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第5章:林の心臓編

147 帰る為に-クラスメイトside

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「かひゅッ……ひゅぅッ……おえッ……かはッ……」

 林の心臓が封印されていたダンジョンの最奥の部屋の中心で、友子は地面に蹲り、首を押さえながら必死に荒い呼吸を繰り返す。
 胸を締め付けられているかのような息苦しさと、腹の奥から何かが込み上げてくるような嘔吐感の中、彼女は拳を強く握りしめて苦痛に耐える。
 ──……ここで死ぬわけにはいかない……ッ!
 ──こころちゃんを心臓の魔女の手から救い出すまでは……ッ! 死ぬわけにはいかない……ッ!
 今にも気を失ってしまいそうな苦しみの中で、彼女はたった一人の大切な友の姿を思い浮かべ、辛うじて意識を保っていた。

 ザッ、ザッ、ザッ……。

 その時、誰かが草の上を歩いてこちらに近付いてくる音がした。
 しかし、今の友子がその音に気付くことは無い。
 彼女の耳には自身の荒い呼吸音と激しい鼓動の音だけが聴こえており、その足音を認知することなど出来るはずも無かった。
 近付いてきた人物は友子の真横に立つと、小さく息をつき、地面に蹲る彼女の体に手を掲げた。

「聖なる光よ、かの者の苦しみを取り除く為、今我に加護を与えてくれ給え。マラディーソワン」

 その人物がそう呟くと、掲げられた手にぽうっ……と光が灯り、友子の体を明るく照らした。
 すると、友子の全身を襲っていた苦痛は徐々に和らぎ、荒くなっていた呼吸も次第に穏やかになっていく。
 彼女はそのまま脱力するように地面に倒れ込み、何度も深呼吸を繰り返す。
 未だに激しく昂っている鼓動の音を聴いていた時、隣に立っていた人物がしゃがみ込んだのが分かった。

「酷い有り様だね」

 頭上から降って来た声に、友子は首を動かして隣にいる人物を見上げ、嘆息した。

「……遅い」

 先程まで毒で苦しんでいたところを助けてくれた恩人に対し、友子は冷ややかな声で吐き捨てるようにそう言った。
 彼女の言葉に、山吹柚子は微かに眉を顰めたが、すぐに小さく笑みを浮かべた。

「こころちゃんとの再会を邪魔しないで……って、誰かさんに言われたからね」
「その呼び方止めて」

 冗談めかすような口調で言う柚子に、友子は体を起こしながら、先程よりも低い声で言う。
 彼女の反応に、柚子はやれやれと言った様子で肩を竦めた。
 しかし、彼女はすぐに柚子は膝の上で頬杖をついて口を開いた。

「大体、助けて貰っておいて真っ先に出てくる言葉が文句ってどういうこと? 防御力の低い最上さんを遠くからでも心臓の守り人からの攻撃から守ってあげたのは誰だと思ってるの? むしろ感謝して欲しいよ」
「よく言うよ。私が毒で苦しんでるのを見て、楽しんでた癖に」

 演技がかったような口調で話す柚子に、友子は口角を引きつらせながらそう言った。
 それに、柚子は年齢の割に幼く見えるその童顔にキョトンとしたような表情を浮かべたが、やがてクスリと小さく笑い──

「あぁ……バレてたんだ」

 ──何てことの無いことのように、そう言った。
 彼女の言葉に、友子は苛立った様子で小さく舌打ちをした。
 それに、柚子は「ごめんって」と、あくまで笑みを絶やさぬまま答えた。

「だってしょうがないじゃん。嫌いな人が苦しんでる姿ほど面白いものは無いよ?」
「……」
「別に良いじゃない。死ななかったんだから」

 殺意の籠った目で睨んでくる友子に、柚子は両手を軽くヒラヒラと振りながらそう言った。
 それに、友子は小さく溜息をついて口を開いた。

「そんなの、たまたまタイミングが良かっただけの話でしょ。あと少しでも遅かったらどうなってたか……」
「偶然なんかじゃないよ。ずっと一緒に戦ってるんだもん。最上さんのHPの量とか、どれくらいで死ぬかとか……大体分かるよ」
「……ホント悪趣味」

 悪びれること無く言う柚子に、友子は不機嫌そうに眉を顰めながら言った。
 それに柚子は「はいはい、悪うございました」と、どこか感情のこもっていないような声で言った。
 彼女の反応に友子は嘆息し、「もう良いよ」と諦めたような口調で答えた。

「それより、誰かさんが来るのが遅かったせいでHPがかなり減ったから、早く回復してくれない?」
「はいはい。……聖なる光よ、かの者の傷を癒す為、今我に加護を与えてくれ給え。ブレシュールソワン」

 柚子がそう詠唱を唱えると、リートの毒魔法によって減っていた友子のHPが回復していく。
 友子は指輪に力を込めてステータスを表示させ、自分のHPを確認した。

 名前:最上友子 Lv.72
 武器:嫉妬の矛エンヴィーパイク
  願い:自分とこころの邪魔をする者を全て殺したい
  発動条件:自分とこころの邪魔をする者と戦う時のみ力を発動できる。
 HP 6920/6920
 MP 980/2150
 SP 870/1960
 攻撃力:10300/800
 防御力:200/560
 俊敏性:8200/720
 魔法適性:890
 適合属性:水、闇
 スキル:パイクシールド(消費SP5)
     ウォーターパイク(消費SP7)
     ダークネスパイク(消費SP7)
     ウォーターボール(消費SP9)
     コンフューズパイク(消費SP9)
     アイスパイク(消費SP10)
     ファントムパイク(消費SP15)
     アクアウィップ(消費SP20)
     バニシングパイク(消費SP20)
     アイスブレード(消費SP20)
     シャドウタック(消費SP25)
     ブリザードウィンド (消費SP25)
     プワゾンスラッシュ(消費SP25)

「そういえばどうだったの? 久々の、猪瀬さんとの再会は?」

 ステータスを確認していた時、柚子がどこか冗談めかしたような口調で尋ねてきた。
 彼女の言葉に、友子は不愉快そうに眉を顰めながらステータスの表示を消した。

「ねぇ、それ……分かってて聞いてるよね?」
「うん? 何のこと?」
「どうせ全部見てたくせに。……大体、山吹さんがもっと早く助けに来ていれば、すぐにでもこころちゃんを追うことが出来ていたのにッ!」

 友子はそう怒鳴りながら柚子の胸倉を掴むべく立ち上がろうとしたが、先程の毒気が完全に抜けきっておらず、軽く眩暈がしてすぐに地面に手をついた。
 それを見た柚子は肩を竦めて立ち上がり、友子から距離を取るように数歩後ずさった。
 彼女は上着のポケットに両手を突っ込むと、冷めた目で友子を見下ろしながら続けた。

「何か勘違いしてるみたいだけど……あくまで、私が主人で最上さんが奴隷、っていう関係なのは忘れてないよね?」
「……何を、急に……」
「最上さんは、私が少しでも早く日本に帰る為に、私の命令に従って、レベルを上げて魔女を殺してくれれば良い。……猪瀬さんの救出は、あくまでそのついで。別に最上さんの邪魔をするつもりは無いし、魔女の討伐に必要だと感じれば協力する。……それだけの話でしょ?」

 柚子は静かな声で言いながら、元々林の心臓が置いてあった壁の出っ張りに腰を下ろした。
 彼女の言葉に友子は不愉快そうに顔を顰めたが、元々そういう条件で手を組んでいるのは事実だったので、何も言い返せなかった。
 すると、柚子はポケットの中に入れていた道具袋の中から掌サイズの大きさの丸い水晶のような石を取り出し、両手で大事に持ちながら続けた。

「最上さんは今まで頑張ってくれたよ。凄く必死にレベルを上げていたし、必要に応じて私の命令も聞いてくれた。……早く猪瀬さんに会いたい、っていう気持ちが……嫌でも伝わってきたよ」
「……」
「私としては、林の心臓は封印されている場所も色々と複雑な事情のある場所らしかったし、見送ろうかと思ったけど……最上さんが私の期待以上に頑張ってくれたから、ここに来ることを特別に許可してあげたんだよ」

 淡々と語りながら、柚子は手に持った水晶を指先で器用に回した。
 透明の色をした水晶は、壁や天井を覆う蔦の隙間から漏れ出る光を反射してキラキラ光る。
 この水晶はクラインが発明した魔道具で、封印されている心臓がある場所を知ることが出来るというものだった。
 二人はこの水晶を使って濃霧を抜け、ベスティアの町に進入した。
 さらに、同様にクラインが作った物の一つで、闇魔法を応用して二人の姿を隠すことの出来る魔道具もあった。
 その魔道具は闇魔法の幻魔法と違い、匂いや魔力なども隠蔽させることが出来る為、獣人族の嗅覚でも気付かれることなく潜入することが出来たというわけだ。

「でも……あくまでそれだけ」

 柚子はそう語りながら、水晶を回す手を止めた。

「確かに今回は、最上さんが猪瀬さんを早く連れ戻したいって言ったのは止めなかった。死なれたら困るから、多少は戦いのサポートをさせて貰ったけど……それだけの話」
「……何が言いたいの……?」
「あの場ですぐに最上さんを解毒して魔女の後を追っても、魔女は殺せなかったよ」

 冷淡な声で言い放つ柚子に、友子は大きく目を見開いた。
 柚子はそれに、両手の中にある水晶を握る力を強めて続けた。

「確かに魔女は満身創痍の重傷だし、あの場で追い打ちを掛ければ命を取れただろうね」
「じゃあ、なんで……ッ!」
「でも、魔女の味方である心臓の守り人は、四人中三人はほぼ無傷の状態。赤髪の人は割と重傷だったと思うけど……それでも魔女に比べると軽傷だったし、いざとなったら戦闘に参加してくる可能性がある。私が参加しても、最上さんがやったような不意討ちでも無い限り、四対二で心臓の守り人を相手にするなんて分が悪いでしょ?」

 冷静な分析を語る柚子に、友子はグッと口を噤んで俯いた。
 ──それに……猪瀬さんが戦いに参加してくる可能性だってあるでしょ?
 柚子はそう続けようとして口を噤み、静かに視線を逸らした。
 先程、こころを遠目に観察して……以前、彼女に対して抱いていた疑念が確信に変わったのを感じた。
 こころが、心臓の魔女に恋しているかもしれない、という……友子にとっては、残酷な疑念が。

 世の中には、誘拐事件の被害者が犯人に対して恋心を持ってしまうと言った、ストックホルム症候群なんてものも存在する。
 柚子としては、こころの恋心はその一種では無いかと考えているが……違う可能性も捨てきれない。
 どちらにせよ、現状、こころが心臓の魔女に対して恋心を抱いているのは確定と言っても過言では無いだろう。
 そんな中で友子が心臓の魔女に更なる危害を加えれば、こころ自身が反撃してくる可能性も少なくは無い。
 友子の強さの理由がこころへの恋心にあることを考慮すると、出来れば二人の衝突は避けたいところだ。

「でも、このまま見逃す訳じゃないよ」

 素早く思考を巡らせた後、柚子は冷たい眼差しで友子を見つめながら、そう続けた。
 ──最上さんが猪瀬さんに抱いている感情と、猪瀬さんが最上さんに抱いている感情に齟齬があるのは明白。
 ──心臓の魔女を殺して猪瀬さんを連れ戻した時、その齟齬はきっと大きな障害となるだろう。
 ──でも……私が日本に帰る分には、何の問題も無い。

「確かに今回は一度見逃したけど、魔女と心臓の守り人の一人が重傷を負っている状況には変わらない。最上さんの矛の力なら、普通の回復薬も魔女自身の自然治癒能力も使えないし、このまま放っておけば魔女は死ぬ。……でも、他の心臓の守り人達がこのまま魔女を見殺しにするような真似はしないはず。普通に考えて……同じ大陸の中にある、光の心臓を手に入れようとするだろうね」

 柚子の言葉に、彼女の言おうとしていることが分かったのか、友子はハッとしたような表情を浮かべた。
 彼女の反応に、柚子は特に気にする素振りを見せずに続けた。

「でも……少なくとも、重傷を負った魔女と赤髪の人をダンジョンに連れていくことは出来ない。光の心臓を取りに行くにしても、ダンジョン攻略に向かう人と、二人を守る人に分かれるんじゃないかな」
「つまり……人が少なくなって、心臓の魔女を殺しやすくなる……?」

 反射的に、友子は呟くようにそう答えた。
 それに柚子はクスリと小さく笑って、「そういうこと」と答えた。

「それに、今の魔女は、放っておけば死ぬ状態。直接殺すことは出来なくても、光の心臓を先に破壊すれば、ほぼ確実に心臓の魔女を殺せると思うよ」

 柚子はそう答えながら、両手に持った水晶を顔の高さまで持ち上げた。
 水晶の中には、白みの強い金色の光が輝いている。

「もうすぐあの二人も追いついてくる頃だし……準備を整えて、確実に……心臓の魔女を殺しに行こう」

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