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3.気持ち重なるミル・クレープ

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 私が退部届けのことに気づいたのを見て、明美は手の中のしわくちゃの紙をまっすぐに広げた。

 そこにはボールペンで浜崎若菜と、少し控えめな文字で書かれている。


「……彼女、素晴らしいトロンボーン奏者だったから。部としては彼女に部活に戻ってきてほしくて、やっと話ができると思ったら退部するって……」

 明美は少し疲れたような表情で笑った。そして、少し申し訳なさそうに続ける。


「ごめんね、綾乃まで巻き込んでしまったみたいになって」

「……ううん。私こそ部外者なのに首突っ込んでごめんね。でも、何が嫌だったんだろうね。上手かったんだよね、トロンボーン」

「彼女、一年生だけど、この前引退した三年生を入れても群を抜いて上手かったから、三年生の引退のかかった夏の大会でソロを任されたんだけど、失敗して……。それが重荷になっているみたい」

「そんな……っ」

「これまで人の何倍も頑張ってきた子なのに、勿体ないけどね。彼女が決めたことなら、仕方ないよね」


 さっきまで明美と一緒にいた一年生三人と副部長は、浜崎さんのことを話しているのか、少し神妙そうな面持ちで何かを話し合っているようだった。


「そういうことだから、ごめんね。このあとの演奏、聴きに来てくれるつもりだったんだよね」

「うん」

「よし! じゃあ綾乃にこれ以上カッコ悪いところ見せられないし、頑張らないと!」


 明美はパンパンと両頬を手のひらで叩くと、いつもの明るい笑みを作って見せる。

 今になって、最近の明美は無理して笑ってたのかもしれないと感じた。


「そろそろ時間だから、体育館裏に戻ろうか」

 明美はそう副部長と一年生三人に声をかけると、私に手をふって体育館裏の方に駆けていった。


 時計塔を再び見ると、もう吹奏楽部の演奏が始まるまであと五分を切っていた。

 私も慌てて体育館の中に入り席を確保する。そのとき、体育館の隅の席に、さっき明美に突き付けるように退部届けを出していた浜崎さんが吹奏楽部の演奏が始まるのを待っているように座っていたのに気づいた。


 吹奏楽部の演奏は、素晴らしかった。

 だけど、私の頭の中には明美のことや浜崎さんのことがぐるぐる回って離れなかった。

 *

「あらぁ~、綾乃、元気ないじゃない」

 恋煩い?なんて首をかしげて神妙な面持ちで聞いてくるのは、寄り道カフェの常連客、京子さんだ。

 今は新しい好きな人に絶賛アタック中らしい。


「え? そんなことないですよ」

 顔に出ないように気をつけていたつもりだったが、もしかして顔に出ていたのだろうか。


「ダメダメ、隠しても。におうのよ、元気ないにおいが」

「におう?」


 鼻をスンスンとさせる京子さんは、至極真面目だ。

 日頃は美人な二十代女性にしか見えないが、京子さんの本当の姿はあやかしだ。

 もしかしてあやかしは、そんなに鼻が効くというのだろうか。


「そうよ、だからあたしに隠し事しようとしたってダメなんだからね? 何があったの? ギンにいじめられた?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど」

「店主だからって遠慮しなくていいのよ。もしギンに嫌なことされたなら、あたしがガツンと言ってあげるし」


 いつの間にか、京子さんの中で私の元気がない理由が坂部くんにいじめられたからになっている。

 私の元気がないことはにおいでわかるらしいが、どうやらその理由まではにおわないらしい。


 全く非のない坂部くんにあらぬ誤解がうまれているため、坂部くんの名誉を守るためにも私は口を開いた。


「……実は親友が吹奏楽部の部長をやっているんです。いつも疲れたような顔をしていて、少し気にはなってたんです。それが今日、一年生の部員に、実力はあるのに大会で失敗してしまったことがきっかけで部活に出てこられなくなってしまった人がいて、そのことで悩んでいることがわかって……」


 今日見た、明美と浜崎さんとのやり取りを思い返す。

 京子さんは少し驚いたような表情をした後に、神妙そうな表情を浮かべる。


「そうだったの。お友達のために……。綾乃は優しいのね」

「そんな、全然。親友が悩んでるのに、私は何も力になれなくて、結局気を遣わせてしまっているだけな気がします」

「考えすぎよ。きっと綾乃のお友達も、綾乃の優しい思いに救われているはずよ」

「……だといいんですけど」


 私と明美、逆の立場で考えてみると、京子さんの言う通りなのかもしれない。

 もし私が明美の立場なら、明美を面倒事に巻き込みたくないと思うし、明美が自分のことを心配してくれるのならその気持ちだけで嬉しい。
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