
風呂をすませてベッドにもぐると、脳裏に浮かぶのはエンシオ王子と、彼に寄り添う宮廷医師の姿だった。
(あの医師が王子に懸想してる? なんて無謀なことを)
ヒースダインは身分制度を殊更重んじるの国のため、王族に思いを寄せただけで罪人と見なされる可能性がある。過去に侍従と恋仲になった王子もいたらしいが、国王の耳に入るや否やその侍従は極刑に、件の王子は年老いた国王が統治する遠方の国の側室にされたと聞く。
(曲がりなりにも王族なら、最終的には行き着く運命だ。なにもヒースダインが特別ではない)
現にバージルも、老王の元側室を娶ることになってしまった。今では義務感からだけではなくカシュアを受け入れてくれてるようだが、たとえ相手が自分でなくても彼はそうしただろう。それが王族の結婚というものだ。
(しかもエンシオ王子は毒を仕込まれている。きっともともとバージル殿下に差し向ける予定ではなかったはずだ……では、どこの国へ送るつもりだったのだろう?)
ヒースダインと国境を接する国は、ウェストリンの他に二国、南西にダーマ国、北東にエスカリオ国がある。エスカリオ国は国土こそヒースダインと同じくらいだが、年中通して気候が悪く不毛の土地が広がる貧しい国だから、ヒースダインが史実上この国に干渉した記録はない。一方、南西のダーマは国土こそヒースダインより狭いが、肥沃な土地と温暖な気候で天然資源も豊かだ。
(ダーマには規模の大きな後宮があるから、エンシオ王子の行き先はそこだったのかもな)
予定を変更してウェストリンにやってきたものの、このまま自国へ送り返されたら行き着く先はけっきょくダーマかもしれない。そう思うと気の毒だが、カシュア自身他人に同情できるほど余裕のあるわけでもなかった。
(彼が国益を優先しないわけがない。王族として情に流されるわけにはいかないことは、彼が一番よくわかってるはずだ)
薄く開いたカーテンから、星が瞬く夜空を見つめる。ヒースダインの後宮では夜毎どこかで宴が開かれるため、そこかしこで灯りがこうこうと照らされていて、あまり綺麗に星が見えなかった。北の塔に入って一番心を揺さぶられたのは、星が綺麗なことだった。
「カシュア……まだ起きていたのか」
「バージル殿下」
バージルはすでに寝巻き姿だった。ここ最近にしては早い就寝と言える。彼は滑るようにベッドまでやってくると、半身を起こすカシュアの隣にもぐりこんだ。触れた肩から、ぼんやりと痺れたような独特の違和感をわずかに覚え、カシュアは眉を寄せた。
「……また薬を飲みましたね」
「少しだけ頭痛がしたから。あなたをわずらわせたくない」
近ごろバージルは鎮痛剤に頼りすぎだ。それはカシュアに痛覚を感じて欲しくないのが理由らしいが、ほんの少しの痛みならばカシュアは気にしない。そう伝えても、彼は頑なに薬を服用する。
「そのうち効かなくなりますよ」
「……なんだって?」
バージルはむくりと身を起こすと、カシュアをジッと見つめた。部屋の明かりを落としているため、暗さに目が慣れても顔色まではわからない。だがカシュアの目には、バージルの顔が青ざめているように感じた。
「それは本当か」
「そう医師に聞いたことがあります」
バージルは少し視線を落とした。
「それは、困る」
「ええ。バージル殿下には、本当の意味で健康でいて欲しいです。鎮痛剤はあくまで対処療法でしかありません」
バージルは両手を伸ばすと、カシュアをギュッと抱きしめた。
「あなたはいつも正しいな」
「そんなことありません。間違ったり失敗ばかりしてます。先ほどだって勝手にエンシオ王子に面会して、殿下にご心配を掛けてしまいました」
「あれはピアースが悪い。陛下の命令だろうと、私に対して事前にひと言断りを入れることができたはずだ」
カシュアは苦笑を漏らす。もし事前に断りを入れたら、自分も同行すると言い張りそうだ。あの場に同席されたら、もしかすると王子との握手を阻まれた可能性がある。なんせバージルは、カシュアから全ての痛みや苦しみを遠ざけることに全力を注いでいるようだから。
(全部なんて無理なのに)
生きていて痛みや苦しみから逃れられるわけがない。究極には誰とも触れ合わずに過ごすことだが、北の塔に四年隔離されていたとき、肉体的には痛みや苦しみとは無縁だったが、心の中はつらく苦しかった。そんなこと誰にも話したことなく、また話せる相手もいなかった。
「殿下、俺は殿下のお体が心配で、ときどき苦しくなります。殿下の健康が損なわれると胸が痛むのです」
「……そうか」
バージルはカシュアを抱きしめたまま、シーツに身を沈めた。
「少し、疲れた。昔の悪い癖で、仕事を詰め込みすぎたようだ」
「急ぎの仕事があったのですか」
「私が急ぎたかっただけだ。あなたの体に関することなら、わずかな時間も惜しくて」
バージルの説明によると、件の宮廷医師の素性についてすでに調べ上げたらしい。驚いたことに、かつてカシュアの担当医のひとりの息子だそうで、また出身はエンシオ王子の母親の母国だそうだ。
「あの宮廷医師が、例の王子に肩入れする理由のひとつだろう」
ヒースダインの後宮ではここ十年ほど、王子や王女たちを被験者として毒を仕込ませる行為が密かに行われていたそうだ。半数以上は途中で命を落としたが、数名は耐え抜いたらしい。その貴重な『成功例』も、先日再燃した例の流行り病によって一名命を落としたという。
「奴らはどうにかして、あなたを取り戻したいようだ。蠱毒にも耐え抜き、さらに流行り病をも乗り越えたと『誤解』している」
バージルの手が、カシュアの伸びてきた灰色の髪をやさしく撫でた。
「あなたは普通の人間なのに」
「どうでしょう。普通ですか? 痛みを感じないのに?」
「それは天から授かったギフトだ。それ以外ほかの人間となんら変わらない。現にあなたの体力は……いや、あなたは回復してる。ずっと改善してるから、これまで通りこの宮殿で心おだやかに過ごして欲しい」
たしかにカシュアは痛みを感じないだけで、体はそれなりのダメージを受けていた。自分自身の病の兆候はわからないが、少なくとも流行り病に罹患したとは考えられなかった。もし仮に感染してたとして、初期段階から適切な手当を受けてなければ、今ごろこうして生き長らえていない。毒により体も弱っているから、北の塔にいる間に命を落としていただろう。
「奴らの狙いはあなたの血液だ。それで血清をつくり、第二、第三の蠱毒の『成功例』に与えるつもりらしい」
ならばいっそのこと、自分の血液だけ送りつければいい……カシュアは一瞬頭に浮かんだその考えを、口に出す前に否定した。おそろしい毒に侵された血液は危険で、誰かの命を奪うかもしれない。カシュアは背中に回された、あたたかい腕に後ろめたさを感じた。本当にバージルのことを思うなら拒絶すべきなのに、どうしてもできないでいる。
風呂をすませてベッドにもぐると、脳裏に浮かぶのはエンシオ王子と、彼に寄り添う宮廷医師の姿だった。
(あの医師が王子に懸想してる? なんて無謀なことを)
ヒースダインは身分制度を殊更重んじるの国のため、王族に思いを寄せただけで罪人と見なされる可能性がある。過去に侍従と恋仲になった王子もいたらしいが、国王の耳に入るや否やその侍従は極刑に、件の王子は年老いた国王が統治する遠方の国の側室にされたと聞く。
(曲がりなりにも王族なら、最終的には行き着く運命だ。なにもヒースダインが特別ではない)
現にバージルも、老王の元側室を娶ることになってしまった。今では義務感からだけではなくカシュアを受け入れてくれてるようだが、たとえ相手が自分でなくても彼はそうしただろう。それが王族の結婚というものだ。
(しかもエンシオ王子は毒を仕込まれている。きっともともとバージル殿下に差し向ける予定ではなかったはずだ……では、どこの国へ送るつもりだったのだろう?)
ヒースダインと国境を接する国は、ウェストリンの他に二国、南西にダーマ国、北東にエスカリオ国がある。エスカリオ国は国土こそヒースダインと同じくらいだが、年中通して気候が悪く不毛の土地が広がる貧しい国だから、ヒースダインが史実上この国に干渉した記録はない。一方、南西のダーマは国土こそヒースダインより狭いが、肥沃な土地と温暖な気候で天然資源も豊かだ。
(ダーマには規模の大きな後宮があるから、エンシオ王子の行き先はそこだったのかもな)
予定を変更してウェストリンにやってきたものの、このまま自国へ送り返されたら行き着く先はけっきょくダーマかもしれない。そう思うと気の毒だが、カシュア自身他人に同情できるほど余裕のあるわけでもなかった。
(彼が国益を優先しないわけがない。王族として情に流されるわけにはいかないことは、彼が一番よくわかってるはずだ)
薄く開いたカーテンから、星が瞬く夜空を見つめる。ヒースダインの後宮では夜毎どこかで宴が開かれるため、そこかしこで灯りがこうこうと照らされていて、あまり綺麗に星が見えなかった。北の塔に入って一番心を揺さぶられたのは、星が綺麗なことだった。
「カシュア……まだ起きていたのか」
「バージル殿下」
バージルはすでに寝巻き姿だった。ここ最近にしては早い就寝と言える。彼は滑るようにベッドまでやってくると、半身を起こすカシュアの隣にもぐりこんだ。触れた肩から、ぼんやりと痺れたような独特の違和感をわずかに覚え、カシュアは眉を寄せた。
「……また薬を飲みましたね」
「少しだけ頭痛がしたから。あなたをわずらわせたくない」
近ごろバージルは鎮痛剤に頼りすぎだ。それはカシュアに痛覚を感じて欲しくないのが理由らしいが、ほんの少しの痛みならばカシュアは気にしない。そう伝えても、彼は頑なに薬を服用する。
「そのうち効かなくなりますよ」
「……なんだって?」
バージルはむくりと身を起こすと、カシュアをジッと見つめた。部屋の明かりを落としているため、暗さに目が慣れても顔色まではわからない。だがカシュアの目には、バージルの顔が青ざめているように感じた。
「それは本当か」
「そう医師に聞いたことがあります」
バージルは少し視線を落とした。
「それは、困る」
「ええ。バージル殿下には、本当の意味で健康でいて欲しいです。鎮痛剤はあくまで対処療法でしかありません」
バージルは両手を伸ばすと、カシュアをギュッと抱きしめた。
「あなたはいつも正しいな」
「そんなことありません。間違ったり失敗ばかりしてます。先ほどだって勝手にエンシオ王子に面会して、殿下にご心配を掛けてしまいました」
「あれはピアースが悪い。陛下の命令だろうと、私に対して事前にひと言断りを入れることができたはずだ」
カシュアは苦笑を漏らす。もし事前に断りを入れたら、自分も同行すると言い張りそうだ。あの場に同席されたら、もしかすると王子との握手を阻まれた可能性がある。なんせバージルは、カシュアから全ての痛みや苦しみを遠ざけることに全力を注いでいるようだから。
(全部なんて無理なのに)
生きていて痛みや苦しみから逃れられるわけがない。究極には誰とも触れ合わずに過ごすことだが、北の塔に四年隔離されていたとき、肉体的には痛みや苦しみとは無縁だったが、心の中はつらく苦しかった。そんなこと誰にも話したことなく、また話せる相手もいなかった。
「殿下、俺は殿下のお体が心配で、ときどき苦しくなります。殿下の健康が損なわれると胸が痛むのです」
「……そうか」
バージルはカシュアを抱きしめたまま、シーツに身を沈めた。
「少し、疲れた。昔の悪い癖で、仕事を詰め込みすぎたようだ」
「急ぎの仕事があったのですか」
「私が急ぎたかっただけだ。あなたの体に関することなら、わずかな時間も惜しくて」
バージルの説明によると、件の宮廷医師の素性についてすでに調べ上げたらしい。驚いたことに、かつてカシュアの担当医のひとりの息子だそうで、また出身はエンシオ王子の母親の母国だそうだ。
「あの宮廷医師が、例の王子に肩入れする理由のひとつだろう」
ヒースダインの後宮ではここ十年ほど、王子や王女たちを被験者として毒を仕込ませる行為が密かに行われていたそうだ。半数以上は途中で命を落としたが、数名は耐え抜いたらしい。その貴重な『成功例』も、先日再燃した例の流行り病によって一名命を落としたという。
「奴らはどうにかして、あなたを取り戻したいようだ。蠱毒にも耐え抜き、さらに流行り病をも乗り越えたと『誤解』している」
バージルの手が、カシュアの伸びてきた灰色の髪をやさしく撫でた。
「あなたは普通の人間なのに」
「どうでしょう。普通ですか? 痛みを感じないのに?」
「それは天から授かったギフトだ。それ以外ほかの人間となんら変わらない。現にあなたの体力は……いや、あなたは回復してる。ずっと改善してるから、これまで通りこの宮殿で心おだやかに過ごして欲しい」
たしかにカシュアは痛みを感じないだけで、体はそれなりのダメージを受けていた。自分自身の病の兆候はわからないが、少なくとも流行り病に罹患したとは考えられなかった。もし仮に感染してたとして、初期段階から適切な手当を受けてなければ、今ごろこうして生き長らえていない。毒により体も弱っているから、北の塔にいる間に命を落としていただろう。
「奴らの狙いはあなたの血液だ。それで血清をつくり、第二、第三の蠱毒の『成功例』に与えるつもりらしい」
ならばいっそのこと、自分の血液だけ送りつければいい……カシュアは一瞬頭に浮かんだその考えを、口に出す前に否定した。おそろしい毒に侵された血液は危険で、誰かの命を奪うかもしれない。カシュアは背中に回された、あたたかい腕に後ろめたさを感じた。本当にバージルのことを思うなら拒絶すべきなのに、どうしてもできないでいる。
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