悪女は愛する人を手放さない。

りつ

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41、賭け

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 それからオズワルドは毎回ではないがきちんと眠るようになり、顔色も前ほど悪くはなくなった。

 だからマティルダは遠回しに自分の要望を――外へ出たいということをお願いしたが、そうなるとオズワルドは以前の彼に戻ってしまい、やはり聞き入れてはくれなかった。

(ポーリー……)

 オズワルドはポーリーを迎えにホテルへ出向いたそうだが、ニックはマティルダ本人でなければ犬を託すことはできないと言って追い返したらしい。

 マティルダが手紙を書いて渡しても、無理矢理書かせたのだろうと、信じてくれない。侯爵家へ犬を直接連れて行くことも提案されたが、それはオズワルド自身が承諾しかねた。

 仕方がないのでそのまま預けてしまっているが、いつまでもこのままでいいはずがない。

 ――けれど一方で、ニックの元にいる方がいいという予感があった。

 たぶん。ずっとこのままなはずがない。何かが起こる。

 そしてそれは見事的中したのだ。

「――旦那様! 奥様! 大変です! 起きて下さい!」

 火事です! という切羽詰まった大声にハッとマティルダは目を覚ました。夜中だった。使用人たちの慌ただしい声、悲鳴が聴こえてくる。

「火元はどこだ」
「本館の方です!」
「本館――」

 オズワルドはメイドに従って避難するようマティルダに言うと、部屋を飛び出した。

「奥様! 奥様も早くお逃げください!」

 マティルダはこの時、直観であったが、火元の原因はシェイラであろうと思った。彼女はオズワルドがマティルダを取り戻したことを知り、彼の心が自分にないことを悟った。それでもう生きていくのが怖い、あるいはどうしていいかわからなくなって、この火事を引き起こした。

(なんて、考え過ぎかしら)

 だが、この火事でオズワルドはシェイラの命が危機にあると駆けつけて行った。それは彼が、マティルダよりシェイラを選んだということだ。

 きっと彼はマティルダに傾きかけていた気持ちを過ちだと気づき、自分が本当に大切だったのはシェイラだったと思い出したはずだ。だから命に代えても彼女を助けに行こうとしている。彼女を失いたくないから。

(失いたくない……)

 炎は全てを焼き尽くしてしまうだろう。何もかも、すべて――

「奥様?」

 屋敷の外へ逃げようとしていたマティルダが不意に立ち止まったことで、メイドがどうしたのかともどかしい態度で呼びかける。

「わたしも、失いたくない」
「えっ? あっ、奥様! お待ちください!」

 マティルダは踵を返し、シェイラとオズワルドのいる屋敷へと走っていく。

 火は想像以上に屋敷を焼き尽くそうとしていた。使用人たちが悲鳴を上げて中から逃げ出してくる。犬たちが興奮し吠えまくっている。賢明な使用人の中には高価な貴重品を運び出そうとしていた。オズワルドは無事シェイラを連れて逃げ出すことができただろうか。

 わからなかったが、どうでもよかった。今やマティルダの頭の中は別のことに囚われていたから。

 マティルダの姿は他の使用人にも見えていたはずだ。だが誰も、まさか彼女が炎の中へ飛び込んでいくとは思ってもいなかった。ただ、夫が心配で様子を見に来ただけだと……。

 後ろから自分を呼ぶ声が聴こえた気がしたが、立ち止まることはせず、炎の中へ飛び込んでいった。

   ◇

「はぁ……はぁ……」

 何とか二階の図書室までたどり着くと、炎を封じ込めるように扉を閉め、奥へと突き進む。来る途中で煙を吸ってしまったせいか、身体が重く、思うように進めない。

 しかしそれでも足を止めずに進むことができるのは、自分の中にある強い感情ゆえだ。

(あった――)

 一番奥の本棚まで足を動かすことができ、震える指先で恋い焦がれていたものを棚から取り出す。それはデイヴィッドの日記だった。燃えていない。きちんと、自分の手の中にある。

(よかった。無事だった……)

 安堵と体力の限界で力が入らず、その場に座り込む。

 もうこのまま死んでしまうかもしれないというのに、マティルダはまるで狂気に取り憑かれたようにページをめくる。朦朧とし始めた頭に鞭を打って、必死で目を凝らし、綴られた文字を読み取る。

 最後の一文字まで読み終えた瞬間、マティルダは思わずぽろぽろと涙を零し、日記を己の胸に強く抱きしめた。

(最後まで、きちんと読めた……)

 どうしてここまで自分がこの日記に――デイヴィッドの存在に心惹かれたのかはわからない。オズワルドとシェイラの二人によって辛い立場に追い込まれた状況に自分を重ねたからか、愛する人に裏切られた同じ苦しみに同情を覚えたからか、明確な答えはわからない。

 だが一つだけ確かなことは、これまでこんなにも自分の心を揺さぶる存在はいなかったということだ。

 たとえそれが文字を通しての人間だとしても、自分の中で芽生えた感情は決して嘘ではない。だからこのまま、この日記を胸に抱いたまま、彼女は死のうと思った。きっと彼以上に胸の高鳴りを与えてくれる存在には出会えないだろうから。

 愛する人が残してくれた日記と共に、自分もこの世から消え去ってしまおう。それが、一度も出会うことの叶わなかった彼への、マティルダの愛の示し方だった。

(旦那様、愛しています)

 マティルダが目を瞑り、薄れゆく意識に身を任せようとした瞬間――

「マティルダ!」

 愛する人の声によく似た、オズワルドの声が聴こえてくる。――いいや、違う。

(あの人はお義姉様を助けにいったもの)

 こんなところにいるはずがない。自分など助けるはずがない。とするとこれは……旦那様の声だ。迎えに来てくれたのだ。

「マティルダ! マティルダ!」

 腕を掴み、目を閉じるな、自分を見ろと訴えかける。朦朧とした意識の中、マティルダは薄っすらと目を開け、彼に微笑んだ。

 ずっと、ずっと伝えたかった想いを、ようやく伝えることができる。

「愛しています。デイヴィッド様」

 マティルダの告白に彼がどんな表情をしたのか、目の前の相手が本当は誰なのか気づくこともなく、ひどく幸せに満ちた気持ちでマティルダは目を閉じたのだった。


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