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4.思い出のアップルパイ

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「そんなんじゃないけど、ここに来る前にこのお姉さんとぶつかってしまって……」

「あら、そうだったのですね。由梨ちゃんは、最近姿をお見かけしておりませんでしたが、うちの常連さんの一人です」

 ミーコさんは、そう私に由梨ちゃんを紹介してくれる。


「綾乃さんは、最近バイトでここを手伝ってくださってるんです。ギンさんのクラスメイトでもあるそうです」

「さっきはごめんね」

 ミーコさんに私のことも由梨ちゃんに紹介してもらい、さっきは届いたかわからなかった謝罪の言葉を伝える。


「私こそごめんなさい……」

 また拒絶されたらどうしようという気持ちがあったものの、由梨ちゃんは斜めに視線を落としながら小さくそう伝えてくれた。その姿から今は拒絶されていないことがわかって、良かったと内心胸を撫で下ろす。


「ううん。大丈夫だった? 結構思いっきりしりもちついてたし、肘も擦りむけちゃってたよね」

「あ、ちょっと!」


 私の胸元くらいまでの身長の女の子のそばにかがんで、女の子が擦りむいた肘に目をやる。

 それと同時に由梨ちゃんが少し慌てたような声を上げた。


「あれ……?」


 どういうわけか、さっき私が由梨ちゃんの左肘にあるのを見た擦り傷は、全く跡形もなくなくなっている。

 確かに怪我をしていたと思ったのだけれど、私の記憶違いだろうか?

 内心戸惑う私を見てなのだろう。由梨ちゃんは訝しげに口を開く。


「おねえさん、ギンさんのクラスメイトって言ってたけど、……やっぱり人間?」

「……え?」

「ねえ、ミーコさん。どうなの?」

 私が由梨ちゃんの言葉を肯定と捉えたと解釈したのだろう。由梨ちゃんは確認するようにミーコさんに詰め寄る。


「はい。由梨ちゃんの仰る通り、綾乃さんは人間の高校生です。でも、私たちの正体もあやかしのこともご理解なさっているので、大丈夫ですよ」


 私もミーコさんにさんに続いて、少し警戒するように私の顔を見る由梨ちゃんを安心させるように口を開く。


「ミーコさんの本当の姿も、ギンさんの本当の姿も見たことあるから、大丈夫だよ」


 私の言葉に少し驚いたように目を開いた由梨ちゃんは、頭に乗った黄色い通学帽を脱ぐ。

 すると、瞬く間に頭にはふわふわの三角の焦げ茶色の耳が現れた。


 ……か、可愛いっ!

 あり得ない光景だというのに、寄り道カフェで働きはじめてから私の感覚はどうやら麻痺してしまったらしい。

 リアルに人間に動物の耳が生えた姿を見ても、もはや驚くどころか、可愛いと癒されているのだから。


 腰から飛び出す上向きの尻尾は、根本は茶色だが全体は白い。

 ミーコさんと同じ猫にも似てるが、猫とは少し違うように感じた。


「由梨ちゃんは、何のあやかしなの?」

「違う」


 けれど、由梨ちゃんは明らかにあやかしの姿をしているというのに、それを否定した。


「私はあやかしじゃない。けど、人間でもない」

「……え?」


 あやかしでもない。だけど、人間でもない。

 それなら、由梨ちゃんは一体何だと言うのだろう。


「この中途半端な姿が私の本当の姿だから」

 少し寂しげに微笑む由梨ちゃんは、さっき私があやかしのことも理解していると説明されたことで、今のわずかな説明で伝わると思っているのだろう。

 けれど、人間でもあやかしでもない。そんな説明を今まで受けたことのない私にとって、それだけでは説明不足だ。


 詳しく聞こうにも、由梨ちゃんは今の間に耳と尻尾を引っ込めて、すでにミーコさんに本日のケーキを注文している。

 完全に聞くタイミングを逃してしまった。

 一人頭上にはてなを浮かべて困惑していたそのとき、京子さんが静かに席を立った。


「綾乃。あたし、そろそろ帰るわね」

「あ、はい……っ!」


 京子さんが席を立ってレジの方へ向かったので、由梨ちゃんの対応をしているミーコさんに代わって、私がレジへ向かう。


 少なくともミーコさんは由梨ちゃんと仲がいいみたいだし、差し支えなければ、あとでミーコさんに由梨ちゃんの正体──人間でもあやかしでもない──というのはどういうことかを教えてもらうことにしよう。


 いつもと同じ金額を打ち出し、京子さんから千円札を一枚受け取る。


「ありがとう」

「あ、京子さん! お釣り……!」


 しかし、京子さんは私がお釣りの小銭を取り出している間に、レジに背を向けて早々とお店を出ていってしまったのだ。

 常連の京子さんなら、千円札を出してお釣りがあることは知っているはずなのに、一体どうしたというのだろう。

 お釣りを忘れてしまうくらい、急いで帰らないといけない用事があるのだろうか。
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