上 下
35 / 35

あなたの隣にある

しおりを挟む
 ランスロットの傷が長旅に耐えられる程に回復すると、リュシエンヌたちはセレスト公国へ帰ることにした。

 まだギュスターヴの件がすっきり片付いたわけではないが、帝国内がごたつく前にさっさと帰った方がいいとボードゥアンに勧められたからだ。

「一応私が次の皇帝となりますが、代替わりの時期はいろいろ面倒な人間を相手にしなければなりませんからね。巻き込まれる前にお帰りになった方がよろしいでしょう」
「そうですか……。えっと、いろいろありがとうございました」

 ぎこちないリュシエンヌの挨拶にふっとボードゥアンは微笑む。

「こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。何年かしたら落ち着くでしょうから、よかったらその時にまたお越しいただけると嬉しいです」

 これからボードゥアンは皇帝としてノワール帝国を治めていくわけだが、リュシエンヌはあまりしっくりこなかった。彼ならつつがなく統治していくと思っているが、本人にやる気や気概のようなものが感じられないからかもしれない。

 そのことを帰りの馬車でランスロットに話せば、彼は肩を竦めた。

「まぁ、あの人、どちらかというと裏から支配するのが性に合っているんでしょうね。でもやると決めたからには、面倒だけどきちんとこなすと思いますよ」

 そう面倒くさそうに言ったランスロットの顔をリュシエンヌはまじまじと見つめる。

「何ですか?」
「陛下のこと、よくわかっているなぁと思って……」

 なんだかんだ気に入っているのね、という気持ちが顔に出ていたのか、ランスロットは勘弁してくれと言いたげに顔を顰めた。

「誰があんなおっかない人と好き好んで仲良くなりたいと思うんですか。敵に回すとこの上なく厄介なタイプですから、いろいろ観察しているだけです」
「別に隠さなくてもいいのよ?」
「いや、隠しているわけじゃ、あーもう!」

 ランスロットはリュシエンヌの身体をぐいっと自分の方へ抱き寄せ、顔を近づけた。

「いいですか。俺は貴女に変な虫がこれ以上近づかないよう、どんな人間でも注意して見ておくって決めたんです」
「それは……ありがとう?」

 お礼を言えば、なぜか深くため息をつかれて、抱きしめられる。自分のためにいろいろと気苦労をしているランスロットを労うように背中を撫でれば、もっと密着され、首筋に顔を埋められた。

「ランスロット。本当に、ありがとう……。いっぱい怪我させて、ごめんなさい」
「謝る必要はありません。貴女を守ることは護衛として、夫として当然ですから」
「でも、手が……」

 ランスロットの右手は切られた箇所を縫合し、無事完治したように見えているが、今後剣を握って戦うことは難しいだろうと言われた。

「左手は使えるので、問題ありません。剣が無理なら拳でも戦えます。脚でもいいかもしれない。俺の足技、けっこうきまっていたでしょう?」

 とにかく、とランスロットは浮かない顔をするリュシエンヌの頬を撫でながら、明るく言った。

「五体満足でも、姫様を守りきれなかったら、大公夫妻に顔向けできません。父や兄にも、どやされるどころじゃない。だから、これは名誉の負傷です。誇らしいですよ」
「……ええ。そうね。あなたのおかげで、わたしも生きているものね」

 リュシエンヌの表情がようやく晴れると、ランスロットも微笑んだ。

「でも、左手でも剣が扱えるなんて知らなかったわ」
「練習したんです。ちょうど姫様と婚約したあたりに」

 では二年ほど密かに特訓していたわけだ。訓練場にも足を運んでいたが、リュシエンヌは全く気づかなかった。

「飛び道具的な技にしたかったんです。もしくは二刀流みたいな……。どちらにせよ、ものにするには長い年月が必要でしたから、それまでは隠しておくつもりでした。相手の不意を突くことで、一命をとりとめることもありますからね」

 まさにギュスターヴの戦いはそうだった。

「すごいのね、ランスロット……。わたしが言っていいかわからないけれど、すごく頑張っていたのね」

 しみじみと呟けば、彼はにっと笑った。

「俺が頑張れたのは、姫様のおかげですよ」
「わたしの?」
「はい。姫様が俺と結婚したいと勇気を出して告白してくださって、慣れない人付き合いにも向き合って、セレスト公国を守るためにできることを懸命に考えている姿を見て、俺も、自分にできることをしようと思った。剣の腕を磨いて、貴女をお守りしようと思ったんです」

 ランスロットは耳元へ口を寄せ、優しい声で告げた。

「よく、頑張りましたね」

 ランスロットに、人生を繰り返して国を救おうとしたことは告げていない。三度目の終わりで「忘れて」と願ったように、辛い記憶を呼び起こしてほしくなかったし、彼のことだから、リュシエンヌのこれまでを思ってひどく胸を痛めるだろうから……。

 でも、神殿へ助けに来た時にギュスターヴとの会話を聞いて、薄々気づいているかもしれない。

 そう思える優しい声だった。

 リュシエンヌは泣かないよう必死に瞬きを繰り返しながら、ランスロットの肩口に額を寄せる。

「……うん。頑張ったの。だから、いっぱい褒めて」
「もちろん。姫様へのご褒美は、俺への褒美にもなりますから」

 ランスロットはそう言うと、見てくださいと馬車の外を指出す。
 大きな門をくぐり、懐かしい景色が見えると同時に大きな歓声が聞こえる。

「みんな、姫様の帰りを待っていたんですよ」

 自分やランスロットの名前を呼びながら笑顔で手を振って来る人々に、リュシエンヌはランスロットと顔を見合わせて微笑むと、馬車の中から手を振り返した。

(頑張って、よかった……)

 一度目の終わりを思い出し、リュシエンヌは心からそう思った。

「城でも大歓迎されるでしょうね」

 予定よりもだいぶ延びた帰国となったから両親もみな心配しているだろう。
 早く顔を見合わせて、安心させたかった。

(メルヴェイユ国のベアトリス様たちにもお礼を言わなくちゃ……)

 今後のことをリュシエンヌが考えていると、ランスロットが同じように外を見ながら「姫様」と言った。

「これからも、俺は貴女のそばにいますから。それこそ、鬱陶しがられるほど。だから、覚悟しておいてくださいね」

 リュシエンヌはくすりと笑い、触れた指先を絡めた。

「ええ。望むところだわ」

 だって約束したのだ。

『姫様の幸せを求めることを諦めないでください』

 リュシエンヌの幸せは、愛しい騎士ランスロットの隣にあるのだから。

しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

鈍感令嬢は分からない

yukiya
恋愛
 彼が好きな人と結婚したいようだから、私から別れを切り出したのに…どうしてこうなったんだっけ?

恋人に捨てられた私のそれから

能登原あめ
恋愛
* R15、シリアスです。センシティブな内容を含みますのでタグにご注意下さい。  伯爵令嬢のカトリオーナは、恋人ジョン・ジョーに子どもを授かったことを伝えた。  婚約はしていなかったけど、もうすぐ女学校も卒業。  恋人は年上で貿易会社の社長をしていて、このまま結婚するものだと思っていたから。 「俺の子のはずはない」  恋人はとても冷たい眼差しを向けてくる。 「ジョン・ジョー、信じて。あなたの子なの」  だけどカトリオーナは捨てられた――。 * およそ8話程度 * Canva様で作成した表紙を使用しております。 * コメント欄のネタバレ配慮してませんので、お気をつけください。 * 別名義で投稿したお話の加筆修正版です。

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫

紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。 スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。 そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。 捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...